俳優・柄本佑さんの母親は、数々の映画やドラマ、舞台で活躍した女優の角替和枝(つのがえ・かずえ)さんです。父親は名優の柄本明さん、弟は俳優の柄本時生さんという俳優一家で育った柄本佑さん。母の角替さんも、劇団東京乾電池を中心に長年演劇の世界で活動してきた実力派女優でした。
角替和枝さんは2018年10月27日、原発不明がんのため64歳で亡くなりました。2026年2月20日放送のTBS系『A-Studio+』では、柄本佑さんが母の意外なラップ好きや「a.k.a.しゃもじ」というユニークな名前、家庭での思い出を披露。亡くなってから年月がたった今も、母親の個性的な人柄や俳優としての教えが、佑さんの言葉を通じて伝わっています。
【結論】柄本佑の母親は女優・角替和枝さん!父親の柄本明との関係は?
柄本佑さんの母親は、女優の角替和枝さんです。
角替さんは、舞台を中心に映画やテレビドラマでも活躍した俳優で、個性的な存在感と親しみやすい演技で知られていました。
父親の柄本明さんも日本を代表する実力派俳優の一人です。2人は演劇活動を通じて知り合い、1981年に結婚しました。
夫婦には3人の子どもがおり、長男が柄本佑さん、次男が柄本時生さんです。長女も映画制作関係の仕事に携わっています。
柄本家は、単に芸能人が複数いる家庭というだけではありません。父親が劇団を主宰し、母親も同じ劇団で活動するという、演劇が日常生活に深く根付いた環境でした。
2026年2月20日放送の『A-Studio+』で、佑さんは父親が旗揚げした劇団東京乾電池について、子どものころから身近にある「通常風景」のような存在だったと振り返っています。
俳優になることを特別な決断として意識する以前に、芝居や映画が生活の中にあったことが、柄本家ならではの特徴です。
【経歴・プロフィール】角替和枝さんはどんな女優だった?代表作と活動歴
角替和枝さんは、1954年10月21日生まれ、静岡県出身の女優です。
本名は柄本和枝。旧芸名としての角替和枝の名前で広く知られています。
駒澤大学在学中から演劇活動に参加し、つかこうへい作品を上演していた劇団暫(しばらく)などで舞台経験を積みました。その後、劇団東京乾電池に移籍し、舞台俳優としての活動を本格化させます。
テレビドラマや映画にも出演し、長年にわたって脇を固める実力派女優として活躍しました。
角替和枝さんのプロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 角替和枝(つのがえ・かずえ) |
| 本名 | 柄本和枝 |
| 生年月日 | 1954年10月21日 |
| 出身地 | 静岡県 |
| 職業 | 女優 |
| 所属・活動拠点 | 劇団東京乾電池 |
| 夫 | 柄本明 |
| 長男 | 柄本佑 |
| 次男 | 柄本時生 |
| 結婚 | 1981年 |
| 死去 | 2018年10月27日 |
| 享年 | 64歳 |
| 死因 | 原発不明がん |
女優時代の主な出演作品
角替さんの魅力は、主演・脇役という立場にとらわれず、作品の世界観に自然に溶け込む演技力にありました。
代表的な出演作品には、次のようなものがあります。
映画
- 『居酒屋ゆうれい』(1994年)
- 『GTO』(1999年)
- 『理由』(2004年)
- 『マリと子犬の物語』(2007年)
- 『くちびるに歌を』(2015年)
- 『あさひなぐ』(2017年)
- 『犬猿』(2018年)
- 『いつも月夜に米の飯』(2018年)
テレビドラマ
- 『ハイカラさん』(1982年)
- 『袖すりあうも嫁姑』(1986年)
- 『天使のように生きてみたい』(1992年)
- 『夏目漱石の妻』(2016年)
- 『水族館ガール』(2016年)
- 『透明なゆりかご』(2018年)
- 『荒神』(2018年)
舞台では『秘密の花園』『菊次郎とさき』『薔薇の花束の秘密』などにも参加しています。
これらの作品歴から分かるのは、角替さんが一時的に注目された女優ではなく、舞台と映像の両方で長年キャリアを積み重ねた俳優だったということです。
出演歴はKADOKAWAグループの「ザテレビジョン」などの人物・作品情報にも掲載されています。
