長渕剛の奥さんは、元アクション女優の志穂美悦子(しほみ・えつこ)です。2人は1986年のTBSドラマ「親子ゲーム」で共演し、1987年8月に結婚しました。志穂美悦子は結婚後、女優としての活動から距離を置き、フラワーアーティストとして新しい道を歩み始めています。
一方、長渕剛には過去に女優・石野真子との結婚歴があり、1981年に結婚、1983年に離婚しています。また、2025年には志穂美悦子との別居報道や事務所役員退任が話題になりました。2026年には夫婦関係についての本人の発言も報じられています。現在の妻の活動、馴れ初め、結婚歴、夫婦関係まで、時系列に沿って整理します。
【結論】長渕剛の奥さんは志穂美悦子!元アクション女優のプロフィール
長渕剛の現在の妻は、志穂美悦子です。1970年代から1980年代にかけて日本映画界で活躍したアクション女優で、千葉真一が設立したジャパン・アクション・クラブ(JAC)に所属していました。
志穂美悦子は1955年生まれ、岡山県出身。1973年に映画「ボディガード牙」でデビューし、身体能力を生かした本格的なアクションで注目を集めました。
代表的な出演作には、映画「女必殺拳」シリーズ、「二代目はクリスチャン」、「宇宙からのメッセージ」などがあります。特に「女必殺拳」シリーズでは主演を務め、当時のアクション映画を代表する女優の一人となりました。
志穂美悦子の基本プロフィール
2026年現在、志穂美悦子は70歳。女優時代の知名度に加え、花創作家、シャンソン歌手という新たな肩書きでも知られています。
- 名前:志穂美悦子
- 生年:1955年
- 出身地:岡山県
- 旧来の職業:俳優・アクション女優
- 現在の活動:花創作家、シャンソン歌手
- 歌手名義:鬼無里まり(きなさ・まり)
- 夫:長渕剛
- 結婚年:1987年
興味深いのは、志穂美悦子が単に長渕剛の妻として知られるだけの人物ではないことです。2026年6月の日刊スポーツのインタビューでは、女優時代の経験や結婚生活、現在の表現活動について自ら語っています。
同インタビューでは、結婚を機に表舞台から遠ざかった経緯にも触れていますが、本人は引退会見を行ったわけではなく、結婚会見で引退を宣言したわけでもないと説明しています。女優業からの離脱を、単純な芸能界引退という言葉だけで片付けられない背景があります。
【馴れ初め】長渕剛と志穂美悦子は「親子ゲーム」で出会った
長渕剛と志穂美悦子の出会いとして知られているのが、1986年放送のTBSドラマ「親子ゲーム」です。
この作品で長渕剛はラーメン店を営む青年を演じ、志穂美悦子はその恋人役を担当しました。劇中では夫婦のように激しく衝突する場面も描かれ、2人の掛け合いが作品の見どころになっていました。
撮影中のけがが2人の距離を縮めた
交際のきっかけとして知られているエピソードが、ドラマ撮影中に起きた志穂美悦子の骨折です。
日刊ゲンダイの回顧記事によると、1986年6月、夫婦げんかのシーンを撮影していた際、志穂美悦子が左手小指の付け根を骨折するアクシデントがありました。その際、長渕剛が病院に付き添ったことが、2人の親密な関係につながったと伝えられています。
仕事の現場で起きた予期せぬ出来事が、2人の関係を変えるきっかけになったというエピソードです。
映画「男はつらいよ 幸福の青い鳥」でも共演
ドラマの共演に続き、2人は1986年12月20日公開の映画「男はつらいよ 幸福の青い鳥」でも共演しました。
松竹の公式作品データベースによると、志穂美悦子は島崎美保役、長渕剛は島田健吾役を担当しています。劇中でも2人は恋愛関係にある人物を演じ、作品のストーリーを彩りました。
この映画はシリーズ第37作にあたり、渥美清、倍賞千恵子らも出演しています。寅さんシリーズの中でも、長渕剛と志穂美悦子の共演作として記憶される作品です。
当時の製作発表会見では、2人の交際についても話題になりました。日刊ゲンダイの当時を振り返る記事では、長渕が結婚の可能性に言及し、志穂美も交際について堂々と向き合う姿勢を示したと紹介されています。
1987年8月に結婚
ドラマと映画での共演を経て、2人は1987年8月に結婚しました。
志穂美悦子は当時、アクション女優として人気の絶頂期にありました。結婚後は芸能活動を休止し、家庭生活と子育てに軸足を移していきます。
