栗原玲児(くりはら・れいじ)さんは、かつてテレビキャスターや司会者として活躍し、晩年は料理研究家・栗原はるみさんの夫として、また実業家として知られた人物です。1933年8月16日に生まれ、2019年8月3日に85歳で亡くなりました。
その人生をたどると、歌手・坂本スミ子さんとの結婚と離婚、1973年の栗原はるみさんとの再婚、そして妻の料理家としての活動を後押しした姿が浮かび上がります。芸能界の第一線から退いた後も、株式会社ゆとりの空間の取締役として家族の事業を支えました。
【プロフィール】栗原玲児とはどんな人物だったのか?
栗原玲児さんは、昭和のテレビ・芸能界でキャスターや司会者として活動した後、実業家へと転身した人物です。料理研究家の栗原はるみさんの夫として広く知られていますが、もともとは自身の名前でテレビ番組に出演するメディア人でした。
栗原玲児の基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 栗原玲児(くりはら・れいじ) |
| 生年月日 | 1933年8月16日 |
| 没年月日 | 2019年8月3日 |
| 享年 | 85歳 |
| 職業 | 元キャスター・司会者・タレント・実業家 |
| 前妻 | 歌手の坂本スミ子 |
| 妻 | 料理研究家の栗原はるみ |
| 娘 | 料理家の栗原友 |
| 息子 | 料理研究家の栗原心平 |
| 晩年の役職 | 株式会社ゆとりの空間の取締役 |
| 趣味 | オートバイ・ツーリング |
妻の栗原はるみさんとは14歳の年齢差がありました。1973年に結婚し、玲児さんが亡くなる2019年まで夫婦として生活を共にしています。
また、玲児さんは料理研究家として知られるはるみさんとは異なり、テレビの現場や企業経営に関わってきた人物です。表舞台での知名度だけでなく、家族の仕事を支える立場に回ったことも、その生涯を理解するうえで欠かせません。
【経歴・年表】キャスターから実業家へ転身した理由
栗原玲児さんのキャリアを語るうえで欠かせないのが、1960年代のテレビ番組での活躍です。
「木島則夫モーニングショー」でサブ司会を担当
玲児さんは、1964年に始まったテレビ朝日系の前身NETテレビの番組『木島則夫モーニングショー』でサブ司会を務めました。
同番組は、日本の朝のワイドショーの草分け的な存在です。メイン司会の木島則夫さんとともに番組を進行し、当時のテレビ視聴者に親しまれました。
加えて、フジテレビの長寿番組『スター千一夜』ではインタビュアーとしても活動。著名人へのインタビューや番組進行を通じて、キャスター・司会者としてのキャリアを築きました。
芸能界の第一線から退き、実業家へ
1973年に栗原はるみさんと結婚した後、玲児さんは芸能界の第一線から退きました。
その後は、テレビ出演を中心とする生活ではなく、妻の仕事や家族の事業を支える方向へ活動の軸を移していきます。
1994年11月には「ゆとりの空間」が創業され、玲児さんも同社の取締役を務めました。料理や暮らしに関する事業を展開する妻の活動を、経営面から支える立場だったのです。
栗原玲児の主な経歴年表
| 時期 | 出来事 | 関連人物・内容 |
|---|---|---|
| 1933年8月16日 | 誕生 | 東京都出身とする人物紹介もある |
| 1963年 | ラジオ番組『西遊記』で共演 | 坂本スミ子との交際につながる |
| 1964年 | テレビ番組でサブ司会 | 『木島則夫モーニングショー』 |
| 1966年 | 離婚 | 坂本スミ子との結婚生活に終止符 |
| 1973年 | 再婚 | 栗原はるみと結婚 |
| 1994年11月 | ゆとりの空間創業 | 妻の事業を支える立場へ |
