2026年11月現在、元「尼神インター」の誠子は、吉本興業を退所したフリー芸人として活動を続けています。2024年3月末のコンビ解散を経て、2026年4月には長年の夢だった京都への移住を実現。現在はお笑いライブ、ラジオ、演劇、料理関連の仕事など、活動の幅を広げています。
また、約20キロの減量によるビジュアルの変化も話題になりました。元相方の渚は「ナ酒渚(なさけなぎさ)」に改名し、吉本興業所属の芸人として活動しています。2人はなぜ解散したのか、誠子が吉本を離れた理由は何だったのか。2026年秋までの本人インタビュー、所属事務所の発表、テレビ局や報道各社の情報をもとに、現在の仕事や生活、今後の展望まで整理します。
【2026年11月現在】尼神インターの誠子は何をしている?京都を拠点に活動中
誠子は現在、芸人としての活動を軸に、ラジオパーソナリティー、舞台出演、料理イベント、ブランド運営など複数の仕事に取り組んでいます。
大きな転換点となったのは、2026年4月の京都移住です。2025年11月に自身のInstagramで移住計画を発表し、翌春に東京を離れることを報告。実際に4月から関西を生活の拠点としています。
2026年秋にはラジオのレギュラー番組がスタート
2026年9月15日、オリコンニュースは、誠子がラジオ関西の生放送番組『Clip』で月曜レギュラーパーソナリティーに就任すると報じました。初回放送は2026年10月5日。放送時間は毎週月曜日の13時から16時で、タケモトコウジとともに番組を担当しています。
神戸出身の誠子にとって、地元の放送局でレギュラーを持つことは大きな節目です。本人も、神戸で仕事ができる喜びをコメントで伝えています。
加えて、KBS京都ラジオ『となりの森谷さん』では水曜日のパートナーを務め、「サイクル通信 誠子の調べ」というコーナーにも出演。京都の街を自転車で巡り、気づいたことや食、地域の魅力を紹介しています。2026年10月28日の放送回でも出演が確認できます。
Instagramでは京都の暮らしや料理を発信
誠子のInstagramは「seiko_1204」。京都に移住してからは、京町家の室内や手料理、日常の風景などを紹介しています。
2026年7月には、Instagramで京町家の住まいを公開。「京都の町家で暮らしています。ずっと夢でした」と伝えた投稿がオリコンニュースでも取り上げられました。
同年9月には、元乃木坂46で俳優の樋口日奈が京都の自宅に宿泊したことを報告。畳の部屋で過ごす写真などを公開し、京都での新生活が伝わる投稿として話題になりました。
また、料理の投稿も継続しています。2026年8月には、米粉を使った手作りピザを公開。京都の食材を取り入れた料理など、食を通じた暮らしの発信にも力を入れています。
こうした近況を見ると、誠子は芸能活動を辞めたわけでも、単純に東京から京都へ引っ越しただけでもありません。生活環境を変えながら、芸人としての仕事を継続し、新しい活動領域を育てている段階です。
【解散の経緯】尼神インターはなぜ2024年3月に解散したのか
尼神インターの解散が発表されたのは、2024年3月28日です。所属事務所だった吉本興業が公式サイトで発表し、同月末をもってコンビを解散することを明らかにしました。
ただし、解散が決まったのは発表直前ではありません。誠子が2025年のインタビューで振り返ったところによると、最初に渚から解散を告げられたのは2023年12月でした。
解散を最初に切り出したのは渚だった
2025年10月の「りっすん」のインタビューで、誠子は当時の状況を詳しく説明しています。
翌年のコンビ活動について、渚、誠子、現場マネージャー、チーフマネージャーの4人で話し合っていた際、渚が突然「解散したい」と伝えたそうです。
誠子にとっては予想外の出来事でした。次の単独ライブのネタを考えていたほどで、尼神インターはこれからも続いていくものだと思っていたといいます。
しかし、驚きと悲しみを感じながらも、誠子は渚の意思を尊重しました。
「でも10分後くらいには解散を受け入れました」
誠子は、漫才は2人で成立させるものだから、どちらか一方が解散を望んだ時点で続けることは難しいと考えたと説明しています。