2026年の日刊スポーツのインタビューでは、志穂美悦子自身が結婚について「1つの家の中に2つの星はいらない」という考え方にも触れています。一方で、結婚を自分にとって新しい挑戦だったと振り返っており、女優としての人生とは異なる道を選んだことが分かります。
【結婚歴】長渕剛の元妻は石野真子!1981年の結婚と1983年の離婚
長渕剛の結婚歴を理解するうえで欠かせないのが、元妻である女優・歌手の石野真子です。
長渕剛は志穂美悦子と結婚する前、1981年に石野真子と結婚しています。しかし、結婚生活は長く続かず、1983年に離婚しました。
石野真子との結婚は1981年
石野真子は1970年代後半からアイドル歌手、女優として人気を集めていた人物です。長渕剛もシンガーソングライターとして活動の幅を広げていた時期で、2人の結婚は当時の芸能ニュースでも大きな話題となりました。
1981年に結婚した2人でしたが、1983年には夫婦関係に終止符を打つことになります。
離婚の経緯について長渕剛本人が語ったこと
石野真子との離婚について、長渕剛は2017年8月に出演したTBSラジオ「伊集院光とらじおと」で当時を振り返っています。
音楽性の変化や30代の転機について話す中で、離婚が自身の人生に大きな影響を与えたと説明しました。
「それで1つ目の幸せが壊れた。離婚をしたっていうのも大きかったし」
また、愛した人と添い遂げられなかったことについて、精神的につらい経験だったと語っています。
この発言から読み取れるのは、長渕剛にとって最初の結婚と離婚が、人生や音楽活動を振り返るうえで大きな転機だったということです。
なお、離婚理由についてはさまざまな説がインターネット上に流れていますが、本人が2017年のラジオで語った内容は、離婚による心境と人生への影響が中心です。個別の原因を本人の確定的な説明として扱うことはできません。
志穂美悦子との再婚で新しい家庭を築く
1983年に石野真子と離婚した長渕剛は、その後、志穂美悦子と交際を深め、1987年に再婚しました。
最初の結婚から2度目の結婚までには、音楽活動だけでなく、俳優としての出演や作品づくりなど、長渕剛自身の表現者としての変化もありました。
志穂美悦子との結婚後、長渕剛は音楽活動を継続し、志穂美悦子は家庭生活を経験した後、花の世界やシャンソンという新しい表現領域へ進んでいきます。
【結婚歴・関係一覧】長渕剛と石野真子・志穂美悦子の時系列まとめ
長渕剛の結婚歴と、志穂美悦子との関係を時系列で整理すると、次のようになります。
| 時期 | 人物・作品 | 出来事・関係 |
|---|---|---|
| 1973年 | 志穂美悦子 | 映画「ボディガード牙」でデビュー。アクション女優として活動を開始。 |
| 1981年 | 石野真子 | 長渕剛と結婚。最初の結婚となる。 |
| 1983年 | 石野真子 | 長渕剛と離婚。 |
| 1986年6月 | 「親子ゲーム」 | 長渕剛と志穂美悦子がドラマで初共演。 |
| 1986年12月20日 | 「男はつらいよ 幸福の青い鳥」 | 2人が映画でも共演。恋愛関係にある役を演じる。 |
| 1987年8月 | 長渕剛・志穂美悦子 | 結婚。志穂美悦子は芸能活動を休止。 |
| 2010年 | 志穂美悦子 | 本格的にフラワーアートを学び始める。 |
| 2011年 | 志穂美悦子 | フラワーアートの写真集を出版。売り上げを東日本大震災の被災地支援に寄付。 |
| 2024年 | 鬼無里まり | 志穂美悦子がシャンソン歌手として活動を開始。 |
| 2025年 | 鬼無里まり | 東京シャンソンコンクールでグランプリ、日本シャンソンコンクールで優秀賞を受賞。 |
| 2025年 | 長渕剛・志穂美悦子 | 別居や事務所役員退任に関する報道が出る。双方のコメントも報じられた。 |
| 2026年 | 志穂美悦子 | 花創作家・シャンソン歌手としてライブやイベントに出演。 |
この年表で注目したいのは、長渕剛の結婚歴と志穂美悦子のキャリアが、1986年から1987年にかけて大きく交差している点です。
また、志穂美悦子は結婚後に芸能活動を休止したものの、長い時間を経て自分自身の表現活動を再び広げています。現在の活動を理解するには、単に「長渕剛の妻」という立場だけでなく、女優、花創作家、歌手という複数のキャリアを見る必要があります。
【2026年最新】志穂美悦子の現在は?フラワーアーティストからシャンソン歌手へ
2026年現在の志穂美悦子は、花創作家としての活動と、シャンソン歌手としての活動を両立しています。
