元大関・琴奨菊は、2026年現在、日本相撲協会に所属する秀ノ山親方(14代秀ノ山)として、東京都墨田区の秀ノ山部屋を率いています。2020年11月場所で現役を引退した後、佐渡ヶ嶽部屋付きの親方として後進を指導。2024年10月19日には独立を果たし、110年ぶりに秀ノ山部屋の名称を復活させました。
現役時代には、福岡県柳川市出身の力士として大関まで昇進し、2016年初場所では日本出身力士として10年ぶりとなる幕内優勝を達成。代名詞の「がぶり寄り」や、取組前に上体を大きく反らす「琴バウアー」でも知られています。通算成績は828勝676敗41休、幕内優勝1回。引退から6年が経過した2026年は、親方として弟子の育成や地域交流に力を注いでいます。
【2026年最新】琴奨菊の現在は秀ノ山親方!引退後の活動を紹介
2026年11月現在、琴奨菊は現役時代の四股名ではなく、秀ノ山和弘(ひでのやま・かずひろ)として活動しています。
日本相撲協会の年寄プロフィールによると、1984年1月30日生まれの42歳。出身地は福岡県柳川市で、所属部屋は自身が師匠を務める秀ノ山部屋です。協会内では委員として登録されています。
現在の主な仕事は力士の育成と部屋の運営
秀ノ山親方の中心的な仕事は、弟子の稽古指導と相撲部屋の運営です。
現役時代に大関まで上り詰め、長期間にわたって幕内で戦った経験は、若い力士にとって貴重な指導材料になります。大関昇進、幕内優勝、故障による番付降下、そして引退という一連の経験を持つからこそ、勝つための技術だけでなく、苦しい時期の過ごし方も伝えられる立場です。
秀ノ山部屋の公式サイトでは、部屋の理念として「忍耐」「集中」「継続」を掲げています。また、親方自身は自分を超える力士を育てたいという目標を示しています。
2026年も地域交流や社会貢献活動を継続
2026年2月18日には、秀ノ山親方が部屋の力士7人とともに兵庫県赤穂市の赤穂中央病院を訪問しました。
2026年2月20日付の赤穂民報によると、病院内で入院患者と交流したほか、付属施設では四股やすり足などの相撲の基本動作を披露。市民が参加できるぶつかり稽古体験も行われました。
同病院を運営する医療法人伯鳳会の古城資久理事長は、現役時代から秀ノ山親方を支援しており、2024年に開設した部屋の土地も提供したと報じられています。今回の訪問には、長年の支援に対する感謝を伝える意味もありました。
また、2026年9月には柳川市出身の誠雄を含む部屋の8人が秋場所に出場。柳川市が公表した星取表では、5人が勝ち越しを記録しました。地元自治体とのつながりも、部屋の活動を支える重要な要素となっています。
2026年の活動を見ると、秀ノ山親方は単に元大関として相撲界に残っているのではなく、弟子の育成、地域との交流、相撲文化の普及という複数の役割を担っています。
【プロフィール・経歴】琴奨菊の出身地から大関昇進までの歩み
琴奨菊の本名は菊次一弘。1984年1月30日、福岡県柳川市に生まれました。
相撲との出会いは幼少期です。秀ノ山部屋の公式プロフィールによると、小学校3年生だった1991年に、元横綱琴櫻の先代佐渡ヶ嶽親方と出会ったことが、相撲界に進むきっかけになりました。
高知県の明徳義塾中学校・高校に相撲留学し、学生時代から実力を発揮。中学時代には中学生横綱となり、高校でも全国レベルの実績を残しました。
琴奨菊の主要経歴・年表
現役時代から親方への転身までを整理すると、次のようになります。
| 時期 | 人物・組織との関係 | 主な出来事・実績 |
|---|---|---|
| 1991年 | 先代佐渡ヶ嶽親方(元横綱琴櫻) | 小学校3年生で出会い、相撲界への道が開かれる。 |
| 2001年12月 | 佐渡ヶ嶽部屋 | 部屋に入門。 |
| 2002年1月 | 日本相撲協会 | 初土俵。琴菊次の四股名でスタート。 |
| 2005年1月 | 幕内昇進 | 新入幕を果たす。 |
