小芝風花がフィギュアスケートと出会ったのは、2006年のトリノオリンピックがきっかけだった。
当時、小芝は大阪府で暮らす小学生。スケートを始める前には、約2年間、器械体操を習っていた。
転機になったのは、体操教室で知り合った母親たちの何気ない会話だった。荒川静香がトリノオリンピックで金メダルを獲得し、日本中でフィギュアスケートへの関心が高まっていた時期に、周囲から「風花ちゃんはフィギュアスケートに向いていそう」と勧められたという。
荒川静香の金メダルが競技との出会いに
2021年の集英社「web Sportiva」のインタビューで、小芝本人は当時の経緯を振り返っている。
家族で実際にリンクへ行ってみると、想像以上に楽しかった。最終的には本人から母親に、体操ではなくスケートを習いたいとお願いしたそうだ。
最初に習った先生がすごく優しかったので、「先生と滑るのが楽しい」という感覚が強かったかもしれないです。
このエピソードから分かるのは、最初からオリンピック選手を目指して競技を始めたわけではないということだ。
最初の動機は、憧れの選手への関心と、リンクで滑る楽しさだった。その楽しさが、後に週6日の練習を続けるほどの情熱へと変わっていった。
練習拠点は大阪の臨海スポーツセンター
小芝の指導歴については、2021年のSportivaの本人インタビューで具体的に語られている。
- 最初の指導者:小関悦也コーチ
- その後の指導者:平池大人コーチ
- 同じリンクで練習していた選手:友野一希、山本草太ら
友野一希や山本草太とは、練習の合間に鬼ごっこをしたり、雪だるまを作ったりして遊んでいたという。
現在のトップスケーターたちと同じ環境で練習していたことも、小芝の競技歴を知るうえで興味深い点だ。
【競技生活】週6日の練習と2度の手術を乗り越えた5年間
小芝風花がフィギュアスケートを続けた期間は、小学3年生から中学2年生までの約5年間。
本人が2021年の婦人公論.jpのインタビューで明かした練習生活は、一般的な習い事とは大きく異なるものだった。
週6日、早朝からリンクに通う生活
当時の小芝は、週6日という高い頻度で練習していた。
まだ星が出ている早朝に自宅を出て、リンクで練習。その後、学校へ行き、放課後には再びスケートの練習に向かう。
この生活を約5年間続けた。
特に注目したいのは、練習の目的を明確に設定していたことだ。
例えば、次の試合までに特定のジャンプを習得する、前回より順位を上げるなど、具体的な目標を決めて練習していたという。
小芝はジャンプが好きで、できなかった技ができるようになる達成感を楽しんでいた。試合後にはジャッジスコアを確認し、回転不足などの課題を次の目標にしていたこともSportivaの取材で明らかになっている。
成長期に経験した両膝の手術
競技生活は、決して順調なことばかりではなかった。
2023年7月のCHANTO WEBのインタビューでは、小芝自身が成長期に経験した2度の手術について詳しく語っている。
原因となったのは、成長期のスポーツ選手に起こりやすいオスグッド・シュラッター病だった。
左右の膝に症状が出て、両膝それぞれで手術を経験したという。
最初の手術では3週間入院し、ギプスによる固定も必要だった。退院後は筋力が大きく落ち、以前のように滑ることが難しくなった。
それでも、小芝は競技を続けることを諦めなかった。
「今、練習したいんです。今、練習できないと意味がないから、手術してください」
医師から成長期が終われば症状が改善する可能性について説明を受けたものの、当時の本人にとっては、今この瞬間に練習できることが大切だった。
手術後はスケーティングから練習を再開。同年代の選手との差を感じながらも、徐々に競技レベルを取り戻していった。
ここで重要なのは、膝の手術が直接の引退理由だったわけではないという点だ。
本人のインタビューでは、手術後も競技に復帰し、練習を続けていたことが明らかになっている。引退を決断した主な理由は、その後の芸能活動との両立の難しさだった。
【大会実績】西日本8位だけではない!アイスダンスでも全日本優勝
小芝風花の競技時代の実力を考えるうえで、特に重要なのが実際の大会記録だ。
テレビ番組などでは「西日本8位」という実績が紹介されることが多いが、競技記録を詳しく見ると、シングルだけでなくアイスダンスにも取り組んでいたことが分かる。
2010年の西日本大会で8位入賞
この記録は、日本スケート連盟の大会結果を掲載する公式リザルトで確認できる。
大会は2010年8月13日から15日まで滋賀県立アイスアリーナで開催された。
小芝は参加選手の中で8位に入り、上位入賞を果たしている。
単にスケートが得意な芸能人という紹介ではなく、実際に競技会へ出場し、得点を残していた選手だったことが分かる。
アイスダンスにも挑戦し、全日本ノービスで優勝
さらに見逃せないのが、2011年の第15回全日本フィギュアスケートノービス選手権大会だ。
小芝はシングルだけでなく、アイスダンスにも取り組んでいた。
パートナーは渡邊純也。2011年10月28日から30日に開催された同大会のノービスダンス部門で、29.35点を獲得して1位になった。
ただし、この部門の出場は2組だった。したがって、正確には「全日本ノービスのアイスダンス部門で優勝」であり、女子シングルの全日本チャンピオンになったという意味ではない。
