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加山雄三の光進丸は今どうなった?2018年火災の原因と沈没・解体までを徹底解説

相沢 直樹 相沢 直樹 • 更新: • 公開: • 読了約 17 分
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加山雄三の愛船として知られた大型クルーザー「光進丸」。2018年4月1日、静岡県西伊豆町の安良里漁港で火災が発生し、約3日間にわたる消火活動の末に鎮火したものの、翌4日には船体の大部分が水没しました。長年にわたって加山雄三の人生や音楽活動を支えてきた船だけに、当時のニュースは大きな注目を集めました。

2026年現在、光進丸は現役の船として存在していません。火災後の引き揚げ、静岡県警下田署や下田海上保安部などによる実況見分を経て、出火場所は船内と特定された一方、具体的な出火原因は最後まで判明しませんでした。この記事では、3代目光進丸の船歴、2018年4月1日の火災から沈没・引き揚げまでの経緯、電気系統が疑われた背景、加山雄三にとっての船の意味を時系列で解説します。

【2026年最新】加山雄三の光進丸は現在どうなっている?

加山雄三光進丸

最初に気になる現在の状況を整理します。

光進丸は2018年の火災で全焼し、その後、海中に沈みました。4月18日に民間のサルベージ会社によって引き揚げられ、静岡市の清水港へ移送されています。

その後、5月8日に静岡県警下田署、下田消防本部、下田海上保安部、国土交通省運輸安全委員会などの立ち会いで実況見分が実施されました。

この調査結果を受け、加山雄三の所属事務所である加山プロモーションは公式サイトで、今後は解体作業に入ると発表しています。

したがって、2026年現在の光進丸は、再び海を航行する現役クルーザーではありません。火災後に引き揚げられ、調査を経て解体方針が示された船です。少なくとも、再建造や再就航を確認できる公式発表はありません。

光進丸の現在について押さえておきたい3つの事実

・船体は2018年4月18日に引き揚げられた。

・5月8日の実況見分で船内からの出火が特定された。

・出火原因は特定できず、所属事務所は解体作業に入ると公表した。

特に注意したいのは、「出火場所が判明したこと」と「出火原因が判明したこと」は別だという点です。光進丸の調査では前者は特定されましたが、後者については結論が出ていません。

【船歴を解説】光進丸はどんな船?3代目の設計と1982年の進水

光進丸は、単に加山雄三が所有していた豪華クルーザーではありません。船への強い愛情を持つ加山が、自ら設計にも携わった特別な船でした。

100フィート・104トンの大型クルーザー

2018年の火災当時に紹介された光進丸は、総トン数104トン、全長30メートルを超える大型プレジャーボートです。

加山雄三は以前から船や海に深い関心を持っており、設計段階から船づくりに参加していました。2018年4月3日付のデイリースポーツの報道では、当時の光進丸について、1982年4月に進水した3代目と紹介されています。

一方、加山雄三の公式サイトに掲載されているヒストリーでは、1982年4月に「光進丸7世(100フィート、104t)」が進水したと記録されています。

つまり、一般報道で使われる「3代目」という呼称と、公式年譜の「光進丸7世」という表記には違いがあります。船歴を調べる際には、この2つを混同しないことが大切です。

1983年は進水年ではなく、長期航海の年

光進丸については1983年進水と記載した一部の初期報道もあります。しかし、加山雄三の公式ヒストリーでは1982年4月の進水が記録されています。

加えて、1983年4月には光進丸で約2か月間の長期航海を実施。父島諸島、サイパン、テニアン、グアムを巡った記録が残っています。

この1982年の進水と1983年の航海を区別すると、船の歴史がより正確に理解できます。

加山雄三自身が船の設計に携わった理由

加山雄三は、俳優・歌手としての活動だけでなく、船や航海に対する専門的な関心も持っていました。公式ヒストリーには、1982年8月に大型5級海技士航海科の免許を取得した記録もあります。

