志村けんさんが長年暮らした自宅は、東京都三鷹市にあった豪邸です。1987年に建てられたとされるこの家は、2020年3月に志村さんが亡くなった後、約5年間にわたって空き家となり、2025年1月に売却、同年3月には解体工事が始まりました。
さらに2026年1月の報道では、跡地に戸建て住宅2棟の建設が進んでいることが明らかになりました。長兄・志村知之さんが明かした売却の理由や遺品整理の実情、熱海・港区のマンション、東村山市の実家との違い、遺産相続の経緯まで、時系列に沿って整理します。
【まず結論】志村けんの自宅住所は東京都三鷹市!現在はどうなった?

志村けんさんの自宅として知られていたのは、東京都三鷹市の閑静な住宅街に建つ一戸建てです。
ピンクベージュの外壁と赤いれんが塀が特徴的な建物で、芸能界で大きな成功を収めた志村さんの暮らしを象徴する邸宅として、亡くなった直後にも多くのメディアに取り上げられました。
自宅の住所は三鷹市までが基本情報
報道で確認できる所在地は東京都三鷹市です。インターネット上には丁目や番地まで特定しようとする情報もありますが、個人宅の詳細な住所を訪問目的で利用することは、近隣住民の生活にも影響します。
現在は別の所有者による土地利用が進んでいる場所でもあり、三鷹市内の邸宅だったという範囲で理解するのが適切です。
2025年に売却・解体され、2026年には新しい住宅の建設へ
2025年3月8日、女性セブンプラスが自宅の解体工事と遺品整理について報道しました。同年4月にはFRIDAYデジタルも、3月末までに建物が取り壊され、更地になったことを伝えています。
さらに2026年1月22日、ライブドアニュースが女性セブンの取材内容を紹介。跡地では新たな住宅2棟の建設が進み、不動産関係者によれば販売価格は約9000万円と報じられました。
つまり、2026年の志村けんさんの自宅跡地は、かつての邸宅を保存する記念施設ではなく、一般住宅用の土地として新しい利用が進んでいる状況です。
【1987年に建築】志村けんの三鷹の豪邸はどんな家だった?
志村さんが三鷹市に自宅を構えたのは1987年です。当時30代後半だった志村さんは、ザ・ドリフターズの正式メンバーとして活躍し、『8時だョ!全員集合』や『ドリフ大爆笑』などを通じて、すでに全国的な人気を確立していました。
1987年は高額所得者番付でも上位に入るなど、芸能人としての成功が資産形成に結びついた時期でもあります。
土地と建物を合わせて3億円超と報じられた邸宅
女性セブンプラスやFRIDAYデジタルの報道によると、三鷹の自宅は7つの部屋を備えた一戸建てで、当時の土地・建物の購入価格は3億円を超えていたとされています。
一方、過去には4億円の豪邸という報道もありました。しかし、2023年の週刊女性PRIMEの取材では、長兄の知之さんが「4億円なんて誰が言った?」という趣旨で金額報道に疑問を示しています。
したがって、4億円という数字を確定した購入価格として扱うのは正確ではありません。
建物の特徴と志村さんの生活
報道では、ピンクベージュの外壁や赤いれんが塀、複数の部屋を備えた大きな邸宅として紹介されています。建物の階数については媒体によって2階建て、3階建てと記述に違いがあります。
自宅は単に豪華な住居というだけではなく、仕事を終えた志村さんが戻る生活の拠点でした。番組収録後に三鷹の家へ帰っていたことも、関係者の証言として紹介されています。
また、自宅には映画やコント研究に関係する資料、CD、DVD、書籍などが大量に保管されていたといいます。お笑いの第一線で活動し続けた志村さんの創作活動を支えた場所でもありました。
【時系列で検証】志村けんの自宅売却から解体、2026年の住宅建設まで
三鷹の自宅をめぐる出来事は、亡くなった直後から2026年まで段階的に進んでいます。特に重要なのは、2025年1月の売却、3月の解体、そして2026年1月の新築住宅建設報道です。
| 時期 | 関係する人物・場所 | 出来事と確認できる内容 |
|---|---|---|
| 1987年 | 志村けん・三鷹市 | 三鷹市に自宅を構える。7部屋を備え、購入価格は3億円超と報道。 |
| 2020年3月29日 | 志村けん | 新型コロナウイルスによる肺炎で70歳で逝去。自宅は空き家となる。 |
| 2021年 | 志村知之・相続関係者 | 一周忌時点でも自宅の整理や大量の資料の処分は進んでいなかった。 |
| 2022年9月 | 相続関係者 | 2023年の週刊女性PRIMEの取材で、知之さんが前年9月に相続が終わったと説明。 |
| 2025年1月 | 三鷹市の自宅 | 管理負担などを背景に、大手不動産会社へ売却したと女性セブンが報道。 |
| 2025年3月 | 三鷹市の自宅跡地 | 解体工事が進行。3月末には更地になったとFRIDAYが報道。 |
| 2025年9月 | NEWSポストセブン | 売却後の土地や遺品整理について続報。土地は約70坪と紹介された。 |
| 2026年1月 | 自宅跡地 | 土地を分割し、戸建て住宅2棟を建設中と報道。 |
この経緯で注目したいのは、志村さんの死後すぐに自宅が処分されたわけではないことです。
約5年間にわたり、長兄夫妻が家の管理を続けていました。思い出の品を整理することも、土地を手放すことも、遺族にとって簡単な決断ではなかったことが報道からうかがえます。
【売却理由の真相】なぜ志村けんの自宅は取り壊されたのか?
