平野歩夢(ひらの・あゆむ)選手は、15歳でソチ冬季オリンピックの銀メダルを獲得し、2022年北京オリンピックでは日本人スノーボーダー初の金メダリストとなった世界的なトップアスリートです。現在の堂々とした姿からは想像しにくい可能性がありますが、競技を始めたのはわずか4歳。新潟県村上市で兄の背中を追いながら練習に励み、小学4年生でプロ契約を結ぶという異例の早さで才能を開花させました。
2026年11月現在、平野歩夢選手は27歳。ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックでは、大会直前の大けがを乗り越えて男子ハーフパイプ7位入賞を果たしました。幼少期からソチ、平昌、北京、そして2026年までの歩みを振り返ると、若い頃から変わらない挑戦心と、トップ選手として成長してきた過程が見えてきます。
【幼少期】平野歩夢は4歳からスノーボードを始めていた!子供時代の意外な素顔
平野歩夢選手の昔を知るうえで欠かせないのが、新潟県村上市で過ごした幼少期です。
1998年11月29日生まれ。幼い頃から雪山とスケートパークに親しみ、現在の世界的な実力につながる環境で育ちました。
4歳で競技を開始!兄の影響でボードの世界へ
平野歩夢選手がスケートボードとスノーボードを始めたのは4歳の頃です。
きっかけの一つとなったのが、3歳年上の兄・英樹さんの存在でした。
兄が先にスケートボードやスノーボードに取り組んでおり、歩夢選手はその姿を追いかけるように競技を始めました。
2018年に掲載された雑誌『COYOTE』のインタビューでは、本人が幼い頃について振り返っています。
4歳で始めた頃の記憶ははっきり残っていない一方、5〜6歳の頃にはスケートパークにある大きなバーチカルで、繰り返しターンの練習をしていたことを覚えていると話しています。
バーチカルとは、垂直に近い壁面を持つスケートボード用のハーフパイプです。
幼少期からこうした環境に身を置いていたことが、空中でのバランス感覚や身体の使い方を磨く土台になりました。
本人も、兄が先に競技を始めていたことや、父親がスケートパークの運営に携わっていたことから、毎日のようにスケートボードに取り組んでいたと振り返っています。
父親が作った練習環境!新潟県村上市のスケートパーク
歩夢選手の幼少期を語るうえで、父親の存在も重要です。
父・英功さんは、息子たちが練習できる場所を確保するため、地元の村上市に日本海スケートパークを整備しました。
2018年の日刊スポーツの取材によると、父親は老朽化した体育館を改修するために約800万円の借金をして施設を作ったといいます。
当時はスケートボードの練習施設が十分に整っておらず、地方で本格的に競技を続けるには環境面の課題がありました。
加えて、県外への遠征では交通費や宿泊費を節約するため、車中で過ごすこともあったと父親が明かしています。
こうした環境の中で、兄弟は練習を重ねていきました。
日本テレビの2022年の特集では、兄の英樹さんが、リフト券を購入できず雪山を歩いて登り、滑ることを繰り返していた当時の苦労を振り返っています。
平野歩夢選手の幼少期は、恵まれた設備が最初からそろっていたわけではありません。家族が練習環境を作り、兄弟で技術を磨いてきた時間が、世界で戦うための原点になっています。
子供時代はどんな性格だった?