光進丸は、加山の趣味を満たすだけの乗り物ではありませんでした。自らの理想を形にした船であり、長期航海を楽しみ、仲間と過ごし、音楽を生み出す場所でもあったのです。

【時系列まとめ】2018年4月1日の火災から沈没・引き揚げまで

光進丸の火災は2018年4月1日夜に発生しました。火災発生から鎮火、船体の水没、引き揚げ、そして実況見分まで、約1か月間にわたって事態が進展しています。

当時の報道と加山雄三の公式発表を整理すると、以下のようになります。

年月日 出来事 確認された状況
2018年4月1日 火災発生 午後9時25分ごろ、安良里漁港で光進丸が炎上。出火時は無人だった。
4月2日 火災の鎮圧 午前8時25分ごろ、鎮圧状態となる。加山雄三が帰京後に謝罪。
4月3日 完全鎮火 午後3時30分ごろ、消火活動が終了。
4月4日 船体が水没 午前9時40分ごろ横倒しとなり、大部分が水没。
4月18日 引き揚げ 民間のクレーン船で船体を引き揚げ、清水港へ移送。
5月8日 実況見分 警察・消防・海上保安部などが調査。船内からの出火を特定したが原因は不明。

※時刻は当時の報道発表に基づいています。

4月1日午後9時25分ごろ、安良里漁港で火災発生

火災が発生した場所は、静岡県賀茂郡西伊豆町の安良里漁港です。

光進丸は港から約20メートル沖に係留されていました。午後9時25分ごろ、船が燃えているとの119番通報があり、現場には消防車などが出動しました。

しかし、光進丸は岸から離れた位置にあったため、陸上からの放水だけでは十分な消火活動ができませんでした。

そこで、地元の漁船に可搬式ポンプを積み込み、海水をくみ上げて放水する方法が取られました。下田海上保安部や下田署なども対応にあたっています。

出火当時、船内には誰も乗っていませんでした。加山雄三本人は同日、沖縄県宜野湾市でコンサートに出演しており、火災に巻き込まれてはいません。

4月2日から3日にかけて消火活動が続く

4月2日午前8時25分ごろ、火災は鎮圧状態となりました。ただし、船体内部には火が残っていたため、完全に鎮火したわけではありません。

消防や関係者は船が沈まないよう水抜き作業などを進めながら消火活動を継続しました。

そして4月3日午後3時30分ごろ、ようやく完全鎮火に至りました。

4月4日、光進丸が横倒しになり大部分が水没

完全鎮火の翌日となる4月4日午前9時40分ごろ、光進丸と隣接して係留されていた作業船が横倒しになりました。

下田海上保安部は、火災によって船体に生じた亀裂から海水が入り込み、船が横転したとみていました。

この際、光進丸にいた男性作業員1人が海へ飛び込み、近くの作業船に救助されています。作業員は無事でした。

この事故によって光進丸は大部分が水没し、通常の状態での航行や修復は極めて難しい状況になりました。

4月18日に引き揚げ、5月8日に実況見分

水没した船体は、4月17日からサルベージ会社による引き揚げ準備が始まり、翌18日午後2時30分ごろ、クレーン船によって引き揚げられました。

引き揚げには、海底に鉄製の台を沈めて船体を載せ、それをクレーンで持ち上げる方法が用いられています。

船体は静岡市の清水港へ移され、5月8日に関係機関による実況見分が行われました。この調査結果が、光進丸の火災原因をめぐる最終的な重要情報となりました。

【火災原因の真相】電気系統が疑われた理由と出火原因を特定できなかった調査

光進丸の火災について、特に多く検索されているのが「出火原因は何だったのか」という疑問です。

火災発生直後の報道では、電気系統のトラブルが原因ではないかという見方が示されていました。しかし、最終的な調査では電気系統が原因だったとは確定していません。

出火当日にエアコンなどの点検が行われていた

日刊スポーツやスポニチなどの2018年4月初旬の報道によると、光進丸を管理していた船舶修繕会社の従業員は、火災発生当日の午後1時ごろから約1時間、船内でエアコンなどの点検作業を行っていました。