| 2019年8月3日 | 死去 | 肺がんのため85歳で逝去 |
こうして見ると、玲児さんの人生には、テレビ業界での活躍、結婚と離婚、再婚、そして事業への転身という大きな節目がありました。
【最初の結婚】坂本スミ子との馴れ初めと1966年の離婚
栗原玲児さんの最初の妻は、歌手・女優として活躍した坂本スミ子さんです。
坂本さんは、ラテン音楽などで人気を集めた歌手で、NHK紅白歌合戦への出場経験もある著名な芸能人でした。
文化放送のラジオ番組『西遊記』が出会いのきっかけ
2人の関係は、1963年の文化放送のラジオ番組『西遊記』での共演をきっかけに始まったとされています。
番組での共演を通じて親交を深め、やがて結婚に至りました。当時、玲児さんはテレビやラジオで活動する司会者、坂本さんは歌手として活躍しており、芸能界で活動する2人の結婚は関心を集めました。
1966年に離婚した背景
しかし、2人の結婚生活は長く続かず、1966年に離婚しています。
離婚をめぐっては当時の芸能報道でも騒動となり、後年の雑誌記事でも取り上げられました。国立国会図書館の書誌情報にも、2006年刊行の『新潮45』に2人の離婚騒動を扱った記事が掲載された記録が残っています。
一方、離婚理由については後年の人物紹介などで異なる説明が流通しています。夫婦双方の事情が関係する私的な問題であり、特定の噂だけを確定した原因として扱うことはできません。
確かな節目は、1966年に離婚したことです。その後、玲児さんは1973年に栗原はるみさんと再婚し、新たな家庭を築きました。
【再婚・家族】栗原はるみとの馴れ初めと子供たち
栗原玲児さんの人生を語るうえで、栗原はるみさんとの結婚は大きな転換点です。
2人は1973年に結婚しました。14歳の年齢差がある夫婦でしたが、2019年に玲児さんが亡くなるまで、約46年間にわたって夫婦生活を続けました。
栗原はるみとの出会いは21歳のころ
栗原はるみさんは、2023年に掲載された朝日新聞のインタビューで、玲児さんと出会ったのは自身が21歳のころだったと振り返っています。
玲児さんは料理が上手で、料理を通じてはるみさんの関心や生活にも影響を与えました。はるみさんが後に料理家として歩み始める背景には、夫の存在がありました。
1973年の結婚後、2人は家庭を築き、娘と息子の2人の子供に恵まれます。
栗原友と栗原心平の2人の子供
栗原玲児さんと栗原はるみさんの間には、娘の栗原友さんと息子の栗原心平さんがいます。
長女の栗原友さんは料理家として活動し、食材や魚料理などを中心に独自の仕事を展開しています。
長男の栗原心平さんも料理研究家として知られ、テレビ番組『男子ごはん』への出演などで広く親しまれています。株式会社ゆとりの空間の代表取締役も務めています。
母親だけでなく、子供たちも料理の分野で仕事をしている点は栗原家の特徴です。
ただし、家族全員が同じ仕事をしているからといって、それぞれの活動が同一だったわけではありません。友さんと心平さんは、それぞれの得意分野を持って料理の仕事を続けています。
【夫婦の関係】栗原玲児が妻の料理家デビューを後押しした理由
栗原玲児さんについて、特に注目されるのが、妻の栗原はるみさんを料理研究家として世に送り出すきっかけをつくったことです。
はるみさんは結婚当初から著名な料理研究家だったわけではありません。家庭を中心に生活していた専業主婦で、料理の仕事を始める前は、外で働いた経験もほとんどありませんでした。
「好きなことを見つけたほうがいい」という夫の助言
2023年10月の朝日新聞のインタビューで、はるみさんは夫について、次のように振り返っています。
「君も好きなことを見つけたほうがいい」
玲児さんは、はるみさんが夫の帰りを待つだけの生活を送るのではなく、自分自身の好きなことや目標を持つように勧めていました。
