三重ノ海剛司(みえのうみ・つよし)さんは、2026年11月現在、78歳を迎えた元大相撲第57代横綱です。本名は石山五郎。現役時代には幕内優勝3回、全勝優勝1回という実績を残し、引退後は武蔵川親方として武蔵丸や武双山、出島、雅山らを育てました。さらに2008年には日本相撲協会の理事長に就任し、角界の運営にも携わっています。
気になる現在の生活については、2025年11月17日付の日刊ゲンダイの本人取材が詳しく伝えています。相撲博物館館長を退任した後の暮らしや健康状態、現在も続く相撲への関心、かつての弟子たちとの交流など、現役引退から40年以上を経た三重ノ海さんの姿が明らかになりました。
【2026年最新】三重ノ海剛司は現在どうしている?78歳の暮らしと健康状態
三重ノ海さんの現在を知るうえで、重要な資料となるのが2025年11月17日に掲載された日刊ゲンダイのインタビューです。
記事では、東京都内の自宅で生活する本人を取材。現役時代や親方時代とは異なる、引退後の日常が紹介されています。
自宅で夫人と暮らす穏やかな日々
2025年の取材によると、三重ノ海さんは夫人と2人暮らし。朝7時ごろに起床し、入浴と朝食を済ませてから、ゆったりとした時間を過ごしているそうです。
趣味を特に決めているわけではなく、自宅で自転車をこいで体を動かしたり、ニュースやスポーツ、麻雀番組を見たりする生活が中心です。
大相撲の本場所中には、NHK BSの中継を午後1時ごろから観戦していると話しています。
現役を退いても相撲への関心は衰えていません。取材では当時の現役力士についても具体的な評価を語り、大の里の身体能力や攻めの姿勢について、技術的な見解を示していました。
心不全や胃がんを経験した健康状態
2025年のインタビューでは、三重ノ海さんが過去に経験した病気についても明かされています。
現役時代には急性肝炎、理事長時代には胃がんを患い、胃の3分の1を切除する手術を受けたとのことです。
加えて、相撲博物館館長を退任した後には心不全で倒れた経験も語っています。
本人によると、取材時の体重は75キロ。夫人が健康を考えた食事を用意し、毎日3食を食べているそうです。食事量には制限があるものの、本人は当時の体調について良好だと説明していました。
なお、これらは2025年11月の取材時点の情報であり、2026年11月現在の最新の健康状態を示す診断情報ではありません。
2023年に相撲博物館館長を退任
三重ノ海さんは、協会理事長を退任した後、2013年2月から日本相撲協会が運営する相撲博物館の館長を務めていました。
その役職も約10年にわたり担当し、2023年2月3日に退任しています。
地元紙の夕刊三重によると、退任に伴い日本相撲協会からも完全に離れることになりました。
つまり、2026年現在の三重ノ海さんは、武蔵川親方として後進を直接指導する立場でも、相撲協会の理事長でも、相撲博物館の館長でもありません。
長年にわたる角界での公的な役職を終え、現在は自身の生活を大切にしながら相撲を見守る立場にあります。
【本名・年齢・生い立ち】三重ノ海はどんな人物だったのか
三重ノ海剛司さんは、三重県松阪市出身の元力士です。
日本相撲協会の歴代横綱プロフィールには、本名や生年月日、所属部屋、現役時代の戦績が記録されています。
三重ノ海の基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 四股名 | 三重ノ海剛司 |
| 本名 | 石山五郎 |
| 生年月日 | 1948年2月4日 |
| 2026年11月時点の年齢 | 78歳 |
| 出身地 | 三重県松阪市 |
| 身長 | 180.5cm |
| 現役時代の体重 | 136kg |
| 所属部屋 | 出羽海部屋 |
| 最高位 | 第57代横綱 |
| 得意技 | 左四つ・寄り切り |
| 初土俵 | 1963年7月場所 |
| 引退 | 1980年11月場所 |
| 幕内優勝 | 3回 |
| 生涯戦歴 | 695勝525敗1分56休 |
出典は日本相撲協会の歴代横綱プロフィールおよび力士プロフィールです。
松阪市で育ち、15歳で相撲界へ
三重ノ海さんは1948年2月4日、三重県松阪市に生まれました。
地元の小学校、中学校で学び、中学卒業後には集団就職で東京へ出ています。
