日本テレビ系『24時間テレビ』のチャリティーマラソンで、30年以上にわたってランナーを支え続けてきた「坂本トレーナー」こと坂本雄次さん。2024年の番組卒業後、テレビで姿を見る機会が減り、現在の健康状態や活動を気にする人が増えています。
2026年11月現在、坂本雄次さんは79歳。10月30日には、かつて指導したはるな愛さんが79歳の誕生日を祝うツーショット写真を公開し、元気そうな近況が話題になりました。一方、本人は脊柱管狭窄症による腰の手術を2度経験しており、2024年3月には61年間連れ添った妻・節子さんを亡くしています。引退の背景には、身体的な限界だけでなく、人生の大きな転機もありました。
【2026年最新】坂本トレーナーの現在は?79歳の近況と活動を解説
2026年11月4日現在、坂本雄次さんは79歳を迎えています。『24時間テレビ』のマラソントレーナーとしての活動には2024年で区切りをつけましたが、その後もメディアへの登場や自身の経験を伝える活動が確認できます。
10月30日にはるな愛が79歳の誕生日を祝福
2026年10月30日、タレントのはるな愛さんが自身のInstagramを更新し、坂本さんの79歳の誕生日を祝福しました。
投稿では坂本さんとのツーショット写真を公開。はるなさんは坂本さんを「私の東京父」と表現し、2010年のチャリティーマラソンをきっかけに長い交流が続いていることを伝えました。
加えて、人生について長く教えてもらっている恩師への感謝とともに、長生きを願う言葉も添えています。
この投稿はオリコンニュースやスポーツニッポンなどでも紹介され、かつてテレビで坂本さんを見ていた視聴者から、久しぶりに元気そうな姿を見られたことを喜ぶ反応が寄せられました。
2010年のはるな愛さんは『24時間テレビ33』のチャリティーマラソンランナーを務め、85キロを完走しています。指導者とランナーという関係から始まった交流が、16年後も続いていることが分かります。
2025年にはイベントにも登場
坂本さんは番組卒業後も公の場に姿を見せています。
2025年7月8日には、都内で開催されたビタブリッドジャパンの新製品発表会に、ランニングプロデューサーとして出席しました。
その際、報道陣から『24時間テレビ』の新しいランナーについて質問されると、すでに前年で卒業しているため、今年のランナーについては知らないと説明しています。
また、長年マラソン企画を支えてきた立場から、夏の気温上昇によるランナーの健康リスクについても言及しました。
2026年1月には日刊ゲンダイの健康インタビューにも登場し、自身の病歴や引退までの経緯を詳しく語っています。
こうした報道を整理すると、坂本さんはテレビのマラソン現場からは退いたものの、これまでの経験を社会に伝える機会を持ち続けていることが分かります。
【引退理由を検証】坂本トレーナーはなぜ24時間テレビを卒業したのか
坂本雄次さんの引退理由を理解するうえで重要なのが、2024年8月30日に掲載された女性自身のインタビューです。
坂本さんは同誌の取材に対し、2024年を最後に卒業することを日本テレビ側に自ら伝えたと明かしています。突然の降板ではなく、本人が長年の仕事に区切りをつける決断をした形です。
理由1:身体が思うように動かなくなった
坂本さんは2026年1月の日刊ゲンダイのインタビューで、引退について次のように振り返っています。
「気持ちはどんなにやりたくても、体がいうことを聞かなくなって思うようなパフォーマンスができなければ、後継に託さざるを得ません」
これは長年現場に立ち続けた本人だからこそ語れる引退の理由です。
最後の数年間は、以前のようにランナーと長距離を並走する場面が減り、休憩所での助言や身体のメンテナンスなどが中心になっていました。
本人によれば、腰のコルセットを着用し、場合によっては痛み止めを使いながら仕事を続けていたといいます。
マラソンのトレーナーは、ランナーの身体の状態を把握するだけでなく、長時間にわたる移動や伴走にも対応しなければなりません。自分自身の身体が十分に動かせなくなったことは、現場を離れる大きな判断材料になったと考えられます。
理由2:妻・節子さんとの死別
もう一つの大きな理由が、2024年3月18日に妻の節子さんを亡くしたことです。
坂本さんは2024年8月の女性自身の取材で、長年自分を支えてきた妻を亡くしたことを明かしています。
2026年1月の日刊ゲンダイでも、妻との別れによって大きな喪失感を抱えていることを語りました。
節子さんは、坂本さんが45歳で東京電力を退職し、ランナーズ・ウェルネスを起業したときにも支え続けた人物です。仕事の面でも生活の面でも、長年にわたる大切なパートナーでした。
妻の死と身体的な限界が重なった2024年は、坂本さんにとって人生の大きな転換点だったのです。
理由3:32年間の仕事を次世代に託す決断
坂本さんは1992年から2024年まで、32年間にわたって『24時間テレビ』のチャリティーマラソンを支えてきました。
番組立ち上げ当初から関わってきた人物が現場を離れることは、本人にとっても簡単な決断ではなかったはずです。
