王貞治と長嶋茂雄の関係を一言で表すなら、互いに異なる個性を持ちながら、同じ時代の巨人を背負った最高のライバルであり盟友だ。
2人の年齢差は約4年。長嶋氏は1936年2月20日生まれ、王氏は1940年5月20日生まれである。
プロ入りは長嶋氏が1958年、王氏が1959年。長嶋氏は立教大学から巨人に入団し、デビュー当初からスター選手として注目を集めた。一方、王氏は早稲田実業高校から巨人に入り、プロ入り直後は打撃に苦しみながらも、一本足打法を身につけて歴史的なホームラン打者へと成長した。
性格もプレースタイルも対照的だった2人
長嶋氏は、華やかなプレーと勝負強さで観客を魅了した選手だった。
打席での思い切りのよさだけでなく、三塁守備や走塁でも観客の視線を集めた。プレーそのものが観客を楽しませる、まさにスター性を備えた存在だった。
対する王氏は、打撃技術を徹底的に追求する職人的な側面が強かった。
一本足打法という独自のフォームを磨き、相手投手との駆け引きや選球眼を武器に、圧倒的な本塁打数を積み上げた。
2人の違いは、単なる打者としての個性にとどまらない。
- 長嶋茂雄:華やかさ、勝負強さ、走攻守の総合力
- 王貞治:打撃技術、圧倒的な長打力、継続的な記録更新
この対照的な個性が同じ打線に存在したことが、巨人の強さと人気を支えた。
王氏が長嶋氏から受けた影響
王氏は後年、長嶋氏についてさまざまな場面で敬意を示している。
特に象徴的なのが、2000年の日本シリーズを振り返った際の発言だ。王氏は、長嶋氏が率いる巨人と対戦することについて、選手時代からともに戦ってきた相手だからこその特別な感慨があったと語っている。
2人は同じチームで競い合いながら、それぞれの方法で日本野球の頂点を目指していた。
単純な上下関係ではなく、互いの存在が自分自身の成長を促す関係だったのである。
【ONコンビ誕生の経緯】天覧試合から巨人の看板へ
「ON」とは、王貞治のOと長嶋茂雄のN、それぞれのローマ字表記の頭文字を組み合わせた呼称だ。
現在では日本野球を象徴する言葉として定着しているが、その背景には、2人が同じ時代に巨人の中心選手として活躍した歴史がある。
1959年の天覧試合が象徴するONの存在感
ONコンビの歴史を語る際に欠かせないのが、1959年6月25日の天覧試合である。
後楽園球場で行われた巨人対阪神戦には昭和天皇が観戦に訪れた。
この試合では、長嶋氏が5回に同点本塁打を放ち、王氏も7回に同点本塁打を記録。さらに9回裏には長嶋氏がサヨナラ本塁打を放ち、巨人が劇的な勝利を収めた。
2人が同じ試合で本塁打を記録する「ONアベック本塁打」の最初の例としても知られている。
後年の報道では、2人のアベック本塁打は通算106回に達したとされる。単に2人が同じチームに所属していたというだけではなく、試合の重要な局面でそろって結果を残してきたことが、ONという呼称を特別なものにした。
「ON砲」という言葉はどのように生まれたのか
ONコンビと並んで有名なのが「ON砲」という表現だ。
これは王氏と長嶋氏が同じ試合で本塁打を放つことを意味する、スポーツ紙を中心に広まった言葉である。
J-CASTニュースの2019年の取材記事によると、「ON砲」という見出しが初めてスポーツ紙に登場したのは1963年のデイリースポーツだったという。
当時の巨人では、王氏が3番、長嶋氏が4番を務める試合が多かった。
つまり、相手投手にとっては、王氏を抑えても長嶋氏が控え、長嶋氏を抑えても王氏が控えるという厳しい打線だった。
2人の本塁打が連続すれば、試合の流れを一気に変える。ON砲という言葉は、その破壊力を端的に表現していた。
【巨人V9の真実】王と長嶋が築いた黄金時代はなぜ強かったのか
1965年から1973年まで、巨人は日本シリーズで9年連続日本一を達成した。
この記録が、いわゆる「巨人V9」である。
当時の監督は川上哲治氏。王氏と長嶋氏は、そのチームの攻撃を支える中心選手だった。
V9の9年間に何が起きたのか
V9は、単に強打者が2人いたから実現したわけではない。
川上監督のチームづくり、投手陣の安定感、守備力、選手層の厚さなど、さまざまな要素が組み合わさっていた。
その中でも、王・長嶋の存在は非常に大きかった。
王氏が本塁打と打点で相手に圧力をかけ、長嶋氏が安打や勝負強い打撃、走塁で攻撃を活性化する。
