出会いのきっかけはドラマ「時間ですよ」
2人が出会ったきっかけは、TBS系ドラマ「時間ですよ」の撮影現場でした。
当時、樹木希林さんは悠木千帆という芸名で活動していました。内田裕也さんはロックミュージシャンとして活動しており、友人だったミュージシャンのかまやつひろしさんに連れられて撮影現場を訪れたことが縁になったとされています。
樹木さんは2018年に朝日新聞のインタビューで、かまやつさんが現場に遊びに来た際、そこにいた内田さんを見たことが出会いだったと振り返っています。
2人の関係は、最初から華やかな芸能人同士の恋愛というより、異なる世界で生きる個性的な人間同士の出会いでした。
J-CASTニュースなどの報道によると、初めてのデートの翌日に内田さんがプロポーズしたというエピソードも伝えられています。
1973年10月10日、築地本願寺で結婚
2人は1973年10月10日、東京の築地本願寺で挙式しました。
当時の樹木さんは、テレビドラマや映画で存在感を発揮する女優。内田さんは、日本のロックシーンを牽引するミュージシャンでした。
一見すると異色の組み合わせですが、互いに自分の価値観を曲げないという点では共通していたとも考えられます。
週刊女性PRIMEが紹介した1973年当時の内田さんのインタビューでは、樹木さんとの出会いや交際の始まりについて、内田さん自身の言葉が掲載されています。
この結婚は、後に「結婚45年、別居43年」と報じられる、長く独特な夫婦生活の出発点となりました。
【夫婦関係の全経緯】45年間の結婚生活を時系列で整理
2人の夫婦関係を理解するには、結婚、別居、離婚届問題、娘の誕生、晩年という流れを押さえる必要があります。
特に重要なのは、別居していた期間と婚姻関係が続いた期間が大きく重なっていることです。
内田裕也・樹木希林夫妻の主要年表
| 時期 | 出来事 | 夫婦関係への影響 |
|---|---|---|
| 1973年10月 | 築地本願寺で結婚 | 2人の婚姻生活が始まる |
| 結婚後 | 別居生活に移行 | 同居期間は3カ月未満と樹木さんが回想 |
| 1974年10月19日 | 内田さんがロンドンから手紙を送る | 夫婦間の愛情を示す記録が残る |
| 1976年2月11日 | 長女・内田也哉子さん誕生 | 母と娘を中心とする家庭生活が続く |
| 1981年 | 内田さんが離婚届を提出 | 裁判を経て離婚は無効に |
| 2011年4月 | ゼクシィCMで夫婦初共演 | 結婚39年目の初CM共演が話題に |
| 2018年9月15日 | 樹木希林さん逝去 | 享年75歳 |
| 2018年9月30日 | 光林寺で葬儀・告別式 | 内田さんが喪主を務める |
| 2019年3月17日 | 内田裕也さん逝去 | 享年79歳。樹木さんと同じ墓に入ることに |
| 2024年秋 | 樹木さんの七回忌 | 光林寺で法要が営まれる |
| 2026年 | 孫のUTAさんが祖父母の思い出を語る | 次世代に家族の記憶が伝わる |
1981年の離婚届提出と無効判決
2人の関係において、最も大きな転換点の一つが1981年の離婚届問題です。
報道によると、内田さんは樹木さんの同意を得ずに離婚届を提出しました。その後、内田さんはハワイに渡り、樹木さんは離婚を認めない姿勢を示しました。
問題は裁判に発展し、最終的に離婚は無効となりました。
ここで重要なのは、単に夫婦げんかの延長で終わった出来事ではないことです。
離婚届が提出されたにもかかわらず、2人の婚姻関係は法的に継続しました。以降も同居に戻ることなく、別居婚という形が続いていきます。
この出来事は、2人が一緒に暮らすことと、夫婦であり続けることを必ずしも同じ問題として考えていなかった可能性を示しています。
【なぜ離婚しなかった?】40年以上の別居婚を続けた本当の理由
この夫婦に関する最大の疑問は、なぜ40年以上も別居していたのに離婚しなかったのかという点です。
実は、この疑問に対しては、樹木さん自身が複数のテレビ番組や新聞インタビューで答えています。
理由1:内田裕也の存在が自分を支える「重し」だった
2018年に朝日新聞が再編集して掲載した生前インタビューで、樹木さんは別居を続ける理由について、率直に語っています。
