俳優・柄本佑さんの母親は、舞台・映画・テレビドラマで幅広く活躍した女優の角替和枝(つのがえ・かずえ)さんです。父親は俳優の柄本明さん、弟は俳優の柄本時生さんという芸能一家に生まれた柄本佑さん。母親の角替さんは、個性的な演技と親しみやすい人柄で多くの作品に出演し、2018年10月27日に64歳で亡くなりました。
2026年には、柄本佑さんがTBS系「A-Studio+」や日本テレビ系「おしゃれクリップ」、J-WAVEのラジオ番組などで母親との思い出を語り、改めて注目を集めています。ラップに夢中だった意外な素顔、俳優デビューを後押しした言葉、家族で過ごした日々など、これまであまり知られていなかったエピソードも明らかになりました。
【結論】柄本佑の母親は女優・角替和枝!プロフィールと基本情報
柄本佑さんの母親は、1954年10月21日生まれの女優・角替和枝さんです。本名は柄本和枝(えもと・かずえ)。静岡県出身で、つかこうへい事務所を経て劇団東京乾電池に所属し、舞台を中心に映画やテレビドラマでも活躍しました。
角替さんは、いわゆる主演女優として華やかに前面へ出るタイプというより、作品に独特の存在感を加える名脇役として知られていました。生活感のある女性から個性的な人物まで演じ分け、出演する作品に自然な奥行きを与えてきた俳優です。
角替和枝のプロフィール一覧
- 芸名:角替和枝(つのがえ・かずえ)
- 本名:柄本和枝(えもと・かずえ)
- 生年月日:1954年10月21日
- 出身地:静岡県
- 職業:女優・舞台演出家・演技指導者
- 所属劇団:劇団東京乾電池
- 夫:柄本明
- 長男:柄本佑
- 次男:柄本時生
- 死去:2018年10月27日(64歳)
- 死因:原発不明がん
日本タレント名鑑やWEBザテレビジョンの人物プロフィールにも、角替さんの出演歴や劇団での活動が記録されています。
特に注目したいのは、角替さんが俳優としてだけでなく、演出や後進の指導にも携わっていた点です。2016年にはシニア向けの演劇ワークショップ「角替和枝のお芝居入門」を主宰。中高年の参加者に演技を教えるなど、演劇を幅広い世代に伝える活動も行っていました。
【若い頃の経歴】角替和枝はどのように女優になった?
角替和枝さんの若い頃をたどると、舞台演劇への強い関心と、当時の小劇場演劇の活気が見えてきます。
静岡から上京し、演劇の世界へ
角替さんは静岡県で生まれ、高校卒業後に演劇を志して上京しました。文春オンラインの人物記事によると、駒澤大学在学中に、つかこうへい作品を上演していた劇団「暫(しばらく)」に参加しています。
その後、つかこうへい事務所で舞台経験を重ねました。1979年のつかこうへい事務所公演「広島に原爆を落とす日」にも出演しています。
日刊スポーツの演劇コラムでは、角替さんが演じたビアンカという女性の役柄が紹介されています。小柄な体で感情をぶつけるような演技を見せ、当時の舞台関係者や演劇ファンに強い印象を残しました。
また、つかこうへいさんが角替さんの演じた役を高く評価し、将来的にその人物を題材とした作品を書きたいと考えていたことも、同コラムで伝えられています。
柄本明との出会いと劇団東京乾電池への所属
角替さんの人生における大きな転機が、俳優・柄本明さんとの出会いでした。
柄本明さんは1976年に劇団東京乾電池を結成。角替さんは同劇団への客演をきっかけに柄本さんと知り合い、その後、劇団東京乾電池に所属するようになります。
2人は演劇という共通の仕事を通して関係を深め、1981年に結婚しました。柄本明さんは後年、角替さんとの出会いについて一目惚れだったと振り返っています。
結婚後も角替さんは女優としての活動を続け、家庭と舞台の両方を大切にしました。3人の子どもを育てながら演劇の仕事を続けたことからも、役者としての仕事に対する強い情熱がうかがえます。
【出演作品まとめ】角替和枝が出演したドラマ・映画・舞台
角替和枝さんの出演作品は幅広く、1980年代から2010年代まで長いキャリアを築いています。
テレビドラマの代表作
テレビドラマでは、NHKの連続テレビ小説をはじめ、さまざまな作品に出演しました。
- 『ハイカラさん』:1982年のNHKドラマ。
- 『袖すりあうも嫁姑』:1986年のTBSドラマ。
- 『天使のように生きてみたい』:1992年のテレビ朝日ドラマ。
- 『おひさま』:2011年のNHK連続テレビ小説。
