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【2026年版】山本KID徳郁の死因は胃がん?発覚から最期までの闘病生活を徹底解説

安曇 春香 安曇 春香 • 更新: • 公開: • 読了約 20 分
目次

総合格闘家として圧倒的な存在感を放ち、「神の子」の愛称で親しまれた山本“KID”徳郁さん。2018年9月18日、41歳6カ月という若さで亡くなりました。死因は胃がんと報じられていますが、亡くなる直前の2018年8月26日に自身のSNSでがん治療中であることを公表したため、闘病期間はわずか3週間ほどだったと思っている人も少なくありません。

しかし、実際には2015年冬に体の異変が見つかり、精密検査を受けてがんが判明していたことが、2019年の日本テレビの特集で明らかになっています。加えて、RIZINの榊原信行実行委員長も、胃がんの発見は亡くなる2年以上前だったと証言しました。2018年の公表から訃報までの短い期間と、実際の長い闘病生活には大きな隔たりがあったのです。

【結論】山本KID徳郁の死因は胃がんだった?公式発表と報道の違い

山本キッド死因

山本KID徳郁さんの死因について、日刊スポーツは2018年9月19日付の記事で、胃がんのため、療養先だったグアムの病院で亡くなったと報じています。

訃報が伝えられたのは2018年9月18日。41歳でした。

一方、所属ジムであるKRAZY BEEの公式発表では、亡くなった事実と享年が伝えられたものの、病名の詳細までは記載されていませんでした。

つまり、情報を整理すると、胃がんという死因は日刊スポーツなどの報道によって明らかになったものであり、KRAZY BEEの訃報そのものが詳細な病状を公表したわけではありません。

本人が最後に公表した内容も、具体的な病名ではなく「ガン治療のために頑張っています」というものでした。

2018年8月26日、山本さんは自身のInstagramで次のように報告しています。

「私事で急なご報告となりますが、私山本KID徳郁はガン治療のために頑張っています。絶対元気になって、帰ってきたいと強く思っていますので温かいサポートをよろしくお願いします!」

この投稿では、がんの種類や進行度、具体的な治療内容については触れられていませんでした。

そのため、当時のファンにとっては突然の病気公表であり、そのわずか23日後に訃報が伝えられたことは大きな衝撃となりました。

なお、2018年9月18日にKRAZY BEEが発表した訃報では、山本さんの享年は41歳6カ月とされています。

【発覚時期】山本KIDの胃がんは2015年に見つかっていた?

山本KID徳郁さんの闘病を理解するうえで重要なのが、がんが見つかった時期です。

日本テレビの番組「ザ!世界仰天ニュース」は、2019年1月8日に「神の子KID 最期まで闘ったファイターの真実」という特集を放送しました。

この番組では、KIDさんの体に異変が起きたのは2015年の冬だったと紹介されています。

体調の変化を受け、妻に勧められて病院を受診。精密検査を受けた結果、がんが見つかったという経緯です。

加えて、2018年9月20日付の日刊スポーツでは、RIZINの榊原信行実行委員長が、KIDさんの胃がんは2年以上前に発見されていたと明かしています。

2015年冬の発覚と2018年の公表はどうつながる?

2015年冬に異変が起き、検査でがんが判明したという日本テレビの番組記録と、2018年9月時点で2年以上前に胃がんが見つかっていたという榊原氏の証言は、長期にわたる闘病という点で一致しています。

ただし、2015年の検査時点で胃がんという病名がどのように確定されたのか、診断書や詳細な医療記録は一般公開されていません。

そのため、2015年冬のがん発覚と、後に報道された胃がんという診断を区別して理解する必要があります。

なぜ長期間、病気を公表しなかったのか

榊原氏によると、KIDさんは病気を公表することを望最初に、周囲にも闘病を感じさせないようにしていたといいます。

榊原氏は、がんを公表した方が気持ちも楽になるのではないかと本人に勧めたことがあったそうです。

しかし、KIDさんの返答は、復帰への強い意志を示すものでした。

「とにかく自分はもう1回リングに復帰するんだから」

この言葉は、日刊スポーツが2018年9月20日に報じた榊原氏の証言で紹介されたものです。

病気を公表することよりも、再び格闘家としてリングに立つことを目標にしていたKIDさん。病気を隠していた背景には、弱った姿を見せたくないという本人の強い思いと、現役復帰への執念があったと考えられます。