自宅の売却理由について、女性セブンプラスが2025年3月に掲載した長兄・志村知之さんの証言は重要な手掛かりになります。
約5年間の空き家管理を続けていた兄夫妻
志村さんの死後、三鷹の自宅を相続したのは、長兄の知之さんと次兄側の相続関係者です。主に知之さん夫妻が建物の管理を担当していました。
女性セブンの報道によると、知之さん夫妻はファンが訪れることによる近隣への影響も考え、人目につきにくい時間帯に自宅を訪問。空気の入れ替えや庭の掃除を続け、月に2回ほど通っていたといいます。
ところが、2024年ごろから知之さんの足腰が弱り、杖がなければ歩くのも難しい状態になりました。大きな家を継続して管理することが、身体的にも現実的にも難しくなっていったのです。
売却を決断したのは2025年1月
女性セブンの2025年3月8日付記事では、こうした事情を背景に、同年1月に大手不動産会社へ売却したと報じられています。
2023年には週刊女性PRIMEの取材に対して、知之さんが「廃墟ではない」という趣旨の反論をしていました。実際、家を放置していたわけではなく、家族が維持管理を続けていたことが後の取材で明らかになっています。
つまり、売却の直接的な背景として報道されているのは、単純な資産処分ではなく、管理する家族の高齢化と長期の空き家維持の難しさです。
売却価格や土地の価値は?
2025年9月のNEWSポストセブン関連報道では、跡地の面積は約70坪と紹介されました。また、土地を北側と南側に分けて販売する構想や、住宅2棟にした場合の合計価格が約2億円程度になるという不動産関係者の見方も伝えられています。
ここで注意したいのは、土地の売却価格と新築住宅の販売価格は別の数字だということです。約2億円という数字は当時の不動産関係者による見込みであり、実際の土地売買契約額を示す公表資料ではありません。
【遺品整理の真実】志村知之さんが残した唯一の形見とは?
自宅の解体とともに、多くのファンが気にしていたのが、志村さんが長年使っていた品々の行方です。
2025年3月の女性セブンプラスの記事では、長兄の知之さんが遺品整理について詳しく語っています。
大量の資料や愛用品は業者に依頼して処分
自宅には、写真、映像資料、CD、DVD、書籍などが残されていました。これらは志村さんがコントや映画の研究を続けるなかで蓄積してきたものです。
知之さんは、身体的な事情から大量の荷物を運び出すことが難しかったと説明しています。一部の写真は個人事務所へ移したものの、その他の荷物については専門業者に処分を依頼しました。
特に印象的なのは、遺品の流出を防ぐため、業者と秘密保持に関する契約を結んだという点です。
「できることなら残しておきたかったけれど、現実的にそれは無理だったんです」
— 志村知之さん(女性セブン2025年3月20日号の取材)
唯一持ち帰ったのは「Shimura」の帽子
知之さんが形見として持ち帰ったのは、デニム地のキャップでした。
帽子には「Shimura」のロゴが入っており、晩年の志村さんが愛用していたものです。志村さんは誕生日を迎えるたびに、自身の名前や年齢を入れたオリジナルキャップを作り、親しい人に贈っていたといいます。
知之さんが持ち帰ったのは、そのうちの一つで、志村さんが作った最後の帽子だったと報じられています。
さらに知之さんは、弟が気に入っていた帽子を、自分が散歩に出かけるときに被っていると明かしました。
大量の遺品を保存することはできなくても、兄にとって特別な意味を持つ品だけは手元に残した。その経緯は、豪邸の売却や解体というニュースのなかでも、特に印象深いエピソードです。
【混同注意】東村山市の実家・港区マンション・熱海マンションとの違い
志村けんさんの住まいについて調べると、三鷹市だけでなく、東京都東村山市、港区、静岡県熱海市という地名も登場します。
それぞれの場所は役割が異なります。特に三鷹の自宅と東村山市の実家は、混同されやすいポイントです。
東村山市は生まれ育った故郷、三鷹市は長年暮らした自宅
志村さんは東京都東村山市の出身です。東村山市は、幼少期から芸能界に入るまでの生活の基盤となった場所であり、家族との思い出が残る地域でもあります。
一方、三鷹市の豪邸は、芸能界で成功を収めた後に1987年に構えた自宅です。両者は同じ「志村けんさんの家」として語られることがありますが、実際には異なる住居です。