最初から順風満帆な相撲人生だったわけではありません。
夕刊三重の2023年の報道によると、上京後はアルミニウム製作所に就職したものの、その仕事を辞めて故郷に戻り、建設作業員として働いていた時期もありました。
中学生時代から抱いていた角界入りへの夢を諦めず、1963年7月場所に本名の石山として初土俵を踏みます。
当時15歳でした。
後に横綱となる人物の出発点は、華々しいエリートコースではなく、地道な仕事と挑戦を重ねる日々だったのです。
出羽海部屋で頭角を現す
三重ノ海さんは出羽海部屋に所属し、力士として経験を積みました。
主な昇進時期は次のとおりです。
- 1963年7月:初土俵
- 1969年3月:新十両
- 1969年9月:新入幕
- 1970年7月:新三役
- 1976年1月:新大関
- 1979年9月:新横綱
新入幕後には大鵬や玉の海ら強豪力士と対戦し、1970年7月場所には殊勲賞を受賞しました。
その後も技能賞などを獲得し、幕内上位で実力を発揮していきます。
特に注目したいのは、出世が決して早くなかったことです。初土俵から横綱昇進まで16年以上を要し、31歳で最高位に到達しました。
早熟型ではなく、経験を重ねて大成した力士だったことが、三重ノ海さんの大きな特徴です。
【横綱昇進の経緯】三重ノ海はなぜ31歳で第57代横綱になれたのか
三重ノ海さんの相撲人生を語るうえで欠かせないのが、大関からの陥落と、その後の横綱昇進です。
通常、横綱を目指す大関には安定した好成績が大切です。しかし三重ノ海さんは、一度大関から関脇に陥落した経験を持っています。
そこから再び大関に戻り、最終的には横綱にまで昇進しました。
急性肝炎と左足首の負傷という試練
三重ノ海さんは1970年代前半、肝炎によって体調を崩し、思うように成績を伸ばせない時期を経験しています。
その後、1975年11月場所で関脇として13勝2敗を記録し、初の幕内優勝を達成しました。
翌1976年1月場所には大関へ昇進します。
しかし、大関昇進直後に左足首を負傷。休場や負け越しが重なり、わずか3場所で関脇へ陥落しました。
ここで三重ノ海さんは終わりませんでした。
1976年7月場所に関脇として10勝を挙げ、大関特例復帰を果たします。
大関に復帰した後もすぐに横綱になれたわけではなく、低迷やカド番を経験しました。
師匠の出羽海親方(元横綱・佐田の山)から受けた指導や、生活面での節制などを通じて、徐々に相撲を立て直していきます。
1979年の快進撃で横綱昇進へ
転機となったのは1979年です。
5月場所では13勝2敗、7月場所では14勝1敗という好成績を残しました。
7月場所は優勝決定戦まで進みましたが、輪島に敗れて優勝を逃しています。
それでも、2場所連続の圧倒的な成績が評価され、横綱昇進が決まりました。
1979年9月場所、第57代横綱・三重ノ海が誕生します。
31歳での昇進は、決して若いとはいえない年齢でした。しかし、病気やけが、大関陥落という逆境を乗り越えての昇進だったことから、その歩みには独特の重みがあります。
横綱在位はわずか8場所
三重ノ海さんの横綱在位期間は1979年9月から1980年11月までの8場所です。
期間だけを見ると短命横綱という印象を持つ人もいる可能性があります。
しかし、その8場所の中には幕内優勝2回が含まれています。
特に1980年1月場所の15戦全勝は、横綱としての実力を示す象徴的な記録です。
1980年11月場所で現役引退を表明し、32歳で土俵を去りました。
【幕内優勝3回・全勝優勝1回】三重ノ海の戦績と記録を一覧で解説
三重ノ海さんの現役時代を評価する際、注目すべきなのが幕内優勝3回という実績です。
優勝回数だけではなく、横綱昇進後に2場所連続で優勝した点にも価値があります。
3回の幕内優勝はいつ達成した?
| 年月 | 番付 | 成績 | 内容 |
|---|---|---|---|
| 1975年11月 | 関脇 | 13勝2敗 | 初優勝 |
| 1979年11月 | 横綱 | 14勝1敗 | 2回目の優勝 |
| 1980年1月 | 横綱 | 15勝0敗 | 3回目・全勝優勝 |
特に1980年1月場所の成績は、15日間を通して一度も敗れなかった全勝優勝です。
また、1979年11月場所と1980年1月場所の連続優勝によって、横綱としての存在感を強く印象づけました。
三重ノ海の通算成績は?