解散理由は方向性の違いだけでは説明できない
解散の具体的な理由について、誠子は渚から明確な説明を受けたわけではないと話しています。本人も、あえて詳しく問い詰めなかったそうです。
一方で、誠子には自分なりの受け止め方がありました。
15年以上の活動期間中、ネタやコンビの方針について渚が「誠子が決めて」「誠子に任せるわ」と言うことが多かったと振り返っています。渚自身にもやりたいことがあったはずで、コンビを優先してきたことへの葛藤があったのではないか、というのが誠子の考えです。
ただし、これは誠子自身が相方の性格や過去の関係を踏まえて推測した内容です。渚本人が公表した確定的な解散理由ではありません。
重要なのは、解散発表時に吉本興業が2人はそれぞれの道を歩むと説明し、両者も今後の活動への理解と応援を求めていたことです。不祥事やトラブルによって解散したとする公式発表はありません。
誠子が吉本興業を退所した理由
コンビ解散に伴い、誠子は15年間所属していた吉本興業とのマネジメント契約を終了しました。2024年4月からはフリー芸人として活動しています。
2025年2月の集英社オンラインのインタビューでは、退所を決断した背景も明かしています。
誠子によると、吉本興業を辞めることは寂しく、社員やマネージャーに引き止められるたびに涙が出たそうです。最終的には、吉本本社で話し合うと辞める決心が揺らぎそうだったため、LINEで退所の意思を伝えたと説明しています。
フリーへの転身は、単なる事務所変更ではありませんでした。解散という大きな出来事を悲しい思い出だけで終わらせず、自分自身が新しい挑戦をするきっかけに変えようとした選択だったのです。
【年表・関係性まとめ】尼神インターの結成から2026年までの歩み
尼神インターの活動を振り返ると、約17年間のコンビ活動を経て、誠子と渚がそれぞれ独立したキャリアを築いていることが分かります。
以下に、2人と所属事務所、現在の活動に関係する主な出来事を時系列で整理しました。
| 時期 | 人物・出来事 | 関係・現在につながる意味 |
|---|---|---|
| 2007年9月 | 誠子・渚が尼神インターを結成 | 大阪NSC30期生の同期コンビとして活動開始 |
| 2011年 | ABCお笑い新人グランプリなどで活躍 | 若手女性漫才コンビとして注目を集める |
| 2015~2016年 | 賞レースやテレビ番組で活躍 | オールザッツ漫才2015のネタバトル企画で優勝 |
| 2023年12月 | 渚が解散を提案 | 誠子は突然の申し出に驚きながらも受け入れる |
| 2024年3月28日 | 吉本興業が解散を公式発表 | 誠子のマネジメント契約終了と渚の所属継続を発表 |
| 2024年4月 | 誠子がフリー芸人に転身 | ライブ、料理イベント、ブランド運営などを開始 |
| 2024年7月26日 | 渚がナ酒渚に改名 | 吉本興業所属のピン芸人として再出発 |
| 2025年7月 | 誠子が劇団アルファベットK画の旗揚げ公演に参加 | 演劇・舞台分野への活動を広げる |
| 2026年4月 | 誠子が京都へ移住 | 京町家での生活をスタート |
| 2026年10月 | 誠子がラジオ関西『Clip』の月曜レギュラーに就任 | ナ酒渚もラジオなどで個人活動を継続 |
この年表から分かるように、尼神インターの解散は2人の芸能活動そのものの終了を意味しませんでした。
誠子は個人で仕事を企画する方向へ、ナ酒渚は吉本興業に所属しながらピン芸人として活動する方向へ進んでいます。かつてのコンビ名はなくなりましたが、それぞれが芸人としての経験を生かしている点は共通しています。
【フリー芸人の活動】誠子食堂・merci・女優活動で広がる仕事
誠子のフリー転身後の活動を理解するには、「芸人」という肩書きだけに注目しないことが大切です。
現在の活動は、お笑い、料理、演劇、ラジオという複数の分野にまたがっています。
お笑いライブや単独公演を自ら企画
2025年11月の求人ボックスジャーナルのインタビューで、誠子はフリー芸人としてユニットライブや単独ライブを不定期に開催していると説明しています。