45年も別居してるんだから、離婚してもいいんだけど、私にとっては、ああいう重しがいることで助かっている部分もあるのよ。
この言葉は、2人の関係を考えるうえで非常に重要です。
樹木さんにとって内田さんは、毎日一緒に生活するパートナーではありませんでした。しかし、自分の人生に影響を与える存在であり続けていたのです。
2016年に放送されたNHK「あさイチ」でも、樹木さんは内田さんについて、生活費をもらったことはないとしながら、別れることが必ずしもよいとは限らないという考えを明かしています。
加えて、夫がいることで、自分の破天荒な部分が少しずつ修正されるという趣旨の発言も残しています。
つまり、樹木さんにとって結婚は、生活をともにすることだけではありませんでした。
自分とは異なる価値観を持つ人間が人生に存在すること自体に、意味を見いだしていたと考えられます。
理由2:お互いに干渉しすぎない距離感が成立していた
朝日新聞のインタビューで樹木さんは、内田さんがどのような女性と暮らしていても文句を言わないという趣旨の話もしています。
一般的な夫婦関係では、生活を共有しないことが不安や不満につながる場合があります。
しかし、2人の場合は、別々に暮らすことが互いの自由を保つ仕組みになっていた側面がありました。
樹木さんは加えて、年齢を重ねてから一緒に暮らせば、介護の問題も生じると現実的な見方を示しています。
実際、2015年のテレビ番組では、内田さんと会う頻度について、保険証を渡すときなど年に2回程度と説明していました。
それでも、会ったときには互いに話したいことが多く、会話が止まらなかったといいます。
樹木さんは、会話がかみ合っている間はよいものの、互いに気が強いため、2時間程度が限界とも語っていました。
理由3:内田裕也という人間を否定しなかった
内田さんは、ロックミュージシャンとして独自の生き方を貫いた人物でした。
音楽活動だけでなく、映画出演や政治的な活動などにも取り組み、一般的な家庭生活とは距離のある生き方を続けていました。
一方の樹木さんも、女優として独自の価値観を持ち、家庭のあり方について世間の常識にとらわれない発言をしていました。
2018年の葬儀で、娘の也哉子さんは母に夫婦関係の理由を尋ねた際の答えを明かしています。
「だってお父さんにはひとかけら、純なものがあるから」
この言葉から伝わるのは、樹木さんが内田さんの問題点をすべて肯定していたということではありません。
欠点やトラブルを抱えた人物であっても、その人の中にある純粋な部分を認めていたということです。
夫婦関係を維持した理由は一つではなく、愛情、尊敬、相性、自由、そして互いにしか理解できない距離感が複雑に重なっていたのでしょう。
理由4:娘の誕生後も、夫婦という関係を維持した
1976年2月11日、2人の間に長女・内田也哉子さんが誕生しました。
ただし、也哉子さんが育った家庭は、一般的な父母同居の家庭とは異なっていました。
両親の別居生活が長く続いたため、母親と娘の2人で過ごす時間が中心だったのです。
樹木さん自身も、子育て中は夫が家にいないため、仕事と育児に追われていたと振り返っています。
ここで注目したいのは、樹木さんが夫の悪口を娘に言い続けるような姿勢を取らなかったことです。
娘にとって父親は不在でありながら、大きな存在でした。その複雑な環境については、後述する也哉子さんの証言に詳しく表れています。
【内田也哉子が明かした真実】夫婦の手紙と父母の知られざる愛情
2人の夫婦関係を理解するうえで、欠かせない人物が長女の内田也哉子さんです。
也哉子さんはエッセイスト・文章家として活動し、俳優の本木雅弘さんと結婚しています。
両親の別居生活を幼少期から経験した彼女は、父親の存在に戸惑い、母親の選択を理解できずにいた時期もありました。
母と2人で暮らした19年間
2018年9月30日、樹木さんの葬儀で也哉子さんは、両親の関係について率直な思いを語りました。
自分が結婚するまでの19年間、家庭は母と自分の2人が中心だったと説明しています。
父親は家庭に常にいるわけではなかったものの、象徴的な存在として大きな影響を与えていたといいます。
また、幼いころには不在の父親の存在に押しつぶされそうになったことも明かしました。
これは、別居婚を美談だけで語れない理由でもあります。
夫婦にとって心地よい距離感だったとしても、子どもにとって同じ環境が心地よかったとは限りません。
