高田みづえさんの夫だった若嶋津さんは、現役時代に大相撲の頂点を争った実力派力士です。本名は日高六男(ひだか・むつお)。四股名は若嶋津六夫で、1957年1月12日に鹿児島県熊毛郡中種子町(種子島)で生まれました。
若嶋津の代名詞となったのが「南海の黒豹」という愛称です。精悍な顔立ちと、軽量ながらスピード感のある相撲で人気を集めました。
左四つを得意とし、俊敏な動きで相手を崩す取り口が特徴。1984年には春場所で14勝1敗の初優勝を果たし、同年の名古屋場所では15戦全勝という圧巻の成績で2度目の幕内優勝を達成しました。
現役時代の通算成績は515勝330敗21休。三賞5回、金星2個という実績も残しています。
1987年7月場所で現役を引退した後は、年寄・松ケ根を襲名。1990年には松ケ根部屋を創設し、後進の育成に取り組みました。
2014年には年寄・二所ノ関を襲名し、相撲界の伝統ある一門を支える立場となります。師匠として小結・松鳳山ら7人の関取を育てたことも、その功績の一つです。
日刊スポーツの訃報記事や共同通信の配信記事でも、現役時代の成績と指導者としての実績が紹介されています。
【夫・若嶋津さんの基本プロフィール】
- 本名:日高六男
- 四股名:若嶋津六夫
- 生年月日:1957年1月12日
- 出身地:鹿児島県熊毛郡中種子町
- 最高位:大関
- 幕内優勝:2回
- 愛称:南海の黒豹
- 現役引退:1987年7月
- 死去:2026年3月15日(69歳)
【1985年の婚約】高田みづえとの馴れ初めと結婚まで
高田みづえさんと若嶋津さんは、どちらも鹿児島県出身。人気歌手と人気大関という組み合わせは、当時の芸能界と相撲界を代表する話題のカップルでした。
2人の婚約がスポーツ紙で報じられたのは1984年12月。正式な婚約発表会見は1985年2月3日に行われました。
当時、高田さんは1977年に「硝子坂」でデビューし、「私はピアノ」「そんなヒロシに騙されて」などのヒット曲を持つ人気歌手でした。一方の若嶋津さんも、大関として注目を浴びていた時期です。
2人の結婚は、単なる芸能人とスポーツ選手の結婚ではなく、異なる世界で活躍する鹿児島出身の著名人同士の結びつきとして大きな関心を集めました。
婚約に至るまでには、相撲部屋の師匠との調整もあったと文春オンラインのNumber Webが伝えています。若嶋津さんは師匠の二子山親方(初代若乃花)に結婚の意思を伝え、周囲の理解を得て正式発表に至りました。
1985年9月27日に結婚、歌手生活に幕
2人は1985年9月27日、東京・ホテルニューオータニで結婚式と披露宴を行いました。
披露宴はテレビ中継され、日刊ゲンダイの回顧記事によると、視聴率は30.2%を記録。約1500人の招待客が集まった大規模な式としても知られています。
高田さんは結婚を機に芸能界を引退しました。
1977年のデビューから8年間、歌手として第一線で活躍してきた彼女にとって、大きな人生の転換点でした。
2026年8月のNHK『うたコン』では、引退当時の気持ちについても振り返っています。歌手への憧れがあったことを認めながら、夫との出会いについて語った姿が印象的でした。
【32年間のおかみ生活】高田みづえが支えた相撲部屋と家族
結婚後の高田みづえさんは、芸能界とはまったく異なる相撲界で新しい役割を担いました。
1990年2月、夫の若嶋津さんが千葉県船橋市に松ケ根部屋を創設。高田さんは部屋のおかみとして、力士たちの生活や日常を支える立場になりました。
おかみの仕事は、単に力士の食事を用意することではありません。
弟子の生活管理、後援者との付き合い、部屋の運営、家族との連絡など、相撲部屋を維持するための幅広い役割があります。
Number Webの2022年の取材記事では、高田さん自身が当初は歌手だった経歴をハンデに感じたこともあったと振り返っています。
それでも、必要以上に表に出るのではなく、裏方として部屋を支える道を選びました。
松ケ根部屋から二所ノ関部屋へ
夫婦の歩みを理解するうえで、相撲部屋の変遷も欠かせません。
| 年月 | 出来事 | 夫婦・相撲界での意味 |
|---|---|---|
| 1985年2月 | 婚約発表 | 若嶋津と高田みづえが正式発表 |
| 1985年9月 | 結婚 | 高田さんが歌手を引退 |
| 1987年7月 | 若嶋津が現役引退 | 松ケ根親方として後進を指導 |