【時系列まとめ】山本KIDの胃がん発覚から2018年9月18日の訃報まで

ここでは、日本テレビの番組記録、日刊スポーツの報道、榊原信行氏の証言をもとに、山本KID徳郁さんの闘病と最期までの経緯を整理します。

時期 出来事 確認できる内容
2015年冬 体の異変・がん発覚 日本テレビの特集で、妻に勧められて受診し、精密検査でがんが見つかったと紹介。
2016年ごろまで 闘病生活 榊原氏は2018年9月時点で2年以上前に胃がんが発見されていたと証言。
2018年2月ごろ 病状の悪化 榊原氏の証言によると、病状が悪化し、グアムの病院で療養する状況になった。
2018年5月 グアムでの生活へ 日本テレビの特集によると、すでに起き上がることも難しく、家族の提案でグアムへ移ることになった。
2018年8月26日 がん闘病を公表 自身のInstagramで初めて、がん治療中であることをファンに報告。
2018年9月18日 逝去 グアムで療養中に死去。享年41歳6カ月。
2018年9月19日 胃がんによる死去と報道 日刊スポーツが胃がんのためグアムの病院で亡くなったと報道。
2018年9月20日 榊原氏が闘病を証言 2年以上前の発覚、公表を望まなかった理由、グアムでの療養などを明かした。

この年表で特に注目したいのは、2018年8月26日の公表が闘病の始まりではなかったことです。

ファンが病気を知ったのは亡くなる直前でしたが、本人と家族、近しい関係者は、それ以前から長い闘病生活を過ごしていました。

また、2018年2月ごろの病状悪化については榊原氏の証言、日本テレビが紹介した5月のグアム移住については番組による回顧という、それぞれ異なる情報源があります。病状悪化からグアムでの療養へ移行した流れは確認できますが、個々の医療機関への移動日を一つの日付に断定することはできません。

【闘病生活の真相】山本KIDはなぜグアムで治療していたのか

山本KID徳郁さんの闘病生活で、特に注目されたのがグアムでの療養です。

2018年9月20日付の日刊スポーツによると、榊原信行氏は、KIDさんが病気を周囲に知られないように地方で治療を続けていたことを明かしました。

また、2019年1月8日放送の日本テレビの特集では、2018年5月ごろのKIDさんの状況が詳しく紹介されています。

人目を避けながら続けた治療

榊原氏の証言によると、KIDさんは東京都内など人目につきやすい場所での治療を避け、周囲に病気を知られないようにしていました。

抗がん剤治療も複数回受けていたとされ、格闘技界の関係者にも、闘病の様子を積極的に見せることはなかったといいます。

日本テレビの特集でも、KIDさん本人と家族の意向によって詳細な病状は伏せられていたと説明されています。

病気の進行によって、2018年5月には起き上がることも難しい状態になっていたと紹介されました。

グアムへの移動を支えた家族

家族は、周囲の目を気にせず過ごせる環境を考え、グアムで生活することを提案しました。

しかし、その時点ですでにKIDさんは通常の飛行機に乗ることも難しい状態だったと、日本テレビの特集は伝えています。

そこで支援に動いたのが、妹・山本聖子さんの夫であるプロ野球選手のダルビッシュ有さんでした。

番組によると、ダルビッシュさんは医療設備を備えたチャーター機を手配し、グアムで暮らすための家や車も準備したといいます。

本人に余計な気を使わせないよう、自身が支援したことを伝えなかったというエピソードも紹介されました。

父・郁榮さんと姉・美憂さんも同行し、家族が一緒にグアムへ向かいました。

最期まで諦めなかった格闘技への思い

日本テレビの特集で印象的なのは、グアムへ移った後も、KIDさんが筋力を落とさないためのトレーニングメニューを考えていたという話です。

その目的の一つが、自ら主催を目指していた若手格闘家向け大会「クレイジーリーグ」への思いでした。

2018年3月には大会開催に向けて動き始め、同年6月の開催を予定していました。しかし病状が進み、本人が帰国できなくなったため、当初の計画は変更を余儀なくされます。

KIDさんは、自分が大会に参加できないのであれば資金集めの条件と違ってしまうと考え、クラウドファンディングを中止して集まった資金を返金しました。

最終的には大会の開催を断念することになりましたが、その後、家族や周囲の支援によって若手選手にファイトマネーを支給する形で大会が実現したことも、日本テレビの特集で紹介されています。