この2人を中心に打線が形成されることで、巨人は長期にわたって優勝争いを優位に進めた。
NPBの日本野球史でも、1973年の巨人9年連続日本シリーズ優勝は歴史的な出来事として記録されている。
ONコンビがプロ野球人気に与えた影響
V9時代の巨人は、単に勝つチームではなかった。
王氏と長嶋氏という、誰もが知るスター選手が在籍していたことで、試合そのものが大きな娯楽となっていた。
特にテレビ中継との相性は抜群だった。
打席に立つ長嶋氏の華やかな動き、王氏が本塁打を放つ瞬間、そして試合後の優勝セレモニー。こうした場面が全国の家庭に届けられ、巨人ファン以外にも2人の名前が浸透していった。
ONコンビは、プロ野球のスター選手がスポーツの枠を超えて国民的な知名度を獲得するモデルを作ったとも考えられる。
ここに、2人の歴史的な価値がある。
【王貞治と長嶋茂雄の成績比較】868本と444本の違いを検証
王氏と長嶋氏は、どちらも巨人を代表する歴史的な打者だが、通算成績を比較すると明確な違いが見えてくる。
日本野球機構(NPB)の公式個人年度別成績に基づく通算記録を比較してみよう。
2人の通算打撃成績一覧
出典:日本野球機構(NPB)公式個人年度別成績。通算成績は両者の現役引退時までの記録。
王貞治の868本塁打は何がすごいのか
王氏の最大の実績は、やはり通算868本塁打だ。
NPBの歴代通算本塁打記録でもトップに位置する。
王氏は1962年以降に一本足打法を本格的に取り入れ、長年にわたって本塁打を量産した。
特に1970年代には、毎年のように本塁打王争いの中心となり、1973年にはシーズン51本塁打を記録している。
加えて、1977年9月3日には通算756本塁打を達成。ハンク・アーロン氏が持っていた記録を超え、世界的な注目を集めた。
この功績を称え、王氏は国民栄誉賞の第1号受賞者となった。
長嶋茂雄の444本塁打と打率.305の価値
長嶋氏の通算本塁打は444本。
王氏と比較すると本塁打数は少ないが、通算打率は.305で、王氏の.301を上回る。
また、長嶋氏は通算2471安打を記録し、三塁手としての守備や走塁でも高い評価を受けた。
長嶋氏を本塁打数だけで評価すると、その選手としての総合的な価値を見落とすことになる。
成績比較から分かる本当の違い
数字だけを見れば、ホームランの王、打率の長嶋という特徴が分かる。
しかし、両者の価値は単純な優劣では測れない。
王氏は長期にわたって本塁打を積み重ねる継続性を示した。一方、長嶋氏は打撃成績に加えて、試合の流れを変えるプレーや観客を引きつける魅力を発揮した。
王氏が記録で球史に名を残し、長嶋氏が記録とスター性の両面でプロ野球の象徴になった。
この違いこそが、2人を比較する際の要点である。
【2000年の日本シリーズ】長嶋巨人と王ダイエーのON対決
ONコンビの歴史で、もう一つ忘れられない出来事がある。
それが2000年の日本シリーズだ。
現役時代に巨人の黄金時代を築いた2人が、今度は監督として日本一を争うことになった。
長嶋巨人対王ダイエーという夢の対戦
当時、長嶋氏は巨人の監督、王氏は福岡ダイエーホークスの監督を務めていた。
王氏は1995年からダイエーの監督に就任。巨人とは異なる球団でチームづくりに取り組み、福岡を拠点に新たな挑戦を続けていた。
一方、長嶋氏は巨人の指揮官としてチームを率いていた。
この2人が日本シリーズで対戦することは、現役時代からのファンにとって特別な意味を持っていた。
選手としてともに戦った盟友が、今度は異なるユニフォームを着て日本一を争う。
このシリーズは「ON対決」「ONシリーズ」と呼ばれ、大きな注目を集めた。
2000年日本シリーズの試合結果
NPBの公式記録によると、2000年の日本シリーズは次の結果となった。
- 巨人:4勝
- ダイエー:2勝
- 日本一:巨人
- 巨人監督:長嶋茂雄
- ダイエー監督:王貞治
巨人は東京ドームでの第1戦、第2戦に連敗したものの、福岡ドームでの第3戦を9対3で制して反撃を開始。
その後、第4戦から第6戦まで勝利し、4連勝で日本一を決めた。
第3戦では高橋由伸氏と松井秀喜氏のアベック本塁打も飛び出し、巨人が勢いを取り戻すきっかけとなった。
最終的には長嶋巨人が王ダイエーを破り、日本一に輝いたのである。
王氏が振り返った特別な日本シリーズ