特に注目されているのが、鬼無里まり(きなさ・まり)という名義での音楽活動です。長年にわたり女優として知られてきた人物が、70歳を迎える年齢で新しい音楽の世界に本格的に挑戦しています。
花創作家としての活動は2010年から
志穂美悦子が花の世界に本格的に取り組み始めたのは2010年です。公式プロフィールによると、ベルギー出身の世界的フラワーデザイナー、ダニエル・オスト氏の内弟子だった前田玲子氏、清水はるみ氏に師事しました。
2011年には東日本大震災の復興支援企画として、自身のフラワーアートをまとめた写真集を出版。売り上げを被災地へ寄付しました。
加えて、花を通じた支援活動にも取り組み、2016年にはJA長生とともに「ひまわりプロジェクト」を立ち上げています。全国から参加したボランティアと協力し、育てたひまわりを宮城県、福島県、熊本県などへ届けました。
2014年には奈良の世界遺産・薬師寺で「聖観世音菩薩に捧げる花展」を開催。2015年から2023年にかけては「世界らん展」で特別展示などを行いました。
鬼無里まりとしてシャンソン歌手デビュー
もう一つの大きな転機は、2024年6月に始めたシャンソン歌手としての活動です。
鬼無里まりという芸名には、それぞれ由来があります。2026年7月のデイリースポーツのインタビューによると、「鬼無里」は思い出のある長野市内の地名、「まり」は1973年に出演した特撮ドラマ「キカイダー01」で演じた役名に由来しています。
シャンソンとの出会いは若い頃にさかのぼります。20代前半には銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」に足を運び、歌の世界に触れていました。長い年月を経て、その経験が歌手活動につながったと本人は振り返っています。
2025年はシャンソンコンクールで実績を残す
鬼無里まり名義での活動は、コンクールでの受賞にもつながりました。
- 2025年5月:第12回東京シャンソンコンクール2025でグランプリを受賞。
- 2025年11月:日本シャンソンコンクール2025で優秀賞を受賞。
日本シャンソンコンクールについては、本人の公式サイトが2025年11月19日の受賞を発表しています。エディット・ピアフの「美しい恋物語」を歌い、2年連続で優秀賞を受賞したことも掲載されています。
なお、東京シャンソンコンクールと日本シャンソンコンクールは別の大会です。グランプリと優秀賞という受賞歴を混同しないことが大切です。
2026年もライブや花の展示に積極的に出演
2026年には、東京ドームシティのプリズムホールで開催された「世界らん展2026」に作品を展示しました。
また、公式サイトに掲載された出演情報には、岡山凱旋ソロライブ、シャンソンフェスティバル、各地のパリ祭、石巻でのライブ、長野県でのディナーショーなどが並んでいます。10月17日には和歌山でのシャンソン関連イベントへの出演も予定されていました。
NHK文化センターも2026年2月に志穂美悦子を花創作家・シャンソン歌手として紹介し、3月には青山教室で講座を開催しました。
さらに2026年6月の日刊スポーツのインタビューでは、70歳になった現在もボクシングジムに通い、身体づくりを続けていることが紹介されています。アクション女優時代に培った身体能力と、現在の表現活動がつながっている点も興味深いところです。
【夫婦関係の真相】長渕剛と志穂美悦子に別居報道?2026年の現在
長渕剛と志穂美悦子の夫婦関係については、2025年に大きな報道がありました。1987年の結婚以来、長く夫婦として歩んできた2人ですが、生活拠点や仕事上の関係に変化が生じたと報じられたのです。
2025年に報じられた別居と事務所役員退任
2025年8月の週刊文春は、志穂美悦子が2024年4月に長渕剛に関連する3社の取締役を退任していたと報じました。
同誌は、長渕が2023年末ごろから都内の別のマンションで生活しているという関係者の証言も紹介しています。
この報道に対して、志穂美悦子は取材で別居について「行ったり来たり」と説明。役員退任については、自分が新しい活動に集中したいという意向を示しました。
その後、2025年9月の女性セブンプラスの記事では、長渕の個人事務所側が、志穂美の役員退任は本人の意向を尊重したものと説明し、長渕と関係者女性との不倫関係や、志穂美との離婚話はないと回答したことが掲載されています。
志穂美悦子本人は離婚についてどう語った?
