西郷隆盛の顔として最も広く知られているのが、エドアルド・キヨッソーネによる肖像画だ。
写真のように精密に描かれているため、インターネット上では本物の写真と誤解されることもある。しかし、この作品はカメラで撮影されたものではなく、複数の人物の顔立ちを参考に制作された肖像画である。
制作者エドアルド・キヨッソーネとは?
キヨッソーネ(Edoardo Chiossone)はイタリア出身の画家・版画家で、明治時代に日本政府に招かれ、大蔵省印刷局で活動した人物だ。
日本の近代印刷技術や肖像表現の発展に関わり、明治政府の要人を描いた作品でも知られている。
西郷隆盛の肖像画には、1883年を示す署名が残されている。
注目すべきなのは、制作された時期だけではない。キヨッソーネは西郷本人の写真をもとに描いたのではなく、親族の顔立ちなどを参考にして作品を完成させたとされている。
西郷従道と大山巌の顔がモデルになった理由
鹿児島県立図書館の解説によると、肖像画の顔の上部は弟の西郷従道、下部は従弟の大山巌を参考にしている。
この二人の顔立ちを参考にしながら、さらに西郷を知る人々の証言や印象を取り入れて、本人らしい肖像に仕上げられたとされる。
つまり、現在の西郷隆盛の顔として定着しているイメージは、本人の実際の顔を直接撮影した記録ではなく、親族の身体的特徴と周囲の記憶を組み合わせて再現されたものなのだ。
西郷隆盛の本当の顔は分かるのか?
ここで注意したいのは、肖像画が西郷の顔を正確に再現していると断定できないことだ。
従道と大山巌は血縁者であるため、顔の特徴を参考にすることには一定の合理性がある。
しかし、顔の上半分と下半分を参考にしたからといって、完成した肖像画が本人と完全に一致するわけではない。
実際の顔立ち、表情、目元、頬の形などを写真で照合することはできない。
西郷隆盛の素顔は、本人を知る人々の証言や複数の肖像画を手掛かりに考えるほかないのである。
【写真鑑定の結論】東京歯科大学・橋本正次の研究と2024年のAI分析
西郷隆盛の写真発見説を検証するうえで、重要な研究が二つある。
一つはノンフィクション作家・斎藤充功による写真候補の調査と法人類学的な鑑定、もう一つは2024年に日本写真学会誌で発表されたフルベッキ群像写真の顔認証研究だ。
この二つは、検証方法も研究の位置付けも異なる。
橋本正次教授による法人類学的な写真鑑定
斎藤充功の著書『消された「西郷写真」の謎』は2014年4月に刊行された。
その後、2020年には『禁じられた西郷隆盛の「顔」』として改題・増補改訂版が出版されている。
同書では、これまで西郷隆盛本人の写真と主張されてきた複数の古写真を収集し、東京歯科大学の橋本正次教授に鑑定を依頼した経緯が紹介されている。
出版社が公開する書誌情報では、第8章に法人類学による鑑定が取り上げられ、巻末資料には鑑定書が収録されている。
ここでいう法人類学とは、人体や顔の形態的特徴を分析し、人物の同一性などを検討する学問分野である。
顔の輪郭、骨格、各部位の位置関係などを比較することで、写真に写った人物の候補を絞り込むことができる。
ただし、橋本教授による鑑定は同書で紹介されている研究であり、国立の公的機関による西郷本人写真の認定や、日本写真学会の査読論文による真正性の確定とは異なる。
鑑定を依頼した事実と、歴史的に真正な写真として認定された事実を混同してはいけない。
2024年の日本写真学会誌で発表された顔認証研究
2024年5月20日、日本写真学会誌第87巻第2号に、杏林大学の伊藤泰雄による論文が掲載された。
論文タイトルは「顔認証技術を用いた古写真の人物特定~『フルベッキ写真』への応用~」。
公開日は2024年6月10日である。
この研究では、Amazon Web Servicesの顔認証サービス「Amazon Rekognition」を使用し、フルベッキ群像写真に写っている人物を調べた。
研究の要点は、従来の目視による人物特定だけに頼らず、実在が確認できる人物の写真と比較して客観的な検討を行ったことだ。
主な結果は次のとおり。
| 比較対象 | 顔認証の類似度 | 判定 |
|---|---|---|
| 岩倉具定 | 99.9% | 同一人物 |
| 岩倉具経 | 99.8% | 同一人物 |
| 西郷隆盛 | 9.3% | 同一人物ではない |
| 西郷従道 | 0.2% | 同一人物ではない |
| 坂本龍馬 | 78.0% | 同一人物ではない |
特に注目したいのは、西郷隆盛の類似度がわずか9.3%だったことだ。
ただし、ここには重要な研究上の条件がある。
西郷隆盛の本人写真は現存していないため、研究ではキヨッソーネが描いた肖像画を比較用の画像として使用している。
つまり、本人の真正な写真と群像写真を直接比較したわけではない。
それでも、フルベッキ群像写真の特定の人物を西郷隆盛とする説について、客観的な検討材料を提供したことは大きい。
AI顔認証だけで歴史上の人物を断定できない理由
同論文は、顔認証技術の限界についても説明している。
Amazon Rekognitionは、同一人物と判定するための類似度の基準が高く設定されていると考えられ、撮影時期の違いや写真の画質によって、本人でも別人と判定される可能性がある。
これを偽陰性という。
また、坂本龍馬の比較では78.0%という比較的高い類似度が出たものの、写真の撮影時期を考えると本人が写っているはずがない。
この結果は、顔の似ている度合いだけで人物を特定することの危険性を示している。
写真の撮影時期、人物の経歴、画像の出所、顔の特徴を組み合わせて判断することが必要なのだ。
