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幼少期からすでに競技者だった

相沢 隼人 相沢 隼人 • 更新: • 公開: • 読了約 17 分
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平野歩夢選手がスケートボードを始めたきっかけは、兄の背中を追いかけたことでした。2018年に雑誌「COYOTE」のロングインタビューで本人が幼少期を振り返っています。

「小さい時はずっと兄を追いかけていましたし、父がスケートパーク運営に携わっていたこともあって、本当に毎日スケート漬けの日々でしたね」

このインタビューで語られた兄とは、3歳年上の平野英樹さんです。英樹さんもプロスノーボーダーとして活動しており、歩夢選手にとって身近な目標となる存在でした。

また、父・英功さんがスケートパークの運営に関わっていたことも大きな環境的要因です。スポーツメディア「REAL SPORTS」の取材記事によると、父はサーフィンをしており、夏場のトレーニングとしてスケートボードに着目。新潟県内に十分な施設がなかったことから、自らスケートパークづくりにも取り組みました。

こうした家庭環境によって、平野選手は幼い頃からスケートボードに親しめる環境にありました。雪が積もればスノーボード、雪のない時期にはスケートボードという生活が、競技人生の土台になっていきます。

本人は4歳で始めた当時の記憶について、はっきりとしたストーリーは残っていないと語っています。一方、5〜6歳の頃にはスケートパークの外にあった大きなバーチカルで、繰り返しターンの練習をしていたことを覚えているそうです。

興味深いのは、本人が幼少期の練習を単なる遊びとして捉えていなかった点です。父の指導は厳しく、怪我をすることも多かったため、練習に行きたくないと思う日もあったと明かしています。

つまり、平野歩夢選手のスケボー経験は、東京五輪を目指すために後から始めたものではありません。スノーボードと並行して、幼少期から積み重ねてきた本格的な競技経験だったのです。

【競技歴を年表で整理】2019年の日本選手権優勝から東京五輪、2026年まで

平野歩夢スケボー

平野歩夢選手のスケートボード競技歴を理解するには、スノーボードでの実績と合わせて見る必要があります。2014年のソチ五輪から世界の舞台で活躍していた選手が、2019年にはスケートボードの国内大会で頂点に立ち、2021年には東京五輪へ進みました。

主な転換点を時系列で整理すると、次のようになります。

時期 出来事・大会 主な実績・意味 4歳頃 スケートボードとスノーボードを開始 兄の影響と父が関わるスケートパークが原点 2014年 ソチ冬季五輪 スノーボード男子ハーフパイプ銀メダル 2018年 平昌冬季五輪 スノーボード男子ハーフパイプ銀メダル 2019年5月 第3回日本スケートボード選手権 男子パークで優勝 2021年 東京2020オリンピック 男子パーク14位 2022年 北京冬季五輪 スノーボード男子ハーフパイプ金メダル 2026年2月 ミラノ・コルティナ冬季五輪 男子ハーフパイプ7位、86.50点

この年表から分かるのは、平野選手がスノーボードで実績を築いた後に、スケートボードへ転向したわけではないということです。両競技を並行して経験してきた選手が、東京五輪という新しい舞台に挑んだ経緯があります。

2019年日本スケートボード選手権で初優勝

大きな転換点となったのが、2019年5月10日から12日に新潟県村上市スケートパークで開催された「木下グループ presents 第3回日本スケートボード選手権大会」です。

平野選手は男子パークに出場し、見事に優勝。日本オリンピック委員会(JOC)の2019年5月12日付の報道でも、スノーボード男子ハーフパイプで冬季五輪2大会連続の銀メダルを獲得した選手が、スケートボードの日本選手権を制したことが伝えられています。

この大会は東京五輪に向けた強化候補選手の選考にも関係していました。優勝によって平野選手は日本代表の強化選手にも選ばれ、夏冬両方の五輪を目指す道が具体化します。

所属先だった木下グループも当時の優勝を公式発表しており、国内の有力選手を抑えての初優勝だったことが確認できます。

【東京五輪男子パーク14位】平野歩夢のスケボーの結果と評価

2019年の日本選手権優勝を経て、平野選手は東京五輪のスケートボード男子パークに出場しました。大会名は東京2020ですが、新型コロナウイルスの影響によって実際の開催は2021年7月です。

結果は男子パーク14位。日本スケートボード協会の公式記録とJOCの選手プロフィールの両方に記載されています。

なぜ14位だったのか?

