ホーム スポーツ ダンプ松本の引退試合はいつ?1988年川崎大会と熊谷の最終戦、2026年の現在を徹底解説

ダンプ松本の引退試合はいつ?1988年川崎大会と熊谷の最終戦、2026年の現在を徹底解説

氷室 美冬 氷室 美冬 • 更新: • 公開: • 読了約 18 分
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ダンプ松本の引退試合は、1988年2月25日に開催された全日本女子プロレスの川崎大会で行われた。同期の大森ゆかりとタッグを組み、宿敵だったクラッシュ・ギャルズの長与千種、ライオネス飛鳥と対戦した歴史的な一戦だ。

しかし、実際のリング上での最終試合は、その3日後の1988年2月28日、埼玉県の熊谷市民体育館大会だった。最後の対戦相手はブル中野とコンドル斉藤。試合後にはクラッシュ・ギャルズのファンに向けた涙の謝罪もあった。さらに2003年の現役復帰、2024年のNetflixドラマ『極悪女王』、2026年の膝の手術とリハビリまで、ダンプ松本の歩みには知られざる転換点がある。

【結論】ダンプ松本の引退試合は1988年2月25日、最後の試合は2月28日

ダンプ松本引退試合

まず整理しておきたいのが、1988年2月25日と2月28日の違いだ。

この2つの日付は、どちらもダンプ松本の引退を語るうえで欠かせない。2月25日は大森ゆかりとともに行った引退特別試合の日であり、2月28日はダンプ松本が実際に最後の試合を行った日である。

週刊プロレス編集部による試合回顧でも、2月25日の川崎大会はダンプ松本の引退試合として紹介されている。一方、CINRAに掲載された当時を知るライターの回顧では、2月28日の熊谷大会が本当のラストマッチと説明されている。

つまり、どちらか一方の日付が間違っているわけではない。

- 1988年2月25日:引退特別試合と長与千種との特別タッグ
- 1988年2月28日:現役最後の公式試合と引退の謝罪スピーチ

この区別を知っておくと、Netflixドラマ『極悪女王』で描かれた引退の場面も、実際の出来事と照らし合わせやすくなる。

【1988年2月25日・川崎大会】大森ゆかりとの引退試合と長与千種との特別タッグ

1988年2月25日、神奈川県の川崎市体育館で全日本女子プロレスの大会が開催された。

この日、引退を迎えるダンプ松本と大森ゆかりがタッグを組み、対戦相手としてリングに上がったのは、当時の女子プロレス人気を牽引していたクラッシュ・ギャルズの2人だった。