2025年6月3日、長嶋氏の訃報を受けて取材に応じた王氏は、2000年の日本シリーズについても振り返った。
王氏にとって、長嶋氏と監督として対戦することは長年の願いでもあった。
日本シリーズで実際に対戦できたこと自体に、大きな喜びを感じていたという。
勝敗だけを見れば長嶋巨人の勝利だが、この対決はどちらか一方の敗北を意味するものではなかった。
選手時代からともに日本野球を背負ってきた2人が、それぞれの監督人生で到達した大舞台だった。
この2000年の対決は、ONコンビの歴史を語るうえで欠かせない最終章の一つとなった。
【2025年6月3日の訃報】長嶋茂雄への王貞治の追悼コメントと2026年の新賞
2025年6月3日、日本プロ野球界に大きな悲しみが広がった。
読売ジャイアンツ終身名誉監督の長嶋茂雄氏が、肺炎のため東京都内の病院で亡くなった。享年89歳だった。
東京都の公式発表でも、逝去日は2025年6月3日、享年89歳と公表されている。
王貞治が発表した追悼コメント
長嶋氏の訃報を受け、ソフトバンクの王貞治球団会長はコメントを発表した。
その中で、特に印象的だったのが次の言葉だ。
「長嶋さんには色々と教えていただきました。一緒に野球ができたことを本当に感謝しています」
このコメントはソフトバンクを通じて公表された。
さらに同日、王氏は報道陣の取材にも応じ、長嶋氏の人生について語った。
王氏が振り返ったのは、2004年に脳梗塞で倒れた後も、リハビリに取り組み続けた長嶋氏の姿だった。
苦しい状況でも前向きに取り組み、決して退くことのない姿勢を貫いていたという。
また、長嶋氏について「特別な存在」だったという趣旨の思いも語った。
単なる元チームメートへの追悼ではない。半世紀以上にわたって同じ野球界を歩んできた盟友との別れだった。
亡くなる半年前にも実現していたONの再会
実は、2人は長嶋氏が亡くなる約半年ほど前にも、公の場で再会していた。
2024年11月30日、東京ドームで開催された「ジャイアンツ・ファンフェスタ2024」の球団創設90周年記念セレモニーである。
歴代OBが集まる中、王氏と長嶋氏がそろって登場。
2人が握手を交わす姿は、多くのファンの記憶に残った。
巨人公式の追悼ページでも、このセレモニーの様子が紹介されている。
現役時代にV9を支えた2人が、巨人の節目となる90周年に再び同じグラウンドに立った。その光景は、ONの歴史が現在にも続いていることを感じさせるものだった。
2026年創設「長嶋茂雄賞」とは?
長嶋氏の功績を後世に伝える新たな制度として、2025年11月10日、日本野球機構(NPB)は「長嶋茂雄賞」の創設を発表した。
対象となるのは、日本プロ野球12球団に所属する野手。
2026年シーズン以降の公式戦とポストシーズンにおいて、走攻守で顕著な活躍をし、さらにプレーでファンを魅了するなど、プロ野球の文化的価値向上に貢献した選手が選ばれる。
この賞の特徴は、単純な打率や本塁打数だけを評価するものではない点にある。
長嶋氏のように、数字に表れない魅力やプレーの華やかさも含めて評価するという考え方が込められている。
王貞治も選考委員に就任
2026年3月2日、NPBは長嶋茂雄賞の選考委員5人を発表した。
選考委員は次の5人である。
- 王貞治
- 山本浩二
- 岡田彰布
- 栗山英樹
- 松井稼頭央
王氏が選考委員に名を連ねたことは、ONコンビの歴史を考えるうえでも象徴的だ。
長嶋氏と同じ時代を戦った王氏が、今度は後世の選手を評価する立場に立つ。
選考は日本シリーズ終了後に行われ、表彰はシーズン終了後のNPB AWARDSで実施される。正賞はメダル、副賞は賞金300万円と定められている。
2026年11月6日時点では、初年度の受賞選手を決めるための選考結果が注目される段階にある。
王貞治の現在は?ソフトバンク球団会長として活動
長嶋氏が亡くなった2025年以降も、王氏は野球界で重要な役割を担っている。
2026年現在、王氏は福岡ソフトバンクホークスの取締役会長、球団会長を務める。
かつて巨人で選手として活躍し、巨人監督、ダイエー・ソフトバンク監督、日本代表監督を経験した王氏は、現在も球界の発展を支える立場にある。
NPBが発表した長嶋茂雄賞の選考委員にも就任しており、現役時代の盟友の功績を次世代へ伝える役割も担っている。
王貞治と長嶋茂雄の国民栄誉賞は同じ年だった?