父・英功さんは、歩夢選手について、幼い頃はあまり話さず、感情を表に出すことも少ない子供だったと振り返っています。
黙々と何かに取り組む性格だったというエピソードは、現在の競技スタイルにも通じる部分があります。
兄の英樹さんと一緒に練習する中で、兄が指導される様子を見ながら自分の動きに生かしていたことも、過去のインタビューで明かされています。
一方、本人は幼少期の練習について、父親の指導が厳しかったことも語っています。
早くから世界を目指す環境に身を置いていたため、子供時代から競技に向き合う時間が非常に多かったことがうかがえます。
【昔の経歴・年表】小学4年生のプロ契約から15歳のソチ五輪まで
平野歩夢選手の若い頃の経歴を整理すると、小学生時代から国際大会で活躍するまでの成長の早さが分かります。
特に注目したいのは、小学4年生でのプロ契約と、15歳で迎えたソチ五輪です。
平野歩夢の昔から現在までの年表
| 年・時期 | 出来事 | 主な実績・背景 |
|---|---|---|
| 1998年 | 新潟県で誕生 | 11月29日生まれ |
| 4歳頃 | スケートボード・スノーボードを開始 | 兄の影響を受ける |
| 小学4年生 | メーカーとプロ契約 | バートンと契約 |
| 小学6年生 | 海外大会にも挑戦 | 活動の舞台を海外へ広げる |
| 2014年 | ソチ五輪 | 15歳74日で銀メダル |
| 2016年 | X Gamesオスロ | 日本人初の優勝 |
| 2017年 | 大きなけがを経験 | リハビリを経て復帰 |
| 2018年 | 平昌五輪 | 2大会連続の銀メダル |
| 2019年 | 日本スケートボード選手権 | 優勝 |
| 2020年度 | 日本大学スポーツ科学部卒業 | 学業と競技を両立 |
| 2021年 | 東京五輪 | スケートボード男子パーク14位 |
| 2022年 | 北京五輪 | ハーフパイプ金メダル |
| 2026年 | ミラノ・コルティナ五輪 | 男子ハーフパイプ7位入賞 |
※年表は日本オリンピック委員会、平野歩夢公式プロフィール、日本大学などの公表情報をもとに整理。
小学4年生でバートンとプロ契約
平野選手が大きく注目されるようになった出来事の一つが、小学4年生でのプロ契約です。
契約したのは、世界的なスノーボードブランドとして知られるバートン(BURTON)。
まだ小学生だったにもかかわらず、メーカーからプロとして認められるほどの実力を持っていました。
幼い頃から国内外の大会に出場し、小学6年生になる頃には海外にも活動の範囲を広げています。
2014年に掲載されたプレジデントオンラインのインタビューでも、父親の勧めで競技を始め、兄の影響を受けながら成長してきた経緯が紹介されています。
小学生時代にすでに世界を意識した活動をしていたことを考えると、ソチ五輪での活躍は突然現れたものではありません。
日本大学に進学!競技と学業の両立
高校卒業後は、日本大学スポーツ科学部に進学しました。
日本大学の公表プロフィールによると、2017年に入学し、2020年度に卒業しています。
競技活動と学業を並行しながら、世界大会やオリンピックに挑戦してきました。
日本大学のインタビューでは、競技だけにとどまらず、新しいことに挑戦していく姿勢についても語っています。
スノーボードだけでなく、スケートボードにも本格的に取り組んだことは、平野選手のキャリアを特徴づける大きなポイントです。
【父親・兄弟】平野歩夢を支えた平野3兄弟と家族の関係
平野歩夢選手には、兄と弟がいます。
3兄弟はいずれもスケートボードやスノーボードに親しんできたことで知られています。
平野3兄弟のプロフィールと関係
| 人物 | 歩夢選手との関係 | 主な特徴 |
|---|---|---|
| 平野英功さん | 父親 | スケートパークの整備など、競技環境を支えた |
| 平野英樹さん | 兄 | 3歳年上。歩夢選手が幼少期から背中を追った存在 |
| 平野歩夢さん | 本人 | 北京五輪ハーフパイプ金メダリスト |
| 平野海祝さん | 弟 | スノーボード選手。北京五輪にも出場 |
※家族の関係や競技歴は、日本テレビ、BACKSIDEなどの取材記事を参照。