ダンプ松本・大森ゆかり対クラッシュ・ギャルズ

対戦カードは次のとおり。

- ダンプ松本
- 大森ゆかり
- 長与千種
- ライオネス飛鳥

ダンプと大森が組み、長与と飛鳥のクラッシュ・ギャルズと対戦する構図だった。

週刊プロレスの試合回顧によると、試合は4人全員が流血する激しい乱闘に発展。13分50秒で無効試合となった。

引退試合であっても、ダンプ松本は最後までヒールとしての姿勢を崩さなかった。

長年にわたってリング上で対立してきたクラッシュ・ギャルズとの関係を考えれば、単なる引退セレモニーでは終わらないことは予想できた。

しかし、この日の本当の見どころは無効試合の後に待っていた。

「今日で終わりだ。長与、来い!」から始まった特別タッグ

試合終了後、ダンプ松本がマイクを握った。

「今日で終わりだ。長与、来い!」

この言葉は、長与に対する挑発ではなく、歩み寄りを求める意味だったと週刊プロレスの回顧記事は説明している。

長与もマイクで応じた。

「本当のプロレスを見せてやる!私たちだけしかできないプロレスを見せてやる!!」

さらに大森ゆかりがライオネス飛鳥に呼びかけ、4人のパートナーを入れ替える展開になった。

実現したカードは次のとおり。

特別エキシビション

長与千種&ダンプ松本 VS ライオネス飛鳥&大森ゆかり

試合時間は5分間。

長与とダンプが同じコーナーに立つという、当時のファンにとっては予想外の組み合わせだった。

2人はダブルのラリアットなどの合体技も披露。5分間の試合は時間切れ引き分けとなった。

試合後には長与とダンプが握手し、ダンプが長与を抱きかかえて観客の声援に応えた。

この大会には約4000人が詰めかけ、超満員となったという。

長年のライバル同士が最後に同じチームで戦う。この場面こそ、1988年2月25日の川崎大会が現在まで語り継がれる大きな理由だ。

大森ゆかりにとっても特別な引退試合だった

この大会はダンプ松本だけの引退試合ではない。

大森ゆかりも同じ日に引退特別試合を行っていた。

大森は全日本女子プロレスでダンプと同期として歩み、引退後も芸能活動で関係を続けた人物だ。

2月25日の試合ではダンプのパートナーを務め、特別エキシビションではライオネス飛鳥と組んだ。

そのため、この日の川崎大会は、ダンプと大森という2人の選手が現役生活に区切りをつける意味を持っていた。

【1988年2月28日・熊谷大会】ブル中野との最終試合と涙の引退スピーチ

2月25日の川崎大会で引退特別試合を終えたダンプ松本だったが、リングに立つ機会はまだ残されていた。

1988年2月28日、埼玉県熊谷市民体育館。

この大会がダンプ松本にとって本当のラストマッチとなった。

地元・熊谷で迎えた最後の試合には、引退するダンプを見届けようと多くの関係者や報道陣が集まった。

最後の対戦相手はブル中野とコンドル斉藤

2月28日の試合は、通常のタッグマッチとは異なる1対2の変則マッチだった。

対戦カードは以下のとおり。

- ダンプ松本
- ブル中野
- コンドル斉藤

ダンプ松本が1人でブル中野とコンドル斉藤の2人を相手にする形式である。

試合結果は、9分35秒、ダンプ松本が体固めで勝利。

引退試合の相手に後輩のブル中野とコンドル斉藤を選んだことにも、当時の極悪同盟の関係性が表れている。

一方、同期の大森ゆかりも同大会でライオネス飛鳥と10分間のエキシビションマッチを行い、時間切れ引き分けとなった。

この試合結果は、当時の全日本女子プロレスの大会記録にも残っている。

ダンプ松本の引退スピーチとは?

