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もののけ姫の乙事主は何者?500歳の猪神の正体と最期・タタリ神化の理由を徹底解説

相沢 直樹 相沢 直樹 • 更新: • 公開: • 読了約 22 分
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『もののけ姫』に登場する乙事主(おっことぬし)は、鎮西(九州)から一族を率いてやって来た、500歳の巨大な猪神です。白い巨体と4本の牙を持つ威厳ある存在で、森を守るために人間との戦いを決意します。声を担当したのは、名優・森繁久彌。老齢のため目が見えないという設定も、物語終盤の悲劇に深く関係しています。

しかし、乙事主はなぜタタリ神になってしまったのでしょうか。仲間のナゴの守との関係、モロの君との意外な過去、サンとの交流、そしてシシ神に命を奪われる最期までを整理すると、単なる敵役ではない乙事主の悲劇が見えてきます。2026年の4K UHD発売やスーパー歌舞伎での再展開も踏まえ、キャラクターの正体と物語上の意味を詳しく解説します。

【乙事主は何者?】読み方・500歳・鎮西から来た猪神の正体

もののけ姫乙事主

乙事主の読み方は「おっことぬし」

乙事主は「おっことぬし」と読みます。

スタジオジブリの映画『もののけ姫』に登場する、巨大な白いイノシシの神です。一般的な猪ではなく、山の神としての神格を持ち、多数の猪神を率いる長老であり、一族の王という立場にあります。

その姿には、ほかの猪神とは異なる特徴があります。

- 巨大な白い身体
- 2対、合計4本の大きな牙
- 長い年月を生きてきた老齢の猪神
- 一族を率いる強い指導力
- 人間に対する深い警戒心と怒り

乙事主は、単純に人間を襲う獣ではありません。自分たちの生存する場所を奪われ、仲間を殺されたことに対して立ち上がった存在です。

乙事主は500歳!鎮西(九州)の猪神の王

乙事主の年齢は500歳です。

この設定は、2023年7月に日本テレビ『金曜ロードショー』の公式SNSが紹介した作品の裏話でも取り上げられました。同時に、モロの君の年齢は300歳と紹介されています。

乙事主は、鎮西(九州)を治める猪神の王という設定です。

ここでいう鎮西とは、九州地方を指す歴史的な呼称です。乙事主はシシ神の森に最初から住んでいたわけではなく、遠方から一族を引き連れてやって来ました。

その目的は、エボシ御前たち人間によって森が破壊されることを食い止めることです。

500年という長い時間を生きてきた乙事主は、人間と自然の関係が変化していく様子を見続けてきた存在でもあります。

しかし、彼が率いる猪の一族は以前のような力を保てなくなっていました。乙事主自身も、一族の猪たちが小型化し、知恵を失いつつあることを憂えています。

乙事主の名前の由来は長野県富士見町の地名?

乙事主という独特な名前には、長野県富士見町とのつながりがあります。

富士見町には「乙事(おっこと)」という地区があり、長野県の公式観光情報でも、この地域の森が『もののけ姫』のモチーフとなった場所として紹介されています。

宮崎駿監督も富士見町との縁が深く、同地域の地名は作品の登場人物の名前にも取り入れられています。

ただし、乙事という土地に実在する猪神をそのまま映画に登場させたという意味ではありません。地名とキャラクターの名前、そして地域の自然環境を区別して理解する必要があります。

また、民俗学者の畑中章宏氏は、乙事主の猪神としての姿について、猪に乗る仏教の守護神・摩利支天との関連性を考察しています。これは興味深い民俗学的仮説であり、制作側が公式に確定したモデル設定とは異なります。

【森繁久彌が声を担当】乙事主とナゴの守・モロ・サンの関係

乙事主の声優は名優・森繁久彌

乙事主の声を担当したのは、俳優の森繁久彌(もりしげ・ひさや)です。

森繁久彌は1913年5月4日生まれ。映画、舞台、ラジオ、テレビなど幅広い分野で活躍した日本を代表する俳優です。

特に知られる代表作には、映画の「社長シリーズ」「駅前シリーズ」があります。また、舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』では、20年間にわたり約900回の公演を務めました。