兄・英樹は幼少期からの憧れの存在
歩夢選手にとって、兄の英樹さんは単なる家族以上に、競技を始めるきっかけとなった重要な存在です。
兄が先にスケートボードやスノーボードに取り組んでいたため、歩夢選手は自然とその背中を追いかけていました。
2018年のインタビューでは、兄がやっていることを見ながら、ずっと後ろについていったという趣旨の振り返りをしています。
兄弟で同じ競技に取り組んでいたからこそ、技術面でも精神面でも刺激を受ける機会が多かったのでしょう。
弟・海祝も北京五輪に出場
弟の平野海祝選手も、スノーボードのハーフパイプで活躍しています。
2022年北京冬季オリンピックでは、兄の歩夢選手とともに男子ハーフパイプに出場しました。
海祝選手は決勝で9位となり、高いエアを披露して世界から注目を集めました。
2022年の日本テレビの特集では、英樹・歩夢・海祝の3兄弟が幼少期から地元のスケートパークで練習してきたことが紹介されています。
2026年には3兄弟がそろってトークイベントに登壇する機会もあり、競技を通じて築いてきた家族のつながりが改めて注目されました。
【ソチ・平昌五輪】15歳で銀メダル!若い頃から世界の頂点を争った実力
平野歩夢選手の名前が日本中に広く知られるきっかけとなったのが、2014年のソチ冬季オリンピックです。
当時15歳だった平野選手は、男子スノーボード・ハーフパイプで銀メダルを獲得しました。
ソチ五輪で15歳74日の最年少記録
2014年2月のソチ五輪で、平野選手は世界の強豪選手を相手に堂々とした滑りを披露しました。
獲得したのは銀メダル。
当時の年齢は15歳74日で、スノーボード競技におけるオリンピック最年少メダリストとしてギネス世界記録にも認定されました。
この結果は、日本のスノーボード界にとっても大きな出来事でした。
それまで日本勢がオリンピックのハーフパイプでメダルを獲得することは簡単ではありませんでしたが、平野選手の活躍によって日本の競技レベルが世界に示されました。
15歳という若さで世界のトップに立ったことから、将来の金メダル候補としても期待されるようになりました。
平昌五輪では2大会連続の銀メダル
2018年の平昌冬季オリンピックでは、さらに成長した姿を見せます。
ソチ五輪で銀メダルを獲得してから4年。今度は世界のトップ選手として優勝を期待される立場で大会に臨みました。
決勝ではアメリカのショーン・ホワイト選手と激しい争いを展開。
結果は惜しくも銀メダルでしたが、これで2大会連続のオリンピック銀メダルとなりました。
また、2016年にはX Gamesオスロ大会、2018年にはX Gamesアスペン大会で優勝するなど、世界最高峰の大会でも実績を積み重ねています。
若い頃に経験した大けがと復帰
平野選手の競技人生は、常に順調だったわけではありません。
2017年には全治3か月とされた大けがを経験しています。
日本大学の紹介記事によれば、半年後には復帰し、平昌五輪で銀メダルを獲得しました。
大きなけがを経験しても再び世界の舞台に戻ってきたことは、後年の北京五輪やミラノ・コルティナ五輪で見せた粘り強さにもつながるエピソードです。
【北京五輪で金メダル】スケートボードとの二刀流で進化した平野歩夢
平昌五輪の後、平野歩夢選手はスノーボードだけでなく、スケートボードにも本格的に挑戦しました。
特に大きな転機となったのが、東京2020オリンピックへの出場です。
東京五輪ではスケートボード男子パークに挑戦
2018年秋以降、平野選手はスノーボードとスケートボードの二刀流に挑戦しました。
東京2020大会では、スケートボード男子パークの日本代表に選ばれています。
大会は2021年に開催され、最終順位は14位でした。
冬季五輪で2大会連続の銀メダルを獲得した選手が、夏季五輪の新競技にも挑戦したことは大きな話題になりました。
競技は異なりますが、空中での身体のコントロールやバランス感覚など、共通する要素もあります。
平野選手にとって、この経験は自分の可能性を広げる挑戦だったと考えられます。
北京五輪で悲願の金メダル!日本人初の快挙
2022年2月11日、北京冬季オリンピックの男子ハーフパイプ決勝。
平野歩夢選手は、ついに悲願の金メダルを獲得しました。
記録は96.00点。
