2019年4月5日、wowakaは急性心不全のため31歳で亡くなった。
ヒトリエの公式サイトが訃報を発表したのは、4月8日。バンドのボーカル・ギターとして活動していたwowakaの突然の死は、音楽業界だけでなく、ニコニコ動画を通じて作品に親しんできた多くのファンにも衝撃を与えた。
訃報を受けた米津玄師は、当初、ヒトリエ公式の発表をリポストしていた。その後、4月10日に自身の公式サイトで「野暮」と題した追悼文を公開した。
米津玄師が明かしたwowakaへの思い
追悼文には、2人の出会いから親交が深まるまでの経緯が詳しく書かれていた。
特に印象的なのは、米津がwowakaの音楽から大きな刺激を受けていたことを明かした点だ。
米津は「ワールズエンド・ダンスホール」を初めて聴いた際、その衝撃で食事ができなくなるほどだったと振り返っている。
このエピソードは、wowakaが単に同じ時代に活動した仲間ではなく、米津の創作意欲を強く刺激した存在だったことを物語っている。
また、追悼文では一緒に飲みに行った思い出や、共通の趣味、何気ない会話についても触れていた。
音楽的な競争心を持ちながら、プライベートでは気兼ねなく過ごせる関係。だからこそ、米津の文章にはアーティストとしての尊敬と、個人的な喪失感の両方が表れていた。
wowakaの死因と公式発表
| 項目 | 公表された内容 |
|---|---|
| 亡くなった日 | 2019年4月5日 |
| 年齢 | 31歳 |
| 死因 | 急性心不全 |
| 訃報の発表日 | 2019年4月8日 |
| 発表元 | ヒトリエ公式サイト |
| 米津玄師の追悼文 | 2019年4月10日 |
死因については、ヒトリエの公式発表で急性心不全と公表されている。
それ以上の医学的な背景や詳しい発症経緯は公表されていない。本人の私生活や健康状態について、公式発表にない情報を結び付けることはできない。
追悼文から読み取れる2人の関係
米津の追悼文が特別な意味を持つ理由は、単に著名なアーティストが同業者を悼んだからではない。
2人は同じインターネット文化から出発し、ボーカロイドという共通の表現手段を経て、それぞれ違う音楽活動へ進んだ。
その過程で、互いに刺激を受け、悩みを共有し、友人として時間を過ごしていた。
また、米津が記したエピソードには、特別な成功や華やかな出来事だけでなく、財布や靴が偶然同じだったこと、飲み会でのくだらない話など、ごく普通の日常が登場する。
こうした細部こそ、2人の友情を理解するうえで大切な部分だ。
【2024年の再接点】『wowaka 歌詞集』に米津玄師が寄せた言葉

wowakaの死から5年後となる2024年、2人の関係を改めて思い起こさせる出来事があった。
それが、KADOKAWAから発売された書籍『wowaka 歌詞集』である。
2024年4月16日、米津玄師の公式サイトとKADOKAWAは、米津が本書に帯コメントと寄稿文を寄せることを発表した。
発売日は2024年5月11日。wowakaが2009年5月11日にニコニコ動画へ初めてボーカロイド楽曲を投稿してから、ちょうど15年という節目の日だった。
米津玄師・ハチ名義で寄せた帯コメント
公開された帯コメントは、短いながらも2人の関係を象徴するものだった。
「wowakaさんと出会えてよかったです。」
――米津玄師 ハチ
この言葉には、長年の音楽仲間を失った悲しみだけでなく、出会えたことへの感謝が込められている。
注目したいのは、署名が「米津玄師」だけではなく、「米津玄師 ハチ」となっている点だ。
ハチは、wowakaと出会った当時の米津が使っていた活動名義である。
2012年以降は米津玄師としてソロアーティストの道を歩んできたが、wowakaとの出会いを語る場面では、ハチという名前も重要な意味を持つ。
この署名は、2人が出会った原点であるボーカロイド文化へのつながりを思い起こさせる。
『wowaka 歌詞集』の内容と寄稿者
書籍には、ボーカロイド楽曲からヒトリエの楽曲まで、wowakaが手がけた80曲以上の歌詞が収録されている。
加えて、貴重な手稿や制作に関する資料、関係者による寄稿文なども収められた。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 書籍名 | wowaka 歌詞集 |
| 発売日 | 2024年5月11日 |
| 出版社 | KADOKAWA |
| ページ数 | 272ページ |
| 定価 | 2,640円(税込) |
| 米津玄師の参加 | 帯コメント・寄稿文 |
| 発売の節目 | ボカロ初投稿15周年 |
寄稿したアーティストは、次の5名である。
- じん
- 田淵智也(UNISON SQUARE GARDEN)
- ピノキオピー
- 堀江晶太/kemu
- 米津玄師/ハチ
なぜ歌詞集への寄稿が重要なのか
wowakaは、ボーカロイドPとしてだけでなく、ヒトリエのボーカル・ギターとしても多くの歌詞を残した。
その作品を一冊にまとめることは、ネット上の動画として親しまれてきた楽曲を、音楽作品としてだけでなく、言葉の創作物として読み直す機会にもなる。
米津は、wowakaと同じ時代に活動したクリエイターであり、彼の作品から直接的な刺激を受けた人物でもある。