病気と向き合いながらも、自分自身の復帰だけでなく、次世代の格闘家が活躍できる場所を作ろうとしていたことが分かります。

【関係者の証言】榊原信行・山本美憂が語ったKIDの最後

山本KID徳郁さんの闘病生活を知るうえで重要なのが、RIZINの榊原信行実行委員長と、姉の山本美憂さんによる証言です。

榊原信行氏が明かした本人の覚悟

榊原氏は2018年9月19日、KIDさんの父・郁榮さんの了承を得たうえで、フジテレビ系「ノンストップ!」のインタビューに応じ、闘病の経緯を明かしました。

榊原氏の話からは、KIDさんが病気を公表することを避け、最後まで復帰を目指していた様子がうかがえます。

また、2018年2月ごろから病状が悪化し、グアムの病院で療養する状況になったことも説明しています。

榊原氏にとっても、KIDさんは単なる格闘家ではなく、日本の格闘技界を盛り上げてきた重要な存在でした。

姉・山本美憂さんとの約束

姉の山本美憂さんは、レスリングの元世界王者であり、弟と同じく総合格闘技にも挑戦した選手です。

KIDさんが病気と闘っていた時期、美憂さんは弟を支えるために練習拠点をグアムへ移していました。

日刊スポーツの2018年9月19日の記事によると、美憂さんは2018年7月のRIZIN大会を欠場しようと考えたことがありました。しかし、KIDさんは病床からメールで出場を勧めたといいます。

美憂さんが紹介した弟の言葉には、試合に出て勝つことを期待する強い思いが込められていました。

2018年9月18日にKIDさんが亡くなった後も、美憂さんは9月30日のRIZIN.13への出場を表明。弟に勝利を報告するという思いを胸に、リングへ向かいました。

RIZINと山本KIDの関係

ここで一つ整理しておきたいのが、山本KIDさん自身がRIZINの試合に出場していたわけではないという点です。

格闘技専門メディアNumber Webは、KIDさん自身はRIZINに選手として出場していなかった一方、姉の美憂さんや甥の山本アーセンさん、KRAZY BEE所属選手がRIZINのリングに上がっていたと説明しています。

RIZINは2018年9月18日、公式サイトに追悼メッセージを掲載しました。

「KID選手が世界の格闘技界に残した功績に心から敬意を表します。」

これは榊原信行実行委員長による公式コメントです。

山本KIDさんが日本の格闘技界に残した影響は、本人の試合だけでなく、後進の育成や家族、所属ジムの選手たちを通じても受け継がれていきました。

【格闘家としての軌跡】山本KID徳郁はどんな人物だった?

山本KID徳郁さんは1977年3月15日、神奈川県川崎市生まれ。父は1972年ミュンヘンオリンピックのレスリング日本代表だった山本郁榮さんです。

姉の山本美憂さん、妹の山本聖子さんもレスリングの世界選手権で実績を残した選手で、まさに格闘技一家で育ちました。

KIDさんは幼少期からレスリングに取り組み、1999年の全日本レスリング選手権フリースタイル58キロ級で2位に入賞。その後、総合格闘技の世界へ進みました。

「神の子」と呼ばれたキャリア

2001年に修斗でプロデビューしたKIDさんは、小柄な体格ながら強烈な打撃と積極的な攻撃スタイルで注目を集めました。

2004年にはK-1 MAXに参戦。同年大みそかには魔裟斗選手と対戦し、K-1ルールでダウンを奪うなど、格闘技ファンに強い印象を残しました。

2005年にはHERO'Sのミドル級世界王者となり、2009年からはDREAM、2011年からはアメリカのUFCにも参戦しました。

単に試合で勝つだけでなく、総合格闘技を一般層にも広めた選手の一人として知られています。

2015年の魔裟斗戦が最後の試合

KIDさんが最後にリングに立ったのは、2015年12月31日の魔裟斗選手との再戦でした。

11年ぶりとなったこの対戦では判定で敗れましたが、試合後には再戦を望む言葉も残していました。

日本テレビの特集によると、2015年冬にはすでに体の異変が起きていました。格闘家として最後の試合に臨んだ時期と、病気が見つかった時期が重なっていたことになります。

この事実は、2018年の訃報を受けて改めて振り返られたKIDさんの競技人生における、大きな転換点でした。

【誤解を検証】山本KIDの死因や闘病生活で公表されていないこと

山本KID徳郁さんについては、亡くなった時期や胃がんの発覚時期、グアムでの治療など、さまざまな情報が報じられています。一方で、報道された事実と本人・家族が公式に公表した内容には違いがあります。

誤解1:2018年8月に初めてがんが見つかった?