- 『花子とアン』:2014年のNHK連続テレビ小説。
- 『夏目漱石の妻』:2016年のNHKドラマ。
- 『水族館ガール』:2016年のNHKドラマ。
- 『透明なゆりかご』:2018年のNHKドラマ。
特にNHK作品への出演は、幅広い視聴者に角替さんの名前と演技を届ける機会になりました。
映画の代表作
映画でも、個性的な脇役として多くの作品に参加しています。
- 『ヒポクラテスたち』(1980年)
- 『居酒屋ゆうれい』(1994年)
- 『ガメラ2 レギオン襲来』(1996年)
- 『虹をつかむ男 南国奮斗篇』(1997年)
- 『GTO』(1999年)
- 『マリと子犬の物語』(2007年)
- 『釣りバカ日誌20 ファイナル』(2009年)
- 『デンデラ』(2011年)
- 『くちびるに歌を』(2015年公開)
- 『あさひなぐ』(2017年)
- 『犬猿』(2018年)
映画.comやシネマトゥデイの出演作品情報でも、映画での幅広い活動を確認できます。
女優だけではなく、演出家・指導者としても活動
角替さんの仕事は、出演者として舞台に立つことだけではありませんでした。東京乾電池の公演に関わりながら、舞台演出にも取り組んでいました。
2018年には、東京乾電池の子ども劇場「さらっていってよ ピーターパン」の演出を担当する予定でした。しかし、同年10月に亡くなったため、初日を迎えることはできませんでした。
舞台、映画、テレビ、演出、演技指導という複数の活動領域を持っていたことが、角替さんのキャリアの大きな特徴です。
【家族構成と夫婦関係】柄本明・柄本佑・柄本時生とのつながり
柄本佑さんの実家は、俳優と映画関係者が集まる芸術一家です。父親が柄本明さん、母親が角替和枝さん、弟が柄本時生さん。加えて、姉も映画制作の裏方として仕事をしています。
柄本家の家族関係一覧
| 人物 | 柄本佑との関係 | 職業・活動 |
|---|---|---|
| 角替和枝 | 母親 | 女優・舞台演出家。2018年死去。 |
| 柄本明 | 父親 | 俳優。劇団東京乾電池を主宰。 |
| 長女 | 姉 | 映画制作の裏方として活動。 |
| 柄本佑 | 本人・長男 | 俳優。女優の安藤サクラと結婚。 |
| 柄本時生 | 弟・次男 | 俳優。 |
| 安藤サクラ | 妻・義理の娘 | 俳優。2012年に柄本佑と結婚。 |
柄本佑さんは2026年6月のJ-WAVEのインタビューでも、姉が映画制作の裏方として働いていることを明かしました。家族それぞれが映画や演劇に関わっているという点が、柄本家の大きな特徴です。
柄本明と角替和枝の夫婦関係は?
柄本明さんと角替和枝さんは、1981年に結婚しました。2人は仕事仲間であり、家庭をともに築くパートナーでもありました。
週刊女性PRIMEが2019年に報じたお別れの会での柄本明さんの発言によると、2人は結婚前からほぼ毎朝、喫茶店に通う習慣を持っていました。そこで演劇や劇団について長時間話し合っていたといいます。
次男の柄本時生さんも2022年の「徹子の部屋」で、両親の夫婦関係について語っています。大げんかをした翌日でも、2人は喫茶店へ出かけ、そこで仲直りすることがあったそうです。
夫婦の関係は、単に同じ家庭を営むだけでなく、演劇を通して互いを理解する関係でもあったのでしょう。
柄本時生にとっても大きな存在だった母親
柄本時生さんも、母親から俳優としての大切な教えを受けています。
2022年の「徹子の部屋」では、角替さんから教えられた言葉として「がっかりすることに慣れろ」という考え方を紹介しました。
俳優の仕事は、オーディションや仕事の結果を待つ時間が長く、期待どおりにならないこともあります。そうした現実を受け止めながら続けていくことが大切だという、現場を知る母親ならではの教えです。
この言葉は兄の佑さんも口にしていると時生さんが説明しており、角替さんの仕事観が2人の息子に受け継がれていることが分かります。
【死因と2018年の死去】角替和枝は原発不明がんで64歳で亡くなった
角替和枝さんは、2018年10月27日午前6時27分、原発不明がんにより亡くなりました。享年64歳でした。
2018年10月28日、夫の柄本明さんが所属事務所を通じて報道各社に訃報を発表。公表されたコメントでは、角替さんが以前から闘病していたことも明かされています。
原発不明がんとは?