フリーになってからは、マネージャーがいない状態で仕事を進めることも多く、出演交渉や会場の手配、チケット料金や開演時間なども自分で考える必要が出てきました。
一方、所属事務所のスケジュールや既存の枠に縛られず、自分がやりたい企画をすぐに実行できることは大きなメリットだと語っています。
「誠子食堂」とライフスタイルブランド「merci」
料理関連の活動では、「誠子食堂」という名前でイベントを開催しています。
もともと料理は苦手だったという誠子ですが、コロナ禍に自炊を始めたことをきっかけに料理の楽しさに目覚めました。現在は、だし巻き玉子や肉じゃがなどの料理を得意とし、企業や個人店とのコラボイベントにも取り組んでいます。
加えて、ライフスタイルブランド「merci」も立ち上げました。調味料やキッチングッズのプロデュースを行い、料理を通じたライフスタイルの提案にも取り組んでいます。
地元の神戸や縁のある地域では、地元食材や農家との連携を意識したイベントも開催。芸人としての知名度を、地域や食の分野につなげている点が特徴です。
女優活動・演劇活動にも挑戦
誠子には、コンビ時代から俳優としての出演経験もあります。
代表的な出演歴として知られるのが、2018年のテレビ朝日系ドラマ『ブスだってI LOVE YOU』です。新川優愛とのダブル主演で、川端湯菜乃役を演じました。
その後も、ドラマや映画への出演経験を重ねています。2025年にはBS-TBSのドラマ『すぱいす。』第9話にゲスト出演し、俳優としての活動も続けました。
さらに注目したいのが、演劇コントへの取り組みです。
2025年には、元ビーフケーキの近藤貴嗣と劇団「アルファベットK画」を立ち上げ、7月11日から13日にかけて東京・下北沢の駅前劇場で旗揚げ公演『A塚商事』を実施しました。
2026年10月9日から12日には、第2回公演『B沼小鳥店』にも出演。新宿村LIVEで上演されたこの作品は、実在の事件をモチーフにしたシリアスコメディ演劇です。
演劇は、誠子が単にテレビ出演の機会を待つのではなく、自分たちで企画や舞台を作る活動の一つです。芸人として培った表現力を、舞台という別の場所で生かしていることが分かります。
海外でのライブや英語落語にも挑戦
2025年4月には、カナダのバンクーバーで初めて海外のお笑いライブを開催。英語で落語にも挑戦しました。
本人はインタビューで、観客が笑ってくれた経験を通じて、お笑いが国境を越えて人を笑顔にできることを実感したと振り返っています。
テレビ中心の活動から、ライブ、演劇、海外公演、料理イベントへ。フリー転身後の誠子は、活動の場を自分で作る芸人へと仕事のスタイルを変えています。
【20キロ減量の真相】誠子のビフォーアフターと痩せた方法
誠子の近況で、コンビ時代から大きく変化したものの一つが体型です。
約20キロの減量に成功したことは2023年から話題になり、2024年以降もInstagramの写真やテレビ出演を通じて注目されてきました。
約3年間かけて徐々に体重を落とした
2025年2月28日放送のフジテレビ系『めざまし8』で、誠子は減量について詳しく説明しています。
本人によると、約3年前から少しずつ体重が減っていき、コンビ時代と比較して約20キロの減量に至ったとのことです。
コンビ時代は、1日3食のロケ弁や深夜の収録など、不規則な生活が続いていたと振り返っています。仕事が忙しく、食事を自分で作る機会も少なかったそうです。
コロナ禍で仕事が減少したことが、生活を見直すきっかけになりました。
エステやジムではなく料理と掃除を習慣化
誠子が減量方法として紹介しているのは、極端な食事制限や特別なトレーニングではありません。
本人が明かした主な習慣は次のとおりです。
- 自炊:自分で料理を作り、規則正しく食事をする。
- 拭き掃除:立ったり座ったりする動作を日常的な運動にする。
- 徒歩移動:駅から少し離れた場所に住むなど、歩く機会を増やす。
- 継続:無理なダイエットを避け、生活習慣そのものを変える。
2023年10月には、ENCOUNTやABEMA TIMESなども、誠子が料理と掃除を減量の習慣として紹介したことを報道しています。エステやジムには通っていないという本人の説明も伝えられました。