也哉子さんは、母親の選択を長年理解できずにいたことを、葬儀の場で率直に語っています。
1974年10月19日、ロンドンから届いた夫婦の手紙
葬儀で明らかになったもう一つの重要な出来事が、内田さんから樹木さんに送られたエアメールです。
也哉子さんによると、母親の書庫で小さなアルバムを見つけ、その中から色あせたロンドンからの手紙を発見したといいます。
手紙の日付は1974年10月19日。
結婚1周年を迎える時期に、内田さんがロンドンから樹木さんへ送ったものでした。
そこには、経済的な問題や自身の夢、仕事への葛藤についての記述があり、最後には妻への愛情がつづられていました。
手紙の内容には、次の言葉も含まれていました。
「でも本当に心から愛しています」
この手紙は、也哉子さんにとって大きな意味を持つものでした。
それまでの彼女は、父親の不在や両親の特殊な関係に対して、わだかまりを抱えていました。
ところが、母親が長年大切に保管していた手紙を読んだことで、父親の中にあった苦悩や純粋な思いを初めて実感したといいます。
也哉子さんは、手紙を読んで両親の関係に対する長年のわだかまりが解けていくように感じたと葬儀で語りました。
内田裕也が樹木希林に送った最後のメッセージ
樹木さんが亡くなった後、内田さんは2018年9月20日付で公式サイトに追悼メッセージを掲載しました。
その中で、妻を本名の「啓子」と呼び、感謝と敬意を伝えています。
「啓子 今までありがとう。」 「見事な女性でした。」
この短いメッセージには、長年別々に暮らしてきた夫婦の関係が凝縮されています。
内田さんは、妻に対する謝罪や後悔だけでなく、最後まで一人の女性としての樹木さんを認めていました。
また、2018年の告別式では内田さんが喪主を務めました。
体調面の事情から、最後のあいさつは也哉子さんが代わりに行いましたが、父親が妻の葬儀で喪主を務めたことも、2人が最後まで夫婦だった事実を象徴しています。
【ゼクシィCMで初共演】結婚39年目に見せた2人の掛け合い
内田裕也さんと樹木希林さんの夫婦関係を象徴する出来事として、2011年の結婚情報誌「ゼクシィ」のCM出演があります。
長年別居していた2人が、結婚情報誌のCMで夫婦として共演したことは大きな話題になりました。
結婚39年目にしてCM初共演
2011年4月22日、オリコンニュースは、2人がゼクシィの新CMで初共演したと報じました。
当時、内田さんは71歳、樹木さんは68歳。
1973年の結婚から数えて39年目の出来事でした。
CMのコンセプトは「Get Old with Me(一緒に年を重ねて生きていく)」。
長年の別居生活を続けてきた2人が、このテーマのCMに出演したこと自体が印象的でした。
CMで交わされた印象的な会話
CMでは、樹木さんが内田さんに結婚のよいところを尋ねる場面が登場します。
それに対して内田さんは「ノーコメント」「ROCK'N ROLL」と返答。
この独特の掛け合いが、2人らしいユーモアとして話題になりました。
CMソングには福山雅治さんの「家族になろうよ」が起用されています。
同曲は東日本大震災後に書き下ろされた楽曲で、結婚披露宴で両親への手紙を読む場面をイメージして制作されたとオリコンは報じています。
なぜこのCMが特別だったのか
このCMの価値は、単に有名夫婦が出演したことだけではありません。
一般的な結婚広告では、夫婦が一緒に暮らし、日常生活を共有する姿が描かれます。
しかし、内田さんと樹木さんは、長期間にわたって別居しながら婚姻関係を続けてきました。
それでも、2人は結婚を否定していませんでした。
CMの会話に見られるぶっきらぼうな受け答えや、自然体の掛け合いは、長い年月を経た2人ならではの空気を伝えていました。
結婚の形は一つではないというメッセージを、結果的に強く印象づけた共演だったといえます。
【2018年・2019年の逝去】光林寺の墓で再び同じ場所へ
長年にわたって別居を続けた2人の人生は、2018年と2019年に大きな節目を迎えます。
樹木希林は2018年9月15日に75歳で死去
樹木希林さんは、2018年9月15日午前2時45分、東京都渋谷区の自宅で亡くなりました。
享年75歳でした。
長年、全身に転移したがんと向き合いながら女優として活動を続けていた樹木さん。
