2026年の上重聡さんは、フリーアナウンサーとしてスポーツ番組、テレビ出演、イベント司会、講演会などの仕事に取り組んでいます。日本テレビ時代のように情報番組のレギュラーを複数担当する働き方とは異なり、依頼ごとに仕事を獲得するスタイルへ変わりました。
2026年の主な活動と出演情報
2026年1月15日には「第32回たかの友梨エステティックシンデレラ大会2026」の最終選考会で司会を担当しました。イベント後の取材では、フリー転身後にテレビのレギュラー番組を持てていないことを明かし、新しいレギュラー番組を獲得することを今年の目標に挙げています。
同年2月11日にはフジテレビ系「ぽかぽか」にゲスト出演しました。番組では、かつて「ズームイン!!サタデー」の5代目総合司会を務めた実績が紹介される一方、現在のテレビレギュラーは0本という状況も取り上げられました。
ただし、テレビ出演が途絶えているわけではありません。2026年5月にはTOKYO MX「5時に夢中!」に出演し、同年10月16日にもゲストコメンテーターとして登場しています。10月の放送では、同学年で2003年に局アナとなった青井実さんとの関係や、フリー転身後の仕事について自虐を交えながら語りました。
加えて、2026年には「ゴルフパラダイス THE GAME CHANGER」にも出演者として名前が掲載されています。ゴルフネットワークの番組情報には、11月4日以降の放送予定も掲載されており、スポーツに関係する仕事との接点は続いています。
「5時に夢中!」はレギュラー出演なのか
検索されることの多い「上重聡 5時に夢中」というキーワードについては、出演形態を区別する必要があります。
フリー転身後の最初のテレビ出演は、2024年4月5日のTOKYO MX「5時に夢中!」でした。その後も2025年4月18日、2026年5月、同年10月16日などに出演しています。
しかし、これらはゲスト出演であり、金曜MCなどの固定レギュラーを務めているという意味ではありません。2026年10月の出演でもゲストコメンテーターとして紹介されています。
2026年現在の仕事を整理
- テレビ出演:TOKYO MX「5時に夢中!」などへのゲスト出演。
- スポーツ関連:野球やゴルフを中心とした番組出演・実況活動。
- イベント司会:企業イベントや各種コンテストの進行。
- 講演会:野球経験やアナウンサーとしてのキャリアを題材にした講演。
- 企業研修:新人研修など、アナウンス経験を生かした仕事。
つまり、2026年の上重さんは、テレビの固定レギュラーだけに依存しない活動を続けています。局アナ時代の知名度とスポーツ経験を、複数の仕事に結びつけている段階です。
【日本テレビ退社理由】21年間の局アナ生活を終えてフリーになった経緯
上重聡さんは2003年に日本テレビへ入社し、2024年3月31日をもって退社しました。約21年間にわたって在籍したテレビ局を離れ、翌4月1日からフリーアナウンサーとして活動を始めています。
退社を決意した直接の理由は新しい挑戦
2024年1月22日、日本テレビを通じて退社を発表した上重さんは、これまでの勤務への感謝とともに、新しい環境に挑戦する決意を表明しました。
「厳しい道ではあるが、人生後悔しないように、チャレンジしたい」
この言葉は、メジャーリーグに挑戦する野球選手の姿勢を自分自身に重ねたものです。安定した局アナの立場を離れ、もう一度自分に負荷をかけて仕事の幅を広げたいという考えが、退社発表の中心にありました。
フリー転身のきっかけは山本由伸と今永昇太
2024年11月の日刊SPA!のインタビューでは、フリー転身を決めた背景について、さらに詳しく語っています。
上重さんによれば、フリーで活動したいという気持ちは30代前半から持っていたものの、なかなか踏み切れなかったそうです。転機になったのは、山本由伸投手と今永昇太投手がメジャーリーグに挑戦するというニュースでした。
2人の挑戦する姿勢に刺激を受け、自分も挑戦しないまま後悔するより、厳しい環境に飛び込んで結果を受け止めたいと考えたと説明しています。
野球にたとえるなら、局アナが日本のプロ野球、フリーアナウンサーがメジャーリーグへの挑戦というイメージだったそうです。自身の経験を通じて語ったこの説明には、野球選手としてプロを目指していた上重さんらしい職業観が表れています。
日本テレビとは円満退社だったのか
退社発表後の2024年4月5日、フリー転身後初めてテレビ出演した「5時に夢中!」で、上重さんは日本テレビについて「円満退社」であると説明しました。