ビフォーアフターで注目されたのは体型だけではない
減量後は、髪型やファッションにも変化が見られました。2025年2月の『めざまし8』では金髪ショートカットの姿を披露し、以前とは異なる雰囲気が話題になりました。
2024年9月には、Instagramでファッション性の高い写真を公開。化粧品メーカーのインタビューを受けたことも紹介され、自然な美しさや表情の変化に注目が集まりました。
ただし、20キロという数字は本人が説明した減量幅であり、減量前後の正確な体重や体脂肪率などは公表されていません。
大切なのは、単に見た目が変わったということだけではありません。料理を始めたことが新しい仕事につながり、生活習慣の変化が料理家としての活動や誠子食堂にも結びついています。
減量をきっかけに、食生活、仕事、自己表現という複数の面で変化が生まれたことが、誠子の現在を理解するポイントです。
【相方・ナ酒渚の現在】改名後も吉本興業所属でピン芸人として活動
尼神インターのもう一人のメンバーだった渚も、コンビ解散後に大きな変化を経験しています。
2024年7月26日、TBSラジオ『渚のキャッ火ラジオ』で芸名を「ナ酒渚(なさけなぎさ)」に改名したことを発表しました。
ナ酒渚という芸名に込められた意味
改名には複数の理由があります。
- 好きなものとして知られる「酒」という文字を入れたかった。
- 以前から使っていた「渚」の文字を残したかった。
- 「ナ」はガンバレルーヤから「ナーさん」と呼ばれていることにも関係している。
- 画数も考慮して名前を決めた。
さらに「ナ酒渚」という読み方には「情け」という言葉も重ねられています。
本人は、コンビ解散後に一人になった自分に情けをかけてほしい、という笑いに変える意図も説明していました。名前そのものを新しい芸風の一部にしている点が特徴的です。
2026年もラジオやテレビ番組で活動
ナ酒渚は吉本興業所属のまま活動を続けています。
2026年には、BSよしもとの『渚の日立なかよし倶楽部』に出演。仲の良い芸人をゲストに迎え、茨城県日立市を街歩きしながら地域の魅力を紹介する番組です。
また、TBSラジオの『関プレス presents 渚のキャッ火ラジオ』では単独パーソナリティーを担当。2026年10月29日にも放送が確認されており、11月以降も放送予定が案内されています。
誠子とナ酒渚の現在の関係は?
解散発表時、渚は、これからは別々の道を歩むものの、お互いを思い出してもらい、支え合えたらという趣旨のコメントを発表しました。
誠子も相方への感謝を表明しており、17年間のコンビ活動を大切な経験として振り返っています。
現在は、それぞれが異なる所属・活動環境で仕事をしています。誠子は京都を拠点にフリー芸人として活動し、ナ酒渚は吉本興業所属のピン芸人としてテレビやラジオに出演しています。
少なくとも公表されている情報からは、2人が芸能界を引退したわけでも、解散後に活動を停止したわけでもないことが分かります。
【プロの結論】誠子の芸能活動は成功か?フリー転身後の評価と今後の可能性
誠子の現在を評価するとき、テレビ出演の本数やSNSの写真だけで判断するのは十分ではありません。
フリー転身後の本人インタビューには、活動の実態を考えるうえで重要な情報があります。
仕事と収入は減ったが、仕事の満足度は変化
2025年11月の求人ボックスジャーナルのインタビューで、誠子は吉本興業時代と比べ、現在の仕事数と収入は最盛期の約4分の1程度になったと明かしています。
一方で、仕事を自分で企画し、一つひとつに時間をかけられるようになったことにやりがいを感じているとも説明しました。
これはフリー芸人という働き方の現実を示す重要な証言です。自由に企画を立てられる反面、営業、交渉、スケジュール管理、集客、会場との調整なども自分で行わなければなりません。
誠子自身も、フリーになって初めて仕事を成立させるまでの裏側の大変さを実感したと語っています。
芸能活動の評判はビジュアルから実際の仕事へ
誠子に対する世間の反応では、20キロ減量後の写真やファッション、京都の町家での生活が注目されています。
