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【出会いの真相】鎧塚俊彦と川島なお美はどこで知り合った?

黒木 涼 黒木 涼 • 更新: • 公開: • 読了約 19 分
目次

2人の出会いをたどるうえで重要なのが、フィギュアスケート選手の荒川静香さんの存在です。

恋のきっかけをつくったのは荒川静香

川島なお美さんは2014年、オリコンの取材で、荒川静香さんが鎧塚俊彦さんとの縁をつないでくれたことを明かしています。

きっかけになったのは、荒川さんの誕生日とトリノオリンピックの金メダル獲得を祝うパーティーでした。

川島さんが自宅で開いたパーティーに、鎧塚さんがケーキを作って持参。そこで仕事に向き合う鎧塚さんの姿を見たことが、2人の最初のデートにつながったといいます。

川島さん自身も、荒川さんを夫婦のキューピッドと表現していました。

このエピソードから見えてくるのは、単に有名女優と人気パティシエが出会ったという話ではありません。

川島さんが鎧塚さんの職人としての姿勢に惹かれ、仕事を通じて相手の人柄を知っていったことが、交際の始まりだったのです。

仕事への理解が2人の関係を深めた

川島さんは女優として長く芸能界で活躍してきた人物です。

1982年には日本テレビ系「お笑いマンガ道場」のレギュラーとして親しまれ、1997年にはドラマ「失楽園」で大きな注目を集めました。

一方、鎧塚さんは海外で修業を積んだパティシエ。2004年には自身のブランド「Toshi Yoroizuka」を立ち上げています。

それぞれが異なる専門分野でキャリアを築いていたことも、相手の仕事を尊重する関係につながったと考えられます。

芸能人と職人という立場の違いがありながら、互いの仕事に誇りを持っていた2人。その関係は、結婚後のエピソードにも表れています。

【2009年2月1日に入籍】結婚の経緯と夫婦としての歩み

鎧塚俊彦川島なお美

2人が婚姻届を提出したのは、2009年2月1日です。

川島さんは翌2月2日、自身のブログで入籍を報告。初デートの記念日だった2月1日を結婚の日に選びました。

帰国直後に婚姻届を提出した川島なお美

2009年2月2日のオリコン報道によると、川島さんは仕事でタイに滞在していました。

帰国後、成田空港から区役所へ向かい、自ら婚姻届を提出したといいます。

川島さんはブログで、入籍した時刻を「平成21年2月1日7時45分」と報告しました。

本名も鎧塚なお美となり、結婚への喜びを伝えています。

初デートの記念日を婚姻届の提出日に選んだことには、2人が出会った当初の思い出を大切にする気持ちが表れています。

6月には約350人が出席した披露宴

入籍から約5か月後の2009年6月23日、東京都内のホテルで結婚披露宴が開かれました。

日刊スポーツによると、出席者は約350人。神田うのさんや片岡鶴太郎さんらも参列しました。

川島さんは桂由美さんがデザインしたウェディングドレスを着用。

披露宴の最後を飾るデザートは、夫である鎧塚さんが担当しました。

料理とスイーツを通じて職人としての腕を披露する演出は、パティシエと女優という2人らしい披露宴だったといえます。

川島さんは披露宴で、夫婦としての関係をワインにたとえたコメントも残しています。

夫婦の間にあった支え合いのエピソード

2人の関係を語る際に欠かせないのが、鎧塚さんの左目の病気です。

鎧塚さんは網膜中心静脈閉塞症を患い、左目の視力を失いました。

2012年、川島さんは自身のブログで夫の病状を公表。夫が職人として仕事を続けられるよう、前向きに支える姿勢を示しました。

その際に伝えた言葉が、広く知られるようになりました。

「私生活では私が彼の左目になります」

この言葉は、単なる励ましではありません。

職人にとって視覚は、菓子の仕上げや細かな装飾を行ううえで重要な感覚です。左目の視力を失った鎧塚さんにとって、仕事を続けることには大きな困難が伴いました。

それでも川島さんは夫の仕事を尊重し、そばで支える姿勢を示しました。

2012年の夫婦でのイベント出演でも、鎧塚さんはパティシエを続ける意欲を語っています。

【夫婦の歴史を時系列で整理】出会いから死別、2026年までの重要記録

ここでは、2人に関する主な出来事を年代順に整理します。

年月日・時期 出来事 内容・確認できる事実
2006年 出会い・交際のきっかけ 荒川静香さんが縁をつなぎ、初デートへ
2009年2月1日 入籍 初デートの記念日に婚姻届を提出
2009年6月23日 結婚披露宴 約350人が出席
2010年代前半 夫婦で活動 鎧塚さんの左目の病気を川島さんが支援
2013年 肝内胆管がんが発見される 人間ドックなどを経て病気が判明
2014年1月 手術 肝内胆管がんの手術を受ける
2015年9月24日 川島さん逝去 肝内胆管がんのため54歳で死去
2017年 再婚についての取材 鎧塚さんが当時の心境を語る
2025年12月 再婚について再び取材 現時点では再婚を考えていないと説明
2026年2月1日 17回目の結婚記念日 2006年の出会いから20年と振り返る
2026年9月24日 11回目の命日 真紅のバラとともに妻を追悼

この年表で注目したいのは、2009年の結婚から2015年の死別までが約6年8か月だったことです。

そして2026年には、鎧塚さんが川島さんと出会ってから20年という節目を迎えました。

夫婦の関係を理解するための3つのポイント

- 出会いのきっかけ: 荒川静香さんを通じた縁が、交際と結婚につながった。
- 互いを支えた関係: 川島さんは夫の目の病気を支え、鎧塚さんも妻の闘病に寄り添った。
- 死別後のつながり: 結婚記念日や命日の発信、動物愛護活動を通じて川島さんの思いを伝え続けている。

