ホーム 芸能ニュース・ゴシップ 【海外挑戦と高知時代】カブス11・レンジャーズ21・高知11の理由

【海外挑戦と高知時代】カブス11・レンジャーズ21・高知11の理由

黒木 涼 黒木 涼 • 更新: • 公開: • 読了約 9 分
目次

2013年、藤川は阪神を離れ、メジャーリーグへの挑戦を開始しました。シカゴ・カブス、テキサス・レンジャーズ、そして故郷の高知ファイティングドッグスへと所属先を移すなかで、背番号も変化しています。

シカゴ・カブスでは背番号11

2013年から2014年まで所属したシカゴ・カブスで着用したのは、背番号11です。

この番号には、藤川自身の個人的な思い入れがありました。

週刊ベースボールの2015年の取材記事では、藤川が11番について、子どもの頃から好きだった番号であり、巨人の斎藤雅樹に憧れていたことを選択理由として説明しています。

つまり、11番は球団から割り当てられただけの番号ではなく、藤川自身が以前から親しんでいた数字でもありました。

テキサス・レンジャーズでは背番号21

2015年にはテキサス・レンジャーズに移籍し、背番号21を着用しました。

藤川は阪神の監督就任会見でも、アメリカでは11番に続いて21番を着用したと振り返っています。

日刊スポーツの選手プロフィールでも、レンジャーズ時代の背番号は21番と記録されています。

高知ファイティングドッグスでは再び11番

2015年6月、藤川は四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスへの入団を発表しました。

故郷・高知での再出発に選んだ番号は、カブス時代と同じ11番です。

2015年6月8日の入団会見では、ユニフォーム姿も披露されました。日刊スポーツの報道でも、背番号11を着用して新天地での挑戦を始めたことが伝えられています。

この時期の11番には、メジャーでの経験を経て故郷に戻り、野球を続けるという新しい意味も重なりました。

【阪神復帰後の変遷】背番号18から22に戻った理由

藤川球児背番号

2016年の阪神復帰時は背番号18

2015年の高知でのプレーを経て、藤川は2016年に阪神へ復帰しました。

このときに着用した番号は18です。

阪神復帰後の最初のシーズンは18番でスタートし、先発投手として登板した後、シーズン途中からリリーフへ配置転換されました。

その後、球団は2016年11月17日に背番号変更を正式発表。藤川の番号を18から22に変更すると公表しました。新しい背番号22は2017年シーズンから使用されています。

2017年から引退まで再び22番

背番号22への復帰には、球団やファンからの期待もありました。

2016年11月20日の日刊スポーツの報道では、背番号変更に関して球団から「つけるのはお前しかいない」と伝えられたという藤川の話が紹介されています。

2017年から2020年の引退まで、藤川は再び22番を着用しました。

この期間には、2019年に通算150ホールドを達成するなど、ベテラン投手としても重要な役割を果たしました。

監督就任でも22番を選んだ理由

2024年10月15日、阪神の新監督に就任した藤川は、監督としても背番号22を背負うことが発表されました。

就任会見では、岡田彰布前監督との関係について次のように話しています。

岡田監督からもらっていなかった番号であれば、全くこだわりはなかったです。

この発言から分かるのは、22番が単に現役時代の実績を象徴するだけではないということです。

2004年オフに岡田監督から託され、投手として大きく成長するきっかけとなった番号だからこそ、指導者となった現在も特別な意味を持っています。

藤川自身は会見で、これまでに着用した番号や実績、周囲の印象を含めて、22番を背負うことを自然な流れとして受け止めていると説明しました。

2026年現在も、阪神の公式監督・コーチプロフィールには背番号22の藤川球児が掲載されています。

【誤解を整理】藤川球児の背番号で間違えやすい3つのポイント

歴代の番号を調べる際には、所属球団や着用時期を混同しないことが大切です。

1.背番号92は不調による降格だけが理由ではない

30から92への変更は、若手時代の藤川が苦しい状況にあった時期と重なっています。

そのため、背番号の数字が大きくなったことを、単純に期待度の低下や戦力外の予告と結びつける見方もあります。

しかし、92には「きゅうじ」という名前の語呂合わせがありました。変更の背景を考える際には、当時の成績やチーム内の立場と、番号に込められた意味を分けて理解する必要があります。