特に2026年7月の京町家公開や9月の樋口日奈との交流投稿には、住まいへの憧れや好意的なコメントが寄せられたと報じられました。
ただ、SNS上の好意的な反応と、芸人としてのライブ集客や興行収入は別の指標です。本人が仕事数と収入の減少を率直に明かしていることも踏まえる必要があります。
2026年秋にはラジオ関西のレギュラー番組、KBS京都ラジオへの出演、劇団の第2回公演など、実際の仕事につながる動きが確認できます。見た目の変化だけでなく、活動の継続性や仕事の幅も評価すべきポイントです。
今後の注目点は京都と関西を生かした活動
京都移住によって、誠子は生活の拠点を変えました。しかし、東京の仕事を辞めると宣言したわけではありません。移住を発表した際も、今まで通り芸人として活動すると説明しています。
また、ラジオ関西でのレギュラー就任は、神戸出身という自身の背景と、関西に戻った現在の生活が仕事に結びついた例です。
今後は、関西のラジオや地域イベント、料理関連の活動、東京での舞台やライブをどう組み合わせていくかが注目されます。
誠子の現在のキャリアは、芸人という一つの職業にとどまらず、複数の活動を自ら組み立てる働き方への転換と捉えるのが適切です。
尼神インター誠子の現在に関するよくある質問(FAQ)
Q1:尼神インターの誠子は2026年現在、何をしていますか?
A1:フリー芸人として活動しています。お笑いライブや演劇、料理イベント、ライフスタイルブランド「merci」の運営などに取り組み、2026年10月からはラジオ関西『Clip』の月曜レギュラーパーソナリティーも担当しています。
Q2:誠子と渚が尼神インターを解散した理由は何ですか?
A2:2023年12月に渚から解散を提案したことがきっかけです。誠子は突然の申し出に驚きましたが、17年間の活動でコンビとしてできることはやり切ったという思いも理解し、相方の意思を尊重しました。渚本人が公表した明確な解散理由はありません。
Q3:誠子はなぜ京都に移住したのですか?
A3:20代の頃から京都に住みたいという夢があったためです。2025年11月に移住を発表し、2026年4月から京都で生活しています。長年の希望を先延ばしにせず実現したいという本人の考えが背景にあります。
Q4:誠子は本当に20キロ痩せたのですか?
A4:本人がテレビ出演やインタビューで、コンビ時代と比べて約20キロ減量したと説明しています。約3年間かけて徐々に体重を落とし、料理、掃除、徒歩移動などを習慣にしていたと明かしています。
Q5:尼神インターの渚は現在も芸人ですか?
A5:はい。渚は2024年7月に「ナ酒渚(なさけなぎさ)」へ改名し、吉本興業所属のピン芸人として活動しています。2026年もTBSラジオなどへの出演が確認されています。
まとめ:誠子は京都から新しい芸人のキャリアを築いている
尼神インターの誠子は、2024年3月のコンビ解散と吉本興業退所を経て、フリー芸人として新しいキャリアを築いています。
2026年4月には念願だった京都移住を実現。20キロの減量や料理への挑戦をきっかけに、誠子食堂、merci、演劇、ラジオなどへ活動の幅を広げてきました。
2026年秋にはラジオ関西のレギュラー出演が始まり、劇団アルファベットK画の第2回公演にも参加。テレビ出演だけに依存しない仕事の形を模索しています。
一方、元相方のナ酒渚も吉本興業に所属したまま、改名後の芸名で活動を継続しています。2人は別々の道を選びましたが、尼神インターとして過ごした17年間の経験は、それぞれの現在の仕事につながっています。
【プロの結論】誠子の変化を理解するうえで注目すべきなのは、20キロの減量や京都移住という話題性だけではありません。自分で仕事を企画し、芸人・料理・演劇・ラジオという複数の分野を組み合わせている点に、フリー転身後の本質があります。
仕事の数や収入が減ったことも本人は隠していません。それでも新しい挑戦を続け、京都という新しい生活拠点から仕事を広げています。2026年以降は、関西を拠点とした活動がどこまで定着するのか、そして芸人としてのライブや演劇がどのように発展していくのかが注目されます。