| 2007年3月 | 三役昇進 | 新関脇に昇進。 |
| 2011年11月 | 日本相撲協会 | 新大関に昇進。大関在位32場所。 |
| 2016年1月 | 大関豪栄道ら | 初場所で14勝1敗。幕内初優勝。 |
| 2020年11月15日 | 日本相撲協会 | 現役引退と年寄「秀ノ山」襲名が承認される。 |
| 2022年10月1日 | 引退相撲・襲名披露 | 引退秀ノ山襲名披露大相撲を開催。 |
| 2024年10月19日 | 日本相撲協会理事会 | 秀ノ山部屋が新設され、独立を実現。 |
| 2026年 | 秀ノ山部屋 | 師匠として8人の力士を指導。地域交流や育成活動を継続。 |
日本相撲協会の公式記録では、琴奨菊は2002年初場所で初土俵を踏み、2005年初場所で新入幕。2011年11月場所には大関へ昇進しました。
大関昇進時の口上は「万里一空」
2011年の大関昇進は、琴奨菊のキャリアにおける大きな転換点でした。
昇進伝達式で述べた口上は「万里一空」。一つの目標に向かって努力を続けるという意味を持つ言葉です。
この口上は、その後の相撲人生を象徴するものにもなりました。大関在位中には優勝を期待されながらも、なかなか賜杯に届かない時期が続きます。それでも大関の地位を32場所にわたって守り続けました。
2017年1月場所を最後に大関から陥落しましたが、その後も現役を続行。幕内復帰を目指して土俵に立ち続けた姿も、琴奨菊のキャリアを語るうえで欠かせません。
【2016年初場所】琴奨菊が幕内初優勝!日本出身力士10年ぶりの快挙
琴奨菊の現役時代を代表する出来事といえば、2016年1月の初場所での幕内初優勝です。
当時31歳だった琴奨菊は、初日から好調を維持し、千秋楽まで優勝争いをリード。最後は大関豪栄道を破り、14勝1敗で自身初の幕内優勝を達成しました。
日本出身力士として10年ぶりの優勝
この優勝が特別な意味を持ったのは、当時の大相撲の状況にあります。
日本出身力士による幕内優勝は、2006年初場所の大関・栃東以来、約10年ぶりでした。外国出身力士が優勝を重ねていた時期に、日本出身の大関が賜杯を手にしたことは大きな話題となりました。
日刊スポーツの2016年1月24日付報道では、琴奨菊の優勝は初土俵から84場所目、新入幕から66場所目での初優勝としても紹介されています。時間をかけて積み重ねてきた努力が、ようやく結果につながった場所でした。
優勝後は横綱昇進への期待も高まった
初優勝を受けて、次に注目されたのは横綱昇進でした。
大関として優勝した琴奨菊には綱取りへの期待が集まり、翌3月場所では横綱昇進を目指すことになります。しかし、その後は優勝争いで苦戦し、横綱昇進は実現しませんでした。
ここで押さえておきたいのは、横綱になれなかったことと、大関としての実績が乏しいことは別だという点です。大関在位32場所、幕内優勝1回という記録は、長く幕内上位で戦い続けた実力を示しています。
琴奨菊の通算成績と受賞歴
日本相撲協会の公式プロフィールに掲載されている生涯戦歴は、次のとおりです。
- 生涯戦歴:828勝676敗41休(112場所)
- 幕内戦歴:718勝621敗41休(92場所)
- 大関在位:32場所
- 幕内優勝:1回
- 十両優勝:1回
- 殊勲賞:3回
- 技能賞:4回
- 金星:3個
特に注目したいのは、幕内勝利718勝という数字です。引退当時、幕内勝利数は歴代6位、幕内在位92場所は歴代7位と報じられていました。
優勝回数だけでは測れない、長期にわたる安定した実績が琴奨菊の強みでした。
【がぶり寄り・琴バウアー】琴奨菊の相撲が人気を集めた理由
琴奨菊の名前を聞いて、豪快な「がぶり寄り」を思い出す相撲ファンは少なくありません。加えて、取組前に上体を大きく反らす「琴バウアー」も、彼を象徴するパフォーマンスとして知られています。
得意技のがぶり寄りとは?