しかし、長年培ってきた知識や経験を後継者に託すことも、プロフェッショナルとしての責任の一つです。
坂本さんの卒業は、病気による突然の活動停止や番組とのトラブルではなく、身体的な事情と人生の変化を受け止めたうえでの、自発的な世代交代と捉えるのが適切です。
【病気・手術の真相】坂本雄次は脊柱管狭窄症で何度も手術していた
坂本雄次さんの健康状態を調べると、脊柱管狭窄症や腰の手術、人工股関節といった情報が見つかります。
これらは単なるネット上の噂ではありません。2026年1月19日の日刊ゲンダイの連載「独白 愉快な“病人”たち」で、坂本さん本人が詳しい経緯を明かしています。
最初に脊柱管狭窄症と診断されたのは60歳
坂本さんによると、脊柱管狭窄症と診断されたのは60歳のときでした。
仕事でアメリカに渡航する予定だった日の朝、腰に激しい痛みが走り、歩けなくなったことがきっかけです。
知り合いの整形外科医に診てもらったところ、脊柱管狭窄症と椎間板ヘルニアが判明しました。
脊柱管狭窄症とは、背骨の中を通る神経の通り道が狭くなり、神経が圧迫されることで痛みやしびれなどが生じる病気です。歩行時に症状が強くなる場合もあります。
腰の手術は2回、人工股関節の手術も経験
坂本さんはインタビューで、自身の身体にボルト8本とシャフト3本が入っており、左脚には人工股関節があると説明しています。
腰の手術は2回、股関節の手術は1回です。
最初の腰の手術では、神経を圧迫している部分を整え、脊椎の一部を固定する手術を受けました。退院までの期間は約2週間。その後、6月にはランナーとのトレーニングに復帰したといいます。
しかし、固定した部分の下にある腰椎に負担がかかり、再び激しい痛みが発生。数年後に2度目の固定術を受けることになりました。
さらに63歳のときには左股関節の痛みが強くなり、臼蓋形成不全と診断され、人工股関節置換術を受けています。
この手術については、当時の『24時間テレビ』でも映像が放送されました。
19歳の事故も腰の不調に関係していた
2026年のインタビューで明かされたのが、若いころの事故です。
坂本さんは19歳のとき、勤務先の倉庫の屋根裏部屋で床を踏み抜き、約2メートル下に転落した経験がありました。
当時は大きな外傷がなかったものの、3年後に腰の激痛が発生。腰椎の一部に亀裂骨折の痕があると分かったそうです。
その後も腰の痛みを繰り返し、60歳を過ぎてから複数回の手術を受けることになりました。
坂本さん自身は、背骨を支える脊柱起立筋を鍛えることを対策の一つとして取り入れていたと話しています。
ただし、これは本人の経験談であり、同じ病気の人に同じ運動や治療が適するという意味ではありません。
また、2026年1月のインタビューでは過去の手術歴と身体の状態が明かされていますが、11月現在の詳細な検査結果や医学的な回復状況までは公表されていません。
【妻・節子さんとの別れ】天国ゆきのラブレターに綴られた61年間の夫婦愛
坂本雄次さんの現在を語るうえで、妻・節子さんとの関係は欠かせません。
二人は坂本さんが15歳だった中学3年生のときに出会いました。出会いの場所は修学旅行先の京都。20歳でバスガイドをしていた節子さんに坂本さんが一目ぼれしたことから、二人の物語が始まります。
15歳で出会った二人は61年間を共に過ごした
坂本さんは京都で出会った節子さんに手紙を送り、二人の文通が始まりました。
当初は年齢差もあり、すぐに恋愛関係へと進んだわけではありません。それでも交流を続け、出会いから5年後に結婚。長い年月を夫婦として歩みました。
節子さんは坂本さんが東京電力を退職して会社を立ち上げた際にも、副社長として経営を支えました。
坂本さんがテレビのマラソン企画に携わるようになったときも、独立して事業を始めたときも、節子さんはその挑戦を応援していたといいます。
2024年3月18日に節子さんが81歳で逝去
2025年1月29日の著書出版記念イベントで、坂本さんは節子さんが亡くなるまでの経緯を明かしました。
2024年1月、自宅で転倒した節子さんは肩の骨を折り、緊急入院。その後、入院中に別の病気を併発し、同年3月18日に81歳で亡くなりました。
坂本さんによれば、最後の9年間は節子さんの入退院が続き、食事や着替えなど身の回りの世話を含めて介護に付き添っていたそうです。
15歳で出会った最愛の人を失ったことは、坂本さんにとって非常に大きな出来事でした。
339通の手紙をもとに書いた『天国ゆきのラブレター』
節子さんを亡くした後、坂本さんは二人が交際していたころに交わした手紙を読み返しました。
その手紙を通じて、出会いから結婚、そして長年の夫婦生活を振り返ることになり、著書としてまとめることを決めたのです。
2024年12月25日に刊行された著書が『天国ゆきのラブレター 339通にこめられた奇跡の物語』(主婦の友社)です。
本書には、二人が交わした339通の手紙にまつわるエピソードが収められています。最後の1通は、節子さんの棺に納めたものだったと坂本さんが語っています。
2025年1月29日の出版記念トークショーには、徳光和夫さんと森三中の大島美幸さんが出席しました。