その米津が、wowakaの歌詞をまとめた本に参加したことには、単なる知名度による推薦以上の意味がある。
2019年の追悼文では、失った友人への思いがつづられた。2024年の歌詞集では、出会えたことへの感謝が短い言葉で表現された。
この2つの発信を並べると、wowakaの音楽と人柄が、米津のなかで今も大切な記憶として残っていることが伝わってくる。
【プロの結論】米津玄師とwowakaの関係を正しく理解する3つの視点
2人の関係を調べる際には、次の3つのポイントを押さえると、ネット上の情報を整理しやすい。
1. ライバルという言葉だけで関係を説明しない
米津玄師は、wowakaをライバル視していたと自ら明かしている。
しかし、そこには強い尊敬と友情が共存していた。
競争心を持つことと、相手を大切に思うことは矛盾しない。むしろ、互いの才能を認めていたからこそ、特別な関係が築かれたと考えられる。
2. 音楽的影響は本人の発言を基準に考える
米津がwowakaから多大な影響を受けたことは、2019年の公式追悼文で確認できる。
特に「ワールズエンド・ダンスホール」に対する衝撃は、具体的な作品名を挙げた重要な証言だ。
一方で、ハチの「マトリョシカ」とwowakaの「裏表ラバーズ」が似ているという印象だけで、どちらかがどちらかの作品を模倣したと判断することはできない。
同じ時代、同じプラットフォームで活動したことによる共通性と、個人間の直接的な影響は区別したい。
3. 2019年と2024年の公式発信を合わせて読む
2人の関係を理解するうえで、特に重要な資料は次の2つだ。
- 米津玄師の公式ブログ「野暮」(2019年4月10日)
- KADOKAWA『wowaka 歌詞集』発売発表(2024年4月16日)
前者には、出会い、ライバル意識、友情、日常の交流が記されている。
後者には、wowakaへの感謝を示す帯コメントと、寄稿への参加が記録されている。
この2つを合わせて読むことで、単なる同時代のボカロPという説明では捉えきれない、2人の関係が見えてくる。
【米津玄師とwowaka】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:米津玄師とwowakaはいつ出会った?
A1:2009年前後のニコニコ動画が出会いのきっかけです。米津の2019年の追悼文によると、約10年前に動画サイトで出会い、その後、同人即売会のイベントで実際に顔を合わせています。
Q2:米津玄師とwowakaは親友だった?
A2:はい。米津自身が追悼文でwowakaを「ライバルであり、親友であり、どこか兄のようでもあった」と表現しています。2人で飲みに行くなど、音楽以外でも深い交流がありました。
Q3:米津玄師のハチ名義とwowakaの関係は?
A3:ハチは米津玄師が2009年から使用していたボカロPとしての名義です。wowakaも同じ時期にニコニコ動画で活動を始め、互いの音楽を認め合う関係になりました。
Q4:wowakaの代表曲は何?
A4:「裏表ラバーズ」「ローリンガール」「ワールズエンド・ダンスホール」「アンノウン・マザーグース」などが代表作です。ボーカロイドの高速な歌唱表現とロックサウンドを融合した作品で知られています。
Q5:米津玄師がwowakaの死後に発表したコメントは?
A5:2019年4月10日、自身の公式サイトで追悼文「野暮」を公開しました。出会い、ライバル意識、友情、飲みに行った思い出などを振り返っています。
Q6:『wowaka 歌詞集』に米津玄師は何を寄稿した?
A6:2024年5月11日発売の『wowaka 歌詞集』に、帯コメントと寄稿文を寄せました。帯には「wowakaさんと出会えてよかったです。」という言葉が掲載されています。
Q7:米津玄師とwowakaは一緒に楽曲を制作した?
A7:2人が共同名義で発表した代表的な楽曲は、今回確認できる公式プロフィールや関係資料には記載されていません。2人の関係は、共同制作よりも、互いの音楽を認め合ったライバルであり友人という側面が強く表れています。
まとめ:米津玄師とwowakaが残した友情と音楽のつながり
米津玄師とwowakaは、2009年前後のニコニコ動画で出会ったボーカロイド文化を代表するクリエイターだった。
米津はハチとして、wowakaは現実逃避Pとして活動を始め、互いの作品に刺激を受けながら、それぞれ独自の音楽を追求していった。
その関係は、単なるライバルでは終わらなかった。イベントでの出会い、音楽談義、飲み会、何気ない日常を共有するなかで、親友と呼べる関係へと発展した。
2019年の追悼文は、米津にとってwowakaがどれほど大切な存在だったかを伝える記録となった。そして2024年の『wowaka 歌詞集』への寄稿は、出会えたことへの感謝を改めて示す出来事だった。
2026年現在、2人が同じステージに立つことはない。しかし、ハチの「マトリョシカ」やwowakaの「ワールズエンド・ダンスホール」を聴けば、2人が活動した時代の熱気を感じることができる。
音楽を通じて出会い、互いを高め合い、友情を育んだ米津玄師とwowaka。その関係は、ボーカロイド文化が生んだクリエイター同士の交流を象徴するエピソードとして、これからも語り継がれていくだろう。