がぶり寄りとは、相手の体に密着し、腰や上体を上下に揺さぶるようにしながら前進して寄り切る攻め方です。
琴奨菊は左四つの形から相手を起こし、前へ前へと圧力をかける相撲を得意としていました。相手に十分な体勢を整えさせず、土俵際まで一気に追い込む力強さが持ち味です。
特に、相手の上体を起こしながら休まず前進する姿は迫力があり、観客にも分かりやすい魅力がありました。
一方、前に出る攻めを重視する相撲は、立ち合いの変化や相手のいなしに対応しなければならない難しさもあります。自分の形に持ち込めるかどうかが勝敗を左右する、特徴のはっきりした取り口でした。
琴バウアーの由来は荒川静香のイナバウアー
琴バウアーとは、塩をまく直前などに両腕を広げ、上半身を大きく反らす琴奨菊独自のルーティンです。
フィギュアスケートの荒川静香さんがトリノ五輪で披露したイナバウアーを連想させることから、ファンや報道陣の間で「琴バウアー」「菊バウアー」という呼び方が生まれました。
日刊スポーツの2016年2月16日付報道によると、琴奨菊は日本記者クラブでの会見で、このポーズの正式な呼び名を決める場面を設けました。女性記者にどちらがよいか尋ねたところ、「琴バウアー」という回答があり、その名称に統一されました。
なお、この動作は相撲の決まり手ではありません。取組前に気持ちを整えるためのルーティンであり、琴奨菊の個性を象徴するパフォーマンスです。
琴奨菊自身も、取組前の動作について、迷いを消して決めたことを実行するためのものだと説明していました。
技術的な強さと、見る人の記憶に残る独自のルーティン。その両方を備えていたことが、琴奨菊が多くの相撲ファンに親しまれた理由の一つです。
【2020年11月場所】琴奨菊の引退理由は?左ふくらはぎの負傷と決断
琴奨菊は2020年11月場所の8日目にあたる11月15日、現役引退を発表しました。36歳で、約19年間に及ぶ力士生活に幕を下ろしました。
引退の大きな要因は体が思うように動かなくなったこと
引退に至る背景には、度重なるけがと身体的な衰えがありました。
2020年9月の秋場所では左ふくらはぎを肉離れし、途中休場。西前頭11枚目だった番付から、翌11月場所では15年ぶりに十両へ陥落しました。
幕内復帰を目指して臨んだ11月場所でも、序盤から苦戦。6日目までの成績は1勝5敗でした。
引退会見で本人は、次のように語っています。
「体が言うことを聞かず、ここが自分の終わりと思って決断した」
(2020年11月15日、デイリースポーツの引退会見報道より)
日刊スポーツの同日付報道によると、琴奨菊は5日目終了後に師匠の佐渡ヶ嶽親方へ引退の意向を伝えていました。一度は慰留され、翌日の稽古を行ったものの、6日目の朝に体が動かないと感じ、最後の決断を固めたといいます。
最後の取組前に披露した琴バウアー
引退を決めた琴奨菊は、最後の取組前に封印していた琴バウアーを披露しました。
2020年11月場所6日目、千代ノ皇との取組前のことです。
本人は、勝っても負けてもこの一番で終わろうと考え、自分にできることをすべて出し切り、応援してくれた人たちに感謝を伝えたかったと説明しています。
琴奨菊にとって琴バウアーは単なるパフォーマンスではなく、気持ちを整え、自分らしい相撲を取るための大切な習慣でした。最後の土俵でその動作を披露したことには、現役時代の自分を最後まで貫く意味もあったと受け取れます。
引退後は秀ノ山親方として後進を指導
日本相撲協会は2020年11月15日の理事会で、琴奨菊の引退と年寄「秀ノ山」の襲名を承認しました。