2026年4月には、東村山市の渡部尚市長が長兄・知之さんの自宅を訪れ、志村家の仏壇にお線香をあげたことを報告しています。東村山の家族とのつながりは、三鷹の邸宅がなくなった後も続いています。
東村山駅の「志村けんの木」と銅像
東村山市で志村さんを偲ぶ場所として知られるのが、東村山駅東口の銅像と「志村けんの木」です。
東村山駅前には、志村さんの功績を称える銅像が2021年6月に設置されました。代表的なギャグである「アイーン」のポーズが特徴です。
また、駅前広場には1976年に植えられた3本のケヤキがあり、「志村けんの木」として地域で親しまれています。
2025年の女性セブンプラスの報道では、駅前広場の再整備に伴い、ケヤキの移植や伐採が検討されていると紹介されました。3本すべてを同じ場所に残すことは難しいとの見通しも伝えられています。
三鷹の自宅跡地とは別の場所ですが、志村さんの足跡を残す地域の象徴として、今後の動向が注目されます。
港区と熱海にもマンションを所有していた
2021年のスポニチの報道では、志村さんの資産として、三鷹市の自宅以外に東京都港区と静岡県熱海市のマンションが紹介されていました。
港区については、麻布十番周辺とのつながりが知られています。志村さんは仕事後に麻布十番の飲食店へ出かけることがあり、芸能活動の拠点や交友関係とも関係の深い地域でした。
熱海のマンションについては、2023年の週刊女性PRIMEの取材で、個人事務所エスカンパニーの所有物件として紹介されています。兄の知之さんが代表取締役を務めていた同社が、志村さんの財産や権利関係を管理していたことも報じられました。
ただし、三鷹の自宅とは異なり、港区や熱海の物件については2025~2026年の売却・処分状況を確定できる続報は見当たりません。三鷹の家が売却されたからといって、ほかの不動産もすべて同時に処分されたと考えるのは早計です。
志村けんの遺産相続はどうなった?10億円説の注意点
志村さんは2020年3月29日に70歳で亡くなりました。生涯独身で子どもはいなかったことから、相続についても大きな関心が集まりました。
2021年のスポニチは、三鷹の自宅や港区・熱海のマンションなどを含め、遺産総額が10億円以上ともいわれていたと報じています。
ただし、この10億円という金額は報道上の推計であり、遺産総額を確定する公式発表ではありません。実際、2023年の週刊女性PRIMEの取材でも、知之さんは具体的な資産額について明言を避けています。
同じ取材では、知之さんが遺産相続について「去年の9月にね」と回答しており、2022年9月に相続の手続きが終わったことがうかがえます。
三鷹の豪邸については、長兄の知之さんと、亡くなった次兄・美佐男さんの妻が半分ずつの持ち分で相続したと週刊女性PRIMEが報じています。
なお、相続手続きの完了と、個々の不動産の売却や管理がすべて終了することは同じではありません。三鷹の土地が2025年になって売却されたことも、その違いを示しています。
【プロの結論】志村けんの自宅解体が示すものと2026年に知っておきたい事実
志村けんさんの三鷹の自宅をめぐる一連の出来事には、著名人の死後に残された不動産や大量の遺品を、家族がどのように引き継ぐのかという問題が表れています。
豪邸を残すことと、思い出を残すことは別
ファンにとって、三鷹の邸宅は志村さんの生活を身近に感じられる場所でした。しかし、所有者にとっては、空き家となった住宅の維持管理、清掃、修繕、防犯などを継続しなければならない現実があります。
しかも、管理を担っていた知之さん自身も高齢になり、身体的な負担が増していました。思い出があるからといって、建物を永久に保存できるわけではありません。
自宅の売却は、弟の記憶を捨てるという意味ではなく、家族が現実的な生活と向き合った結果と見ることができます。
記念館計画と自宅の遺品は別に考える必要がある
2023年の週刊女性PRIMEでは、志村さんの遺品を展示する記念館構想について、知之さんが実現の難しさを語っています。
展示施設を設ける場合、建設費だけでなく、人件費や維持管理費など継続的な負担が発生します。遺品を保管しておくことと、一般公開できる施設として運営することは、まったく異なる問題です。
