2026年11月現在も注目を集める歌手・長渕剛と、元アクション女優の志穂美悦子。2人が結婚したのは1987年8月29日で、出会いのきっかけは1986年のTBSドラマ『親子ゲーム』だった。その後、映画『男はつらいよ 幸福の青い鳥』でも共演し、交際を経て夫婦となった。結婚後、志穂美は芸能界を引退し、3人の子供を育てながら夫の音楽活動を支えてきた。
しかし、2025年には別居や事務所役員の退任をめぐる報道が相次ぎ、夫婦関係に変化が生じているとの見方も広がった。一方、志穂美は現在、花創家としての活動に加え、「鬼無里まり」の名前でシャンソン歌手としても活躍している。2026年にはパリ祭やソロライブ、国風盆栽展での国歌独唱など、新たな実績を重ねている。2人の結婚の経緯から家族、離婚説の真相、現在の活動までを時系列で整理する。
【1987年8月29日に結婚】長渕剛と志穂美悦子の馴れ初めはドラマ共演だった
長渕剛と志穂美悦子が結婚したのは、1987年8月29日。2人の出会いは、1986年に放送されたTBSドラマ『親子ゲーム』だった。
当時、長渕は俳優としても活動しており、志穂美はジャパン・アクション・クラブ(JAC)出身の人気アクション女優として知られていた。
出会いのきっかけとなった『親子ゲーム』
ドラマ『親子ゲーム』で2人は、ラーメン店を営む男性とその恋人という関係を演じた。
劇中では激しい口論や取っ組み合いのシーンもあり、撮影現場での出来事が2人の距離を縮めたと伝えられている。
日刊ゲンダイの過去の報道によると、1986年6月、もみ合いのシーンで志穂美がテーブルに左手をぶつけ、左手小指の付け根を骨折する事故が発生した。
このとき、病院へ向かう志穂美に長渕が付き添ったことが、交際につながるきっかけになったという。
ドラマで夫婦同然の関係を演じていた2人が、撮影現場で実際に親密になっていったという経緯は、2人の馴れ初めを語るうえで欠かせないエピソードだ。
『男はつらいよ 幸福の青い鳥』でも共演
2人はドラマだけでなく、映画でも共演している。
1986年公開の松竹映画『男はつらいよ 幸福の青い鳥』は、シリーズ第37作。志穂美は島崎美保役で出演し、長渕も作品に参加した。
松竹の公式作品紹介でも、1986年の『親子ゲーム』が2人の初共演作品であり、その後『幸福の青い鳥』でも共演したことが紹介されている。
映画の製作発表会見では、長渕が結婚の可能性に言及し、志穂美も交際を隠すつもりはないという趣旨の発言をしたと日刊ゲンダイが報じている。
つまり、映画が最初の出会いだったわけではない。正確には、ドラマで初共演し、映画で再び共演するなかで関係を深めたという順番になる。
1987年8月の結婚発表と9月の挙式
2人は1987年8月に結婚を公表し、同月29日に入籍した。
日刊ゲンダイの結婚回顧記事によると、長渕は8月27日の会見で入籍を報告し、志穂美は翌28日に会見を行った。
加えて、挙式は同年9月17日。奈良県天川村の天河大弁財天社で、双方の両親や親しい関係者だけが参加する形で行われたと伝えられている。
華やかな芸能人同士の結婚でありながら、2人は静かな式を選んだ。志穂美自身も、芸能人としてではなく普通の人としてひっそり式を挙げたいという希望を持っていたと報じられている。
【結婚を決めた理由と家族】子供は娘1人・息子2人の3人
2人が結婚を決めた背景には、単なる共演者としての相性だけではなく、お互いの仕事や価値観に対する理解があった。
志穂美は2017年のテレビ朝日系『徹子の部屋』に出演した際、長渕について、俳優にはない不思議な感覚を持っていたことが結婚のきっかけになったと振り返っている。
また、女優を辞めて家庭に入ったことについては、長渕に必要とされたため、その期待に応えたいと思ったという趣旨の説明をしていた。
志穂美悦子が芸能界を引退した理由
志穂美は結婚後、女優としての活動を休止し、家庭に入った。
ただし、引退については後年、本人が興味深いエピソードを明かしている。
2023年12月、フジテレビ系『ぽかぽか』に出演した際、志穂美は当初、完全に引退するつもりではなかったと説明した。
そのうえで、長渕から「家の中に2つの星はいらない」という趣旨の言葉をかけられたことを紹介している。
加えて、子供を授かったことも人生の転機になった。志穂美は、生まれてきた子供を抱いたときに、自分の仕事はもういいと思ったという趣旨の心境を語った。
このエピソードから分かるのは、女優としてのキャリアを否定したのではなく、結婚や出産を通じて人生の優先順位が変化したということだ。