番組では、退社後初のテレビ出演という紹介に対して共演者から意味深な質問も飛びましたが、本人は追い出されたわけではないと明確に否定しています。
2024年1月の退社メッセージでも、21年間勤務した日本テレビへの感謝を述べており、本人が公表した退社理由はキャリアの再挑戦です。2015年の報道と2024年の退社を直接結びつける説明は、本人の公表内容にはありません。
【上重聡のプロフィール・経歴年表】代表番組とキャリアの転換点
上重聡さんは1980年5月2日生まれ、大阪府八尾市出身です。2026年11月現在は46歳。PL学園高校から立教大学コミュニティ福祉学部へ進学し、野球選手としての実績を持って日本テレビに入社しました。
本人の公式プロフィールには、甲子園出場歴や東京六大学野球での完全試合、スポーツ実況、情報番組の担当歴などが掲載されています。
年代別キャリアと主な出来事
| 時期 | 出来事・担当 | 主な実績・意味 |
|---|---|---|
| 1980年5月2日 | 大阪府八尾市で誕生 | 2026年現在46歳 |
| 1996年 | PL学園高校 | 第78回夏の甲子園ベスト16 |
| 1998年春 | 選抜高校野球 | 第70回大会ベスト4 |
| 1998年夏 | 全国高校野球選手権大会 | 第80回大会ベスト8。横浜高校と延長17回の激闘 |
| 1999年 | 立教大学へ進学 | 東京六大学野球で投手として活躍 |
| 2000年10月22日 | 立教大学対東京大学 | 東京六大学野球史上2人目の完全試合 |
| 2003年 | 日本テレビ入社 | スポーツ実況や情報番組を担当 |
| 2015年 | 「スッキリ!!」MC就任・報道問題 | スポンサー企業元会長との金銭的関係が報じられ、本人が説明と謝罪 |
| 2016年 | 「スッキリ!!」卒業 | 担当期間は約1年間 |
| 2024年3月31日 | 日本テレビ退社 | 21年間の局アナ生活に区切り |
| 2024年4月1日 | フリーアナウンサーへ | 新しいキャリアを開始 |
| 2025年 | フリー転身1年 | 講演会、実況、YouTube関連の仕事などを紹介 |
| 2026年 | テレビ・イベント出演 | 「5時に夢中!」やゴルフ関連番組などに出演 |
日本テレビ時代の代表的な担当番組
上重さんの代表的な仕事として知られているのが「ズームイン!!サタデー」の5代目総合司会です。番組では明るい進行とスポーツ経験を生かしたコメントで存在感を示しました。
また、「スッキリ!!」では2015年3月から2016年3月までサブ司会を担当。情報番組の顔として朝の視聴者に知られるきっかけになりました。
「シューイチ」ではニュースキャスターやスポーツキャスターを務め、2024年3月の退社まで出演。スポーツを中心に情報番組でも経験を積みました。
スポーツ実況ではプロ野球中継、日本シリーズ、箱根駅伝、北京冬季オリンピックのスピードスケート女子1000メートルなどを担当しています。単にテレビに出演するアナウンサーではなく、競技の背景や選手心理を理解した実況者としての経験が強みです。
【PL学園・松坂大輔・立教大学】上重聡の野球人生が特別な理由
上重聡さんを語るうえで欠かせないのが、高校・大学を通じた野球経験です。PL学園のエースとして甲子園に出場し、松坂大輔さんとの対戦を経験。立教大学では東京六大学野球の歴史に残る完全試合を達成しました。
PL学園で甲子園に3度出場
PL学園時代の上重さんは、投手として高い評価を受けていました。甲子園には3度出場し、1996年夏にベスト16、1998年春にベスト4、1998年夏にベスト8という成績を残しています。
特に注目されたのが1998年の松坂大輔さん擁する横浜高校との対戦です。春の選抜と夏の選手権で対戦し、夏の試合は高校野球史に残る名勝負となりました。
松坂大輔との延長17回はなぜ伝説になったのか
1998年夏の甲子園準々決勝、PL学園と横浜高校の対戦は延長17回までもつれ込みました。
横浜高校の松坂大輔さんは、この試合で250球を投げて完投。上重さんも途中からリリーフとして登板し、7回から最後までの11イニングを145球で投げ抜きました。
試合結果はPL学園7-9横浜高校。PL学園は惜しくも敗れましたが、強豪校同士の総力戦として長く語り継がれています。
この試合の経験は、後の上重さんの人生にも影響しました。2025年5月のFull-Countのインタビューでは、松坂さんと投げ合った経験が大きなプレッシャーとなり、大学時代にイップスを経験したことも明かしています。