2018年9月30日には、東京都港区南麻布の光林寺で葬儀・告別式が営まれました。
喪主は夫の内田裕也さんが務め、長女の也哉子さんがあいさつを担当しました。
この葬儀では、1974年のロンドンからの手紙が明かされ、夫婦関係の知られざる一面が伝えられました。
内田裕也は2019年3月17日に79歳で死去
樹木さんの死から約半年後、内田裕也さんも亡くなりました。
2019年3月17日午前5時33分、肺炎のため東京都内の病院で死去。享年79歳でした。
所属事務所は翌18日に公式コメントを発表し、長年の闘病生活を送っていたことを明らかにしました。
内田さんは、樹木さんが亡くなった後も音楽活動への意欲を失っていませんでした。
2018年末から2019年初頭にかけて開催された第46回ニューイヤーズ・ワールド・ロックフェスティバルにも出演しています。
車いすから立ち上がってステージで歌唱したことも報じられました。
生涯を通してロックミュージシャンとしての姿勢を貫いた人生でした。
2人が眠る光林寺の内田家の墓
内田裕也さんが亡くなった際、デイリースポーツは、樹木さんと同じ東京・南麻布の光林寺にある内田家の墓に入る予定だと報じました。
樹木さんは生前、自ら光林寺に墓を用意していました。
朝日新聞のインタビューでも、自分は内田家の墓に入るつもりであることを語っています。
そして、内田さんの死後、2人は同じ墓に入ることになりました。
40年以上にわたって別居していた夫婦が、最終的に同じ墓に納められたという事実は、多くの人の記憶に残っています。
2025~2026年の最新情報:娘と孫が語り継ぐ夫婦の記憶
2025年3月、内田也哉子さんは婦人公論のインタビューで、母・樹木さんの七回忌を終えた後の思いを語りました。
2024年秋に光林寺で七回忌を営んだことや、母親が残した衣服や品物を今も大切に使っていることなどが紹介されています。
また、2025年4月にはテレビ朝日系「プラチナファミリー」で、両親の遺影が自宅の同じ部屋に約1メートル離れて置かれていることについても説明しました。
也哉子さんによれば、生前は一緒に過ごす時間が少なかったため、遺影を急に隣り合わせにすると不自然に感じるという趣旨でした。
このエピソードは、両親の関係を知るうえで興味深いものです。
そして2026年6月30日、テレビ朝日の番組告知では、孫のモデル・UTAさんが「徹子の部屋」に出演することが紹介されました。
祖父の内田さんを家庭内で「裕也」と呼んでいたことや、祖母の樹木さんとスイスへ行った思い出などが取り上げられています。
2026年7月の放送予定として告知された内容からも、2人の存在が次の世代に受け継がれていることが分かります。
【プロの結論】内田裕也と樹木希林の夫婦関係から分かる3つの真実
2人の夫婦生活を振り返ると、一般的な結婚観だけでは説明できない特徴が見えてきます。
1. 別居していたから愛情がなかったわけではない
40年以上の別居という数字だけを見ると、夫婦関係が破綻していたように感じる可能性があります。
しかし、樹木さん本人の発言や内田さんの手紙、亡くなった後に発表されたメッセージからは、互いを特別な存在として認めていたことが分かります。
同居していないことと、相手を大切に思っていないことは同じではありません。
2. 夫婦の選択と子どもの受け止め方は別問題
一方で、両親の関係に対する也哉子さんの葛藤も忘れてはいけません。
母親が選んだ結婚生活が、娘にとって常に理解しやすいものだったわけではありませんでした。
夫婦それぞれの自由や価値観だけでなく、子どもがどのような家庭環境を経験するのかという視点も必要です。
3. 夫婦関係を評価するときは本人たちの言葉を重視する
2人の関係については、「仮面夫婦」「理想の夫婦」「究極の愛情」といったさまざまな表現が使われてきました。
しかし、どれか一つの言葉だけで評価することはできません。
樹木さんは夫の存在を「重し」と表現し、内田さんは妻を「見事な女性」と称賛しました。
娘は両親の関係に葛藤しながらも、手紙を通じてその愛情の一端を知りました。
この3つの視点を合わせることで、2人の夫婦関係をより立体的に理解できます。
【よくある質問】内田裕也と樹木希林に関するFAQ
Q1:内田裕也と樹木希林はいつ結婚しましたか?
