1970年代後半、日本中に一大ブームを巻き起こした女性デュオ「ピンク・レディー」。そのメンバーとしてミーとともに活躍したケイは、歌手・女優の増田惠子(ますだ・けいこ)です。
1957年9月2日生まれの増田惠子は、2026年11月現在69歳。1976年8月25日のデビューから50周年を迎え、ソロ活動も45周年という大きな節目に立っています。1981年のピンク・レディー解散後は「すずめ」でソロ歌手として新たな道を歩み、現在もコンサートやテレビ出演、新曲の発表など精力的に活動しています。
【プロフィール】ピンク・レディーのケイは増田惠子!本名・年齢・生年月日を紹介
ピンク・レディーのケイとして知られる増田惠子は、静岡県出身の歌手・女優です。アイドルとして一世を風靡した後も、ソロ歌手や舞台・映像作品への出演など、幅広い活動を続けてきました。
増田惠子の基本プロフィール
- 活動名:増田惠子
- 読み方:ますだ・けいこ
- 愛称:ケイ、ケイちゃん
- 生年月日:1957年9月2日
- 年齢:69歳(2026年11月現在)
- 出身地:静岡県
- 血液型:O型
- 職業:歌手・女優
- 趣味:クラシックバレエ、料理、ガーデニング
生年月日や出身地、経歴は増田惠子の公式プロフィールと日本コロムビアのアーティストプロフィールで確認できます。
ケイの本名は?増田惠子と桑木啓子の関係
ケイの本名については、結婚後の姓を反映した桑木啓子(くわき・けいこ)と紹介するチケット情報などがあります。旧姓は増田で、芸能活動では増田惠子という名前を使用しています。
なお、本人の公式プロフィールでは本名欄を設けず、「増田惠子」として経歴を紹介しています。そのため、芸名・活動名として最も確実に押さえておきたい名前は増田惠子です。
ピンク・レディー時代の「ケイ」という愛称は、現在もファンやメディアに親しまれています。ソロ歌手として活動する際にも、長年の愛称が本人の芸能活動を象徴する存在になっています。
2026年現在69歳!デビュー当時との年齢差
増田惠子は1957年9月2日生まれです。1976年8月25日に「ペッパー警部」でデビューした当時は18歳で、2026年の誕生日を迎えて69歳になりました。
デビュー当時の若々しいアイドル像と、現在の落ち着いたソロ歌手としての姿には時代の変化があります。しかし、半世紀を経てもステージに立ち続けていることは、歌手としての継続的な努力を物語っています。
【メンバー比較】ピンク・レディーのケイとミーの違いは?歴代メンバーも解説
ピンク・レディーは、ケイとミーの2人で構成された女性デュオです。メンバーが何度も入れ替わったグループではなく、結成から活動の中心は一貫してこの2人でした。
現在はそれぞれ別の芸名でソロ活動を続けており、名前の変遷も検索される理由の一つです。
ケイとミーのプロフィール上の違い
- ケイ:増田惠子。歌手・女優として活動。
- ミー:未唯mie。旧芸名にはMIEなどがあり、歌手・女優として活動。
ビクターエンタテインメントの公式プロフィールでも、ピンク・レディーはミイとケイの2人として紹介されています。
2人は1973年にヤマハ主催のオーディションに合格し、1974年5月には前身となるフォークデュオ「クッキー」を結成。その後、オーディション番組を経てプロデビューしました。
つまり、ケイとミーは別々のグループに所属していた人物ではなく、ピンク・レディーという一つのユニットを支えてきたオリジナルメンバーです。
ケイは増田惠子としてソロ歌手の道を深め、ミーは未唯mieとして舞台やミュージカルなどにも活動の幅を広げています。現在の芸名が異なるため別人のように見えることもありますが、2人ともピンク・レディーのメンバー本人です。
【経歴・年表】1976年のデビューから1981年の解散までを振り返る
ピンク・レディーの歴史は、わずか4年7か月という活動期間に、数々の記録を残した点が特徴です。
デビュー曲「ペッパー警部」から「UFO」「サウスポー」まで、歌と振り付けを一体化させたパフォーマンスで幅広い世代を魅了しました。
ピンク・レディーと増田惠子の主要年表
| 年月・時期 | 出来事 | 主な内容・実績 |
|---|---|---|
| 1973年 | オーディション合格 | ヤマハ主催のオーディションにミーとケイが合格。 |
| 1974年5月 | クッキー結成 | ピンク・レディーの前身となるフォークデュオを結成。 |
| 1976年8月25日 | ピンク・レディーデビュー | 「ペッパー警部」を発売。 |
| 1977~1979年 | 大ヒット連発 | 「UFO」「サウスポー」などを発表。連続1位・ミリオンセラーを記録。 |
| 1979年 | アメリカ進出 | 「Kiss In The Dark」がビルボード最高37位を記録。 |
| 1980年9月1日 | 解散を表明 | アメリカでの長期活動を経て帰国後、解散を発表。 |
| 1981年3月31日 | ピンク・レディー解散 | 後楽園球場で解散公演を実施。 |
| 1981年11月28日 | ケイがソロデビュー | 中島みゆき作詞・作曲の「すずめ」を発売。 |
| 2003~2005年 | メモリアルツアー | 全国100か所・200公演、総動員数40万人。 |
| 2010~2011年 | 再始動 | 「解散ヤメ!」を宣言し、2011年に全国ツアーを開催。 |
| 2026年 | デビュー50周年 | 記念コンサートや新曲、ソロ45周年の活動を展開。 |
ビクターエンタテインメントの公式プロフィールによると、ピンク・レディーは「S・O・S」から「カメレオン・アーミー」まで9曲連続でヒットチャート1位を獲得。さらに「ペッパー警部」から「カメレオン・アーミー」まで10曲連続ミリオンセラーという記録を残しました。
1978年には「UFO」で日本レコード大賞を受賞。単なる人気アイドルという枠を超え、日本の歌謡界を代表する存在へと成長しました。
【解散理由と経緯】ピンク・レディーはなぜ1981年に解散したのか?