高校時代の輝かしい実績だけでなく、その後に苦しんだ経験も本人の野球人生を形作っているのです。
立教大学で達成した36年ぶりの完全試合
上重さんは1999年に立教大学へ進学。東京六大学野球のリーグ戦で投手として活躍しました。
最大の実績は、2000年10月22日の東京大学戦です。この試合で上重投手は打者27人を一人も出塁させず、完全試合を達成しました。
東京六大学野球公式記録室によると、立教大学は7対0で勝利。上重さんの投球数は87球、奪三振7という内容でした。
当時の完全試合は1964年春の慶應義塾大学・渡辺泰輔投手以来、36年ぶり。上重さんはリーグ史上2人目の達成者となりました。
完全試合の裏側には苦悩もあった
2025年5月のFull-Countの記事では、上重さんが完全試合を達成するまでの意外な経緯も紹介されています。
大学2年の春にはイップスを経験し、投手から外野手へ転向。投手としての立場を失い、野球を辞めたいと考えた時期もあったそうです。しかし、秋に投手へ復帰し、最終的に完全試合という大記録を残しました。
また、完全試合を達成した試合では、当初は6回まで投げて交代する予定だったといいます。ところがパーフェクトが続いたため、8回終了時に降板を申し出たところ、監督から続投を促されました。
その結果、歴史的な記録が生まれました。華々しい記録の裏に、本人の葛藤やチームメートの協力があったことは、上重さんの野球人生を理解するうえで見逃せない部分です。
フリー転身後も野球との関係は続く
野球は、アナウンサーになった後も上重さんの仕事を支える重要な専門分野です。
2025年5月には東京六大学野球連盟の結成100周年記念イベントでレジェンド始球式に登場。立教大学のユニフォームを着て神宮球場のマウンドに立ちました。
本人の公式プロフィールには「怪物と闘ったPLのエース」「20年目の松坂世代」という著書も掲載されています。野球選手としての経験を、実況、インタビュー、講演、執筆に生かしていることが分かります。
【2015年報道の真相】利益供与問題と本人説明、その後の経緯
上重聡さんの名前を検索すると、2015年の利益供与報道が関連キーワードとして表示されることがあります。現在の評判や日本テレビ時代のキャリアを理解するためにも、この出来事の内容と本人の説明を整理しておく必要があります。
2015年4月に報じられた内容
2015年4月、週刊文春は、上重さんが番組スポンサー企業だったABCマートの元会長から、マンション購入時に約1億7000万円の無利息融資を受けていたことなどを報じました。
また、元会長側の資産管理会社が所有する高級車を通勤に利用していたことも報道されました。当時の上重さんは「スッキリ!!」の新しいMCとして出演を始めたばかりであり、スポンサー企業との関係が問題視されました。
本人は業務上の便宜供与を否定
2015年4月2日、上重さんは日本テレビを通じてコメントを発表しました。元会長との関係については、以前から応援してもらっていた個人的な交友関係であり、仕事上の便宜供与は受けていないという説明でした。
「会社や仕事について特別な便宜を図っていただいたことは一切ありません」
一方で、個人的な厚意に甘えたことで疑念を招いたことについては、自身の不徳として反省と謝罪の意を示しました。
翌4月3日には「スッキリ!!」の番組冒頭でも視聴者に直接謝罪しています。日本テレビの大久保好男社長も同年4月の定例会見で、上重さんから説明と謝罪を受け、口頭で厳重注意したことを明らかにしました。
日本テレビの対応と融資の返済
当時の日本テレビは、車通勤について社内規則違反があったとして厳重注意を行いました。一方、個人間の契約については会社として説明を控えるという立場を示しています。
2015年10月には、日本テレビ社長がマンションについて専門家と相談し適切に処理するよう伝えており、その通りに処理していると説明しました。
その後、2016年3月25日の「スッキリ!!」最終出演時、上重さんは2015年9月に借入金を全額返済したと説明しています。
「スッキリ!!」卒業と日本テレビ退社は別の出来事
混同されやすいのが、2016年の「スッキリ!!」卒業と2024年の日本テレビ退社です。
2016年3月の番組卒業について、日本テレビ側は番組出演者の見直しや編成上の変更によるものと説明し、2015年の報道が原因ではないという趣旨を示しました。