2009年11月10日、96歳で亡くなっています。

日本コロムビアの公式プロフィールにも、俳優としての幅広い活動歴が記録されています。

乙事主の声には、長く生きてきた存在ならではの重厚さがあります。

怒りをあらわにする場面だけでなく、アシタカからナゴの守の最期を聞く場面では、威厳の奥にある悲しみや思いやりも感じられます。

森繁久彌の落ち着いた声が、乙事主を単なる巨大な怪物ではなく、長い歴史を背負った老いた神として印象づけています。

乙事主とナゴの守はどんな関係?

ナゴの守は、乙事主と同じ猪神の一族に属する仲間です。

ナゴの守は、エボシ御前たち人間との争いによって石火矢の鉄つぶてを撃ち込まれ、その苦痛と怒りからタタリ神になってしまいました。

その後、東へ向かい、アシタカの村を襲撃します。

アシタカは村を守るためにナゴの守を倒しますが、その際に右腕へ呪いを受けます。

乙事主にとってナゴの守の死は、一族の仲間を人間に奪われた重大な出来事でした。

アシタカがその最期を伝えに来た際、乙事主は怒りだけを示すのではなく、話を聞いたうえで礼を述べています。

ここに、彼の誇り高さと理性が表れています。

乙事主とモロの君は元恋人だった?

乙事主とモロの君には、映画本編だけでは分からない意外な裏設定があります。

それは、2人が約100年前まで親密な関係にあったというものです。

2023年に日本テレビ『金曜ロードショー』の公式SNSが紹介した設定によると、乙事主とモロは旧知の間柄で、かつて良い仲だったとされています。

2人の年齢は乙事主が500歳、モロが300歳。いずれも長い年月を生きてきた神です。

この裏設定を知ってから2人の会話を見直すと、単なる敵対する種族の長同士とは違う、複雑な感情が見えてきます。

森を守るという目的は同じでも、戦い方については意見が分かれています。

モロは人間の武器の威力を理解しており、猪の一族が正面から戦えば大きな犠牲が出ると考えています。

一方の乙事主は、一族の誇りを守るために正面から戦う道を選びます。

乙事主と主要キャラクターの関係一覧

物語を理解するうえで重要な人物・神々との関係を整理します。

人物・神 乙事主との関係 物語上の役割 ナゴの守 同じ猪神の一族の仲間 人間に殺され、タタリ神となったことが戦いの発端になる。 モロの君 森を守る同志。過去に親密な関係があった裏設定もある。 戦略の違いから乙事主と対立する。 サン モロの娘として認識している。 目の見えない乙事主を助け、戦場で支える。 アシタカ ナゴの守の最期を伝えた人間。 乙事主に事実を伝え、争いを止めようとする。 エボシ御前 森を侵害する人間側の指導者。 乙事主が戦う直接的な相手となる。 シシ神 森の生命を司る神。 最後に乙事主の命を吸い取る。