船内ではカビの発生を防ぐ目的でエアコンを24時間稼働させており、外部から電源ケーブルを引き込んで電力を供給していたと報じられています。

この状況から、静岡県警下田署は初期段階で電気系統のトラブルが出火につながった可能性を調べていました。

ただし、当日の点検では異常が確認されていなかったとの報道もあります。エアコンや外部電源が使用されていたことだけで、火災の直接原因を断定することはできません。

5月8日の実況見分で判明したこと

船体の引き揚げ後、静岡県警下田署、下田消防本部、下田海上保安部、国土交通省運輸安全委員会などが立ち会い、清水港で実況見分を実施しました。

加山雄三の公式サイトに掲載された2018年5月8日付の発表では、下田署による調査結果として、次の説明が公表されています。

「船舶内部からの出火であることは特定できたものの、出火原因の特定には至りませんでした。」

加えて、焼損が激しかったことや、船体が海中に水没したことなどが原因を明らかにできなかった理由として挙げられています。

つまり、調査によって確認された事実は次の2点です。

・出火場所は船舶内部だった。

・具体的な出火原因は特定できなかった。

事件性はないと判断された

もう一つ重要なのが、事件性についての判断です。

公式発表によると、下田署は出火原因を明らかにできなかった一方で、事件性はないと判断しています。

これは、原因が不明だからといって放火や第三者による犯罪が確認されたわけではない、ということです。

インターネット上では電気系統の故障説や放火説など、さまざまな情報が取り上げられることがあります。しかし、最終的な公式発表が示しているのは「船内からの出火」「原因不明」「事件性なし」という3点です。

したがって、光進丸の火災原因を電気系統の故障と断定する情報には注意が必要です。

【加山雄三と光進丸の思い出】船から生まれた歌と人生の相棒

光進丸の火災が大きなニュースになった理由は、船の規模や著名人の所有物だったことだけではありません。

加山雄三にとって、この船は長年にわたって生活と音楽をともにしてきた、かけがえのない存在だったからです。

光進丸は加山雄三にとっての海上のスタジオ

2018年4月2日、加山雄三は沖縄から帰京後、報道陣の取材に応じました。

自身が設計に携わった光進丸について、長い年月をかけて作り上げてきた船であり、自分の分身や相棒のような存在だったという思いを語っています。

船内にはギター、エレキギター、キーボードなどの楽器が置かれていました。加山は船の中で多くの曲を作っており、光進丸は海上の音楽スタジオとしても機能していたのです。

つらいことがあったときには船に乗り、海の上で気持ちを落ち着かせることもあったと報じられています。

そのため、火災によって光進丸を失ったことは、単なる所有物の喪失とは異なる意味を持っていました。

1978年発売の楽曲「光進丸」と船の関係

光進丸という名前は、加山雄三の音楽作品とも深く結びついています。

加山雄三の公式ディスコグラフィーによると、シングル「光進丸」は1978年8月5日発売。カップリング曲には「湘南ひき潮」が収録されています。

船の名前が楽曲のタイトルにもなっていることからも、加山にとって海や船が創作活動の重要なテーマだったことが分かります。

また、2018年の火災直前には、アルバム「演歌の若大将~Club光進丸」のジャケット撮影が船内で行われていました。撮影日は2018年3月22日で、火災のわずか10日前です。