柄本明さんとの出会いは劇団東京乾電池
柄本明さんは1976年、ベンガルさん、綾田俊樹さんらと劇団東京乾電池を結成しました。
一方、角替さんは、つかこうへい作品に関わる演劇活動を経て、東京乾電池に客演したことをきっかけに柄本さんと出会います。
その後、劇団に移籍し、2人は交際を始めました。
1981年に結婚。演劇という共通の仕事を持つ夫婦として、3人の子どもを育てながら活動を続けました。
週刊文春の2018年の追悼記事でも、2人の出会いから結婚、家族の歩みが紹介されています。
【死因と最期】角替和枝さんは2018年に原発不明がんで64歳で死去
角替和枝さんが亡くなったのは、2018年10月27日午前6時27分です。
享年64歳でした。
死因は原発不明がんです。
2018年10月28日、夫の柄本明さんが所属事務所を通じて報道各社に書面を送り、妻の死去を公表しました。
その書面では、角替さんが以前から闘病していたことも明らかにされています。
柄本明さんは、長年応援してきたファンや関係者への感謝を伝えるとともに、葬儀を近親者のみで執り行うことを報告しました。
また、当時の家族の心情を考慮し、静かに見守ってほしいという意向も示しています。
闘病期間と家族が抱えていた思い
女性自身が2021年に掲載した柄本佑さんのインタビューでは、角替さんが約1年2カ月にわたって闘病していたことが紹介されました。
佑さんは母親を看病する中で、できる限りのことをしてきたつもりだったと振り返っています。
一方で、仕事に時間を取られ、もっと一緒に過ごせたのではないかという後悔も語りました。
母親を亡くした長男として、家族への配慮を忘れずに言葉を選んでいたことも印象的です。
角替さんの死去は、柄本家だけでなく、長年共演してきた俳優仲間にも大きな衝撃を与えました。
2019年1月には、夫の柄本明さん、長男の佑さん、次男の時生さん、劇団東京乾電池、所属事務所が主催するお別れの会が開かれています。
【2026年A-Studio+で話題】ラップ好きだった母の名前は「a.k.a.しゃもじ」
2026年に角替和枝さんの名前が再び注目された大きなきっかけが、柄本佑さんのテレビ出演です。
2026年2月20日放送のTBS系『A-Studio+』に出演した佑さんは、亡き母親の意外な趣味について語りました。
その内容は、女優としての厳格な一面を知る人にとっても、意外性のあるものでした。
母親がラップに夢中になっていた時期があった
佑さんによると、角替さんは一時期ラップに凝っていたそうです。
しかも、自分自身に「a.k.a.しゃもじ」というラッパー名まで付けていました。
家に帰ると母親から突然ラップバトルを仕掛けられることもあったといいます。
佑さんが番組で紹介したのは、母親が自分を「a.k.a.しゃもじ」と名乗り、息子に向かって「TASUKU」と呼びかけてくるような場面です。
突然始まる母親のラップに、息子としては戸惑いもあったようですが、当時の家庭の明るい雰囲気が伝わるエピソードです。
即興芝居でも驚かされた母の演劇的な体力
同じ番組では、角替さんの俳優としての実力についても話題になりました。
番組MCの笑福亭鶴瓶さんは、角替さんと『スジナシ』で共演した経験を踏まえ、その演技力を高く評価しました。
佑さんも母親と二人芝居をした経験を振り返り、稽古を続ける体力に驚いたと説明しています。
特に印象的なのが、テーブルと布巾があれば、延々と芝居を続けられるという母親の言葉です。
限られた小道具だけで即興的に演技を展開し続ける姿は、長年舞台に立ってきた角替さんならではのものでした。
この話から見えてくるのは、家庭での陽気な母親という顔だけではありません。
舞台に立つと、休憩を惜しむほど芝居に没頭する、根っからの俳優だったという一面です。
映画監督を目指していた佑さんの背中を押した母の言葉
2026年の『A-Studio+』では、佑さんが初めて映画に出演した際のエピソードも明かされました。
佑さんが初出演した映画は、2003年公開の『美しい夏キリシマ』です。当時14歳でした。
もともと映画監督になることが夢だった佑さんは、オーディションの話を受けた際、母親からある言葉を掛けられたそうです。