ピンク・レディーの解散については、ミーとケイの不仲説やアメリカ進出の失敗など、さまざまな話題が取り上げられてきました。
しかし、増田惠子自身が過去のインタビューで語った内容を見ると、解散に至る背景は単純な人間関係の問題ではありません。
アメリカ進出が活動の転換点になった
1979年、ピンク・レディーはアメリカ市場への進出を本格化させました。シングル「Kiss In The Dark」はビルボードのシングルチャートで最高37位を記録し、NBCのテレビ番組「Pink Lady and Jeff」にも出演しました。
日本での活動と並行して海外での仕事を進めることは、2人にとって大きな挑戦でした。英語での歌唱や番組出演、現地の制作環境への対応など、国内活動とは異なる負担もありました。
増田惠子は2022年のENCOUNTのインタビューで、当時は英語の習得も含めて準備が十分ではなく、非常に過密なスケジュールだったと振り返っています。
紅白歌合戦の辞退会見と帰国後の状況
増田が転換点として挙げた出来事の一つが、1978年のNHK紅白歌合戦への出場辞退会見です。
当時21歳だった2人が会見で報道陣の質問を受ける状況となり、増田は強い精神的負担を感じたと語っています。本人の振り返りでは、この会見を境に、それまで応援していたマスコミの対応が大きく変わったという認識がありました。
さらにアメリカでの活動が続く間、日本国内での露出や仕事の状況にも変化が生まれました。帰国後の報道や世間の反応も、グループを取り巻く環境に影響したとされています。
1980年の解散発表、1981年の最終公演
1980年9月1日、ピンク・レディーは解散を発表。翌1981年3月31日、後楽園球場で最終公演を行いました。
ビクターの公式記録では、活動期間は4年7か月です。
増田は当時について、もっとピンク・レディーを続けたかった気持ちもあったとインタビューで明かしています。一方で、全力を出し切ったという達成感もあり、濃密な時間だったと振り返っています。
そのため、解散を単に2人の不仲だけで説明するのは正確ではありません。海外進出、所属する制作体制、国内でのメディア環境、過密な活動など、複数の要素が重なった出来事として理解する必要があります。
【ソロデビューと現在】「すずめ」から女優活動、若い頃との変化まで
ピンク・レディー解散後、増田惠子はソロ歌手として新たなスタートを切りました。その第一歩となった楽曲が、1981年11月28日に発売された「すずめ」です。
中島みゆきが手掛けた「すずめ」が大ヒット
「すずめ」は、中島みゆきが作詞・作曲を担当した楽曲です。ピンク・レディー時代のアップテンポなヒット曲とは異なり、繊細な感情を表現する歌謡曲として注目されました。
日本コロムビアの公式プロフィールによると、1982年には約40万枚を売り上げ、YTV有線放送大賞特別賞をはじめとする賞を受賞しています。
この成功は、増田惠子がグループの人気だけに依存せず、ソロ歌手としても実力を発揮できることを示した転換点でした。
女優としても映画・ドラマに進出
ソロ歌手としての活動と並行して、増田は女優として映画やドラマにも出演するようになりました。
1989年にはフランスで「Kei」名義の音楽活動も展開。日本国内だけでなく、海外にも表現の場を広げています。
その後もアルバム制作やライブ活動を続け、2005年には「奇蹟の花」、2014年にはカバーアルバム「愛唱歌」、2018年にはシングル「最後の恋/富士山だ」を発表しました。
ピンク・レディーとしての再始動も実現
2003年から2005年には、ピンク・レディーのメモリアルコンサートツアーを開催。公式プロフィールによれば、全国100か所で200公演を行い、総動員数は40万人に達しました。
さらに2010年9月1日には、解散発表から30年という節目に「解散ヤメ!」を宣言。2011年には全国22か所のコンサートツアーを開催しています。
この再始動は、過去の人気を懐かしむだけの活動ではなく、現在進行形でピンク・レディーの音楽を届ける取り組みとして位置付けられます。
若い頃と現在を比較すると何が変わった?