文藝春秋の2022年のインタビューでも、はるみさんは夫から「僕の帰りを待っているだけの女性にならないで」と、自分の道を探すよう背中を押されたと語っています。
料理の腕を仕事につなげた家庭環境
もう一つ見逃せないのが、玲児さんの交友関係です。
J-WAVEの2018年のインタビュー記事によると、玲児さんがテレビ関係者を自宅に招いた際、はるみさんは料理でもてなしていました。それが料理番組の裏方アシスタントの仕事につながるきっかけになったと紹介されています。
家庭で培ってきた料理の腕が、仕事として評価される環境が生まれたのです。
つまり、玲児さんの支援は単に妻を励ます言葉だけではありませんでした。人とのつながりを通じて、はるみさんが料理の仕事に触れる機会をつくったことも重要でした。
厳しい批評家として妻の料理を支えた
玲児さんは、はるみさんの料理を何でも褒める夫ではありませんでした。
2022年の文藝春秋のインタビューでは、はるみさん自身が、夫は非常に厳しい批評家だったと振り返っています。考案したレシピを世に出すかどうかを決める際にも、玲児さんの反応を参考にしていたといいます。
家庭で食べる人としての率直な意見が、料理の完成度を高めるための重要な判断材料になっていたのです。
料理家としての栗原はるみさんの成功を、本人の努力だけでなく、家庭内での試食や意見交換、仕事への挑戦を後押しした夫婦の関係から理解することもできます。
【晩年・人物像】バイク好きの一面と2019年の死去、ゆとりの空間
キャスターや実業家として知られる栗原玲児さんには、仕事とは別に、オートバイを愛する趣味人としての一面もありました。
愛車はカワサキZII?ツーリングを楽しんだバイク好き
玲児さんはオートバイ好きとして知られ、カワサキの大型バイクZII(Z2)などを愛車としていたと紹介されています。
バイクへの関心は、単なる趣味にとどまりません。1980年5月発行の『ヤマハニュース』にも栗原玲児さんの名前が登場し、バイクについて次のように語っています。
「バイクは自分ひとりのもの。コンクリートジャングルの中でもまだまだ楽しめる余地は充分ある。」
バイクを自分自身の時間を楽しむものとして捉えていたことがうかがえます。
家庭では妻を支え、仕事では会社の経営に関わる一方、個人としてはオートバイやツーリングを楽しむ。こうした複数の顔も玲児さんの人物像を形づくっています。
2019年8月3日、肺がんのため85歳で死去
栗原玲児さんは、2019年8月3日午後11時15分、肺がんのため亡くなりました。享年85歳でした。
2019年8月8日、株式会社ゆとりの空間が公式に訃報を発表しています。発表によると、玲児さんはかねてより病気療養中で、亡くなったのは8月3日でした。
葬儀は故人の遺志により近親者のみで執り行われ、お別れの会なども予定されていないと発表されました。
文藝春秋に掲載されたはるみさんの手記によると、玲児さんには亡くなる前年に肺がんが見つかり、亡くなる6カ月前には余命宣告を受けていたといいます。はるみさんは自宅で夫を看取りました。
妻・栗原はるみが語った夫を亡くした後の喪失感
約46年間連れ添った夫を亡くしたはるみさんは、深い喪失感を経験しました。
2022年の文藝春秋の手記では、夫と一緒に食べていた料理を思い出すことがつらく、しばらく料理さえできなくなったと振り返っています。
また、2025年9月には、日本経済新聞のインタビュー「おいしいね」が聞けなくてでも、玲児さんを看取ってから6年が経過した心境が紹介されました。
夫が亡くなった後も、はるみさんにとって玲児さんは、料理の評価を聞きたい相手であり、日々の暮らしを共有してきた大切な存在だったことが分かります。
ゆとりの空間は2026年現在どうなっている?