引退後は佐渡ヶ嶽部屋付きの親方となり、若手力士の指導に携わりました。2022年10月1日には引退相撲と秀ノ山襲名披露大相撲が開催され、約20年間の現役生活に正式な区切りをつけています。
引退会見では、自身の経験を弟子たちに伝え、苦しい時期にいる力士にその先の光景を見せられるような指導をしたいという考えも示していました。
土俵で勝つことから、次世代の力士を育てることへ。琴奨菊の相撲人生は、引退によって新しい段階に進んだのです。
【2024年独立】秀ノ山部屋の設立経緯と2026年の所属力士
琴奨菊の引退後の大きな転機となったのが、2024年の秀ノ山部屋独立です。
佐渡ヶ嶽部屋で後進の指導に当たっていた秀ノ山親方は、自分自身の部屋を持ち、独自の方針で若い力士を育てる道を選びました。
2024年10月19日に秀ノ山部屋が正式に誕生
日本相撲協会は2024年9月26日の理事会で、秀ノ山部屋の新設を承認しました。正式な独立日は2024年10月19日です。
部屋の所在地は東京都墨田区東向島4丁目。佐渡ヶ嶽部屋から転属した4人の力士とともにスタートしました。
転属したのは、当時の四股名で琴高口、琴宗形、琴元村、琴花城の4人です。いずれも序二段の力士でした。
この独立には歴史的な意味もあります。秀ノ山部屋という名称は、1914年に閉鎖されて以来、約110年ぶりに復活しました。
秀ノ山部屋の公式サイトによると、新しい部屋の建物は2024年12月16日に完成し、初稽古が行われています。
秀ノ山部屋の指導理念
秀ノ山親方が掲げる指導理念は「忍耐」「集中」「継続」です。
公式プロフィールでは、力士一人ひとりと向き合い、基礎を大切にしながら成長を支える方針を説明しています。将来的には、自分を超える力士、そして横綱を育て上げることを夢として掲げています。
現役時代の琴奨菊は、がぶり寄りを武器に前へ出る相撲を徹底していました。その経験を持つ親方が、基本動作や粘り強さを重視する指導を行うことは、部屋の特色の一つといえます。
2026年11月場所の所属力士は8人
2026年11月4日時点で、日本相撲協会の秀ノ山部屋紹介ページには8人の所属力士が掲載されています。
- 幕下:誠雄(西幕下55枚目)
- 三段目:菊ノ城(東三段目57枚目)
- 序二段:添田山(東序二段8枚目)
- 序二段:康誠(西序二段20枚目)
- 序二段:出野(西序二段39枚目)
- 序二段:菊昇基(東序二段47枚目)
- 序ノ口:美浪(西序ノ口7枚目)
- 序ノ口:杣乃心(東序ノ口17枚目)
注目したいのは、部屋の所属力士が着実に番付を上げていることです。
柳川市が公表した2026年9月場所の星取表によると、誠雄は5勝2敗、菊ノ城は4勝3敗、康誠も5勝2敗を記録しました。添田山と出野も4勝3敗で勝ち越しています。
9月場所の結果を受けて、11月場所では誠雄が幕下へ復帰。康誠も番付を上げました。
一方、2026年11月場所の番付では、部屋に所属する力士の中に幕内・十両の関取はいません。これは独立から約2年の新しい部屋が、まだ関取の育成という次の目標を目指す段階にあることを示しています。
現在の秀ノ山部屋は、東京都墨田区を拠点にしながら、大阪・名古屋・九州場所でも宿舎を設けています。特に九州場所では、親方の故郷である柳川市とのつながりを大切にしています。
【琴奨菊の疑問を解決】現在・引退・秀ノ山部屋に関するよくある質問(FAQ)
Q1:琴奨菊は2026年現在、何をしていますか?