大技トリプルコーク1440を組み込んだルーティンを成功させ、世界のトップ選手を抑えて優勝しました。
この金メダルは、スノーボード競技における日本勢初の金メダルです。
ソチと平昌で2大会連続の銀メダルを獲得し、東京五輪ではスケートボードにも挑戦。そして北京で頂点に立つという歩みは、平野選手の競技人生における大きな到達点となりました。
日本オリンピック委員会も、冬季五輪3大会連続のメダル獲得という日本勢初の記録を紹介しています。
幼少期から積み重ねてきた練習が、世界最高峰の舞台で実を結んだ瞬間でした。
【2026年最新】ミラノ・コルティナ五輪は7位!平野歩夢の現在と今後
2026年11月現在、平野歩夢選手は27歳です。
2026年2月に開催されたミラノ・コルティナ冬季オリンピックでは、4大会連続となる冬季五輪出場を果たしました。
しかし、今回の大会には大きな試練がありました。
五輪直前に複数箇所を骨折する大けが
2026年1月、スイス・ラークスで行われたワールドカップのハーフパイプ決勝で転倒。
全日本スキー連盟の発表を伝えたTBS NEWS DIGによると、平野選手は帰国後の医療機関で複数箇所の骨折や打撲と診断されました。
顔面と下半身を強打する大きな事故で、ミラノ・コルティナ五輪への出場も心配される状況でした。
それでも治療とリハビリを続け、代表チームへの合流を目指して調整。
最終的には4度目の冬季オリンピックへの出場を実現しました。
ミラノ・コルティナ五輪の最終結果は7位
男子ハーフパイプ決勝は2026年2月13日に行われました。
平野選手は2本目の試技で86.50点を記録し、最終順位は7位。
北京五輪で獲得した金メダルに続く連覇や、4大会連続のメダル獲得には届きませんでした。
しかし、骨折を抱えながら決勝で大技ダブルコーク1620を成功させるなど、最後まで世界トップレベルの技術を見せました。
日本オリンピック委員会の公式記録でも、男子ハーフパイプ7位、86.50点の入賞と記載されています。
今回の結果を過去の五輪と比較すると、次のようになります。
| オリンピック | 年齢 | 結果 |
|---|---|---|
| ソチ2014 | 15歳 | 銀メダル |
| 平昌2018 | 19歳 | 銀メダル |
| 北京2022 | 23歳 | 金メダル |
| ミラノ・コルティナ2026 | 27歳 | 7位入賞 |
4大会連続で冬季五輪に出場し、3大会連続でメダルを獲得した後、2026年は大けがを乗り越えて入賞を果たしました。
2026年3月にはけがの回復状況を報告
大会終了後の2026年3月5日、平野選手は東京都内で開催されたイベントに出席しました。
日本オリンピック委員会の報道によると、本人はけがについて「日に日に回復に向かっている」と説明しています。
また、2030年の次回冬季五輪についても意欲を示しました。
同年4月15日のトークイベントでは、4年後の五輪を目指す選択肢を残しながら、新しい挑戦を探すことにも関心を示しています。
本人は次のように語っています。
新しいチャレンジを探すのも面白いのかなと思う。
これは日本オリンピック委員会が紹介した本人の発言です。
2026年11月3日時点で、2030年大会への正式な出場決定や今後の競技方針が確定したという発表は確認できません。
現在は、北京五輪金メダリストという実績に加え、次の自分をどう作っていくかが注目される段階にあります。
平野歩夢の現在を知るうえで押さえたい3つのポイント
2026年の平野選手を理解するには、次の3点が重要です。
1. 五輪での実績: ソチ・平昌の銀メダル、北京の金メダルという3大会連続のメダル実績を持つ。
2. けがからの復帰: 2026年は複数箇所の骨折を乗り越え、ミラノ・コルティナ五輪で7位入賞を果たした。
3. 今後の方向性: 2030年大会への意欲を示す一方、新しい挑戦も視野に入れている。
幼い頃から一つの競技だけにとらわれず、スケートボードにも挑戦してきた平野選手だからこそ、今後どのような道を選ぶのかにも注目が集まっています。
【平野歩夢の昔】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:平野歩夢は何歳からスノーボードを始めた?