女性セブンプラスの取材で、志穂美悦子は離婚を考えたことがあるかという質問にも答えています。
「結婚生活にはいろんなことが起きるし、37年間、何があっても支えてきました」
加えて、自分も好きなことをさせてもらっていることや、夫がそれを理解してくれていることへの感謝を述べました。
この発言は、別居報道が出た時期の本人の説明として重要です。報道された生活上の変化と、本人が語った結婚生活への考え方は、分けて受け止める必要があります。
2026年には夫への感謝を語る
2026年7月10日のデイリースポーツのインタビューでは、志穂美悦子がシャンソン歌手として活動することについて、長渕剛への感謝を語っています。
「歌う時間を作ってくれて、ありがたく思っています」
また、長渕剛の音楽に対する真摯な姿勢を長年そばで見てきたことが、自身の歌手活動を後押ししたとも説明しました。
一方、夫婦で歌手として共演する可能性については否定的な見解を示しています。長渕剛の実績と自分の活動は別のものとして考えているようです。
2026年6月の日刊スポーツのインタビューでも、長渕剛について「良きも悪きも半端ない」と表現し、彼のそばで過ごしてきた経験が自分の表現活動に影響したと語っています。
したがって、2026年の夫婦関係を考える際には、2025年の別居報道だけで判断するのは適切ではありません。生活上の距離についての報道がある一方、本人の感謝や夫婦生活への考え方も報じられています。公に離婚成立が発表された事実はなく、夫婦関係の詳細については本人たちが公表した範囲を超えて断定できません。
【プロの結論】志穂美悦子は長渕剛の妻である前に、自分の人生を切り開く表現者
長渕剛の奥さんを調べると、志穂美悦子の名前とともに、結婚歴、元妻・石野真子、別居報道などの情報が検索結果に並びます。
しかし、志穂美悦子の人生を理解するには、夫婦関係だけに注目するのでは不十分です。
彼女の歩みには、次の3つの大きな転換点があります。
1. アクション女優としての成功
JACで厳しい訓練を受け、1970年代から映画界で活躍。女性アクションスターとして独自のポジションを築きました。「女必殺拳」シリーズや「二代目はクリスチャン」などは、その代表例です。
2. 結婚を機に選んだ新しい人生
1987年の長渕剛との結婚後、女優としての活動を休止しました。本人は2026年のインタビューで、結婚や家庭生活を自分にとっての挑戦として振り返っています。
3. 70歳で挑戦する花と音楽の世界
2010年から本格的に花を学び、被災地支援や花の展示活動を展開。2024年にはシャンソン歌手としてもデビューし、2025年には複数のコンクールで受賞しました。
ここに見えるのは、夫の知名度に依存する生き方ではなく、自分自身の経験を新しい表現に変えていく姿です。
2026年の日刊スポーツの取材で志穂美悦子は、長渕剛の妻であることについても肯定的に語っています。ただし、それと同時に、自分自身が何を表現したいかを大切にしていることも明確にしています。
長渕剛の妻という肩書きは、志穂美悦子の人生を説明する一部分にすぎません。アクション女優としての実績、花創作家としての社会貢献、シャンソン歌手としての挑戦まで含めて見ることで、その人物像はより立体的になります。
【よくある質問】長渕剛の奥さんに関するFAQ
Q1:長渕剛の現在の妻は誰ですか?
A1:元アクション女優の志穂美悦子です。1986年のドラマ「親子ゲーム」で長渕剛と共演し、1987年8月に結婚しました。
Q2:長渕剛と志穂美悦子の馴れ初めは何ですか?
A2:1986年のTBSドラマ「親子ゲーム」での共演がきっかけです。その後、映画「男はつらいよ 幸福の青い鳥」でも共演し、交際を深めて1987年に結婚しました。
Q3:志穂美悦子は2026年現在、何をしていますか?
A3:花創作家として作品展示やイベントに参加するほか、鬼無里まり名義でシャンソン歌手として活動しています。2025年には東京シャンソンコンクールでグランプリを受賞し、2026年も各地のライブやイベントに出演しています。
まとめ:長渕剛の妻・志穂美悦子の結婚歴と2026年の現在
長渕剛の現在の妻は志穂美悦子です。2人は1986年の「親子ゲーム」で出会い、映画「男はつらいよ 幸福の青い鳥」での共演を経て、1987年8月に結婚しました。
長渕剛には石野真子との結婚歴もあり、1981年に結婚、1983年に離婚しています。その後、志穂美悦子と再婚し、長い夫婦生活を歩んできました。
2025年には別居や事務所役員退任をめぐる報道がありましたが、本人の発言や事務所側の説明も報じられています。2026年には志穂美悦子が夫への感謝を語り、自分自身の歌手活動にも意欲を示しました。
現在の志穂美悦子は、かつてのアクション女優という枠を超え、花創作家、そしてシャンソン歌手として新たなキャリアを築いています。
長渕剛の妻としての歩みだけでなく、一人の表現者として挑戦を続ける志穂美悦子。その2026年の活動は、これからも注目されるでしょう。
主な情報確認資料: 志穂美悦子公式サイト、松竹映画公式作品データベース、NHK文化センター、日刊スポーツ、デイリースポーツ、週刊文春、女性セブンプラス。