角替さんは、オーディションに落ちる可能性があっても、監督との面接に行けば実際に映画監督に会えると息子に伝えました。
その言葉が、佑さんがオーディションを受けるきっかけになったといいます。
母親は、息子が将来どのような道を選ぶのかを一方的に決めるのではなく、映画に触れる機会そのものを大切にしていたのでしょう。
スポーツニッポンや日刊スポーツも、この2026年の番組で紹介されたエピソードを報じています。
【親子関係と母の教え】柄本佑が今も大切にする「がっかりすることに慣れろ」
角替和枝さんと柄本佑さんの親子関係を知るうえで、特に重要なのが、母親から受け継いだ俳優としての教えです。
それが、「がっかりすることに慣れろ」という言葉です。
この教えは、佑さんだけでなく、弟の柄本時生さんも語っています。
俳優として落ち込む息子に伝えた母の言葉
女性自身の2021年のインタビューで、佑さんは母親との会話を詳しく振り返りました。
映画やドラマの完成した映像を見たとき、自分の演技に納得できず、何度もがっかりしてしまうと母親に相談したことがあったそうです。
そのとき、角替さんは次のように答えました。
「この仕事は、待つのと、『ガッカリ』も、仕事のうちよ」
佑さんにとって、この言葉は俳優として仕事を続けるうえでの大切な指針になりました。
演技に納得できないことは、必ずしも才能がないことを意味しません。
作品が完成するまで待つこと、自分の理想と現実の差に向き合うこと、そして次の仕事へ進むことも俳優の仕事の一部だという考え方です。
長年にわたり演劇の世界で活動してきた角替さんだからこそ、息子の悩みに対して実感のこもった言葉を返せたのでしょう。
弟・柄本時生さんにも伝わっていた母の教え
母親の言葉は、長男だけに伝えられたものではありません。
2022年5月30日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋』に出演した柄本時生さんも、角替さんから教わった言葉として「がっかりすることに慣れろ」と紹介しました。
時生さんによれば、母親は俳優という仕事について、待つことと、がっかりすることに慣れる必要があると話していたそうです。
この言葉に対して、時生さんも良い言葉だと感じていることを明かしました。
つまり、角替さんの教えは、家庭の中で兄弟それぞれに受け継がれていたのです。
母親であり、友人のような存在でもあった
佑さんは2021年の女性自身のインタビューで、母親との関係について、友人のような感覚もあったと語っています。
仕事の悩みを相談する相手として、母親を頼りにしていたそうです。
父親の柄本明さんは、物事を批評的に捉えるところがあり、相談してもすぐに受け入れてもらえるとは限らなかったといいます。
そのため、父親には話しにくい悩みを母親に相談することも多かったようです。
ここから分かるのは、角替さんが単に息子を支える母親だっただけでなく、同じ俳優という仕事を理解する先輩でもあったということです。
仕事の厳しさを知る母親だからこそ、佑さんの悩みを受け止められたのでしょう。
【柄本家と安藤サクラ】義母としての角替和枝さんと家族のつながり
角替和枝さんを語るうえでは、長男・柄本佑さんの妻である安藤サクラさんとの関係も欠かせません。
安藤サクラさんは、俳優の奥田瑛二さんとエッセイストの安藤和津さんの娘です。
柄本佑さんとは2012年3月に結婚し、2017年には長女が誕生しています。
結婚によって、柄本家と安藤家という2つの芸能一家が親戚になりました。
安藤サクラさんを女優として後押しした義母
角替さんの人柄が伝わるエピソードとして知られているのが、安藤サクラさんがNHK連続テレビ小説『まんぷく』のヒロインを引き受けた際の話です。
2019年5月、安藤さんはテレビ朝日系『徹子の部屋』で、義母との思い出を明かしました。
当時、安藤さんは子育てと女優業の両立に悩んでいました。
生まれたばかりの娘を育てながら、大阪で長期間撮影することに対して、仕事を引き受けるべきか迷っていたといいます。
そんな安藤さんに角替さんは、女優を続けるつもりなら仕事を引き受けるよう、明るく背中を押しました。
柄本明さんもその判断に賛同したそうです。