ここで押さえておきたいのが、スケートボードのパーク競技とスノーボードのハーフパイプ競技は、似た動きがあっても別々の競技だという点です。

パークは、ボウル状のコースや曲面、さまざまなセクションを使い、複数の技を組み合わせて演技を構成します。一方、ハーフパイプはU字型のコースを往復しながら、高いエアや回転技を繰り出す競技です。

空中での身体操作や回転感覚など、共通する技術はあります。しかし、競技ごとのコースへの適応、技の組み立て、着地の安定性などには、それぞれ異なる対応が大切です。

平野選手自身も、東京五輪前に日本大学のインタビューで、スケートボードの難しさについて説明しています。

「スケートボードの難しい点は、毎回パークの設計が違うのでセクションのアイテムが変わる点です」

加えて、すでに習得している技でも、会場のアイテムによっては実施できないことがあると語っていました。

東京五輪のパークコースについても、これまで経験した中で最も大きなセクションではないかという印象を明かしています。つまり、単に技を持っているだけでは対応できず、会場に合わせた調整が必要だったのです。

14位はスノーボードの実績を否定する結果ではない

東京五輪の14位という順位だけを見て、平野選手のスケートボードの実力を判断するのは適切ではありません。

2019年の日本選手権優勝は実際の競技実績であり、東京五輪への出場も国内選考を経て実現したものです。限られた準備期間の中で、異なる競技の五輪代表を目指した挑戦には、それ自体に大きな意味がありました。

また、東京五輪での順位と、スノーボードで獲得してきた五輪メダルは、競技種目が異なるため別々に評価する必要があります。

【スノーボードとの二刀流】平野歩夢があえて難しい道を選んだ理由

平野歩夢選手のキャリアで特徴的なのは、すでに世界トップレベルの実績を持っていたスノーボードだけに専念せず、スケートボードでも五輪を目指したことです。

2014年ソチ五輪、2018年平昌五輪では、いずれもスノーボード男子ハーフパイプで銀メダルを獲得。世界的な実績を持つ選手が、あえて新しい競技で競争に身を置くことになりました。

二刀流は単なる話題づくりではなかった

2019年の日本選手権優勝後、所属先の木下グループは平野選手のコメントを紹介しています。

「あえて難しい道で戦っている。どっちも中途半端になる可能性もあるが、何かを失っても得ようとする中で精神的な強さが生まれる。結果よりも、もっと先の自分につながると思っている」

この言葉からは、二刀流への挑戦が単にメダルの数を増やすためだけではなかったことが伝わります。異なる競技に取り組むことで、自分の可能性を広げようとする姿勢が表れています。

共通点と違いを比較すると分かる二刀流の強み

両競技には、空中での姿勢制御や回転、着地といった共通要素があります。しかし、求められる技術は完全に同じではありません。

比較項目 スケートボード・パーク スノーボード・ハーフパイプ 使用する道具 スケートボード スノーボード 競技環境 複数の曲面やセクションがあるパーク U字型のハーフパイプ 主な技術 エア、回転、トランジションの活用 高いエア、回転、空中姿勢の制御 共通する能力 バランス感覚、空間認識、回転感覚、着地の安定性 競技上の課題 コースごとのセクションへの適応 雪面やパイプの状態への適応

この比較で重要なのは、共通する能力があっても、片方の競技の技術がそのままもう一方に通用するわけではないことです。

平野選手は、幼少期から両方の競技を経験していたため、スケートボードへの挑戦が完全な初心者からのスタートではありませんでした。それでも、オリンピックで結果を残すには、それぞれの競技に特化した練習が欠かせなかったのです。

夏冬両五輪出場という挑戦

2021年には、スケートボードで東京五輪への出場を実現。その後、2022年の北京冬季五輪ではスノーボード男子ハーフパイプで金メダルを獲得しました。

夏季五輪と冬季五輪の両方に挑むという目標を実際に形にし、北京では日本人として初めて同種目の金メダリストとなりました。

二刀流の価値は、単純に二競技の順位を比較することではありません。幼少期から積み重ねた二つの競技経験を、自身のアスリートとしての成長につなげた点にあります。

【2026年最新】平野歩夢の現在は?ミラノ・コルティナ五輪7位とTOKIOインカラミ

2026年11月現在、平野歩夢選手の最新の大きな競技実績は、2月に開催されたミラノ・コルティナ冬季五輪の男子ハーフパイプです。

JOCの公式記録によると、平野選手は男子ハーフパイプ7位、86.50点で入賞しました。北京五輪で金メダルを獲得した選手として連覇が期待されていましたが、今回は表彰台には届きませんでした。

五輪直前の大怪我を乗り越えて出場

2026年の大会を語るうえで欠かせないのが、五輪直前に起きた負傷です。

2026年1月、スイス・ラークスで行われたスノーボード・ワールドカップのハーフパイプ決勝で転倒。全日本スキー連盟は1月21日、平野選手が顔面と下半身を強打し、医療機関で複数箇所の骨折や打撲と診断されたことを発表しました。

骨折は大きくずれたものではないとされ、国内で治療とリハビリを行い、段階的に練習を再開する方針が示されました。

その後、平野選手はミラノ・コルティナ五輪に出場。2月11日の男子ハーフパイプ予選を85.50点の7位で通過し、決勝へ進みました。

決勝では2回目の試技で86.50点を記録し、最終順位は7位。ソチ、平昌、北京に続く4度目の冬季五輪を完走しました。

日刊スポーツの大会報道では、平野選手が競技後に「生きて戻ってこられてよかった」と振り返ったことも伝えられています。結果だけでなく、負傷から大会に復帰して最後まで滑り切ったことが印象に残る大会となりました。

2026年現在も所属はTOKIOインカラミ

平野選手の所属先として、JOCの公式プロフィールにはTOKIOインカラミと記載されています。2026年のミラノ・コルティナ五輪の選手情報でも同じ所属先が確認できます。

TOKIOインカラミは、平野選手の競技活動を支える所属先として知られています。所属先の表記と、実際にどの競技へ出場しているかは区別して理解する必要があります。

スケボーには現在も競技者として復帰している?