【2026年最新】西郷隆盛の本人写真を見分ける4つの判断基準
2026年11月現在、西郷隆盛の真正な写真が新たに公的認定されたという確かな発表は確認できない。
では、今後新しい写真が見つかった場合、どのような点を調べれば本人かどうか判断できるのだろうか。
歴史写真を検証する際には、次の4点が重要になる。
1. 写真の撮影年月日と場所が確認できるか
最初に確認するべきなのは、写真の撮影時期である。
写真に写った人物が西郷隆盛だと主張されていても、撮影年月日が本人の死亡後であれば、その説は成立しない。
フルベッキ群像写真の問題も、撮影時期の検証が重要な意味を持った。
2. 写真の原本と所有履歴が明らかか
古写真は、後世に複製されたり、説明文が書き換えられたりすることがある。
そのため、次の情報を確認する必要がある。
- 原版や当時のプリントが残っているか。
- 撮影者や写真館が特定できるか。
- いつ、誰が所有していたのか。
- 写真の裏面や台紙に当時の記録があるか。
- 発見以前の保管履歴が説明できるか。
特に、出所が分からない写真に後から人物名を書き加えたものは、慎重な扱いが必要だ。
3. 同時代の人物写真と比較できるか
西郷隆盛の顔を直接比較できる真正な写真がない以上、親族や同時代の人物の写真を参考にする方法が考えられる。
西郷従道や大山巌の肖像写真は、キヨッソーネの作品がどのように制作されたかを考える手掛かりにもなる。
ただし、血縁者に似ているという理由だけでは本人と認定できない。
4. 複数の専門家による検証があるか
本当に歴史的な発見と呼べる写真なら、写真史、近代史、法人類学、古写真保存など複数の専門分野から検証されることが望ましい。
一人の研究者や一つの顔認証サービスによる結果だけでなく、独立した調査によって同じ結論が得られるかが重要になる。
【プロの結論】写真発見説を判断するために知っておきたいこと
西郷隆盛の写真問題で最も大切なのは、次の3段階を混同しないことだ。
1. 発見された写真: 西郷が写っている可能性を指摘された写真。
2. 鑑定された写真: 顔の特徴や撮影年代などについて専門的な調査が行われた写真。
3. 真正性が確認された写真: 出所や撮影時期、人物の同一性などが複数の証拠によって裏付けられた写真。
この3段階は、同じ意味ではない。
写真が発見されたというニュースだけで判断せず、誰が、どの資料を使って、どのような検証をしたのかを確認することが、歴史情報を正しく理解するための近道となる。
西郷隆盛の写真発見に関するよくある質問(FAQ)
Q1:西郷隆盛の本物の写真は存在するのですか?
A1:2026年11月現在、本人が写っていると確実に認定された写真は確認されていない。広く知られている肖像は、1883年にキヨッソーネが制作した肖像画である。
Q2:フルベッキ群像写真に西郷隆盛が写っているという説は本当ですか?
A2:西郷が写っているという説は広まっていたが、2024年の日本写真学会誌掲載論文では、顔認証による比較で類似度9.3%となり、同一人物ではないと判定された。
Q3:西郷隆盛が写真嫌いだった理由は何ですか?
A3:本人が理由を明確に説明した記録は確認されていない。息子の菊次郎は父が生前に一度も写真を撮らなかったと証言している。また、西郷が大久保利通の肖像写真を批判した書簡も残されている。
Q4:西郷隆盛の肖像画は誰をモデルにしたのですか?
A4:キヨッソーネの肖像画では、顔の上部に実弟の西郷従道、下部に従弟の大山巌の顔立ちが参考にされたと、鹿児島県立図書館が解説している。
Q5:東京歯科大学の橋本正次教授は何を鑑定したのですか?
A5:斎藤充功の著書では、西郷隆盛本人の写真とされる複数の古写真について、橋本正次教授に法人類学的な鑑定を依頼した経緯が紹介されている。鑑定の詳細は同書の本文と巻末資料で確認する必要があり、公的な真正写真認定とは区別される。
Q6:2026年に西郷隆盛の新しい写真が発見されたというニュースはありますか?
A6:2026年11月現在、本人の真正写真が新たに発見・認定されたとする確かな公的発表は確認できない。2024年に話題となった発見資料は写真ではなく、西郷自筆の書簡である。
まとめ:西郷隆盛の本当の顔が分かる写真は今後発見されるのか
西郷隆盛の写真発見説をめぐる調査から見えてくるのは、本人の写真が残っていないという歴史的な空白と、その空白を埋めようとして生まれた数々の肖像や写真候補の存在である。
今回確認した重要な事実を振り返る。
- 鹿児島県立図書館は、西郷本人の写真は存在せず、キヨッソーネの肖像画が最も古い肖像画だと説明している。
- 1883年の肖像画は、西郷従道と大山巌の顔立ちを参考に制作された。
- フルベッキ群像写真については、2024年の顔認証研究で西郷本人との同一性が否定された。
- 2014年以降、斎藤充功らによる写真候補の調査や法人類学的鑑定が紹介されてきた。
- 2024年には西郷自筆の書簡が再発見されたが、本人の写真ではない。
西郷隆盛は、明治維新を代表する歴史的人物でありながら、その実際の顔を直接伝える写真が確認されていないという、非常に珍しい存在だ。
今後、旧家の蔵や海外の写真コレクション、未整理の歴史資料から新しい写真が見つかる可能性は残されている。
もし本当に本人の写真が発見されれば、明治維新史だけでなく、西郷隆盛の人物像や肖像画の成立過程を見直す大きな契機になるはずだ。
2026年現在の答えは「西郷隆盛の本人写真が発見されたとは確認できない」。そして、私たちが知っている西郷の顔は、写真ではなく、歴史に残された証言と肖像画によって伝えられてきたものなのである。