長渕剛と志穂美悦子の子供は3人
2人には、娘1人と息子2人の計3人の子供がいる。
2023年12月の『ぽかぽか』で志穂美本人が子供について語り、3人ともそれぞれ独立していることを明かした。
また、子育てについては、長渕のほうが厳しい父親だったというエピソードも紹介している。
長渕は自宅で作曲活動を行っていたため、家の中では音を立てないように気を配ることもあったという。
一方、志穂美は勉強について細かく指示するのではなく、子供が何か一つでも好きなことを見つけられればよいという考え方だったと話している。
娘の文音は女優として活動しており、2026年4月には芸能事務所ツインプラネットへの所属が発表された。家族それぞれが自分の道を歩んでいることも、現在の長渕家を理解するうえで押さえておきたい点だ。
2人の関係と人生の転換点を年表で整理
| 時期 | 出来事 | 2人の関係・背景 |
|---|---|---|
| 1986年6月 | TBS『親子ゲーム』 | 初共演。交際のきっかけとなったと報道 |
| 1986年12月 | 『男はつらいよ 幸福の青い鳥』 | 映画でも共演 |
| 1987年8月29日 | 入籍 | 正式に夫婦となる |
| 1987年9月17日 | 挙式 | 奈良県の天河大弁財天社で挙式 |
| 結婚後 | 芸能活動を休止 | 志穂美は家庭に入り、3人の子供を育てる |
| 2010年以降 | 花創作を本格的に学ぶ | 花創家として新たなキャリアを築く |
| 2024年6月 | 鬼無里まりとしてデビュー | シャンソン歌手として活動開始 |
| 2025年8~9月 | 夫婦の別居報道 | 事務所側は離婚の話を否定 |
| 2026年 | 音楽・花の活動を継続 | それぞれの分野で活動を展開 |
この年表から見えるのは、2人の関係が結婚という一点で固定されたわけではないことだ。志穂美は家庭を中心とする時期を経て、花の世界、さらに歌の世界へと活動領域を広げている。
【2026年最新】志穂美悦子の現在は花創家・シャンソン歌手の鬼無里まり
2026年の志穂美悦子は、かつてのアクション女優という肩書だけでは語れない活動を続けている。
現在の主な活動は、次の2つだ。
- 花創家・フラワーアーティストとしての創作活動
- 鬼無里まり名義でのシャンソン歌手活動
特に注目されているのが、2024年から本格的にスタートした歌手としての新しい挑戦である。
花創家への転身は2010年から
志穂美が花の世界に本格的に取り組むようになったのは、結婚後のことだ。
NHKカルチャーが2026年2月に公表した講師紹介によると、志穂美は2010年から、ダニエル・オスト氏の内弟子だった前田玲子氏と清水はるみ氏に師事した。
2011年には、東日本大震災の復興支援企画として自身のフラワーアートをまとめた写真集を販売。その売り上げを被災地に寄付した。
花を単なる装飾として扱うのではなく、作品として表現し、社会貢献にもつなげてきた点が特徴だ。
2014年には奈良・薬師寺での献花奉納にも携わるなど、花を通じた文化的な活動も続けている。
鬼無里まりとして2024年にシャンソン歌手デビュー
2024年6月9日、志穂美は「鬼無里まり(きなさまり)」という芸名でシャンソン歌手としてデビューした。
デビューの舞台となったのは、東京・古賀政男音楽博物館けやきホールで開催された「エターナルソング・コンテスト」の受賞曲発表コンサートだった。
披露したのは、受賞曲「自惚れさせてよ」など2曲。
実は志穂美は20代の頃からシャンソンに親しみ、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」にも通っていたという。
つまり、シャンソンは突然始めた新しい趣味ではない。長年胸の内にあった音楽への思いが、人生の新しい段階で表に出てきたものだ。
デビュー時には、長渕に対して「謀反を起こしました(笑い)」と冗談交じりに語ったことも話題になった。
結婚後に家庭を優先してきた志穂美が、自分自身の名前と表現でステージに立つ。その姿は、かつての女優時代とは異なる新しい挑戦として受け止められている。
2025年の受賞と2026年のパリ祭出演
2025年には、シャンソン歌手としての実績も積み上げた。
NHKカルチャーの2026年2月の発表によると、志穂美は以下の賞を受賞している。
- 第12回東京シャンソンコンクール:グランプリ
- 日本シャンソンコンクール2025:優秀賞