特に注目したいのは、乙事主とモロの関係です。

2人は人間に森を奪われることを憎んでいます。しかし、モロは生き残るための戦略を考え、乙事主は一族の誇りを守るために戦うことを選びました。

この違いが、後半の悲劇を大きく左右します。

【目が見えないのはなぜ?】乙事主の盲目とサンが担った役割

乙事主には、もう一つ重要な特徴があります。

それは、目が見えないことです。

映画の中でサンが乙事主と対面した際、目が見えないことに気づいて言葉をかける場面があります。

サンはモロのもとを離れ、乙事主の目となるために猪の一族のもとへ向かいます。

乙事主はなぜ目が見えないのか

映画では乙事主が盲目であることは描かれていますが、具体的な病名や医学的な原因までは説明されていません。

500歳という年齢や、目の状態から老齢による視力の衰えを連想させる演出になっています。

白内障などの具体的な病気を公式設定として断定することはできません。

一方、視覚を失っていても乙事主の能力は衰えきっていません。

嗅覚や周囲の気配を感じ取る能力に優れ、長年生きてきた神としての洞察力も持っています。

つまり、目が見えないからといって無力な存在ではないのです。

サンが乙事主の目になろうとした理由

サンはモロの娘として育てられた人間です。

しかし、彼女は人間という出自だけで自分の立場を決めているわけではありません。山犬の一族とともに生き、森を守るために戦っています。

乙事主に対しても、敵味方という単純な区分ではなく、助けるべき存在として接します。

とりわけ、戦闘によって視界を失った乙事主を支えることには大きな意味があります。

エボシ側の人間たちは、煙などを使って猪の嗅覚を混乱させる作戦を展開します。

視覚に頼れない乙事主にとって、周囲の状況を正しく把握できないことは致命的です。

サンが目となることは、単なる介助ではありません。

乙事主が森の奥へ進み、シシ神に会うための重要な支援だったのです。

しかし、そのサンの存在さえも、最後には人間たちの仕掛けた罠から乙事主を救いきることはできませんでした。

【なぜタタリ神になった?】乙事主が変貌するまでの経緯を時系列で解説

乙事主の物語で最も印象的なのが、終盤にタタリ神へと変わってしまう場面です。

もともと誇り高く、理性を持った神だった乙事主が、なぜ人間への憎しみに飲み込まれてしまったのでしょうか。

その背景には、複数の出来事が重なっています。

① ナゴの守が人間に殺される

最初のきっかけは、仲間のナゴの守の死です。

エボシ御前たちが森を開発し、鉄を作るために自然を破壊していたことに対し、ナゴの守は抵抗しました。

しかし、石火矢の攻撃を受け、身体に鉄つぶてを撃ち込まれます。

その苦しみと憎しみからタタリ神となり、東へ向かってアシタカの村を襲いました。

アシタカは村を守るためにナゴの守を倒しますが、その際に呪いを受けます。

この出来事は、猪の一族にとって仲間を奪われた悲劇でした。

② 乙事主が一族を率いて人間との戦いを決意する

ナゴの守の死を知った乙事主は、鎮西から猪の一族を率いてシシ神の森へやって来ます。

彼は人間との戦いを避けようとはしません。

モロの君は、石火矢を持つ人間に対して数だけで戦っても勝てないと忠告します。

しかし、乙事主には別の危機感がありました。

猪の一族は弱体化し、以前のような力を失いつつあります。

このままでは、人間に狩られるだけの存在になってしまう。

だからこそ、たとえ一族が全滅しても人間に自分たちの存在を思い知らせたいと考えたのです。

③ エボシ御前との戦いで一族が壊滅する

乙事主はモロの忠告を聞き入れず、人間との正面衝突を選びます。

しかし、エボシ御前たちが持つ石火矢や戦闘のための仕掛けは、猪の一族にとって大きな脅威でした。

戦いの結果、多くの猪神が命を落とし、乙事主自身も深い傷を負います。

この時点で、乙事主はすでに一族の長として大きなものを失っています。

④ 猪の皮をかぶった人間にだまされる

乙事主の悲劇を決定づけたのが、ジバシリたちの策略です。

ジバシリは、死んだ猪たちの皮を利用し、仲間の猪神に見えるように偽装します。

視覚を失っていた乙事主は、近づいてくる存在を死んだ仲間たちが戻ってきたものと信じてしまいます。

乙事主は、黄泉の国から戦士たちが帰ってきたと思い込み、シシ神のもとへ進もうとします。

しかし、実際にそこにいたのは、仲間の姿を利用した人間たちでした。

この場面の残酷さは、単に敵にだまされたということだけではありません。

乙事主にとって、死んだ仲間たちが戻ってきたという希望そのものが、人間の策略によって利用されてしまったのです。

⑤ 怒りと絶望からタタリ神へ変貌する