この区別は、競技歴を正しく理解するうえで重要だ。
小芝風花のフィギュアスケート経歴・人物関係年表
これまでの本人インタビューと日本スケート連盟の大会記録を整理すると、次のようになる。
この年表から分かるのは、シングルの大会実績に加えて、アイスダンスという別種目にも挑戦していたことだ。
小芝の競技歴を「西日本8位」だけで評価するのは不十分であり、複数種目に取り組んだ経験も含めて見る必要がある。
【引退理由】浅田真央のCMが芸能界入りのきっかけになった
小芝風花がフィギュアスケートを離れた理由には、意外な人物が関係している。
その人物が、元フィギュアスケート選手の
浅田真央のCMを見て芸能界に興味を持つ
小芝が芸能界を意識するようになったのは、浅田真央が出演していたテレビCMを見たことがきっかけだった。
スケートを滑りながらCMに出演する浅田の姿を見て、小芝は自分も同じような仕事をしてみたいと思ったという。
その発言を聞いていた姉が、オーディションへの応募を勧めた。
こうして挑戦したのが、オスカープロモーションの「ガールズオーディション2011」だった。
結果は、約3万5千人の応募者の中からグランプリを獲得。
当時の小芝は、オーディションで披露できる特技がフィギュアスケートしかなかったため、スケート衣装を着て、氷のないステージ上で振り付けを披露した。
後年、本人は当時の映像を振り返り、恥ずかしかった思い出として語っている。
このエピソードは、2016年に出演したNHKの「スタジオパークからこんにちは」でも紹介された。
最初からスケートを辞めるつもりではなかった
芸能界入りを決めた当初、小芝はスケートを辞めるつもりではなかった。
2023年のCHANTO WEBのインタビューでは、当時の心境について詳しく説明している。
実際、当初はシングル競技を続けるのが難しくなっても、東京でコーチを見つけてアイスダンスを続けられないかと考えていたという。
しかし、2011年11月にオーディションのグランプリを獲得し、12月には上京を求められた。
東京で始まった芸能活動は、想像以上に忙しかった。
お芝居やダンスのレッスンが週6日ほど入り、スケートも本格的に続けるには毎日の練習が必要だった。
そこで小芝は、自分の性格を踏まえて決断する。
器用に複数のことをこなせるタイプではないため、どちらか一つに集中しなければ難しいと考えたのだ。
最終的には、芸能界で仕事を続けていきたいという気持ちが強くなり、競技から離れることを決めた。
つまり、引退理由は単純な成績不振でも、膝の手術による競技断念でもない。
自分で選んだ新しい目標に向かうための決断だった。
【俳優活動への影響】フィギュアスケートで培った身体能力と集中力
小芝風花のフィギュアスケート経験は、競技を離れた後も俳優としての活動に生かされている。
本人が2021年のSportivaのインタビューで語ったのは、主に3つの能力だった。
- 集中力
- 負けず嫌いな性格
- 体幹の強さ
特に体幹については、アクション指導の担当者から褒められることもあるという。
フィギュアスケートは、氷上でジャンプやスピンを行いながら、姿勢とバランスを維持する競技だ。幼少期から繰り返し練習した経験が、映像作品で身体を使った演技をするときにも役立っている。
『魔女の宅急便』で生きた身体能力
小芝は同作の撮影で、ワイヤーに吊られながらほうきを自分で操作する場面を経験した。
その際、身体がぶれにくいことを評価されたと振り返っている。
本人にとっても、スケートで身につけた能力が思いがけない場面で役立った経験だった。
『スケート靴の約束』では競技経験そのものが武器に
この作品では、フィギュアスケートの有望選手を演じた。
共演したのは、実際に競技を続けていた本田望結。小芝自身も過去の経験を生かして氷上の演技に臨んだ。
ただし、競技を離れてから時間が経過していたため、現役時代と同じように滑ることは簡単ではなかったという。
2023年のインタビューでは、身体が成長して以前のようにジャンプできなくなったことや、現役選手だった本田望結と比較される役柄へのプレッシャーも明かしている。
それでも、時間を見つけてリンクで練習し、納得できる演技を目指した。
この経験は、単にスケート経験者だから出演できたという話ではない。過去に身につけた技術を、俳優として再び表現する難しさにも直面していた。
【プロの結論】競技経験が俳優としての強みになる理由
小芝風花の経歴から読み取れるのは、スポーツで培った能力が、演技の現場でも応用できるということだ。
特に注目したいのは、次の3つのつながりである。
| 競技時代の経験 | 俳優活動への応用 |
|---|---|
| 週6日の練習 | 継続的な役作りや準備 |
| ジャンプやスピンの反復 | 身体操作と動作の正確さ |
| 試合後の採点分析 | 演技を振り返り改善する姿勢 |
| 目標を設定して努力 | 長期的な役柄への取り組み |
小芝本人も、スケートで身につけた集中力や負けず嫌いな性格が現在の仕事に生きていると話している。
演技力は台本の読み込みや感情表現だけで決まるものではない。身体を自在に動かし、何度も同じ動作を再現し、細かな課題を修正する能力も必要になる。
その意味で、約5年間の競技経験は、現在の俳優活動を支える重要な土台になっている。
【2026年最新】小芝風花は現在もスケートを続けている?