【川島なお美の闘病と死因】肝内胆管がんとの闘い、最期まで貫いた女優人生

川島なお美さんは、2015年9月24日午後7時55分、東京都内の病院で亡くなりました。

享年54歳。所属事務所が発表した死因は胆管がんです。

川島なお美の病気は肝内胆管がん

川島さんの病気については、2015年9月のテレビ朝日や日刊スポーツなどの報道で、肝内胆管がんと伝えられています。

報道によると、2013年8月に受けた人間ドックで異常が見つかり、2014年1月に手術を受けました。

その後も芸能活動への復帰を目指し、仕事を続けていました。

肝内胆管がんは、肝臓の内部を通る胆管に発生するがんです。肝臓そのものに発生する肝細胞がんとは異なる病気です。

病気が判明してからも川島さんは女優としての活動を大切にしていました。

最後まで舞台に立とうとした川島なお美

2015年9月、川島さんはミュージカル「パルレ~洗濯~」に出演していました。

しかし、体調不良により公演を途中降板。年末に予定されていた舞台も降板することになりました。

亡くなる直前まで女優として舞台に立つことを望んでいた川島さん。

フジテレビが2015年12月に放送した特別番組では、鎧塚さんの協力のもと、川島さんが最後に取り組んでいた舞台の稽古映像や直筆の闘病日記が紹介されました。

番組では、病気と向き合いながらも女優として生き抜こうとした姿が取り上げられています。

鎧塚俊彦が伝えた妻への最後の思い

川島さんの死去後、鎧塚さんは自身のFacebookを通じて訃報を伝えました。

その際、妻が亡くなる直前まで女優として全力で生きていたことを振り返り、感謝の言葉を発信しました。

2015年9月25日付のマイナビニュースでも、その投稿内容が報じられています。

鎧塚さんにとって川島さんは、妻であると同時に、仕事や人生を共に歩んできた大切な存在でした。

夫婦で過ごした時間が長かったか短かったかだけでは測れない関係性が、当時の言葉から伝わってきます。

【2026年最新】17回目の結婚記念日と11回目の命日、鎧塚俊彦の現在

2026年は、2人の関係を振り返るうえで大きな節目となりました。

2月1日の結婚記念日と9月24日の命日。鎧塚さんはそれぞれの機会に、川島さんへの思いを発信しています。

2026年2月1日:17回目の結婚記念日

2026年2月1日、鎧塚さんは自身のInstagramで、川島さんとの17回目の結婚記念日を報告しました。

投稿には、2人のウェディング写真が添えられていました。

特に注目されたのが、2006年の出会いから20年が経過したことへの言及です。

鎧塚さんは、川島さんと一緒に過ごした時間と、死別してからの時間が同じ長さになったことにも触れています。

加えて、川島さんが生前大切にしていたQOL(クオリティ・オブ・ライフ)について振り返りました。

「抜け殻のようにはなりたくない」

鎧塚さんは、悲しみの中にとどまるのではなく、それを支えに変えて日々を全力で過ごすことが、亡き妻への感謝につながるという思いを伝えました。

この発信はテレビ朝日やスポニチなど複数のメディアでも報じられています。

2026年9月24日:川島なお美の11回目の命日

2026年9月24日には、川島さんの11回目の命日を迎えました。

鎧塚さんはInstagramで、川島さんが愛した真紅のバラを自宅と墓前に飾ったことを報告しています。

投稿では、11年間の変化を振り返りながら、妻への感謝と、妻がつないでくれた人々との縁を大切にしていく気持ちを伝えました。

「女房が愛した真紅の薔薇でいっぱいです」

加えて、これからも自分にできることを一歩ずつ積み重ねていくという決意を示しました。

亡くなった妻を思い出すだけでなく、妻が生前大切にしていた価値観を今の生活や活動につなげていることが、2026年の発信から読み取れます。

鎧塚俊彦に再婚の可能性はある?本人の発言を検証

鎧塚さんの再婚については、過去のインタビューと近年の発言を分けて見る必要があります。

2017年の週刊女性PRIMEの取材では、川島さんから「できれば再婚はしないでね」と言われていたことを明かしました。

当時は、恋愛や再婚について積極的に考えていないという趣旨の発言をしています。

しかし、その後の心境について重要な発言がありました。

2025年12月13日掲載の文春オンラインのインタビューです。

この取材では、川島さんが残した再婚に関する言葉について、鎧塚さん自身の考えを説明しています。

主な内容は次の3点です。

- 川島さんをこれからも弔い続けていく。
- 現時点で再婚は考えていない。
- 将来、一緒にいたいと思える人と出会えば交際する可能性はあり、再婚も絶対にないとは言い切れない。