徳光さんは2011年のチャリティーマラソンで坂本さんの指導を受けた人物です。また、大島さんも2013年のランナーとして坂本夫妻と交流がありました。
この著書は単なる夫婦の思い出話ではありません。坂本さんが仕事を続けることができた背景に、妻の支えがあったことを伝える一冊でもあります。
【経歴・関係者一覧】坂本雄次と24時間テレビを支えた人物・組織の関係
坂本さんの経歴を理解するには、会社員時代からランニングプロデューサーとして独立し、テレビのマラソン企画を支えるようになった流れを押さえる必要があります。
関係する人物や組織、主な転換点を一覧にまとめました。
| 時期・人物・組織 | 出来事・関係 | ポイント |
|---|---|---|
| 1947年 | 神奈川県茅ヶ崎市生まれ | 2026年に79歳 |
| 1978年 | 東京電力の駅伝チーム監督に就任 | 15年間にわたり選手を育成 |
| 1992年 | 間寛平さんの24時間テレビマラソンをサポート | 番組のマラソン企画の立ち上げから参加 |
| 1993年 | 株式会社ランナーズ・ウェルネスを設立 | マラソン大会の企画・運営に進出 |
| 2010年・はるな愛 | チャリティーマラソンの指導者とランナー | 85キロ完走。2026年も交流が続く |
| 2024年・やす子 | 24時間テレビ47のチャリティーマラソン | 81キロを完走。坂本さんは卒業を表明し、練習現場には参加せず |
| 2024年3月18日・節子さん | 妻が81歳で逝去 | 坂本さんにとって大きな人生の転機 |
| 2024年 | 24時間テレビのトレーナーを卒業 | 32年間の活動に区切り |
| 2024年12月 | 『天国ゆきのラブレター』刊行 | 妻との61年間を手紙とともに振り返る |
| 2026年1月 | 日刊ゲンダイの健康インタビューに登場 | 脊柱管狭窄症や手術歴、引退の背景を語る |
| 2026年10月 | はるな愛さんが79歳の誕生日を祝福 | ツーショット写真が公開される |
ランニングプロデューサーとしての功績
坂本さんは、単に芸能人のマラソンを指導していた人物ではありません。
東京電力陸上部の監督を15年間務めた後、45歳で会社を退職。1993年7月に株式会社ランナーズ・ウェルネスを設立しました。
同社では湘南国際マラソンや横浜マラソン、各地のウルトラマラソンなど、さまざまな大会の企画・運営に携わってきました。
ランニングを競技者だけのものにせず、市民参加型のスポーツイベントとして地域振興につなげてきた点も、坂本さんの大きな功績です。
ランナーズ・ウェルネスは現在も大会運営を継続
株式会社ランナーズ・ウェルネスの公式サイトでは、2026年現在もマラソン大会の企画・運営や地域活性化に関する事業が紹介されています。
ただし、坂本さんが創業した会社だからといって、現在も本人が代表取締役を務めていると考えるのは正確ではありません。
2026年に確認できる同社の公式会社概要では、代表者は比企啓之さんと記載されています。
坂本さんの功績と、現在の会社経営体制は分けて理解する必要があります。
2024年からは「日本細見旅づくり」にも取り組む
婦人公論の著者プロフィールでは、坂本さんが2024年に新しい分野の事業として「日本細見旅づくり」に取り組み始めたことも紹介されています。
これは日本の歴史や風土、伝統技術、職人の技を次の世代に伝えることを目指す取り組みです。
長年にわたりマラソン大会をゼロから立ち上げてきた坂本さんが、スポーツ以外の分野にも活動の幅を広げていたことは、卒業後の歩みを考えるうえで見逃せないポイントです。
【死亡説の真相】坂本雄次は亡くなった?現在の健康状態を検証
インターネットでは「坂本雄次 死亡」「坂本トレーナー 病気」といった検索が見られます。
しかし、2026年11月4日現在、坂本雄次さんが亡くなったという事実を裏付ける報道はありません。
2026年10月の誕生日写真が生存を確認できる近況
死亡説を考えるうえで重要なのが、2026年10月30日のはるな愛さんによる誕生日投稿です。
79歳を迎えた坂本さん本人が写真に登場しており、はるなさんとのツーショットがオリコンニュースなどで報じられています。
加えて、2026年1月には本人が健康状態や手術歴についてインタビューに応じていました。
したがって、テレビ出演が減ったことを理由に死亡説を事実として受け取るのは誤りです。
病気があることと死亡説は別問題
坂本さんには脊柱管狭窄症や股関節の手術歴があります。長年にわたり身体的な負担を抱えてきたことは本人も公表しています。
しかし、病気の経験があることと、現在の生命に関わる状態であることは別です。
また、2026年11月現在、具体的な最新の検査結果や詳細な治療経過は公表されていません。
確認できるのは、79歳の誕生日を迎えたこと、2026年1月に自身の病歴を語ったこと、そして2024年にテレビのマラソントレーナーを卒業したことです。
病気の情報だけを切り取って重病説や死亡説に結び付けるのではなく、本人の発言や実際の近況を区別して理解することが大切です。
【よくある質問】坂本トレーナーの現在に関するFAQ
Q1:坂本雄次さんは2026年現在、何歳ですか?