ここは検索する読者が特に気になる部分です。

JOCの平野選手のプロフィールには、競技分野としてスキー・スノーボードだけでなく、スケートボードも記載されています。一方、ワールドスケートジャパンの公式記録で確認できる主な実績は、2019年の日本選手権男子パーク優勝と2021年の東京五輪男子パーク14位です。

2026年のJOC公式大会成績で新たに掲載されているのは、スノーボード男子ハーフパイプの7位という結果です。したがって、現在の公表された競技実績を整理すると、平野選手の競技活動の中心はスノーボードにあります。

ただし、これだけでスケートボードを完全に引退したと判断することはできません。競技記録への掲載状況と、本人が今後どのような活動を選択するかは別の問題です。

2026年11月時点で注目すべきなのは、スケートボードでの五輪経験を持ちながら、冬季五輪でも世界トップクラスの実績を重ねているというキャリアそのものです。

【よくある誤解を検証】平野歩夢のスケボーに関するよくある質問(FAQ)

Q1:平野歩夢は何歳からスケートボードを始めた?
A1:4歳頃です。3歳上の兄・英樹さんの影響を受け、スケートボードとスノーボードの両方を始めました。父親がスケートパークの運営に関わっていたことも、競技を続ける環境につながりました。

Q2:平野歩夢の2019年日本スケートボード選手権の順位は?
A2:男子パークで優勝しています。2019年5月10日から12日に新潟県村上市スケートパークで開催された第3回日本スケートボード選手権大会で初優勝を果たしました。

Q3:東京五輪のスケボーでは何位だった?
A3:男子パークで14位でした。大会名は東京2020ですが、実際の競技開催は2021年7月です。

Q4:平野歩夢はスケボーとスノーボードのどちらが得意?
A4:五輪での実績を見ると、スノーボード男子ハーフパイプでソチ・平昌の銀メダル、北京の金メダルを獲得しています。スケートボードでも2019年の日本選手権優勝という実績がありますが、両競技は別種目であり、単純な優劣比較はできません。

Q5:2026年のミラノ・コルティナ五輪では何位だった?
A5:男子ハーフパイプで7位、86.50点でした。2026年1月のワールドカップで複数箇所の骨折や打撲を負った後、治療とリハビリを経て大会に出場しました。

Q6:平野歩夢は2026年現在もスケボーの大会に出ている?
A6:2026年の主要な公式記録では、スノーボードでの活動が確認できます。スケートボードについては東京五輪以降の継続的な大会出場を示す公式記録は確認できず、競技復帰や引退を断定できる新たな発表も、この時点で確認できる資料にはありません。

Q7:平野歩夢の所属先はTOKIOインカラミ?
A7:はい。JOCの公式プロフィールとミラノ・コルティナ2026の選手情報には、所属先としてTOKIOインカラミが記載されています。

まとめ:【プロの結論】平野歩夢のスケボー経験が示す二刀流の価値

平野歩夢選手のスケートボード経験を振り返ると、4歳からの競技生活、2019年の日本選手権優勝、2021年の東京五輪男子パーク14位という流れが見えてきます。

特に重要なのは、スケートボードが東京五輪に出るためだけに始めた競技ではなかったことです。兄の影響や父親が関わるスケートパークという環境があり、幼少期からスノーボードと並行して技術を磨いてきました。

東京五輪では14位という結果でしたが、国内選手権での優勝を経て、日本代表として五輪の舞台に立った事実は変わりません。その後、北京五輪でスノーボードの金メダルを獲得し、2026年のミラノ・コルティナ五輪では負傷を乗り越えて7位入賞を果たしています。

平野歩夢選手の本当の強みは、一つの競技で結果を残すだけでなく、異なる競技の難しさに向き合い、自分の可能性を広げてきたことにあります。

今後の動向を見る際には、スケートボードへの再挑戦があるかどうかだけでなく、スノーボードでどのような進化を見せるのかにも注目したいところです。4歳から続く二つの競技との関わりは、平野選手のアスリート人生を理解するうえで、これからも重要な背景となるでしょう。

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相沢 隼人

アニメ・漫画担当として6年以上の取材経験。anime領域の公式発表・配信元の告知を一次情報として確認し、確認できない情報は記事に含めない方針です。

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