船内のバーで撮影された写真がジャケットに採用され、デッキや操舵室で撮影した写真もブックレットに使用されました。

このアルバムには、船内で船員とともに作ったと紹介された演歌「嘘よ」「残り酒」も収録されています。

火災後も「光進丸」を歌い続けると語った加山雄三

火災後の会見で、加山雄三は「光進丸」という楽曲についても質問を受けました。

船を失った後も、この歌を歌い続ける意思を示しています。

「僕は歌います。光進丸のためにも。」

この言葉には、船体が失われても、船と過ごした時間や思い出まで消えるわけではないという加山の気持ちが表れています。

2018年6月には、焼失後初めてライブで「光進丸」を披露したことも報じられました。船そのものは戻らなくても、音楽という形でその存在を残していく姿勢が印象的でした。

光進丸は加山雄三にとって、船乗りとしての夢、音楽家としての創作、仲間との交流を結びつける場所だったのです。

【よくある質問】加山雄三の光進丸に関するFAQ

Q1:加山雄三の光進丸は2026年現在も存在していますか?

A1:2018年の火災で全焼し、4月4日に水没しました。その後、4月18日に引き揚げられ、5月8日の実況見分後には解体作業に入る方針が公式発表されています。現役の船として航行している光進丸はありません。

Q2:光進丸の火災原因は電気系統の故障だったのですか?

A2:電気系統のトラブルは初期段階で疑われていました。外部電源を使用してエアコンを稼働させていたことも報道されています。しかし、最終的な実況見分では船内からの出火までしか特定できず、具体的な出火原因は不明です。

Q3:光進丸はいつ進水した船ですか?

A3:加山雄三の公式ヒストリーでは、1982年4月に100フィート・104トンの「光進丸7世」が進水したと記録されています。1983年には父島諸島やサイパンなどを巡る約2か月間の長期航海を行っています。

Q4:光進丸はなぜ加山雄三にとって特別な船だったのですか?

A4:加山雄三自身が設計に携わり、長年にわたって航海や音楽制作、仲間との交流を楽しんできた船だったからです。船内には楽器も置かれ、楽曲「光進丸」をはじめ、数多くの思い出が生まれた場所でした。

Q5:光進丸の引き揚げ後、火災の原因は判明しましたか?

A5:判明していません。2018年5月8日の実況見分で船内からの出火は特定されましたが、激しい焼損と水没によって具体的な原因の特定には至りませんでした。下田署は事件性がないと判断しています。

まとめ:光進丸の火災から分かる事実と2026年現在の状況

加山雄三の光進丸は、2018年4月1日に静岡県西伊豆町の安良里漁港で火災に遭い、3日午後に鎮火したものの、翌4日には大部分が水没しました。

4月18日に船体が引き揚げられ、5月8日に静岡県警下田署などによる実況見分が実施されました。その結果、船内からの出火は特定されたものの、具体的な出火原因は判明していません。

電気系統のトラブルは初期段階で疑われたものの、最終的な公式発表で原因として確定されたわけではありません。また、事件性はないと判断されています。

2026年現在、光進丸は再び航海する船ではありません。しかし、加山雄三自身が設計に携わったこと、長期航海をともにしたこと、船内で多くの楽曲が生まれたことなど、その歴史は公式記録や音楽作品、当時の報道に残っています。

光進丸の火災を正しく理解するうえで大切なのは、初期報道の推測と最終調査の結果を区別することです。出火場所は船内と特定された一方、原因は不明。この事実関係こそが、現在まで変わらない調査結果です。

船体は失われても、加山雄三の音楽とともに歩んだ光進丸の歴史は、今も多くの人の記憶に残り続けています。

主な事実確認資料

- 加山雄三公式サイト「光進丸火災の実況見分結果について」
- 加山雄三公式サイト「ヒストリー」
- 加山雄三公式サイト「1970年代シングル」
- 日刊スポーツ(2018年4月2日・4月4日・4月18日・5月8日)
- デイリースポーツ(2018年4月3日・4月11日)
- スポニチ(2018年4月2日・4月4日)

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相沢 直樹
トレンドリサーチャー 相沢 直樹
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スポーツ担当として7年以上の取材経験。sports領域の公式発表・配信元の告知を一次情報として確認し、確認できない情報は記事に含めない方針です。

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