A1:2026年10月に79歳の誕生日を迎えました。1947年生まれで、10月30日には、はるな愛さんが誕生日を祝うツーショット写真を公開しています。
Q2:坂本トレーナーが24時間テレビを引退した理由は病気ですか?
A2:身体的な衰えが大きな理由の一つです。腰の手術歴があり、思うようなパフォーマンスができなくなったことに加え、2024年3月に妻の節子さんを亡くしたことも人生の転機になりました。本人が日本テレビ側に卒業を申し出ています。
Q3:坂本雄次さんは脊柱管狭窄症の手術を何回受けましたか?
A3:本人の2026年1月のインタビューによると、腰の手術を2回受けています。また、63歳のときには左股関節の人工関節置換術も受けました。
Q4:坂本雄次さんの妻・節子さんはいつ亡くなりましたか?
A4:2024年3月18日です。81歳でした。坂本さんとは15歳のときに出会い、61年間を共に過ごしました。二人の手紙をもとにした著書が『天国ゆきのラブレター』です。
Q5:坂本雄次さんは現在もランナーズ・ウェルネスの代表ですか?
A5:坂本さんは1993年に同社を創業した人物です。ただし、2026年の公式会社概要では代表者は比企啓之さんと記載されています。創業者としての功績と現在の代表者は区別する必要があります。
Q6:坂本トレーナーの死亡説は本当ですか?
A6:死亡説を裏付ける事実はありません。2026年10月30日には、はるな愛さんが坂本さんの79歳の誕生日を祝う写真を公開しています。
Q7:2024年のやす子さんのマラソンを坂本トレーナーが指導したのですか?
A7:坂本さんは2024年大会を最後に卒業する意向を示し、女性自身の取材では、その年の練習現場には参加していないと説明しています。やす子さんは同年のチャリティーマラソンで81キロを完走しましたが、坂本さんが従来どおり練習指導を担当したわけではありません。
まとめ:坂本トレーナーは79歳、テレビ卒業後も新しい人生を歩んでいる
坂本トレーナーこと坂本雄次さんは、2026年11月現在79歳です。
2024年に『24時間テレビ』のマラソントレーナーを卒業した背景には、脊柱管狭窄症をはじめとする身体的な問題と、長年連れ添った妻・節子さんとの死別がありました。
腰の手術を2回、股関節の人工関節置換術を1回経験しながら、32年間も番組のマラソン企画を支えてきた歩みは、決して平坦なものではありません。
一方、2026年10月には、はるな愛さんが79歳の誕生日を祝う写真を公開。死亡説を裏付ける事実はなく、近況を確認できる公の発信も続いています。
妻との思い出をまとめた『天国ゆきのラブレター』や、新しい分野への挑戦である「日本細見旅づくり」からも、坂本さんが長年の経験を次の人生につなげようとしていることがうかがえます。
テレビでランナーと並走する坂本さんの姿は見られなくなりました。しかし、番組卒業はこれまでの功績が消えたことを意味しません。
30年以上にわたり数々のランナーを支えた人物が、79歳を迎えた今、どのような時間を重ねていくのか。今後も本人の発信や公の場での活動に注目が集まりそうです。
主な事実確認資料: 日刊ゲンダイの2026年1月の本人インタビュー、女性自身の2024年卒業インタビュー、オリコンニュースの2026年誕生日報道、日刊スポーツの出版記念イベント報道、国立国会図書館の書誌情報、ランナーズ・ウェルネス公式会社概要。