日本相撲協会の公式記録によると、三重ノ海さんの生涯戦歴は以下のとおりです。
- 生涯戦歴:695勝525敗1分56休
- 幕内戦歴:543勝413敗1分51休
- 幕内優勝:3回
- 殊勲賞:5回
- 敢闘賞:1回
- 技能賞:3回
- 金星:5個
通算105場所を戦い、幕内では68場所に在位しました。
数字から見ても、長期間にわたって幕内上位で戦い続けた力士だったことがわかります。
三重ノ海の強さを支えた相撲の特徴
得意技は左四つと寄り切りです。
相手との組み合いから体勢を整え、力強く前に出る取り口が特徴でした。
ただし、三重ノ海さんの評価は単純な体格や腕力だけでは説明できません。
病気やけがを経験する中で、相撲の取り方を見直し、受け身にならず積極的に攻める姿勢へと変化していったことが、後年の復活につながりました。
横綱昇進後の連続優勝は、その努力が結実した結果だったといえます。
【武蔵川親方・日本相撲協会理事長】武蔵丸や武双山を育てた指導者としての功績
1980年11月に現役を引退した三重ノ海さんは、年寄・山科を経て武蔵川を襲名しました。
その後、武蔵川部屋を創設し、後進の育成に力を注ぎます。
ここからは、三重ノ海さんと主要な関係者とのつながりを整理します。
三重ノ海と関係者・組織の関係一覧
| 人物・組織 | 関係 | 主な内容 |
|---|---|---|
| 出羽海部屋 | 所属部屋 | 15歳で入門し、横綱まで昇進 |
| 佐田の山 | 師匠 | 出羽海親方として指導 |
| 武蔵丸 | 元弟子 | 第67代横綱。後に武蔵川の名跡を継承 |
| 武双山 | 元弟子 | 大関。2010年に部屋を継承 |
| 出島 | 元弟子 | 大関まで昇進した武蔵川部屋出身力士 |
| 雅山 | 元弟子 | 大関まで昇進。後に二子山部屋を創設 |
| 日本相撲協会 | 元理事長 | 2008年から2010年まで第10代理事長 |
| 相撲博物館 | 元館長 | 2013年から2023年まで館長を担当 |
この関係は、日本相撲協会の公式プロフィール、武蔵川部屋の沿革、夕刊三重の報道などに基づいています。
武蔵丸を横綱へ導いた指導力
三重ノ海さんの弟子の中でも、特に有名なのが第67代横綱・武蔵丸です。
武蔵丸は武蔵川部屋で力をつけ、1999年7月場所後に横綱へ昇進しました。
また、三重ノ海さんは武双山、出島、雅山といった大関経験者も育てています。
一人の横綱を育てただけではなく、複数の三役・大関級の力士を輩出したことは、指導者としての大きな功績です。
2008年に日本相撲協会理事長へ就任
三重ノ海さんは2008年9月、第10代日本相撲協会理事長に就任しました。
元横綱としての競技実績に加え、部屋の経営や力士育成に携わってきた経験を生かし、協会運営の中心を担いました。
しかし、理事長としての任期は長く続きませんでした。
2010年8月に理事長を辞任。同年9月には武蔵川部屋を元大関・武双山に継承し、指導者としての第一線から退きます。
部屋は藤島部屋へと名称を変更しました。
現在の武蔵川親方は三重ノ海ではない
ここは検索する際に間違えやすいポイントです。
三重ノ海さんは、2013年2月3日に日本相撲協会の定年退職を迎えました。
このとき、長年名乗ってきた武蔵川の年寄名跡を元弟子の武蔵丸へ継承しています。
武蔵丸は第15代武蔵川となり、2013年4月には武蔵川部屋を再興しました。
2026年現在、日本相撲協会の年寄プロフィールに掲載されている武蔵川親方は、元横綱武蔵丸の武蔵川光偉さんです。
したがって、三重ノ海さんを現在の武蔵川親方と紹介するのは正確ではありません。正しくは「元武蔵川親方・元横綱三重ノ海」です。
【2025年最新取材】三重ノ海の現在の評判と引退後の暮らし
三重ノ海さんの引退後について、2025年には日刊ゲンダイによる本人への近況取材が掲載されました。