2026年11月4日現在、小芝風花は俳優として活動を続けている。
一方、フィギュアスケートについては、競技選手として復帰したという公式発表は確認できない。
現在は俳優業が中心
所属事務所トップコートの公式プロフィールによると、2026年には次の作品に出演している。
- NHK夜ドラ『事件は、その周りで起きている3』主演
- NHK BS時代劇『あきない世傳 金と銀3』主演
- 映画『えんとつ町のプペル ~約束の時計台~』ナギ役(声の出演)
また、2026年12月には『あきない世傳 金と銀 完結編』の放送も予定されている。
BSP4Kでは12月26日、BSでは2027年1月1日の放送が所属事務所から告知されている。
現在のスケートとの関わり
2021年のSportivaのインタビューで、小芝は当時、ほとんどスケートを滑れておらず、以前通っていた臨海スポーツセンターにも何年も行けていないと話していた。
バラエティ番組などで滑る機会はあったものの、日常的にリンクへ通う生活ではなくなっていた。
2025年2月28日放送のNHK「あさイチ」では、改めて競技時代を振り返り、西日本大会8位の実績や芸能界入りのきっかけを語った。
このことから、現在もスケートへの思い出や関心を持っていることはうかがえる。ただし、過去の競技経験と現在の競技活動は区別する必要がある。
現状は、フィギュアスケートを本格的に続ける選手ではなく、その経験を俳優としての表現に生かしている段階と整理できる。
【よくある質問】小芝風花のフィギュアスケートに関するFAQ
Q1:小芝風花は何年間フィギュアスケートをしていましたか?
A1:小学3年生から中学2年生までの約5年間です。本人によると、週6日の練習を続け、早朝からリンクに通っていました。
Q2:小芝風花のフィギュアスケートの最高実績は何ですか?
A2:2010年の西日本中小学生フィギュアスケート競技会で、6級ジュニア選手権女子8位を記録しています。また、2011年の全日本ノービス選手権では、渡邊純也とのペアでアイスダンス部門1位になりました。
Q3:小芝風花はなぜフィギュアスケートを引退したのですか?
A3:芸能界入り後、演技やダンスのレッスンとスケートの練習を両立することが難しくなったためです。膝の手術も経験していますが、それが直接の引退理由ではありません。
Q4:小芝風花のコーチは誰でしたか?
A4:大阪の臨海スポーツセンターで小関悦也コーチに習い、その後、平池大人(たいじん)コーチの指導を受けていました。
Q5:小芝風花は現在もフィギュアスケートをしていますか?
A5:2026年11月現在、競技復帰の公式発表は確認できません。現在は俳優活動を中心に活躍しています。
Q6:小芝風花はオリンピックを目指していたのですか?
A6:はい。2025年の「あさイチ」出演時には、当時オリンピック出場が夢だったと振り返っています。競技に本格的に取り組み、将来を目指していたことが分かります。
まとめ:小芝風花のフィギュアスケート経験は現在の女優人生につながっている
小芝風花のフィギュアスケート歴を振り返ると、単なる子ども時代の習い事ではなかったことが分かる。
小学3年生で競技を始め、週6日の練習を約5年間続けた。西日本中小学生大会では8位に入り、アイスダンスでは全日本ノービス選手権の優勝も経験している。
その過程では、両膝の手術や競技復帰という困難も経験した。
そして、浅田真央のCMへの憧れから芸能界に興味を持ち、2011年のオーディションでグランプリを獲得。最終的には、スケートと俳優業のどちらにも全力を注ぐことが難しいと判断し、新しい道を選んだ。
現在の小芝風花を理解するうえで、フィギュアスケートは見過ごせない経歴だ。
特に、身体能力、集中力、目標に向けて努力を積み重ねる姿勢は、本人も俳優活動に生きていると認めている。
小芝風花はフィギュアスケートを辞めたことで夢を失ったのではない。競技で培った経験を、新しい夢である俳優業へとつなげていった。
2026年も主演作や映画出演が続く彼女にとって、氷上で過ごした5年間は、今も表現者としての原点であり続けている。