若い頃の増田惠子は、ミーとともに大胆な衣装と激しい振り付けを披露するアイドルとして活動していました。歌唱とダンスを組み合わせたステージが大きな特徴でした。
一方、2026年の活動では、ソロ楽曲、国内外のアーティストのカバー、ピンク・レディー時代の名曲を組み合わせた構成が目立ちます。
2026年1月の静岡新聞のインタビューでは、増田はピンク・レディーを自分たち2人だけでなく、作詞家の阿久悠、作曲家の都倉俊一、振付師の土居甫、そしてファンも含めた「集合体」として捉えていることを語っています。
若い頃はヒット曲を次々と届けるグループの一員として、現在は半世紀にわたる音楽人生を自分自身の表現で伝える歌手として、ステージの役割が変化しています。
増田惠子自身も、年齢を重ねたことで歌詞の受け止め方や表現に変化が生まれたと語っています。同じ曲でも人生経験によって伝わり方が変わることが、現在の歌唱の魅力につながっています。
【2026年最新】デビュー50周年・ソロ45周年の活動と新曲・コンサート情報
2026年は増田惠子にとって、ピンク・レディーのデビュー50周年とソロデビュー45周年が重なる記念の年です。
2026年11月6日現在、公式サイトでは年内のディナーショーや2027年のコンサートが告知されており、音楽活動は継続中です。
新曲「貴方は彼方へ」を2026年にリリース
2026年の大きな話題が、新曲「貴方は彼方へ」です。
2026年8月5日に配信が開始され、8月19日にはCDシングルが発売されました。価格は2,200円(税込)です。
作詞は増田惠子と竹原ピストル、作曲は竹原ピストル、編曲は船山基紀が担当しています。
この楽曲は、増田が書いた「ある手紙」をもとに竹原ピストルが歌詞とメロディーを手掛けた作品です。公式発表では、大切なパートナーを失った世代の喪失感に寄り添う楽曲として紹介されています。
CDには新曲のほか、2026年2月6日のアニバーサリーコンサートで収録された「AVEC LE FEU」「最後の恋」「It's too late」のライブ音源も収録されています。
ピンク・レディーのヒット曲を歌い継ぐだけでなく、現在の人生経験を反映した新しい作品を発表している点に、45年間のソロ活動の意味が表れています。
ピンク・レディー50周年トリビュートコンサート
2026年8月25日には、デビュー50周年を記念したトリビュートコンサート「Legend, Now and Forever」が東京のLINE CUBE SHIBUYAで開催されました。
出演したのは、森高千里と渡瀬マキ、百田夏菜子、鈴木愛理、一青窈、田村芽実、AKB48の新井彩永と伊藤百花など、世代やジャンルを超えたアーティストたちです。8月26日には全11曲を収録したトリビュートアルバムも発売されました。
ここで押さえておきたいのは、この公演がピンク・レディー本人による通常のコンサートではなく、後輩アーティストたちが名曲を歌い継ぐトリビュート公演だったことです。
ビクターの開催報告によれば、増田惠子は当日、客席で公演を観覧。アンコールで紹介され、出演者やファンに手を振って感謝を伝えました。
2026年の主なコンサート・テレビ出演
2026年には、ソロ45周年を記念した2月6日の東京公演を皮切りに、ビルボードライブ大阪・横浜でのバースデーライブなどが行われました。
- 2月6日:有楽町I'M A SHOWでソロデビュー45周年記念コンサート。
- 8月29日:ビルボードライブ大阪でアニバーサリーライブ。
- 9月2日:誕生日当日にビルボードライブ横浜で公演。
- 10月25日:浜松市の第34回ハママツ・ジャズ・ウィーク「ヤマハジャズフェスティバル」に出演。
テレビでは、NHK BS「The Covers」のピンク・レディー50周年スペシャルが10月4日と11日に放送され、未唯mieとともに当時の活動や現在について紹介されました。
今後の公演予定:2026年12月・2027年2月
11月6日現在、今後の公演として公式サイトに掲載されている注目イベントは次の2つです。
① 増田惠子 CHRISTMAS DINNER SHOW 2026
- 開催日:2026年12月14日(月)
- 会場:ウェスティン都ホテル京都
- 開場:18時
- ディナー:18時30分
- ショー:20時
- 一般料金:33,000円(税込・サービス料込み)
- 内容:コース料理、フリーフロー、ライブショー
ソロ楽曲とピンク・レディーの名曲を楽しめるクリスマスディナーショーです。公式発表では、席数限定のロイヤル・ペアシートも案内されています。