2人の功績を語るうえで、国民栄誉賞も要点だ。
ただし、受賞した年は異なる。
- 王貞治:1977年9月5日。通算756本塁打の新記録達成を称えられ、国民栄誉賞の第1号となった。
- 長嶋茂雄:2013年5月5日。松井秀喜氏とともに国民栄誉賞を受賞した。
長嶋氏と松井氏の表彰式は東京ドームで行われた。
王氏は国民栄誉賞の制度が始まった際の第1号であり、長嶋氏は長年の選手・監督としての功績を評価されて受賞した。
つまり、2人は同じ国民栄誉賞受賞者でありながら、異なる時代、異なる功績によって日本を代表する存在として顕彰されたのである。
【王貞治と長嶋茂雄に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:王貞治と長嶋茂雄はどちらが年上ですか?
A1:長嶋茂雄氏が年上です。長嶋氏は1936年2月20日生まれ、王氏は1940年5月20日生まれで、約4歳の年齢差があります。
Q2:王貞治と長嶋茂雄の通算本塁打数は何本ですか?
A2:王氏は868本、長嶋氏は444本です。王氏はNPB歴代最多の通算本塁打記録を保持しています。
Q3:ONコンビはなぜ有名になったのですか?
A3:巨人の中心打者として、2人が同じ時代に活躍したからです。特に1965年から1973年までのV9を支え、アベック本塁打も通算106回記録したことが、ONコンビの知名度を高めました。
Q4:2000年のON対決はどちらが勝ちましたか?
A4:長嶋茂雄氏が率いる巨人が、王貞治氏率いるダイエーを4勝2敗で破り、日本一になりました。
Q5:長嶋茂雄賞はいつから始まりましたか?
A5:2026年シーズンから始まりました。走攻守で活躍し、ファンを魅了した野手を表彰する制度です。王氏も選考委員を務めています。
Q6:王貞治は2026年現在、何をしていますか?
A6:福岡ソフトバンクホークスの取締役会長・球団会長を務めています。長嶋茂雄賞の選考委員としても活動しています。
まとめ:【プロの結論】ONコンビが日本野球に残したものとは
王貞治と長嶋茂雄の関係は、単なる巨人の名選手同士という言葉では説明しきれない。
王氏は通算868本塁打という圧倒的な記録を残し、長嶋氏は444本塁打と打率.305、そして多くのファンを魅了するプレーで球史に名を刻んだ。
2人がともに巨人の中心に立ったことで、1965年から1973年までのV9という歴史的な黄金時代が生まれた。
さらに2000年には監督として日本シリーズで対決。長嶋巨人が日本一を勝ち取ったものの、王氏にとっても忘れられない特別なシリーズとなった。
2025年6月3日に長嶋氏が亡くなった後、王氏が発した「一緒に野球ができたことを本当に感謝しています」という言葉は、2人の関係を象徴している。
そして2026年には長嶋茂雄賞が創設され、王氏自身も選考委員に加わった。
ONコンビの本当の価値は、868本と444本という数字だけではない。互いの個性を認め合い、競い合い、日本野球そのものの魅力を高めたことにある。
長嶋茂雄賞が次世代の選手に受け継ごうとしているのも、まさにその精神だ。
記録を残すこと、勝利を目指すこと、そしてファンを魅了すること。王貞治と長嶋茂雄が築いたONの歴史は、これからも日本プロ野球を語る際の重要な基準であり続ける。