これは正確ではありません。

2018年8月26日は、本人が初めてSNSでがん治療中であることを公表した日です。日本テレビの特集では、2015年冬に異変が起き、検査でがんが見つかったと紹介されています。

公表された日と発症・発覚した時期は別のものです。

誤解2:KRAZY BEEが胃がんの詳細を公式発表した?

KRAZY BEEの訃報では、本人の逝去と享年41歳6カ月が伝えられています。しかし、胃がんという病名や治療経過、病期などの詳しい医療情報までは掲載されていません。

胃がんによる死去という情報は、日刊スポーツなどの報道によって伝えられたものです。

誤解3:胃がんのステージや治療内容はすべて明らかになっている?

そうではありません。

榊原氏の証言から、抗がん剤治療や地方での治療、グアムでの療養については一定の情報が明らかになっています。しかし、具体的な抗がん剤の種類、投与回数、検査数値、病期などの詳細な医療記録は公表されていません。

また、2015年冬にがんが発見されたことと、2018年に胃がんで亡くなったことは確認できますが、発症から最期までの医学的な進行過程すべてが公開されているわけではありません。

本人と家族が詳細な病状を公にしなかったことも、情報が限られている理由の一つです。

【山本KID徳郁の死因】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:山本KID徳郁の死因は何ですか?

A1:日刊スポーツなどの報道によると、死因は胃がんです。2018年9月18日、療養先のグアムで亡くなりました。享年41歳6カ月でした。

Q2:山本KIDの胃がんはいつ発覚したのですか?

A2:日本テレビの2019年1月8日の特集では、2015年冬に体の異変が起き、妻に勧められて受けた精密検査でがんが見つかったと紹介されています。榊原信行氏も2年以上前の胃がん発見を証言しています。

Q3:山本KIDががんを公表したのはいつですか?

A3:2018年8月26日です。自身のInstagramで、がん治療のために頑張っていることと、元気になって帰ってきたいという思いを伝えました。

Q4:山本KIDはなぜグアムで治療していたのですか?

A4:榊原氏の証言によると、病気を周囲に知られないよう、人目を避けて治療を続けていました。また、日本テレビの特集では、家族が落ち着いて過ごせる環境としてグアムへの移住を提案した経緯が紹介されています。

Q5:山本KIDは何歳で亡くなりましたか?

A5:2018年9月18日に41歳6カ月で亡くなりました。1977年3月15日生まれでした。

Q6:山本KIDはRIZINに出場していたのですか?

A6:KIDさん本人はRIZINの選手として出場していません。姉の山本美憂さんや甥の山本アーセンさん、KRAZY BEE所属選手がRIZINに参戦しており、榊原信行氏とも関係が深かったことから、RIZIN公式サイトでも追悼コメントが発表されました。

まとめ:山本KID徳郁の死因は胃がん、41歳で迎えた早すぎる最期

山本KID徳郁さんの死因は、2018年9月19日付の日刊スポーツなどの報道によると胃がんです。2018年9月18日、療養先のグアムで41歳6カ月の生涯を閉じました。

2018年8月26日にがん治療中であることを公表したため、短期間の闘病だったと思われがちですが、実際には2015年冬に体の異変が見つかり、精密検査でがんが判明していました。

榊原信行氏の証言からは、病気を公表せず、地方やグアムで治療を続けながら、もう一度リングに戻ることを目指していた姿が浮かび上がります。

また、日本テレビの特集では、グアムへの移動を支えた家族の存在や、若手選手のための大会を実現しようとしていた晩年の活動も紹介されました。

山本KIDさんの功績は、魔裟斗との名勝負やHERO'Sでの活躍だけではありません。格闘技の魅力を広く伝え、後進の育成にも力を注いだことも、大きな足跡として残っています。

2026年現在も、山本KID徳郁さんの死因として報道されている胃がん、2015年からの闘病、2018年9月18日の訃報は、彼の人生を振り返るうえで欠かせない事実です。「神の子」と呼ばれたファイターが最後まで抱き続けた復帰への思いと、格闘技界に残した功績は、今も多くのファンに記憶されています。

主な検証資料

- 日本テレビ「ザ!世界仰天ニュース」2019年1月8日放送回。2015年冬の発覚、グアム移住、晩年の活動について。
- 日刊スポーツ2018年9月19日・20日付。胃がんによる死去と榊原信行氏の闘病証言。
- RIZIN公式サイト2018年9月18日付追悼発表。
- Number Webの2018年9月26日付記事。格闘技界への功績とRIZINとの関係。

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トレンドリサーチャー 安曇 春香
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