最終試合の後、ダンプ松本はマイクを握った。

リング上で語ったのは、長年悪役として対立してきたクラッシュ・ギャルズと、そのファンに向けた謝罪だった。

2022年の本人インタビューを掲載した「Ms Wendy」では、引退試合での言葉を次のように振り返っている。

「ちーちゃん、飛鳥のファンのみなさん、今までクラッシュをいじめてごめんなさい!」

リング上で悪役を演じ続け、日本中のファンから憎まれることを仕事としてきたダンプ松本。

その最後に、長与千種とライオネス飛鳥を応援してきた人たちに謝罪した。

CINRAの回顧記事でも、最終試合後にダンプが涙ながらに謝罪し、深く頭を下げた場面が紹介されている。

このスピーチは、単なる引退の挨拶ではなかった。

悪役として生きたダンプ松本が、リング上で作り上げた人物像に自ら別れを告げる瞬間だったのである。

【引退理由と経緯】人気絶頂の1988年にダンプ松本が引退を決めた本当の理由

ダンプ松本の引退理由について、年齢や体力の限界、クラッシュ・ギャルズとの抗争の終結などを想像する人もいるかもしれない。

しかし、本人が後年のインタビューで語った理由は、もっと組織内部の問題に関係していた。

1988年1月4日に突然の引退発表

ダンプ松本は1988年1月4日、プロレス界からの引退を発表した。

当時はトップヒールとして人気を確立し、女子プロレス界を代表する存在だった。

テレビ朝日系のインタビュー企画「テレ朝POST」で、ダンプ本人は当時の状況について次のように振り返っている。

「松永会長以外の会社の人間がイヤで、もう我慢できなくなっていたんだよね。」

本人によれば、引退を考え始めたのは1987年夏ごろ。

会社側には以前から辞めたい意向を伝えていたものの、もう少し待つように説得されていたという。

最終的には報道陣による囲み取材の機会を利用して、自ら引退を発表した。

引退の原因は会社との関係だった

2022年の本人インタビューでも、引退について「会社の方針が自分に合わなかった」ことが大きな理由だったと説明している。

ダンプはまだ体力があり、プロレスも好きだった。

それでも引退を選んだのは、リングでの活動と所属団体の運営に対する考え方が一致しなくなっていたからだ。

ここで注目したいのは、ダンプ松本が人気の低迷や試合での敗北を理由に引退したわけではないという点だ。

むしろ、人気があるうちに自分の意思で区切りをつけた選択だった。

引退後は芸能界へ転身

引退後、ダンプ松本はプロレス界を離れ、芸能活動を本格化させた。

同期の大森ゆかりとユニットを組んでCDを発売したほか、バラエティー番組、ドラマ、舞台、CMなどにも出演した。

テレビ朝日のインタビューによると、1988年には日本テレビ系の2時間ドラマで主演も務めている。

プロレスラーからタレントへの転身は、当時としても大きな方向転換だった。

ダンプ松本はリングを離れた後も、自分の存在感を別の舞台で発揮していった。

【人物・試合関係を整理】ダンプ松本の引退までの年表と関係者一覧

ここまでの出来事を、人物の関係性とキャリアの転換点に分けて整理する。

時期 人物・出来事 内容・関係性
1980年 ダンプ松本 松本香として全日本女子プロレスでデビュー
1984年 極悪同盟 ダンプ松本に改名。ヒールとして活動
1988年1月4日 引退発表 会社との関係や方針の不一致が背景
1988年2月25日 大森ゆかり 川崎大会で引退特別試合。ダンプとタッグ
1988年2月25日 長与千種 ダンプと特別タッグを結成
1988年2月25日 ライオネス飛鳥 クラッシュ・ギャルズとして対戦
1988年2月28日 ブル中野・コンドル斉藤 熊谷大会でダンプの最終試合の対戦相手
1998年 全女OG戦 約10年ぶりの一夜限りの復帰
2003年5月 現役復帰 極悪同盟を再結成してプロレス界へ
2026年10月 膝の手術 入院・手術後にリハビリを開始

クラッシュ・ギャルズと極悪同盟の関係




この関係性を理解するうえで重要なのは、当時の抗争が単なる勝敗だけで成立していたわけではないことだ。

テレビ中継、ファンの応援、ヒールとベビーフェイスの対立が一体となって、女子プロレスというエンターテインメントを作り上げていた。

ダンプ本人もテレビ朝日のインタビューで、クラッシュ・ギャルズというライバルがいたからこそ頑張れたと語っている。

【2003年の現役復帰から2026年現在】膝の手術と『極悪女王』の史実

1988年に引退したダンプ松本だが、プロレス人生はそこで終わらなかった。

1998年の一夜限りの復帰を経て、2003年には本格的に現役復帰。2026年には膝の手術を受け、再びリハビリに取り組んでいる。

2003年5月に現役復帰した経緯

ダンプ松本は1998年、全日本女子プロレスのOG戦で約10年ぶりに一夜限りの現役復帰を果たした。

この経験で、本人は改めてプロレスが好きだと実感したという。

そして2003年、松永高司会長から極悪同盟を再結成し、北海道巡業にコーチ役として帯同してほしいと依頼された。

ところが、実際に北海道へ行ってみると、15大会すべてのメインイベントにダンプ松本の名前が入っていた。

本人はコーチとして参加するつもりだったが、結果的に再び現役選手としてリングに上がることになった。

このエピソードは、2021年のテレビ朝日の本人インタビューで紹介されている。

ビクターエンタテインメントの公式プロフィールでも、2003年からフリーとして活動し、現在もリングに立ち続けていると紹介されている。

『極悪女王』の実話と史実の違い

2024年9月19日に配信されたNetflixシリーズ『極悪女王』は、ダンプ松本の知られざる物語を描いた半自伝的なドラマだ。

主人公のダンプ松本をゆりやんレトリィバァ、長与千種を唐田えりか、ライオネス飛鳥を剛力彩芽が演じた。

作品を楽しむうえで押さえておきたい史実は3つある。

1.1988年2月25日の川崎大会は実際に開催された

大森ゆかりとダンプ松本が引退特別試合を行い、クラッシュ・ギャルズと対戦したことは実際の出来事だ。

2.長与千種とダンプ松本の特別タッグも実話

無効試合後にパートナーを交換し、長与とダンプが同じチームで戦った5分間のエキシビションも実際に行われている。

3.実際の最終試合は2月28日だった

ドラマの引退シーンを見て2月25日が最後の試合だと思う人もいるが、実際には3日後の熊谷大会でブル中野、コンドル斉藤と対戦している。

この違いは、作品の演出と当時の大会記録を区別するうえで大切だ。

『極悪女王』は実在の人物と出来事を題材にしたドラマであり、物語の構成と実際の試合日程は必ずしも同じではない。

2026年現在のダンプ松本は何をしている?