この取材は、現役時代の記録を振り返るだけではなく、現在の生活や、元弟子たちへの思いを伝える内容になっています。
現役時代とは異なる、相撲との付き合い方
2025年の取材では、三重ノ海さんは現在の大相撲をテレビで観戦し、現役力士の取り口についても意見を述べています。
特に元弟子との関係は現在も続いています。
武蔵丸は武蔵川部屋、武双山は藤島部屋、雅山は二子山部屋を率いており、それぞれ後進を育成しています。
三重ノ海さんは、こうした元弟子たちと部屋の行事などで顔を合わせることがあると話しています。
二子山部屋の力士については、技術面の助言をすることもあるそうです。
現役時代のように毎日稽古場に立つわけではありませんが、長年培った経験を生かした関係が残っています。
「弟子を育てるのが一番難しかった」
2025年の取材で印象的だったのが、後進の指導についての発言です。
「弟子を育てるのが一番難しかった。」
日刊ゲンダイのインタビューで、三重ノ海さんはこのように振り返っています。
時代が変わり、以前のような厳しい指導が難しくなったことにも触れています。
弟子はそれぞれ性格も育った環境も異なります。師匠には、技術を教えるだけでなく、一人ひとりの個性を理解しながら成長を支える責任があります。
自分自身が15歳で入門し、病気やけがを乗り越えて横綱になった経験を持つ三重ノ海さんだからこそ、育成の難しさを実感しているのでしょう。
孫の嵐翔真も話題に
2025年の取材では、孫の嵐翔真さんについても話題になりました。
嵐翔真さんは、男性ファッション誌『MEN'S NON-NO』の専属モデルとして活動する人物です。
2024年の専属モデルオーディションで準グランプリを獲得し、モデルやタレントとして活動を始めました。
2025年5月にはABEMAの大相撲中継で解説者も務めています。
三重ノ海さんは、孫に相撲を無理に勧めることはせず、本人がやりたいことを選ぶのがよいという考えを語っています。
若い頃に自分自身が相撲の世界へ飛び込んだ経験があるからこそ、次の世代には自分で選んだ道を歩んでほしいという思いがうかがえます。
2025年11月には相撲人生を振り返る書籍も刊行
2025年11月25日には、三重ノ海さんの相撲人生と故郷を扱った書籍『一簣之功 横綱三重ノ海が語る相撲人生と故郷』が配信されました。
三重ノ海さんと読売新聞の記者による著作で、2023年2月から2024年4月にかけて読売新聞三重県版などに掲載されたインタビュー連載をまとめたものです。
15歳での入門から横綱昇進、指導者としての経験まで、長年の相撲人生を本人の言葉で振り返る内容になっています。
2025年には近況取材と書籍刊行が重なり、三重ノ海さんの人生を改めて知る機会が生まれました。
三重ノ海の現在の評判をどう見るべきか
三重ノ海さんに対する評価は、大きく3つの側面に分けられます。
1つ目は、遅咲きの横綱としての実績です。
大関陥落を経験しながら、31歳で第57代横綱に昇進した経歴は、相撲史の中でも特徴的です。
2つ目は、指導者としての実績です。
武蔵丸をはじめ、複数の大関経験者を育てたことは、親方としての功績を示しています。
3つ目は、相撲界の運営経験です。
日本相撲協会理事長を務め、相撲博物館館長としても10年間活動しました。
現在は協会の役職から退いていますが、2025年の取材では現役力士への技術的な見解や、元弟子たちへの思いを語っています。
単に過去の横綱として記憶されているだけでなく、現在の相撲界を見守る元指導者としての姿も伝わってきます。
【よくある誤解】三重ノ海について知っておきたい事実
三重ノ海さんについて調べる際には、年寄名跡や横綱在位期間などで誤解が生まれやすい部分があります。
ここでは、特に間違えやすいポイントを整理します。
三重ノ海は現在も武蔵川親方なのか?