そして2024年の退社時、上重さん自身が説明したのはフリーとして新しい挑戦をしたいという理由でした。
したがって、2015年の報道があったことと、2024年に日本テレビを退社したことは、それぞれ分けて捉える必要があります。過去の問題を現在の退社理由として扱うのは、本人の公表した説明とは一致しません。
【仕事・収入・現在の評判】フリーアナウンサーとして成功しているのか
フリーアナウンサーの評価を考える際、テレビのレギュラー番組数だけを見ると、仕事の全体像を見誤ることがあります。上重さんの場合、テレビ以外の収入源を複数持っていることが特徴です。
フリー転身1年後に明かした年収事情
2025年4月18日、上重さんはTOKYO MX「5時に夢中!」に出演し、フリー転身後の収入について語りました。
日本テレビ時代の年収と比較してどうかという質問に対し、会社員時代の年収を「若干超えたぐらい」と説明しています。
ただし、具体的な年収額や個別の仕事の報酬は公表されていません。この発言は2025年4月時点のものであり、2026年の年収を示す数字ではありません。
講演会が大きな収入源になっている
2025年4月の同番組では、講演会についても話題になりました。上重さんは講演会が収入源の大きな部分を占めていると説明しています。
講演のテーマとして生かせるのは、甲子園での経験、松坂大輔さんとの対戦、立教大学での完全試合、日本テレビでの21年間、そしてフリー転身の決断です。
実際に2025年5月20日には、公益社団法人新庄法人会が主催する一般公開講演会の講師として案内されていました。講師プロフィールにもPL学園時代の実績や立教大学での完全試合、日本テレビでのキャリアが紹介されています。
野球経験と放送現場の経験を持つ人物は、学生向けのキャリア教育や企業向けの講演でも話題を提供しやすいという強みがあります。
テレビ以外の仕事にも活動領域を拡大
2025年4月のスポニチ報道では、上重さんの仕事として次のような内容が紹介されました。
- メジャーリーグ関連の実況。
- 上原浩治さんのYouTubeチャンネルに関するレギュラー仕事。
- 全国各地での講演会。
- 企業の新人研修。
- テレビ番組やイベントでの司会・出演。
とりわけ講演会や新人研修は、テレビの放送枠に依存せずに収入を得られる仕事です。局アナ時代に培った話す技術や進行能力が、そのまま仕事の価値につながっています。
上重聡の現在の評判をどう見るべきか
現在の上重さんに対する評価は、大きく分けて2つの側面から考えられます。
1つ目は、野球経験に裏打ちされたスポーツアナウンサーとしての専門性です。PL学園で甲子園を経験し、大学では完全試合を達成。さらにプロ野球や箱根駅伝、オリンピックの実況経験もあります。スポーツに関する知識と現場理解は、他のアナウンサーとの差別化につながります。
2つ目は、フリー転身後のテレビでの立ち位置です。2026年10月の「5時に夢中!」では、青井実さんとの比較を自虐的な話題に変えるなど、バラエティーでの対応力も見せています。
一方で、2026年初頭には本人がテレビのレギュラー番組を持っていないことを課題として挙げていました。日本テレビ時代のように安定した出演枠を持っているわけではない点は、フリー転身後の課題です。
また、2015年の報道を覚えている視聴者にとっては、過去の説明や対応も人物評価の一部として残っています。現在の活動実績と過去の出来事を両方踏まえて判断することが大切です。
【プロの結論】上重聡の強みは野球と放送経験を掛け合わせられること
フリーアナウンサーとしての上重さんの価値は、単純なテレビ出演回数だけでは測れません。
スポーツ実況、イベント司会、講演会、企業研修など、声と進行能力を必要とする仕事は幅広く存在します。その中で、甲子園出場や大学野球の完全試合という実績は、本人にしか語れない経験として大きな差別化要素になります。
今後の評価を左右する要点は、次の3つです。
- テレビでの継続的な出演:ゲスト出演から固定レギュラーへ発展するか。
- スポーツ分野での専門性:野球実況やスポーツ解説で独自のポジションを築けるか。
- 講演・イベント事業の継続:知名度だけでなく、実績と内容で継続的に依頼を獲得できるか。
局アナ時代の知名度を維持するだけでなく、フリーとして新しい仕事を積み重ねられるかどうかが、今後のキャリアの焦点です。
【上重聡アナの現在に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:上重聡さんは2026年現在、何をしていますか?