負傷した身体、失われた仲間、そして人間への怒り。

それらが重なった乙事主は、ついにタタリ神へと変貌します。

身体から黒い不気味な触手が広がり、もはや本来の猪神としての姿を保てなくなっていきます。

サンもその暴走に巻き込まれ、危険な状態に陥ります。

モロやアシタカはサンを救おうとしますが、乙事主の変貌を完全に止めることはできません。

ここで重要なのは、乙事主が最初からタタリ神だったわけではないという点です。

ナゴの守と同じように、人間による破壊や攻撃、仲間を失った苦しみが、神の心を憎しみで覆ってしまったのです。

【乙事主の最期・死亡】シシ神に命を奪われた理由と悲劇の意味

乙事主は最終的に死亡します。

その最期は、単純に人間との戦いに敗れたというだけではありません。

乙事主は完全にタタリ神になってしまったのか

乙事主は終盤で黒い触手をまとい、タタリ神として暴走します。

しかし、その姿には、かつての一族の王としての誇りや、仲間を失った悲しみが残されているようにも見えます。

乙事主が変貌した原因は、単なる敵意ではありません。

人間によって仲間を奪われ、自分の身体も傷つき、さらに死んだ仲間が戻ってきたという錯覚まで利用されたことが、彼を追い詰めました。

この点で、ナゴの守の最期とも重なるものがあります。

シシ神はなぜ乙事主の命を吸い取った?

暴走する乙事主のもとに現れたのがシシ神です。

シシ神は生命を与えるだけでなく、命を奪う力も持っています。

乙事主はシシ神と接触しますが、傷を治してもらうことはできません。

最終的にシシ神によって命を吸い取られ、乙事主は死亡します。

ここで誤解したくないのは、シシ神が乙事主を元の猪神に戻したわけではないということです。

シシ神は生と死の両方を司る存在であり、人間側にも森側にも都合よく味方する神ではありません。

乙事主が命を失った理由について、シシ神の救済だったのか、暴走するタタリ神を止める行為だったのかは、映画の中で明確に説明されていません。

ただし、物語の流れからは、森を守ろうとした神でさえ、人間との争いの中で命を落とすという厳しい現実が読み取れます。

乙事主の死が物語に残したもの

乙事主の死は、猪の一族の敗北だけを意味するものではありません。

彼が最後まで守ろうとしたのは、自分の命だけではなく、一族が生きてきた場所と誇りでした。

しかし、その誇りを守るために選んだ戦いが、結果的に一族の壊滅につながってしまいます。

一方、モロもまた森を守るために戦い、最後には命を落とします。

人間と森の神々の争いは、勝者と敗者を簡単に決められるものではありません。

乙事主の最期は、自然を破壊する側だけでなく、自然を守る側にも大きな犠牲が生じることを示しています。

【乙事主の名言・セリフ】誇りと怒りが表れた印象的な言葉

乙事主のセリフには、500年という長い年月を生きた神としての威厳と、人間への深い怒りが込められています。

特に印象的なのが、次の言葉です。

「たとえ、わが一族ことごとく滅ぶとも人間に思い知らせてやる」

このセリフは、乙事主の生き方を象徴しています。

彼は人間に勝てる確証があって戦いを選んだわけではありません。

むしろ、人間の持つ武器の強さも、一族が弱体化していることも理解しています。

それでも退かないのは、一族の誇りを守りたいという思いがあるからです。

この言葉には、単純な復讐心だけでは説明できない、長い年月を生きてきた神の意地が表れています。

「お若いの、森を去れ。次に会うときは殺さねばならぬ」

アシタカに対して語るこの言葉も、乙事主の性格をよく表しています。

彼は人間を憎んでいますが、アシタカの話を聞くことまで拒否しているわけではありません。

ナゴの守の最期を伝えてくれたことには感謝しています。

しかし、人間との戦いをやめるつもりはありません。

つまり、相手の行動を認めることと、自分の信念を曲げることを別に考えているのです。

この態度は、乙事主が単なる怒りに支配された怪物ではなく、最後まで自分の考えを持った神だったことを示しています。

【プロの結論】乙事主は悪役ではなく、滅びゆく自然の象徴

乙事主の物語を読み解くうえで重要なのは、彼を単純な悪役として扱わないことです。

彼は人間に敵対しますが、その背景には森を奪われ、仲間を失い、一族の未来まで脅かされるという事情があります。

乙事主の悲劇には、次の3つの視点があります。

1. 自然の生存競争: 人間の開発によって、動物や神々の居場所が失われていく。
2. 誇りと生存の衝突: 一族の尊厳を守ろうとすることが、必ずしも一族を生き残らせるとは限らない。
3. 憎しみの連鎖: 仲間を失った怒りが新たな破壊を生み、さらに多くの命を奪っていく。