いいえ。
2013年2月に日本相撲協会を定年退職し、武蔵川の名跡を武蔵丸へ継承しました。
現在の武蔵川親方は元横綱武蔵丸です。
横綱在位8場所は短すぎるのか?
在位期間は8場所ですが、その間に幕内優勝2回を達成しています。
さらに1980年1月場所には15戦全勝という記録を残しています。
在位期間の短さだけで実績を判断するのは適切ではありません。
三重ノ海は大関から陥落した後に横綱になったのか?
そのとおりです。
1976年に大関から関脇へ陥落しましたが、同年7月場所に10勝を挙げて大関へ復帰しました。
その後、1979年に横綱昇進を果たしています。
この復活劇こそ、三重ノ海さんのキャリアを特徴づける出来事です。
【三重ノ海に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:三重ノ海剛司の現在の年齢は何歳ですか?
A1:1948年2月4日生まれで、2026年11月3日時点では78歳です。
Q2:三重ノ海の本名は石山五郎ですか?
A2:はい。本名は石山五郎です。三重県松阪市出身で、1963年7月場所に本名の石山として初土俵を踏みました。
Q3:三重ノ海の幕内優勝は何回ですか?
A3:3回です。1975年11月、1979年11月、1980年1月に優勝し、最後の優勝は15戦全勝でした。
Q4:三重ノ海の横綱在位は何場所ですか?
A4:8場所です。1979年9月場所に新横綱となり、1980年11月場所で引退しました。
Q5:三重ノ海は武蔵丸の師匠ですか?
A5:はい。武蔵川部屋の師匠として武蔵丸を育てました。武蔵丸は引退後、三重ノ海から武蔵川の年寄名跡を継承しています。
Q6:三重ノ海は現在も相撲協会で活動していますか?
A6:いいえ。2013年2月3日に定年退職し、協会からも離れています。2025年の取材では、自宅で穏やかに暮らしながら大相撲を観戦する様子が紹介されました。
まとめ:三重ノ海剛司の現在と横綱として残した功績
三重ノ海剛司さんは、2026年11月現在78歳。第57代横綱として幕内優勝3回、全勝優勝1回という実績を残した人物です。
現役時代には急性肝炎や左足首の負傷、大関からの陥落など、数々の試練を経験しました。それでも再び大関に返り咲き、31歳で横綱に昇進した歩みは、三重ノ海さんの努力と粘り強さを象徴しています。
引退後は武蔵川親方として武蔵丸や武双山、出島、雅山らを育て、日本相撲協会理事長や相撲博物館館長も歴任しました。
2025年11月の近況取材では、夫人と暮らす日常や健康状態、現在の大相撲への関心、元弟子たちとの交流が紹介されています。
現在は協会の役職から離れていますが、相撲界との縁が完全に途切れたわけではありません。元弟子たちの活躍を見守り、現役力士の相撲にも関心を寄せています。
【プロの結論】
三重ノ海さんを評価する際に大切なのは、横綱在位8場所という数字だけに注目しないことです。
本当に注目すべきなのは、次の3点です。
- 現役力士としての再起力: 大関陥落から横綱昇進までたどり着いた、異例の復活劇。
- 指導者としての育成力: 武蔵丸をはじめ、複数の大関経験者を輩出した実績。
- 相撲界への長期的な貢献: 理事長や相撲博物館館長として競技の外側からも角界を支えた経験。
華やかな横綱時代だけではなく、15歳の入門から引退後の指導者人生までを一続きの物語として見ることで、三重ノ海剛司という人物の本当の価値が見えてきます。
2025年の本人取材や書籍刊行によって、その歩みは改めて振り返られています。今後も第57代横綱としての記録と、後進を育てた功績は、大相撲の歴史を語るうえで重要な存在であり続けるでしょう。