A1:4歳頃です。兄の英樹さんの影響もあり、幼い頃からスケートボードとスノーボードの両方に取り組んでいました。
Q2:平野歩夢は小学何年生でプロ契約した?
A2:小学4年生です。世界的なスノーボードブランドであるバートンとプロ契約を結びました。
Q3:平野歩夢はソチ五輪で何歳だった?
A3:15歳74日でした。2014年ソチ冬季オリンピックの男子ハーフパイプで銀メダルを獲得し、スノーボードのオリンピック最年少メダリストとしてギネス世界記録にも認定されました。
Q4:平野歩夢の父親や兄弟はどんな人?
A4:父親は英功さんで、兄は英樹さん、弟は海祝選手です。兄弟は幼少期からスケートボードやスノーボードに取り組み、父親は練習環境の整備などで競技活動を支えてきました。
Q5:平野歩夢は日本大学出身?
A5:はい。日本大学スポーツ科学部に進学し、2020年度に卒業しています。
Q6:平野歩夢の北京五輪の結果は?
A6:2022年北京冬季オリンピックの男子ハーフパイプで金メダルを獲得しました。96.00点を記録し、スノーボード競技で日本勢初の金メダルという快挙を達成しています。
Q7:平野歩夢の2026年ミラノ・コルティナ五輪の結果は?
A7:男子ハーフパイプで7位入賞でした。大会直前の骨折を乗り越え、決勝で86.50点を記録しました。
Q8:平野歩夢は2030年の冬季五輪にも出場する?
A8:2026年4月の日本オリンピック委員会の報道では、次回大会を目指す選択肢を持っていると本人が語っています。ただし、2026年11月時点で正式な出場決定は発表されていません。
まとめ:平野歩夢の昔を知ると現在の強さが見えてくる
平野歩夢選手の競技人生は、4歳でスケートボードとスノーボードを始めた幼少期から始まりました。
新潟県村上市で兄・英樹さんの背中を追い、父・英功さんが整えた練習環境で技術を磨き、小学4年生でバートンとプロ契約。15歳でソチ五輪銀メダルを獲得したことで、世界的なスノーボーダーとして知られるようになりました。
その後も平昌五輪の銀メダル、東京五輪でのスケートボード挑戦、北京五輪での金メダルと、競技人生を大きく進化させてきました。
2026年のミラノ・コルティナ五輪では、直前の大けがを乗り越えて7位入賞。結果だけを見れば過去3大会のメダルには届きませんでしたが、4大会連続で五輪の舞台に立ったことは大きな実績です。
平野歩夢選手の昔から現在までを振り返ると、最大の特徴は若い頃から変わらない挑戦心にあります。
15歳で世界の頂点を争い、23歳で金メダルを手にし、27歳では大けがを乗り越えて再び五輪の舞台に立った平野選手。
2030年の次回大会を含め、これからどのような挑戦を選ぶのか。その歩みは今後も注目されます。
参考にした主な情報源
- 日本オリンピック委員会(JOC):選手プロフィール、五輪公式成績、2026年の本人発言。
- 平野歩夢公式サイト:プロフィール、競技実績、2026年の活動情報。
- 日本大学:スポーツ科学部の経歴、幼少期からの競技歴。
- 日本テレビ:平野3兄弟と幼少期の練習環境に関する特集。
- 日刊スポーツ:父親の競技環境整備に関する取材。
- TBS NEWS DIG:2026年1月の負傷と全日本スキー連盟の発表。
- BACKSIDE、SWITCH、プレジデントオンライン:本人・家族への過去のインタビュー。