A1:フリーアナウンサーとしてテレビ出演、スポーツ関連の仕事、イベント司会、講演会などを行っています。2026年には「5時に夢中!」や「ゴルフパラダイス THE GAME CHANGER」などへの出演が確認できます。
Q2:上重聡さんは日本テレビをなぜ退社したのですか?
A2:本人が公表した理由は、新しい環境で挑戦したいという思いです。山本由伸投手や今永昇太投手のメジャーリーグ挑戦に刺激を受け、30代前半から考えていたフリー転身を決断したと説明しています。
Q3:上重聡さんは「5時に夢中!」のレギュラーですか?
A3:固定レギュラーではなく、ゲスト出演です。2024年4月にフリー転身後初のテレビ出演を果たし、2025年や2026年にもゲストとして出演しています。
Q4:上重聡さんのフリー転身後の年収はいくらですか?
A4:具体的な金額は公表されていません。2025年4月には、日本テレビ時代の年収を若干上回ったと本人が説明しています。講演会が大きな収入源の一つとも話しています。
Q5:上重聡さんは松坂大輔さんと甲子園で対戦したのですか?
A5:はい。1998年夏の甲子園準々決勝で、PL学園のエースとして横浜高校の松坂大輔さんと対戦しました。延長17回の末、PL学園は7対9で敗れました。
Q6:上重聡さんの立教大学時代の完全試合とは何ですか?
A6:2000年10月22日の東京大学戦で達成した記録です。立教大学の投手として打者27人を完全に抑え、87球、7奪三振で7対0の勝利を収めました。東京六大学野球史上2人目の完全試合です。
まとめ:上重聡アナは2026年も挑戦を続けるフリーアナウンサー
上重聡さんは2024年3月末に21年間勤務した日本テレビを退社し、フリーアナウンサーとして新たなキャリアをスタートさせました。
2026年現在は、テレビの固定レギュラーという点では局アナ時代と異なる状況にありますが、「5時に夢中!」へのゲスト出演、ゴルフ関連番組、イベント司会、講演会など、活動の幅を広げています。
日本テレビ退社の理由は、本人が語った新しい挑戦への意欲です。2015年の利益供与報道については本人の説明と謝罪、日本テレビの対応、その後の返済経緯を分けて理解する必要があります。
そして、上重さんの最大の個性は、PL学園での甲子園経験、松坂大輔さんとの延長17回、立教大学での完全試合という野球人生と、21年間のテレビ局勤務で得た放送技術を兼ね備えていることです。
今後、スポーツ実況や講演活動をさらに伸ばすのか、それともテレビのレギュラー番組を獲得して新しい顔を見せるのか。2026年以降のキャリアを占ううえでは、こうした仕事の広がりが注目点になります。
かつて甲子園のマウンドで松坂大輔さんと投げ合った上重聡さんは、今度はフリーアナウンサーという新しい舞台で、自分自身の可能性に挑戦し続けています。
主な事実確認資料
- 上重聡本人の公式プロフィール・経歴
- 日本テレビ退社時の本人メッセージ(日刊スポーツ)
- 東京六大学野球公式記録室
- Full-Countの野球人生に関するインタビュー
- 日刊SPA!のフリー転身インタビュー
- スポニチの2025年収入・講演活動に関する報道
- TOKYO MXの2026年番組情報
- ゴルフネットワークの2026年番組情報
- 2015~2016年の報道および日本テレビ社長会見