原発不明がんとは、がんが見つかったものの、最初に発生した臓器や組織、いわゆる原発巣を特定できない状態を指す医療用語です。
角替さんの訃報では、柄本明さんの公式コメントに「原発不明癌」と記載されていました。具体的な発症時期や治療経過など、医学的な詳細については公表されたコメントの範囲を超える情報はありません。
柄本明が発表した妻へのコメント
訃報を伝える際、柄本明さんは妻の死去を報告するとともに、長年応援してきたファンや関係者への感謝を伝えました。
「長きにわたり応援して下さいましたファンの皆様、及び関係者の皆様には深く感謝いたします」
葬儀は近親者のみで執り行われ、後日、お別れの会が開催されました。
2019年1月には、柄本家と劇団東京乾電池などが主催するお別れの会が発表され、同年1月30日に東京・北沢タウンホールで開催されました。
柄本明さんはその後のお別れの会で、角替さんについて、天然で正直な人柄だったと振り返っています。長年連れ添った妻を失った悲しみと、日々の生活に残る思い出を語った姿は、多くの人の心に残りました。
【2026年最新】柄本佑が語った母・角替和枝の意外な素顔と親子の思い出
2026年は、柄本佑さんが母親との思い出を複数のテレビ番組やラジオで語りました。女優としての角替さんだけでなく、家庭での明るくユーモラスな一面が伝わる内容です。
2026年2月:母親はラップ好きで「a.k.a.しゃもじ」を名乗っていた
2026年2月20日放送のTBS系「A-Studio+」に出演した柄本佑さんは、母親の意外な趣味について明かしました。
角替さんは一時期ラップに凝っており、自分のことを「a.k.a.しゃもじ」と名乗っていたそうです。
加えて、自宅に帰ると息子にラップバトルを仕掛けてくることもあったといいます。突然ラッパーのように声をかけてくる母親に、佑さんは戸惑いながらも笑って対応していたそうです。
番組では、母親について次のように懐かしんでいました。
「そんな陽気な母ちゃんだった。凄いチャーミングで、天然で、おもろいっすよね」
このエピソードから伝わるのは、家庭での角替さんが、舞台上の俳優という顔とは別に、遊び心を持った明るい母親だったということです。
母親の一言が柄本佑の俳優デビューにつながった
同じ2026年2月の「A-Studio+」では、佑さんが映画『美しい夏キリシマ』に出演した経緯も語られました。
柄本佑さんは14歳で同作のオーディションに合格し、映画初出演にして主演を務めました。しかし、当時の本人は俳優になることを第一の目標にしていたわけではありませんでした。
小学校6年生の卒業文集には、将来の夢として映画監督と書いていたほどで、映画を作る側への関心が強かったそうです。
オーディションの話が来た際、母親は、どうせ落ちるだろうけれど、面接に行けば映画監督を直接見られると息子に伝えました。
この言葉がきっかけとなり、佑さんは黒木和雄監督の面接を受けることになります。そして、2003年公開の『美しい夏キリシマ』で主演を務めました。
母親の言葉は、俳優になることを強制するものではなく、本人の映画好きという気持ちを刺激するものでした。結果的に、柄本佑さんのキャリアの出発点をつくった重要な助言だったのです。
2026年6月:母親の命令で髪を染め、家族4人がピアスを開けた
2026年6月7日放送の日本テレビ系「おしゃれクリップ」では、柄本家のユニークな家庭エピソードが紹介されました。
佑さんによると、中学校に上がった頃、角替さんから髪を染めたりピアスを開けたりするように言われたそうです。母親は、息子の顔立ちが昔風なので、少しでも今風にしてほしいという趣旨のことを話していたといいます。
驚くのは、ピアスを開けたのが佑さんだけではなかったことです。父親の柄本明さん、姉、佑さん、弟の時生さんという家族4人が、同じタイミングでピアスを開けたと明かしました。
一般的な家庭ではあまり聞かないエピソードですが、角替さんの自由でユーモラスな性格を感じさせます。
2026年6月:母親との二人芝居で感じた圧倒的な演劇的体力
佑さんは2026年2月の番組で、母親と二人芝居をした経験にも触れています。
その際、角替さんの稽古に向き合う姿勢に驚いたといいます。何時間でも稽古を続けられるほどの演劇的体力があり、休憩を挟みたくなる自分とは違って、集中力が途切れない様子だったと振り返りました。
母親としてだけでなく、同じ俳優として角替さんを尊敬していたことが伝わるエピソードです。
なお、番組報道では二人芝居の作品名までは明らかにされていません。一方、母親と弟の時生さんは、2011年のNHK連続テレビ小説『おひさま』で親子役として共演しています。こちらは佑さんではなく時生さんとの親子共演です。
2026年6月:年末のお墓参りに感じる母親の存在
2026年6月15日公開のJ-WAVE NEWSの記事では、佑さんがラジオ番組「TALK TO NEIGHBORS」で家族との思い出を語っています。