つまり、鎧塚さんは亡き妻への思いを大切にしながらも、自分の将来について可能性を完全に閉ざしてはいません。

本人の最新確認可能な発言

2025年12月時点では再婚を考えていないものの、将来の再婚を全面的に否定していないというのが、本人の言葉に沿った理解です。

2026年11月現在、再婚を発表したという公的な報道は確認できません。本人が語っていない将来の恋愛や結婚を、確定した事実として扱うことはできません。

【Toshi Yoroizukaの現在】鎧塚俊彦の仕事と川島なお美の遺志を継ぐ活動

鎧塚さんは2026年現在も、パティシエとして活動しています。

川島さんとの死別後、仕事を辞めてしまうのではなく、自分の職人としての役割を続ける道を選びました。

Toshi Yoroizukaのオーナーシェフとして活動

鎧塚さんが手掛ける「Toshi Yoroizuka」は、2004年に立ち上げられた洋菓子ブランドです。

鎧塚さんはヨーロッパで約8年間修業し、ベルギーの三つ星レストランでシェフパティシエを務めた経歴を持っています。

帰国後は自身のブランドを展開し、洋菓子づくりに取り組んできました。

また、小田原には農園を併設した「一夜城 Yoroizuka Farm」、南米エクアドルにはカカオ農園を展開しています。

単に完成した材料を使ってお菓子を作るだけでなく、素材の生産段階から洋菓子づくりに向き合う姿勢も、ブランドの特徴です。

2026年9月には佐賀玉屋で「Toshi Yoroizuka スウィーツコレクション」が開催され、鎧塚さん本人のトークイベントも企画されました。

こうした催事への参加からも、現在の活動が店舗運営だけにとどまらないことが分かります。

川島なお美動物愛護賞とは?妻の名前を残す社会貢献

鎧塚さんの活動を語るうえで、もう一つ重要なのが「川島なお美動物愛護賞」です。

この賞は、動物愛護に取り組む個人や団体を表彰するもので、エンジン01文化戦略会議の動物愛護委員会が運営しています。

川島さんは生前、動物を大切にする活動にも関心を寄せていました。

その思いを受け継ぐ形で、川島なお美動物愛護基金や動物愛護賞の活動が続けられています。

2026年には第10回の授賞式が9月23日に開催されました。

この年の「エンジン01動物愛護・川島なお美賞」は福岡VMATが受賞。災害時に被災動物の救護や獣医療支援を行う活動が評価されました。

翌24日には、鎧塚さんも授賞式に関する活動レポートに登場しています。

同委員会の公式報告によると、鎧塚さんは10回目の開催を迎えたことに触れ、動物たちのために活動する人々への支援を今後も続けたいという考えを示しました。

この活動は、亡き妻の名前を記念として残すだけではありません。

川島さんが大切にしていた動物愛護の精神を、実際の支援や表彰を通じて社会に広げていく取り組みです。

仕事を続けることが鎧塚俊彦の現在の生き方

2025年12月の文春オンラインのインタビューでは、鎧塚さんは自身の仕事やスタッフについても語っています。

ブランドを長く支えるスタッフがいること、弟子が独立する際には気持ちよく送り出したいことなど、職人としての考え方が紹介されました。

また、自身がブランドをすべて背負い続ける必要があるのか、仕事の責任をどう分担していくかについても考えていることを明かしています。

川島さんを失った後も、パティシエとしての人生は続いています。

その活動の中には、妻との思い出だけでなく、職人として積み重ねてきた経験や、次の世代に技術を伝える役割も含まれています。