| 1990年2月 | 松ケ根部屋創設 | 高田さんがおかみとして部屋を支える |
| 2014年12月 | 二所ノ関を襲名 | 伝統ある年寄名跡を継承 |
| 2017年10月 | 路上で転倒、頭部手術 | 夫婦の生活が大きく変化 |
| 2021年12月 | 放駒親方が部屋を継承 | 部屋の運営体制が移行 |
| 2022年1月 | 若嶋津が定年 | 高田さんも32年間のおかみ生活を卒業 |
| 2023年7月 | 日本相撲協会を退職 | 親方としての活動に一区切り |
| 2026年3月15日 | 若嶋津が死去 | 69歳で生涯を閉じる |
| 2026年8月25日 | 高田さんが『うたコン』出演 | 約11年ぶりにテレビで歌声を披露 |
若嶋津さんは2022年1月に65歳の定年を迎えました。部屋は元関脇・玉乃島の放駒親方に引き継がれ、高田さんもおかみとしての役目を終えています。
この時点で、1985年の結婚から続いた相撲界での生活は大きな節目を迎えました。
娘は女優・タレントのアイリ
高田みづえさんと若嶋津さんには、1男1女の子どもがいます。
長女は女優・タレントとして活動するアイリさんです。
アイリさんは、2026年5月のCHANTO WEBのインタビューで、母親が相撲部屋のおかみとして過ごした日々を振り返っています。
母親の姿は、華やかな芸能界で活躍していた歌手というより、割烹着やデニム姿で部屋を切り盛りするおかみだったといいます。
この証言からも、高田さんが家庭と相撲部屋の双方を支えていたことが伝わります。
【2017年の転倒から2026年の死去へ】8年半に及んだ療養と介護
夫婦の生活を大きく変えた出来事が、2017年10月に起きました。
若嶋津さんが千葉県船橋市内の路上で倒れ、頭部の手術を受けたのです。
日刊スポーツの報道によると、この事故以降、若嶋津さんは療養生活を続けることになりました。
元大関として長年相撲界の第一線に立ち、引退後も親方として部屋を率いてきた人物にとって、大きな転機でした。
高田みづえが続けた8年半の介護
夫の療養が長期化するなか、高田さんは生活を支え続けました。
2026年8月の報道では、2017年10月の転倒から夫が亡くなるまで、約8年半にわたって介護生活を送っていたことが伝えられています。
この期間には、2022年の相撲部屋のおかみ卒業も重なりました。
部屋の運営を終えた後も、夫の療養を支える日々は続いていたのです。
長年にわたり夫を支えた高田さんの姿は、歌手引退後の人生を考えるうえでも重要な意味を持ちます。
2026年3月15日、肺炎のため69歳で死去
2026年3月15日、若嶋津こと日高六男さんが千葉県内の病院で亡くなりました。
死因は肺炎。享年69歳でした。
日本相撲協会は翌16日に訃報を発表。通夜は3月23日、葬儀は24日に営まれ、妻の高田みづえさんが喪主を務めました。
報道によると、若嶋津さんは亡くなる前から体調を崩して入院していました。
元大関として2度の幕内優勝を果たし、指導者としても多くの関取を育てた人物の訃報は、相撲界に大きな衝撃を与えました。
【2026年最新】高田みづえの現在は?『うたコン』で歌手活動を再開
若嶋津さんとの死別後、高田みづえさんの近況として大きな注目を集めたのが、2026年8月25日のNHK総合『うたコン』への出演です。
テイチクエンタテインメントの公式アーティスト情報でも、今回の企画は「高田みづえ 一夜限りの復活SP」として告知されました。
1985年に芸能界を引退して以来、長く歌手活動から離れていた高田さんにとって、特別なステージとなりました。
『硝子坂』と『私はピアノ』を披露
番組では、1977年のデビュー曲「硝子坂」と代表曲「私はピアノ」を披露しました。
オリコンニュースによると、高田さんは番組内で、夫の四十九日が終わった頃に出演の話を受けたことを明かしています。
出演を決断した理由については、次のように語りました。
「一歩前に踏み出してみたいという気持ちもありました」
また、夫との思い出についても触れています。
高田さんによると、若嶋津さんは「硝子坂」が好きで、療養中も枕元で曲を流すと口ずさむような様子を見せていたそうです。
このエピソードは、夫婦の間に音楽が大切な存在としてあったことを感じさせます。
本格的な歌手復帰は決まっている?