安藤さんは義母からの言葉が心強かったと振り返っています。
加えて、角替さんとの時間についても、いつも一緒にいて楽しかったと語りました。
角替和枝さんの性格は明るく、さばさばしていて繊細
角替さんの人柄について、安藤サクラさんの母親である安藤和津さんも、2018年の報道でコメントしています。
安藤和津さんは、角替さんを「さばさばして明るいけれど繊細だった」と表現しました。
この証言は、2026年に佑さんが語ったラップ好きで陽気な母親像とも重なります。
家では息子にラップバトルを仕掛け、仕事では長時間の稽古を続け、家族や仲間には率直な言葉で接する。
その一方で、周囲の人の気持ちを理解する繊細さも持ち合わせていたのでしょう。
角替さんの魅力は、こうした複数の顔が自然に共存していたところにあります。
劇団東京乾電池が育んだ柄本家の俳優文化
柄本家の家族関係を理解するには、劇団東京乾電池の存在が重要です。
父親の柄本明さんが劇団を旗揚げし、角替さんもその劇団で活動していました。
子どもたちにとって、舞台の稽古や俳優同士の交流は、日常生活の一部だったと考えられます。
2026年の『A-Studio+』で佑さんが、劇団東京乾電池を特別な所属先というよりも、当たり前の風景として捉えていたと語ったことも、その家庭環境を象徴しています。
俳優一家という肩書きだけでは説明できない、演劇と生活が一体になった家庭だったのです。
【よくある質問】柄本佑の母親・角替和枝さんに関するFAQ
Q1:柄本佑の母親は誰ですか?
A1:女優の角替和枝さんです。父親は俳優の柄本明さんで、弟は俳優の柄本時生さんです。
Q2:角替和枝さんの死因は何ですか?
A2:原発不明がんです。2018年10月27日に亡くなり、享年64歳でした。夫の柄本明さんが所属事務所を通じて公表しました。
Q3:角替和枝さんと柄本明さんはいつ結婚しましたか?
A3:1981年です。劇団東京乾電池での演劇活動を通じて知り合い、結婚しました。
Q4:角替和枝さんのラッパー名は何ですか?
A4:柄本佑さんが2026年の『A-Studio+』で明かした名前は「a.k.a.しゃもじ」です。自宅で息子にラップバトルを仕掛けることもあったそうです。
Q5:角替和枝さんが柄本佑さんに伝えた教えは何ですか?
A5:「がっかりすることに慣れろ」という教えです。俳優という仕事では、待つことや自分の演技に落胆することも仕事の一部だと伝えていました。
Q6:柄本時生さんの母親も角替和枝さんですか?
A6:はい。柄本時生さんは角替和枝さんと柄本明さんの次男です。時生さんも母親から「がっかりすることに慣れろ」という教えを受けたとテレビ番組で語っています。
まとめ:柄本佑を支えた母・角替和枝さんの俳優人生と家族への思い
柄本佑さんの母親である角替和枝さんは、劇団東京乾電池での活動をはじめ、映画やドラマ、舞台で長年活躍した女優でした。
夫の柄本明さんと1981年に結婚し、柄本佑さんや柄本時生さんら3人の子どもを育てながら、俳優としての仕事を続けてきました。
2018年10月27日に原発不明がんで64歳で亡くなりましたが、その人柄や仕事への姿勢は、家族の言葉を通じて今も伝えられています。
特に2026年2月20日の『A-Studio+』で紹介された「a.k.a.しゃもじ」というラップ名や、息子にラップバトルを仕掛けていたエピソードは、角替さんの明るくユーモラスな素顔を象徴するものでした。
また、「がっかりすることに慣れろ」という母の教えは、佑さんと時生さんの両方に受け継がれています。
角替さんが残したものは、出演作品や演劇の実績だけではありません。俳優として仕事に向き合う姿勢、家族への率直な言葉、そして日常を明るく楽しむ感性も、その大切な遺産です。
柄本佑さんが2026年に語った母親の思い出は、名女優としての角替和枝さんと、家では息子を笑わせる陽気な母親という、2つの顔を改めて浮かび上がらせています。
主な取材・確認資料: スポニチアネックス(2026年2月21日)、日刊スポーツ(2026年2月21日)、女性自身(2021年2月8日)、週刊文春(2018年11月3日)、ザテレビジョン、テレビ朝日『徹子の部屋』関連報道。