A1:元大関・琴奨菊は、14代秀ノ山親方として秀ノ山部屋を率いています。弟子の稽古指導や部屋の運営を中心に、地域交流や相撲普及活動にも取り組んでいます。
Q2:琴奨菊の引退理由は何ですか?
A2:2020年9月場所で左ふくらはぎを負傷したことなどで体調が悪化し、11月場所でも思うように相撲が取れなくなったためです。本人は引退会見で、体が言うことを聞かなくなったことを決断の理由として説明しました。
Q3:琴奨菊はいつ秀ノ山部屋を設立しましたか?
A3:2024年10月19日です。日本相撲協会の理事会で新設が承認され、佐渡ヶ嶽部屋から4人の力士が転属しました。110年ぶりに秀ノ山部屋の名称が復活したことでも話題になりました。
Q4:琴奨菊の通算成績は何勝ですか?
A4:生涯戦歴は828勝676敗41休(112場所)です。幕内では718勝621敗41休を記録し、幕内優勝は1回、技能賞4回、殊勲賞3回を獲得しています。
Q5:琴奨菊の琴バウアーとは何ですか?
A5:取組前に両腕を広げて上半身を大きく反らすルーティンです。フィギュアスケートのイナバウアーになぞらえて名付けられ、2016年2月に「琴バウアー」という呼び方に統一されました。相撲の決まり手ではありません。
Q6:秀ノ山部屋には2026年現在、何人の力士がいますか?
A6:2026年11月場所の日本相撲協会公式ページでは8人が掲載されています。幕下の誠雄をはじめ、三段目、序二段、序ノ口の力士が所属しています。
まとめ:【プロの結論】琴奨菊の現在と今後の秀ノ山部屋に注目
元大関・琴奨菊は、2026年現在、秀ノ山親方として新しい相撲部屋を率いています。
現役時代は2011年の大関昇進、2016年初場所の幕内初優勝、通算828勝という輝かしい記録を残しました。一方、2020年11月場所ではけがと身体的な限界を理由に引退を決断。約20年間の現役生活を終えた後も、相撲界に残り、指導者としての道を歩んでいます。
2024年10月の秀ノ山部屋独立は、その歩みの中でも特に大きな出来事でした。110年ぶりに部屋の名称を復活させ、2026年には8人の力士を抱えるまでになっています。
今後の秀ノ山部屋を評価する際に注目したい要点は、次の3つです。
- 関取の育成:幕下以下の力士が十両、幕内へと昇進できるか。
- 指導理念の実践:現役時代の経験を生かし、忍耐・集中・継続を重視する育成がどのような成果につながるか。
- 地域とのつながり:東京の部屋を拠点に、柳川市や地方場所の地域社会とどのような関係を築くか。
琴奨菊の評価は、幕内優勝1回や通算勝利数だけで終わるものではありません。長く大関を務め、故障や番付降下を経験しながらも土俵に立ち続けた経験を、次の世代にどう伝えていくか。その成果こそが、秀ノ山親方としての新たな実績になっていきます。
「がぶり寄り」で前へ出続けた元大関は、今度は師匠として弟子たちを前へ進ませる立場になりました。秀ノ山部屋から将来の関取、そして親方自身が掲げる横綱が誕生するか。2026年以降も、その挑戦に注目が集まります。
主な確認資料: 日本相撲協会公式プロフィール・理事会発表、秀ノ山部屋公式サイト、柳川市公表資料、日刊スポーツ、デイリースポーツ、赤穂民報の報道。