今回の出演は、約11年ぶりの歌唱として報道されました。
ただし、2026年8月の報道で伝えられた高田さんの意向は、すぐに本格的な芸能活動へ復帰するというものではありません。
歌ってみてから今後を考えたいという趣旨の発言をしています。
つまり、2026年11月現在、確認できる大きな動きは『うたコン』での一夜限りのテレビ出演です。
今後のコンサートや定期的なテレビ出演などについては、継続的な活動再開が決まったと断定できる発表はありません。
娘アイリとの関係、現在の家族の歩み
長女のアイリさんは、母親が夫の療養を支えてきた姿を間近で見てきました。
2026年2月には第2子の妊娠を公表し、母親に支えられたことも明かしています。
高田さんにとって、若嶋津さんとの別れは大きな人生の転換点でした。一方で、娘や孫との家族のつながりも続いています。
歌手としての活動をどこまで再開するかは今後の本人の判断に委ねられますが、2026年の『うたコン』出演は、長い間封印していた歌声を再び届ける大切な機会になりました。
【高田みづえの夫】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:高田みづえの夫は誰ですか?
A1:大相撲の元大関・若嶋津こと日高六男さんです。「南海の黒豹」の愛称で知られ、幕内優勝2回を記録しました。2026年3月15日に肺炎のため69歳で亡くなりました。
Q2:高田みづえと若嶋津はいつ結婚しましたか?
A2:1985年9月27日に結婚しました。同年2月3日に婚約発表を行い、高田さんは結婚を機に歌手を引退しました。
Q3:若嶋津の死因は何ですか?
A3:報道および日本相撲協会の発表によると、死因は肺炎です。2026年3月15日に千葉県内の病院で亡くなりました。
Q4:高田みづえは2017年から夫を介護していたのですか?
A4:はい。2017年10月に若嶋津さんが路上で倒れて頭部の手術を受けて以降、長期の療養生活を支えました。報道では約8年半の介護生活とされています。
Q5:高田みづえは2026年に歌手活動を再開しましたか?
A5:2026年8月25日にNHK『うたコン』へ出演し、「硝子坂」と「私はピアノ」を披露しました。ただし、これは一夜限りの復活として報じられており、本格的な活動再開が決定したわけではありません。
Q6:高田みづえの娘は誰ですか?
A6:長女は女優・タレントとして活動するアイリさんです。高田みづえさんと若嶋津さんには、娘のアイリさんのほかに息子もいます。
まとめ:高田みづえと若嶋津が歩んだ40年余りの夫婦の歴史
高田みづえさんの夫は、元大関・若嶋津こと日高六男さんでした。
1985年の婚約と結婚を経て、高田さんは人気歌手としてのキャリアに区切りをつけ、相撲部屋のおかみとして夫を支える人生を選びました。
1990年の松ケ根部屋創設から2022年のおかみ卒業まで、その期間は32年間に及びます。
2017年の転倒と頭部手術以降は、約8年半にわたる療養と介護の日々を送り、2026年3月15日に夫を見送りました。
そして同年8月25日、NHK『うたコン』で再び歌声を披露した高田さん。
今回の出演は、単なる懐かしの歌番組への登場ではありません。長年支えてきた夫との別れを経て、自分自身の人生にも新たな一歩を踏み出す機会となりました。
若嶋津さんが残した大相撲での功績と、高田みづえさんが相撲部屋のおかみとして築いてきた歴史。そして、歌手として再び披露された「硝子坂」。
2人が歩んだ人生は、相撲と音楽という異なる世界を結びつけた夫婦の歴史として、これからも記憶されていくはずです。