【鎧塚俊彦と川島なお美】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:鎧塚俊彦と川島なお美はいつ出会った?

2006年に出会ったと鎧塚さん本人が2026年の結婚記念日の投稿で振り返っています。荒川静香さんが2人の縁をつないだことも、川島さんが2014年に明かしています。

Q2:2人が結婚したのはいつ?

2009年2月1日です。初デートの記念日に婚姻届を提出しました。同年6月23日には結婚披露宴を開催しています。

Q3:川島なお美の死因は何?

肝内胆管がんです。2015年9月24日午後7時55分に亡くなりました。享年54歳です。

Q4:鎧塚俊彦は2026年現在、再婚している?

2025年12月の本人インタビューでは、現時点で再婚を考えていないと話しています。一方、将来の可能性については完全には否定していません。2026年11月現在、再婚の公表は確認されていません。

Q5:2026年の結婚記念日は何回目?

2026年2月1日に17回目を迎えました。鎧塚さんはウェディング写真とともに、川島さんとの出会いから20年が経ったことを報告しています。

Q6:川島なお美の2026年の命日は何回目?

2026年9月24日が11回目の命日でした。鎧塚さんは、川島さんが愛した真紅のバラを自宅と墓前に飾ったことを報告しています。

Q7:鎧塚俊彦は現在もパティシエを続けている?

はい。「Toshi Yoroizuka」のオーナーシェフとして活動を続けています。2026年には洋菓子の催事や川島なお美動物愛護賞関連の活動にも参加しています。


まとめ:鎧塚俊彦と川島なお美が残した愛情と絆、2026年の現在

鎧塚俊彦さんと川島なお美さんの関係は、2006年の出会いから2009年の結婚、そして2015年の死別へと続きました。

夫婦として一緒に過ごした時間は約6年8か月でしたが、その間には互いの仕事を尊重し、病気の際には支え合う姿がありました。

2026年には、17回目の結婚記念日と11回目の命日を迎えています。

鎧塚さんの発信から分かるのは、亡き妻への思いを大切にしながら、自分自身の人生も前向きに歩もうとしていることです。

また、再婚についても、現在は考えていないものの、将来の可能性を完全に否定していません。

そして、パティシエとしての活動に加え、川島なお美動物愛護賞を通じて妻の思いを社会に伝え続けています。

2人の絆を理解するうえで大切なのは、結婚記念日や命日の数字だけではなく、鎧塚さんが現在も続けている仕事と社会貢献に目を向けることです。

川島なお美さんが残した思いは、夫婦の思い出の中だけにとどまらず、鎧塚さんの仕事や動物愛護活動を通じて、2026年の現在にも受け継がれています。


主な参照資料:テレビ朝日、オリコンニュース、日刊スポーツ、TBS NEWS DIG、フジテレビ、文春オンライン、エンジン01文化戦略会議、佐賀玉屋の2026年発表資料。

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コンテンツディレクター 黒木 涼
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映画・ドラマ担当として5年以上の取材経験。cinema領域の公式発表・配信元の告知を一次情報として確認し、確認できない情報は記事に含めない方針です。

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