2026年2月13日には、東京・帝国ホテルで開催された「国風盆栽展第100回記念式典」で国歌独唱を務めた。雅楽の演奏に合わせた歌唱は、本人にとっても初めての大役だったと報じられている。
また、2026年5月7日付の公式サイトの出演情報には、次のような活動が掲載されている。
| 2026年の時期 | 活動・出演情報 |
|---|---|
| 5月24日 | 岡山凱旋ソロライブ |
| 6月27日 | シャンソンフェスティバルin八千代 |
| 7月3日 | ソロライブ「ChansoniX 2-deux-」 |
| 7月11日 | 岡山パリ祭 |
| 7月12日 | せとだパリ祭 |
| 7月15日 | 名古屋パリ祭 |
| 7月23日 | 第64回パリ祭・東京 |
| 7月26日 | 金沢パリ祭 |
| 8月23日 | 石巻でのソロライブ |
| 10月17日 | シャンソンティック歌謡祭in WAKAYAMA |
いずれも2026年の公式出演情報に掲載された日程であり、特にパリ祭への複数地域での出演は、活動の広がりを示している。
NHKカルチャー青山教室でも2026年3月24日に講師として登場し、自身の人生や新しい挑戦について語る講座が開催された。
2026年10月29日には71歳の誕生日を迎える
2026年10月29日、志穂美は71歳の誕生日を迎えた。
日刊スポーツの報道によると、本人はInstagramで愛犬リルとのランニング写真を公開。恒例のカウントダウンランニングについて触れ、これから本格的に取り組んでいくという意気込みも投稿した。
70代に入っても体を動かす習慣を続けていることは、アクション女優として鍛えてきた身体能力や、現在の活動を支えるエネルギーを感じさせるエピソードだ。
長渕剛も2026年に全国ツアーを開催
一方の長渕も、2026年は音楽活動を精力的に続けている。
公式サイトによると、2026年には5年ぶりとなる弾き語りツアー「TSUYOSHI NAGABUCHI ACOUSTIC HALL TOUR 2026 “JUST ONE”」を開催。全国16都市19公演を巡り、10月28日に東京・SGCホール有明で最終公演を行った。
加えて、12月18日には東京・Kanadevia Hallでファンクラブ会員限定のスペシャルライブを開催する予定となっている。
つまり、2026年現在、長渕は音楽活動を継続し、志穂美も花とシャンソンの両分野で活動している。夫婦それぞれが独自の表現活動を続けている点は見逃せない。
【離婚の噂と真相】2025年の別居報道で夫婦関係に何が起きたのか
長渕剛と志穂美悦子について検索すると、「離婚」「別居」「夫婦関係の悪化」といった言葉が表示されることがある。
その背景には、2025年8月から9月にかけて報じられた夫婦関係をめぐる一連のニュースがある。
ここでは、報道された内容と当事者側の説明を分けて整理する。
2025年8月、週刊文春が別居状態を報道
2025年8月26日、週刊文春は志穂美が長渕の個人事務所「オフィスレン」など関連3社の取締役を2024年4月に退任していたと報じた。
記事では、長渕が2023年末に自宅を出て、都内の別のマンションで生活しているというツアースタッフの証言も紹介された。
一方、志穂美本人に対する取材では、別居について尋ねられた際に「行ったり来たり」と説明している。
また、取締役を退任したこと自体は事実と認め、新しいことを始めたため、そちらに集中したいという趣旨の話をしていた。
この報道によって、長年続いてきた夫婦関係に変化があったのではないかという関心が高まった。
長渕側の事務所は離婚と不倫関係を否定
その後、2025年9月2日付の女性セブンプラスの記事では、長渕の事務所側が夫婦関係について説明している。
事務所側は、志穂美の取締役退任について、本人が自分の時間を持ちたいという意向を尊重したものだと回答した。
加えて、記事中では次のように説明している。
「A氏との不倫関係も志穂美氏との離婚の話もございません」
これは長渕側の事務所による説明であり、離婚や不倫関係を認めたものではない。
また、長渕本人も週刊文春の取材に対して、同行していた女性との不倫関係を否定し、女性については「付き人修行」という趣旨の説明をしたと女性自身が報じている。
志穂美本人は離婚についてどう語ったのか
女性セブンプラスは2025年9月、志穂美本人にも夫婦関係について質問している。
離婚を考えたことはないのかという質問に対し、志穂美は次のように答えた。
「なんでしなきゃいけないの?」
加えて、結婚生活について、長年にわたり夫を支えてきたこと、自分自身も好きなことをさせてもらっており、それを理解してくれている長渕に感謝しているという趣旨を語っている。