また、『バカ殿様』や『ヒゲダンス』などの衣装はテレビ局側の所有物で、自宅に保管されていたものではないという知之さんの説明も紹介されています。
したがって、自宅にあったすべての資料や衣装が、記念館に展示される予定だったという理解も正確ではありません。
2026年11月時点で押さえておきたい3つの判断基準
志村さんの自宅について新しい情報を調べる際には、次の3点を区別すると、古い情報と最新情報を混同しにくくなります。
- 場所:三鷹市の自宅は2025年に売却・解体された。東村山市の実家や駅前の銅像とは別の場所である。
- 跡地:2026年1月の報道では戸建て2棟の建設が進行中だった。販売価格約9000万円という情報もあるが、価格の内訳は報道要約だけでは明確でない。
- 遺品・相続:知之さんが持ち帰った帽子や、2022年9月に相続が終わったという取材内容は確認できる一方、遺産総額10億円は確定額ではない。
2026年11月時点で、1月の建設報道以降に住宅2棟の完成を確認できる新たな報道は確認できていません。そのため、現在の建物の完成状況まで確定した情報として扱うことはできません。
志村けんの自宅に関するよくある質問(FAQ)
Q1:志村けんさんの自宅は三鷹市のどこにありましたか?
A1:東京都三鷹市の閑静な住宅街です。1987年に構えた一戸建てで、ピンクベージュの外壁と赤いれんが塀が特徴でした。詳細な番地を含む住所は、ここでは取り上げません。
Q2:志村けんさんの自宅はいつ建てられましたか?
A2:1987年です。7つの部屋を備え、土地と建物を合わせて3億円超とも報じられた豪邸でした。
Q3:志村けんさんの自宅が売却された理由は何ですか?
A3:約5年間の空き家管理を続けていた長兄・知之さんの高齢化と身体的な負担が大きな理由です。2025年1月に大手不動産会社へ売却したと報じられています。
Q4:志村けんさんの自宅跡地は2026年現在どうなっていますか?
A4:2026年1月の報道では、土地を分割して2階建ての戸建て住宅2棟を建設中でした。11月時点での完成状況については、後続の確認報道が見当たりません。
Q5:志村知之さんは遺品整理で何を残しましたか?
A5:「Shimura」のロゴが入ったデニム地の帽子です。写真の一部は個人事務所に移され、その他の荷物は秘密保持に関する契約を結んだ業者に処分を依頼したと報じられています。
Q6:志村けんさんの東村山市の実家と三鷹の自宅は同じですか?
A6:別の場所です。東村山市は志村さんの出身地で、家族とのつながりがある故郷です。三鷹市の豪邸は、芸能界で成功した後の1987年に構えた自宅でした。
Q7:志村けんさんの遺産は10億円だったのでしょうか?
A7:10億円以上という報道はありましたが、公式に確定した遺産総額ではありません。2023年の報道では、兄の知之さんが2022年9月に相続が終わったと説明しています。
まとめ:志村けんの自宅は姿を消しても、東村山と三鷹に残る記憶
志村けんさんが1987年に構えた東京都三鷹市の豪邸は、2025年1月に売却され、同年3月には解体されました。約5年間にわたって空き家を管理してきた長兄・知之さんの高齢化や身体的な負担が、売却を決断する大きな背景となりました。
遺品整理では、膨大な資料や愛用品の多くが処分されましたが、志村さんが愛用した「Shimura」の帽子は兄の手元に残りました。建物そのものを保存することはできなくても、家族の記憶に残る品は引き継がれています。
2026年1月には、三鷹の跡地で戸建て住宅2棟の建設が進んでいると報じられました。一方、東村山市には志村さんの銅像や「志村けんの木」があり、故郷とのつながりは今も続いています。
自宅という建物はなくなっても、『バカ殿様』『ドリフ大爆笑』『志村けんのだいじょうぶだぁ』などで届けた笑いは、映像や作品を通じて残り続けます。志村けんさんを偲ぶうえで大切なのは、かつて暮らした家だけではなく、彼が日本のお笑い文化に残した足跡そのものなの可能性があります。
主な参照報道:女性セブンプラス(2025年3月8日)、FRIDAYデジタル(2025年4月3日)、週刊女性PRIME(2023年3月28日)、スポニチ(2021年3月29日)、ライブドアニュース(2026年1月22日)、テレビ朝日ニュース(2026年4月2日)。