2.背番号11はカブスと高知、21はレンジャーズ

海外時代の番号を整理すると、次のようになります。

- カブス:11
- レンジャーズ:21
- 高知ファイティングドッグス:11

11番はカブス時代から高知時代まで共通しています。一方、21番はレンジャーズ時代の番号です。

藤川本人が監督就任会見でこの順番を説明しているため、海外時代の背番号を調べる際の重要な確認材料になります。

3.現在の22番は選手時代の番号を引き継いだもの

2026年の22番は、現役投手として登板するための背番号ではありません。

藤川は2020年限りで現役を引退し、2025年から阪神の監督を務めています。

現在の22番は、選手としての実績と岡田彰布とのつながりを引き継ぐ、監督としての背番号です。

この違いを理解すると、2017~2020年の選手時代と2025年以降の監督時代を正しく区別できます。

【プロの結論】藤川球児の背番号22が特別な理由

藤川球児の背番号の変遷を振り返ると、単なる所属球団の変更だけでは説明できない、選手としての成長の軌跡が見えてきます。

特に注目したいのは、30、92、22という阪神時代の3つの番号です。

30はドラフト1位としてプロの世界に飛び込んだ出発点。92は若手時代の苦しい時期と、名前にちなんだ個性を表す番号。そして22は、岡田彰布との出会いを経てリリーフ投手として大きく飛躍した時期を象徴します。

その後、11や21を背負って海外に挑戦し、高知では再び11番で新たなスタートを切りました。

そして阪神復帰後に18番を経験し、再び22番に戻っています。

22番が特別なのは、藤川球児が最も輝いた時期と、恩師から託された思いの両方が重なっているからです。

背番号を調べる際には、次の3点を判断基準にすると間違いがありません。

- 現在の番号を知りたい場合: 阪神公式の2026年監督プロフィールで22番を確認する。
- 現役時代の番号を知りたい場合: 2005~2012年、2017~2020年の22番を中心に整理する。
- 変更理由を知りたい場合: 92の名前の語呂合わせ、岡田監督による22番の提案、海外移籍後の11・21を区別する。

藤川球児の背番号に関するよくある質問(FAQ)

Q1:藤川球児の現在の背番号は何番ですか?

A1:2026年現在、阪神タイガースの一軍監督として背番号22を着用しています。球団公式の2026年度監督・コーチ一覧にも22番と掲載されています。

Q2:藤川球児が背番号92を着けていた理由は何ですか?

A2:名前の「球児(きゅうじ)」にちなんだ語呂合わせです。2002年から2004年まで阪神で着用しました。

Q3:藤川球児のカブス時代とレンジャーズ時代の背番号は何番ですか?

A3:シカゴ・カブスでは11番、テキサス・レンジャーズでは21番でした。高知ファイティングドッグスでは、カブス時代と同じ11番を着用しています。

まとめ:藤川球児の背番号22は現役時代から続く象徴

藤川球児の背番号は、1999年の阪神入団時の30番から始まり、92番、22番、海外時代の11番・21番、阪神復帰時の18番へと変遷しました。

その後、2017年から22番に戻り、2020年の現役引退まで着用。2025年に阪神監督へ就任した際にも、同じ22番を選びました。

2026年現在の背番号は22番。

この数字には、岡田彰布監督との出会い、JFKとしての活躍、阪神の守護神としての実績、そして指導者として新たなチームを率いる決意が重なっています。

藤川球児の背番号の歴史を知ることは、阪神の一人の若手投手が球界を代表する守護神へ成長し、監督として古巣に戻るまでの歩みを理解することにもつながります。

同じカテゴリの記事

黒木 涼
コンテンツディレクター 黒木 涼
プロフィールを見る →

映画・ドラマ担当として5年以上の取材経験。cinema領域の公式発表・配信元の告知を一次情報として確認し、確認できない情報は記事に含めない方針です。

おすすめの関連記事