A1:1973年10月10日です。東京の築地本願寺で挙式しました。
Q2:なぜ40年以上も別居していたのですか?
A2:互いの性格や生活スタイルが異なり、別々に暮らす距離感が2人にとって成立していたためです。樹木さんは夫の存在を自分にとっての「重し」と表現していました。
Q3:1981年の離婚届はどうなりましたか?
A3:内田さんが樹木さんの同意を得ずに提出した離婚届は、裁判を経て無効となりました。そのため、2人の婚姻関係は継続しました。
Q4:2人の間に子どもは何人いますか?
A4:長女の内田也哉子さんが1人います。1976年2月11日生まれで、俳優の本木雅弘さんと結婚しています。
Q5:ゼクシィのCMで共演したのはいつですか?
A5:2011年4月です。結婚39年目にして初めてCMで共演しました。
Q6:内田裕也と樹木希林の夫婦の手紙とは何ですか?
A6:1974年10月19日に内田さんがロンドンから樹木さんに送ったエアメールです。2018年の葬儀で也哉子さんが存在を明かし、父親の愛情を知ったと語りました。
Q7:樹木希林と内田裕也は同じ墓に入っていますか?
A7:はい。東京都港区南麻布の光林寺にある内田家の墓に、2人はともに納められています。
Q8:2026年現在、2人に関する新しい情報はありますか?
A8:2人はすでに逝去しています。2026年には、孫のUTAさんが祖父母との思い出をテレビ番組で語ることが告知されるなど、家族を通じて2人の人柄や記憶が伝えられています。
まとめ:内田裕也と樹木希林が45年間守った独特の夫婦の形
内田裕也さんと樹木希林さんは、1973年に結婚し、40年以上にわたる別居生活を送りながら、最後まで婚姻関係を維持しました。
1981年の離婚届問題、長女・内田也哉子さんの誕生、2011年のゼクシィCMでの初共演、そして2018年と2019年の相次ぐ逝去。2人の人生には、一般的な夫婦像では説明できない出来事が数多くありました。
特に印象的なのは、樹木さんが語った「重し」という言葉と、内田さんが1974年に送った手紙です。
一緒に暮らす時間が少なくても、相手の存在を必要としていたこと。娘が理解できずにいた関係の中にも、確かな愛情が存在していたこと。
その一方で、也哉子さんが経験した葛藤もまた、この家族の大切な一面です。
2026年現在、2人はともにこの世を去りました。しかし、娘や孫の証言、残された手紙、映像、公式メッセージを通じて、その生き方は今も語り継がれています。
内田裕也と樹木希林の夫婦関係が残した最大の問いは、夫婦とは必ずしも同じ場所で暮らすことだけで成り立つのか、ということです。
2人の答えは、誰にでも当てはまる理想ではありません。それでも、互いの個性を認め、距離を保ちながら一生の関係を続けた姿は、日本の芸能史に残る極めて特異な夫婦の記録です。