ただし、それ以上のコメントは控える姿勢も示した。
この発言は、夫婦関係について本人が当時どのように受け止めていたかを知るうえで重要な材料だ。
離婚は成立したのか?2026年11月時点の整理
2026年11月3日時点で、確認できる情報を整理すると次のようになる。
| 検証項目 | 確認できる内容 | 判断 |
|---|---|---|
| 1987年の結婚 | 1987年8月29日に入籍 | 確認できる事実 |
| 2024年の役員退任 | 志穂美本人も退任を認めている | 確認できる事実 |
| 2025年の別居報道 | 関係者証言と本人の「行ったり来たり」という説明 | 報道された事実 |
| 不倫疑惑 | 長渕側は不倫関係を否定 | 事務所側の説明 |
| 離婚の成立 | 2025年の事務所回答では離婚を否定。2026年11月時点で離婚成立の公式発表は確認できない | 離婚確定とはいえない |
重要なのは、別居に関する報道があったことと、法律上の離婚が成立したことはまったく別の問題だという点である。
取締役の退任、生活拠点の変化、本人の新しい活動への集中は、それぞれ確認できる情報として整理できる。しかし、それだけで離婚が成立したと判断することはできない。
また、2025年の事務所側の説明では、志穂美の新しい活動への意欲を退任の理由として挙げている。
2026年には志穂美がシャンソン歌手として活動を広げ、長渕も全国ツアーを開催した。現在の夫婦関係の詳細は公表されていないが、少なくとも離婚成立を裏付ける公式発表は見当たらない。
【よくある質問】長渕剛と志穂美悦子に関するFAQ
Q1:長渕剛と志穂美悦子は何年に結婚しましたか?
A1:1987年8月29日に入籍しました。同年9月17日には奈良県の天河大弁財天社で挙式したと報じられています。
Q2:長渕剛と志穂美悦子の馴れ初めは何ですか?
A2:1986年のTBSドラマ『親子ゲーム』で初共演したことがきっかけです。その後、映画『男はつらいよ 幸福の青い鳥』でも共演しています。
Q3:2人の子供は何人ですか?
A3:娘1人、息子2人の計3人です。2023年のテレビ出演で志穂美本人が明かしており、3人とも独立していると説明しています。
Q4:志穂美悦子の現在の芸名は何ですか?
A4:シャンソン歌手としては「鬼無里まり(きなさまり)」という芸名で活動しています。また、花創家としても活動を続けています。
Q5:長渕剛と志穂美悦子は離婚したのですか?
A5:2025年に別居報道がありましたが、同年9月には長渕側の事務所が離婚の話を否定しています。2026年11月3日時点で離婚成立の公式発表は確認されていません。
Q6:志穂美悦子は2026年もパリ祭に出演していますか?
A6:はい。2026年の公式出演情報には、岡山、せとだ、名古屋、第64回東京パリ祭、金沢パリ祭への出演が掲載されています。鬼無里まりとしてシャンソンのステージにも立っています。
まとめ:長渕剛と志穂美悦子はそれぞれの道で新しい人生を歩んでいる
長渕剛と志穂美悦子は、1986年のドラマ『親子ゲーム』での共演をきっかけに交際し、1987年8月29日に結婚した。
結婚後、志穂美は芸能界を離れ、3人の子供を育てながら花の世界へと活動を広げていった。そして2024年には、鬼無里まりとしてシャンソン歌手デビューを果たしている。
2026年には国風盆栽展での国歌独唱、パリ祭への出演、ソロライブなど、歌手としての実績も増えている。長渕も全国16都市19公演のアコースティックツアーを開催し、音楽活動を続けている。
一方、2025年には別居や事務所役員の退任をめぐる報道があり、夫婦関係に注目が集まった。しかし、長渕側の事務所は離婚の話を否定しており、2026年11月時点で離婚成立を示す公式発表はない。
2人を理解するうえで大切なのは、結婚当時の夫婦像だけでなく、現在それぞれが何を表現し、どのような人生を選んでいるかを見ることだ。
かつてアクション映画で活躍した志穂美悦子は、いま花とシャンソンという新たな舞台で自分自身を表現している。長渕剛も音楽を通じてファンと向き合い続けている。
1987年の結婚から約39年。夫婦の私生活には公表されていない部分もあるが、それぞれの活動からは、長い年月を経て変化してきた2人の人生が見えてくる。
2026年以降も、鬼無里まりとしての音楽活動と花創家としての創作、そして長渕剛の音楽活動がどのように展開していくのか、引き続き注目したい。