2026年11月5日現在、ダンプ松本は65歳。

現役プロレスラーとして活動を続ける一方、膝の手術とリハビリに取り組んでいる。

2026年の動きを時系列で整理すると、次のようになる。

- 1月28日: 膝の手術のため入院を報告。
- 1月29日: 手術を受ける。
- 1月30日: 手術が無事に終わったと報告。
- 2月2日: リハビリを少しずつ始めたことを発信。
- 10月27日: 再び入院。
- 10月28日: 手術を受ける。
- 10月29日: 公式ブログで手術後の歩行練習について報告。
- 11月5日: 長与千種が見舞いに訪れたことをSNSで報告。

1月の手術については、本人がリングへの復帰を目指してリハビリに取り組む意向を示していた。手術後には貧血や食欲の問題にも触れながら、回復状況を発信している。

さらに10月27日の公式ブログでは入院を報告し、翌28日に手術を受けたと明かした。29日の投稿では歩く練習を始めたことも伝えている。

そして、11月5日にはTBS NEWS DIGが長与千種のお見舞いを報道した。

ダンプ松本は長与との2ショット写真とともに、次のように発信している。

「話すことはプロレスのこと」

また、手術後のリハビリについても順調だと報告した。

1988年の引退試合で歩み寄った2人が、約38年後には手術後の病室で再会している。

かつての宿敵が今では互いを支え合う関係になっていることは、ダンプ松本の長いプロレス人生を象徴する出来事でもある。

なお、2026年11月5日時点で、リング復帰の具体的な日程は公表されていない。

【ダンプ松本の引退試合に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:ダンプ松本の引退試合は1988年2月25日と2月28日のどちらですか?

A1:引退特別試合は1988年2月25日の川崎大会です。ただし、実際の最終試合は2月28日の熊谷大会で行われました。日付によって指している出来事が異なります。

Q2:ダンプ松本が引退試合で長与千種と組んだのはいつですか?

A2:1988年2月25日の川崎大会です。大森ゆかりと組んだクラッシュ・ギャルズとの試合が無効試合になった後、長与千種とダンプ松本が組み、ライオネス飛鳥と大森ゆかりのチームと5分間の特別エキシビションを行いました。

Q3:ダンプ松本は2026年現在も現役ですか?

A3:はい。2003年に現役復帰して以降、プロレスラーとして活動しています。2026年10月28日に膝の手術を受け、11月5日時点ではリハビリ中です。現役引退の発表や具体的な復帰日は確認されていません。

まとめ:【プロの結論】ダンプ松本の引退は1988年の2つの試合で理解する

ダンプ松本の引退試合を正しく理解するためには、1988年2月25日の川崎大会と2月28日の熊谷大会を分けて考える必要がある。

川崎大会では、大森ゆかりとの引退特別試合に加え、長与千種との歴史的な特別タッグが実現した。

一方、熊谷大会ではブル中野とコンドル斉藤を相手に最後の試合を行い、クラッシュ・ギャルズのファンに涙ながらに謝罪した。

その後、芸能活動を経て2003年に現役復帰。2024年には『極悪女王』によって再び幅広い世代から注目を集め、2026年もリングへの復帰を目指している。

今回の歴史から読み取れる要点は3つだ。

1. 2月25日は引退特別試合、2月28日は本当のラストマッチ。
2. 引退理由は身体的な限界ではなく、本人が語った会社との関係や方針の不一致。
3. 2003年の復帰以降、引退という過去の決断を超えてプロレスラーとしての活動を続けている。

ダンプ松本の引退は、1988年に悪役としてのキャリアを終えた出来事であると同時に、その後の人生を新しく切り開く出発点でもあった。

2026年11月現在は膝の手術後のリハビリが続いている。長与千種との再会が伝えられた今、ファンが注目するのは、再びダンプ松本がリングに立つ日だ。

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