特に印象的なのが、年末のお墓参りです。
柄本家では、年末に家族でお墓参りをした後、そば屋へ向かい、長時間並んで食事を楽しむ習慣があったそうです。その後は甘味処に立ち寄り、粟ぜんざいを食べることも毎年の楽しみでした。
弟の時生さんが運転を担当し、家族がそろって食事をする。仕事で忙しくなってからも続いてきた、家族にとって大切な年末行事です。
佑さんは、母親が亡くなった後も、家族で集まると母親がそこにいるような気配を感じると語りました。
子どもの頃は寒い中で墓石を掃除することを嫌がっていたものの、大人になった今では、その時間の大切さが分かるようになったそうです。
2026年の一連の発言を通して浮かび上がるのは、角替さんが亡くなってからも、家族の生活や記憶の中に存在し続けているということです。
【プロの結論】角替和枝は母親としても俳優としても影響を残した人物
角替和枝さんを理解するうえで大切なのは、柄本佑さんの母親という肩書だけで人物像を捉えないことです。
角替さんは、つかこうへい作品で舞台経験を積み、劇団東京乾電池で活動し、映画やテレビドラマにも出演した実力派俳優でした。さらに演出や演技指導にも取り組み、演劇の世界に長く関わってきました。
母親としての姿にも、俳優として培った考え方が表れています。
佑さんの映画出演を後押しした言葉や、時生さんに伝えた「がっかりすることに慣れる」という仕事観は、単なる励ましではありません。結果を待つことが多い演劇・映画の世界で長く活動してきた人だからこそ伝えられる、実践的な助言です。
また、2026年に明らかになったラップ好きやピアスのエピソードは、角替さんが堅苦しい母親ではなく、自由な発想と遊び心を持っていたことを伝えています。
人物像を整理する際には、次の3つの視点が重要です。
- 女優としての角替和枝:舞台を原点に、映画・ドラマ・演出・演技指導まで幅広く活動した人物。
- 母親としての角替和枝:子どもの個性を尊重し、映画や演劇の世界へ進むきっかけを与えた人物。
- 家族に残したもの:仕事への向き合い方、家族で集まる習慣、ユーモアのある日常の記憶。
これらを合わせて考えると、角替和枝さんは単に有名俳優の家族という存在ではなく、自身の仕事と人生を通して、次の世代にも大きな影響を残した俳優だったと分かります。
柄本佑の母親に関するよくある質問(FAQ)
Q1:柄本佑の母親は誰ですか?
A1:女優の角替和枝さんです。1954年10月21日生まれで、劇団東京乾電池を中心に舞台・映画・テレビドラマで活動しました。
Q2:角替和枝の死因は何ですか?
A2:原発不明がんです。2018年10月27日午前6時27分に64歳で亡くなったことを、夫の柄本明さんが所属事務所を通じて発表しました。
Q3:柄本佑の母親と柄本明はどのような夫婦でしたか?
A3:1981年に結婚した俳優同士の夫婦です。演劇について語り合う習慣があり、喧嘩をしても翌日には一緒に喫茶店へ出かけることがあったと、次男の柄本時生さんが語っています。
Q4:角替和枝と柄本佑は親子共演していますか?
A4:佑さんは2026年のテレビ番組で、母親と二人芝居をした経験を語っています。また、角替さんは2011年のNHK連続テレビ小説『おひさま』で次男の柄本時生さんと親子役を演じています。
Q5:2026年に柄本佑が語った母親のエピソードは何ですか?
A5:母親が「a.k.a.しゃもじ」と名乗ってラップバトルを仕掛けてきた話、映画『美しい夏キリシマ』のオーディションを勧めた話、家族4人でピアスを開けた話などです。J-WAVEでは、年末のお墓参りを通じて母親を感じる思い出も語っています。
まとめ:柄本佑の母親・角替和枝の人生は2026年も家族の記憶に生きている
柄本佑さんの母親である角替和枝さんは、劇団東京乾電池を拠点に活躍した女優であり、柄本明さんの妻、柄本佑さんと柄本時生さんの母親でもありました。
2018年10月27日に原発不明がんで64歳で亡くなりましたが、舞台・映画・ドラマに残した仕事は現在も見ることができます。
そして2026年、柄本佑さんがテレビやラジオで語った母親との思い出によって、角替さんの人柄が改めて伝わりました。ラップを楽しむ陽気な母親、息子の映画デビューを後押しする母親、家族の個性を面白がる母親、そして演劇に妥協しない一人の俳優。
角替和枝さんの魅力は、女優としての実績だけでなく、家族との日常や仕事への向き合い方にも表れています。柄本佑さんが今も母親の言葉や姿を語り続けていることは、彼女が残した影響の大きさを物語っています。
今後も出演作品を振り返ることはもちろん、2026年に語られた家族の記憶を通じて、角替和枝という俳優の魅力を知ることができるでしょう。
主な参照資料: 日本タレント名鑑、WEBザテレビジョン、日刊スポーツ、スポニチアネックス、文春オンライン、シネマトゥデイ、週刊女性PRIME、J-WAVE NEWSの人物紹介・報道・インタビュー。