西郷隆盛の写真が残っていない理由については、さまざまな説がある。そのなかでもよく知られているのが、本人が写真撮影を好まなかったという説だ。
この説を考えるうえで重要なのが、実子・西郷菊次郎の証言と、2024年に約100年ぶりに再発見された大久保利通宛ての書簡である。
息子・菊次郎が語った「父は一度も写真を撮らなかった」
西郷隆盛の写真について、息子の菊次郎が残したとされる証言がある。
「父は生前写真というものは唯の一度もとったことがありません」
この証言は、写真を一枚も残さなかった西郷の事情を考えるうえで、重要な手掛かりとなっている。
単に写真が失われたというだけでなく、そもそも本人が撮影を受け入れなかった可能性を示す証言だからだ。
ただし、息子の証言だけで、あらゆる撮影機会がなかったと断定することはできない。NHKが取り上げた横浜港での撮影可能性も含め、本人が知らないところで撮影されていた可能性は残されている。
2024年3月、大久保利通宛ての直筆書簡が再発見
2024年3月22日、滋賀県は西郷隆盛が大久保利通に宛てた直筆書簡が約100年ぶりに再発見されたと発表した。
この書簡は全長約4.75メートル。1872年(明治5年)、岩倉使節団としてアメリカに滞在していた大久保に向けて、西郷が国内の情勢や島津家の状況などを伝えたものと考えられている。
書簡は1927年刊行の『大西郷全集』第2巻に写真付きで紹介されていたが、その後、原本の所在が分からなくなっていた。
再発見につながったのは、2023年9月に大津市の個人から滋賀県立琵琶湖文化館へ寄託された資料だった。過去の出版物に掲載された写真との照合や筆跡の確認を経て、西郷自筆の原本と確認された。
加えて、書簡と同じ巻子には、弟の西郷従道が兄の真筆であることを認めた鑑定書も残されていた。単なる古文書の発見ではなく、資料の伝来過程まで確認できた点に大きな価値がある。
「醜体」という言葉に表れた西郷の写真観
この書簡が特に注目された理由は、追伸部分に大久保利通の肖像写真について触れた記述があることだ。
西郷は大久保の写真を「醜体」と評している。自分とは対照的に写真を残していた大久保の姿を、親しい間柄ならではの率直な表現で批評していたのだ。
大久保利通は岩倉使節団の一員として欧米を訪問し、洋装姿の写真も残している。西郷と大久保の間で、写真に対する態度が異なっていたことが分かる興味深い史料だ。
ただし、この一言だけで西郷が写真を嫌った理由まで説明できるわけではない。大久保への親しい冗談だった可能性もあり、写真嫌いの動機そのものを直接証明する記述ではない。
また、西郷が暗殺を恐れて顔写真を残さなかったという説も紹介されることがあるが、確定した史実として扱えるだけの裏付けは確認されていない。
現状では、菊次郎の証言と書簡の記述を合わせると、本人が写真撮影に積極的ではなかった可能性は考えられるものの、その具体的な理由は分かっていない。
この書簡は、2024年5月27日から9月26日まで滋賀県公文書館で公開され、同年9月21日から11月24日までは観峰館でも展示された。
【プロの結論】西郷隆盛の写真発見説を見極める5つのポイント
西郷隆盛の写真をめぐる情報は、本人の写真、親族の写真、肖像画、集合写真、AI解析という異なる資料が混在している。ニュースの見出しだけを読むと、親族の写真発見が本人の写真発見として伝わってしまうこともある。
歴史資料を見極める際には、次の5つの基準が役立つ。
- 撮影年月日:西郷が生存していた1877年以前の撮影か。
- 撮影場所:写真館や撮影者、撮影地域が具体的に特定できるか。
- 来歴:誰が所有し、どのような経緯で伝わった写真なのか。
- 人物照合:同時代の肖像写真や親族の証言と比較できるか。
- 専門家の検証:写真史や歴史学の専門家による調査・鑑定が行われているか。
特に重要なのは、写真の裏書きや家族の伝承だけで人物を確定しないことだ。撮影年代、写真師の記録、人物の経歴、同時代の別資料などを組み合わせることで、初めて信頼性の高い人物特定につながる。
また、AI顔認証は有力な補助手段だが、古写真では画像の劣化や年齢差などの問題がある。AIの結果だけで歴史的事実を決めるのではなく、文献や写真史研究と照らし合わせることが欠かせない。
西郷隆盛の写真発見説は、単なる珍しい画像の真偽をめぐる話ではない。写真という近代的な記録媒体が普及していく時代に、なぜ一人の重要人物の姿だけが残らなかったのかという、歴史資料の保存と記憶の問題でもある。
【西郷隆盛の写真発見】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:西郷隆盛本人の写真は2026年現在も見つかっていないのですか?
A1:はい。2026年11月4日現在、本人の生前写真として公的に確認・確定されたものは見当たらない。近年発見されたのは菊次郎、寅太郎、酉三ら親族の写真である。
Q2:西郷隆盛の写真といわれるフルベッキ写真は本物ですか?
A2:フルベッキ写真自体は実在する古写真だが、そこに西郷隆盛が写っているという説には根拠が乏しい。2024年の日本写真学会誌掲載研究では、AI顔認証による比較で西郷の肖像画との類似度が9.3%となり、本人である可能性は低いとされた。
Q3:西郷隆盛の肖像画は誰が描いたのですか?
A3:イタリア人画家エドアルド・キヨッソーネが1883年に制作した。西郷従道と大山巌の顔立ちを参考にした没後の肖像画で、本人の生前写真をもとにした作品ではない。
Q4:西郷隆盛はなぜ写真を撮らなかったのですか?
A4:息子の菊次郎は、父が生前一度も写真を撮らなかったと証言している。暗殺を警戒していたという説もあるが、写真を避けた具体的な理由は確定していない。
Q5:2024年に発見された西郷隆盛の写真とは何ですか?
A5:2024年3月に発表されたのは、末っ子の酉三が写った1892年ごろの家族写真である。本人の写真ではないが、酉三の肖像として初めて確認された貴重な資料だ。
Q6:NHKの2025年の追跡取材で西郷隆盛の写真は見つかりましたか?
A6:本人の写真が発見されたという結果には至っていない。1871年の岩倉使節団出発時に西郷が横浜港で撮影された可能性が調査の手掛かりとして浮上し、アメリカに資料が残っている可能性が示された。
まとめ:西郷隆盛本人の写真は未発見、しかし新たな発見の可能性は残る
西郷隆盛の写真発見説をめぐる最大の要点は、親族の写真が相次いで発見されたことと、本人の生前写真が発見されたことを混同しないという点にある。
2023年には菊次郎、寅太郎、隆準らの1885年の写真が確認され、2024年には末っ子・酉三の写真も発見された。加えて、約100年間所在不明だった大久保利通宛ての直筆書簡も再発見され、西郷の写真に対する姿勢を知る手掛かりが増えた。
2025年のNHK追跡取材では、岩倉使節団の横浜港出発という新たな探索の可能性も示された。フルベッキ写真についても、2024年のAI顔認証研究によって、従来の俗説を見直す科学的な材料が提示されている。
2026年現在、西郷隆盛本人の写真は依然として確認されていない。しかし、海外の新聞社の写真資料や旧家に残された未整理のアルバムなど、今後調査が進む余地はある。
もし本人の生前写真が見つかれば、明治維新の中心人物の実際の容貌を知るだけでなく、キヨッソーネの肖像画や上野の銅像に受け継がれてきた西郷像を検証し直す大きな機会になる。西郷隆盛の本当の顔をめぐる謎は、まだ完全には終わっていない。