モロは生き残るために人間との戦い方を考えましたが、乙事主は一族の誇りを優先しました。

どちらが正しいと簡単には決められません。

しかし、乙事主の最期を見ると、憎しみだけでは守りたいものを守れないという厳しい現実が伝わってきます。

2026年も乙事主に注目が集まる理由

2026年には『もののけ姫』の4K UHD+ブルーレイが6月24日に発売されました。スタジオジブリ公式発表によると、4Kデジタルリマスター版を収録した商品です。

加えて、2026年7・8月には新橋演舞場でスーパー歌舞伎『もののけ姫』が上演され、乙事主役は市川中車が務めました。

映画公開から年月を経ても、乙事主のようなキャラクターが舞台作品として再び描かれることは、作品の持つテーマが今も受け継がれていることを示しています。

【もののけ姫の乙事主に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:乙事主の読み方は何ですか?

乙事主は「おっことぬし」と読みます。『もののけ姫』に登場する巨大な白い猪神で、鎮西(九州)の王という設定です。

Q2:乙事主は何歳ですか?

乙事主は500歳です。日本テレビ『金曜ロードショー』の公式SNSでも紹介された裏設定です。

Q3:乙事主の声優は誰ですか?

俳優の森繁久彌が担当しました。映画や舞台で長年活躍した名優で、2009年に96歳で亡くなっています。

Q4:乙事主はなぜ目が見えないのですか?

映画では盲目であることが描かれていますが、具体的な病名や原因は明示されていません。老齢による視力の衰えを連想させる設定です。

Q5:乙事主とナゴの守は親子ですか?

親子という設定はありません。同じ猪神の一族に属する仲間です。ナゴの守が人間に殺されてタタリ神となったことが、乙事主の戦いの大きなきっかけになりました。

Q6:乙事主とモロの君は恋人だったのですか?

日本テレビ『金曜ロードショー』の公式SNSで、約100年前まで2人が良い仲だったという裏設定が紹介されています。本編では詳しい関係は語られていません。

Q7:乙事主は最後に死亡したのですか?

はい。タタリ神へと変貌した乙事主は、シシ神によって命を吸い取られ、死亡します。

Q8:乙事主がタタリ神になった理由は何ですか?

仲間を失い、自らも重傷を負った状態で、人間たちが死んだ猪の皮を利用した罠にかかったことが大きな要因です。怒りや悲しみ、絶望が重なり、タタリ神へと変貌しました。

まとめ:乙事主の最期が伝える『もののけ姫』の本当のテーマ

乙事主は、500歳という長い年月を生きた鎮西の猪神の王です。森を守るために一族を率いて戦い、仲間のナゴの守を失った悲しみを背負いながら、人間に立ち向かいました。

声を担当した森繁久彌の重厚な演技も、乙事主の威厳と悲哀を際立たせています。

また、モロとの過去の親密な関係や、盲目の乙事主を支えるサンの存在を知ることで、物語の見え方も変わります。

乙事主がタタリ神になったのは、単に人間を憎んでいたからではありません。仲間を失い、自らも傷つき、一族の未来を奪われるという絶望が積み重なった結果でした。

乙事主は、自然を守ろうとした存在でありながら、自然を守るための戦いによって自らも滅びてしまった悲劇の神です。

『もののけ姫』をもう一度見るときは、乙事主がアシタカの話に耳を傾ける場面、モロと戦略について意見を交わす場面、そしてサンが彼の目になろうとする場面に注目してみてください。

そこには、単なる人間対動物という構図では説明できない、誇り、共存、喪失、そして生きることの難しさが描かれています。

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相沢 直樹
トレンドリサーチャー 相沢 直樹
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スポーツ担当として7年以上の取材経験。sports領域の公式発表・配信元の告知を一次情報として確認し、確認できない情報は記事に含めない方針です。

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