② I Love Singing スペシャル!~ソロ、カバー、そしてピンク・レディー~ Vol.2
- 開催日:2027年2月9日(火)・10日(水)
- 会場:I'M A SHOW(東京・有楽町)
- 開場:17時
- 開演:18時
- 料金:全席指定11,000円(税込)
増田のソロ楽曲、カバー曲、ピンク・レディーの楽曲を組み合わせた2日間の公演です。公式サイトでは両日のセットリストも公開されています。
今後の公演やチケット販売状況は変更される可能性があるため、申し込み前には本人の公式サイトと各公演の主催者発表を確認するのが確実です。
【結婚・夫】増田惠子の結婚相手は誰?2024年の夫との別れ
増田惠子の私生活で大きな節目となったのが、2002年の結婚です。
増田は2002年6月、音響会社「ギルド・ジャパン」の社長を務めていた桑木知二さんと結婚しました。当時44歳でした。
夫・桑木知二さんとの結婚生活
2人は長年にわたり夫婦として生活をともにしてきました。結婚から22年が経過した2024年、桑木さんが病気のため亡くなったことが公表されました。
所属事務所が2024年10月7日に発表した訃報によると、桑木知二さんは同年8月21日に膵臓がんのため70歳で永眠しました。葬儀は親族のみで執り行われています。
増田自身も公式ブログと所属事務所を通じて夫の死去を報告。病気が判明してから夫婦で話し合い、残された時間を大切に過ごしてきたことを明かしました。
公表されたコメントでは、夫が自分の歌う姿を大切に思っていたことにも触れ、今後も歌手活動を続ける意思を示しています。
「これからも歌い続けている私を温かく包んでくれると思います。」
この言葉は、夫との別れを経験した後も音楽を続けるという、増田の現在の活動を理解するうえで印象的なものです。
2026年現在の結婚状況
2026年現在、増田惠子は2024年に夫を亡くしており、桑木知二さんとの死別を経験しています。
2026年1月にはテレビ朝日系「徹子の部屋」に出演し、夫との思い出や闘病中の生活について語りました。夫が残した言葉を大切にしながら日々を過ごしていることも紹介されています。
なお、再婚に関する公表情報は確認できません。家族については本人が公表している範囲で理解することが大切です。
【よくある質問】ピンク・レディーのケイに関するFAQ
Q1:ピンク・レディーのケイの本名は何ですか?
A1:芸能活動では増田惠子という名前を使用しています。チケット情報などでは、結婚後の本名として桑木啓子と記載されています。
Q2:増田惠子は2026年現在何歳ですか?
A2:1957年9月2日生まれで、2026年11月現在69歳です。2026年はピンク・レディーのデビュー50周年、ソロデビュー45周年の節目でもあります。
Q3:ピンク・レディーのケイとミーは現在も活動していますか?
A3:2人はそれぞれソロ活動を続けています。2010年にはピンク・レディーとして「解散ヤメ!」を宣言し、2011年にはコンサートツアーを開催しました。2026年にはデビュー50周年を迎え、記念イベントや関連企画も行われています。
Q4:増田惠子のソロデビュー曲は何ですか?
A4:1981年11月28日に発売された「すずめ」です。中島みゆきが作詞・作曲を担当し、約40万枚を売り上げるヒットとなりました。
Q5:増田惠子の2026年の最新コンサートはいつですか?
A5:2026年12月14日にウェスティン都ホテル京都でクリスマスディナーショーが予定されています。また、2027年2月9日・10日には東京のI'M A SHOWで記念公演の第2弾が予定されています。
まとめ:ケイこと増田惠子は2026年も歌い続ける
ピンク・レディーのケイは、静岡県出身の歌手・女優、増田惠子です。1957年9月2日生まれで、2026年11月現在69歳。1976年の「ペッパー警部」でデビューし、1981年のグループ解散後は「すずめ」でソロ歌手として新しいキャリアを築きました。
その後も女優活動、海外での音楽活動、ピンク・レディーの再始動など、多彩な道を歩んできました。2026年にはデビュー50周年とソロ45周年を迎え、新曲「貴方は彼方へ」を発表。京都でのクリスマスディナーショーや2027年の記念公演も控えています。
若い頃の華やかなアイドルとしての姿だけでなく、長年の経験を重ねた現在の歌声や表現にも注目したいところです。
半世紀にわたって歌い続けてきた増田惠子。ピンク・レディーのケイとしての歴史と、一人の歌手として積み重ねてきた45年の歩みは、これからも多くの人に歌を届けていくでしょう。