玲児さんが晩年に取締役を務めた株式会社ゆとりの空間は、現在も栗原家と関係の深い事業会社として活動しています。
2026年3月末時点の公式会社概要では、栗原はるみさんが代表・創業者、栗原心平さんが代表取締役として記載されています。
同社は1994年11月に創業し、料理家の出版・メディア活動の企画、生活雑貨やキッチン用品の製造販売、飲食事業などを展開しています。
現在の会社概要に玲児さんの名前は役員として掲載されていません。生前に取締役を務めた人物であり、2026年現在の経営陣とは区別する必要があります。
玲児さんが築いた家族との関係や妻の活動への支援は、はるみさんと心平さんが携わる現在の事業にも、家族の歩みとしてつながっています。
【プロの結論】栗原玲児の人物像を理解するための3つの視点
栗原玲児さんの人生を整理すると、単に「有名料理研究家の夫」という紹介だけでは捉えきれない人物像が見えてきます。
1. テレビ業界で実績を持ったキャスターだった
『木島則夫モーニングショー』や『スター千一夜』などに関わり、1960年代のテレビ界で活動した経験があります。後年の実業家としての姿だけでなく、メディア人としてのキャリアも重要です。
2. 妻の自立と仕事を後押ししたパートナーだった
はるみさんが料理家になる過程では、自分の好きなことを見つけるよう勧め、仕事の機会につながる環境をつくりました。加えて、料理への率直な意見を伝える批評家でもありました。
3. 家族の事業を支える実業家でもあった
芸能界の第一線を退いた後は、株式会社ゆとりの空間の取締役を務めました。自らがメディアに出演する立場から、妻や子供たちの活動を支える立場へと変化したことが特徴です。
栗原玲児さんについて調べる際には、次の3つを区別すると情報を整理しやすくなります。
- 結婚歴:坂本スミ子さんとの最初の結婚と、栗原はるみさんとの1973年の再婚は別の出来事。
- 離婚理由:1966年の離婚は事実だが、ネット上の刺激的な説明をすべて確定事項として扱わない。
- 現在の状況:玲児さんは2019年に亡くなっており、現在のゆとりの空間の経営陣とは区別する。
この3点を押さえることで、芸能人としての過去、夫婦関係、家族の事業という異なる側面を混同せずに理解できます。
栗原玲児に関するよくある質問(FAQ)
Q1:栗原玲児は何歳で亡くなりましたか?死因は何ですか?
A1:2019年8月3日に85歳で亡くなりました。死因は肺がんです。株式会社ゆとりの空間が2019年8月8日に発表した公式訃報で公表されています。
Q2:栗原玲児の元妻は坂本スミ子ですか?
A2:はい。最初の妻は歌手・女優の坂本スミ子さんです。1963年の文化放送の番組『西遊記』での共演をきっかけに交際し、結婚しましたが、1966年に離婚しています。その後、1973年に栗原はるみさんと再婚しました。
Q3:栗原玲児と栗原はるみの子供は何人ですか?
A3:2人です。娘は料理家の栗原友さん、息子は料理研究家の栗原心平さんです。
Q4:栗原玲児は栗原はるみの料理家としての成功に関係していますか?
A4:関係しています。はるみさんはインタビューで、夫から好きなことを見つけるよう勧められたと振り返っています。また、料理番組の裏方の仕事につながるきっかけにも夫の交友関係が関わっていました。
Q5:栗原玲児はどんなバイクに乗っていましたか?
A5:カワサキのZIIなどの大型バイクを愛用していたと紹介されています。1980年の『ヤマハニュース』にもバイクへの思いを語った記録が残っています。
Q6:栗原玲児は現在もゆとりの空間の経営に関わっていますか?
A6:玲児さんは2019年に亡くなっているため、現在の経営には関わっていません。2026年3月末時点の公式会社概要では、栗原はるみさんが代表・創業者、栗原心平さんが代表取締役です。
まとめ:【栗原玲児の生涯】妻と家族を支えたキャスター・実業家の足跡
栗原玲児さんは、1933年に生まれ、1960年代にはテレビキャスターや司会者として活躍しました。坂本スミ子さんとの結婚と1966年の離婚を経験し、1973年には栗原はるみさんと再婚しています。
その後の約46年間、はるみさんと家庭を築き、娘の栗原友さん、息子の栗原心平さんにも恵まれました。特に、妻が専業主婦から料理家へと歩み始める際、自分の好きなことを見つけるよう勧めたエピソードは、玲児さんの人物像を象徴しています。
芸能界で築いたキャリアを離れ、家族の事業を支える実業家へ。加えて、料理に対する厳しい批評家であり、バイクを愛する趣味人でもありました。
2019年8月3日に85歳で亡くなりましたが、妻のはるみさんや子供たちの活動を通じて、栗原家の歩みは現在も続いています。
栗原玲児さんの生涯を理解するうえで大切なのは、単なる有名人の配偶者としてではなく、自身のキャリアを持ち、妻の可能性を引き出し、家族の仕事を支えた一人の人物として見ることです。