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【民俗学の転換点】柳田國男の山人論と『山人考』が描いた先住民説

相沢 直樹 相沢 直樹 • 更新: • 公開: • 読了約 16 分
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山の民の歴史を語るうえで、民俗学者・柳田國男(やなぎたくにお)の研究は欠かせない。彼は日本各地に残る山人の伝承に注目し、山中に暮らす人々の存在を日本列島の古い歴史と結び付けて考えた。

柳田の山人論は、単なる妖怪や怪談の研究ではない。日本人の起源や、稲作農耕が広がる以前の人々の暮らし、山と里の文化的な関係を考える試みでもあった。

柳田國男が山人に注目した理由

柳田の初期民俗学を代表する作品が、1910年(明治43年)6月に発表された『遠野物語』である。岩手県遠野地方に伝わる山の怪異、神々、異界の存在、地域の人々の生活に関わる伝承を記録した作品だ。

柳田は、こうした山にまつわる伝承の背後に、歴史の中で忘れられた人々の存在があるのではないかと考えた。山人を、稲作農耕民が広がる以前から日本列島に暮らしていた住民の末裔と想定したのである。

この考え方は、日本の歴史を平地の農耕社会だけから説明するのではなく、山地で暮らしてきた人々にも目を向けるものだった。柳田にとって山人の研究は、日本文化がどのように形成されたかを考える重要な手掛かりだった。

『山人考』は何を主張したのか

柳田の山人論を理解するうえで重要な資料が、大正6年(1917年)11月に発表された「山人考」である。日本歴史地理学会大会の講演手稿としてまとめられたこの論考では、山人の起源や、里の人々との歴史的な関係が考察された。

柳田の仮説では、古い時代に日本列島に暮らしていた人々の一部は、後から勢力を広げた農耕民との関係の中で平地に取り込まれ、別の一部は山地へ移動したとされた。

彼は、山人の多くが平地社会に吸収された一方、ある時代までは山中に残り、独自の生活や信仰を保った人々もいたのではないかと推測した。

この発想をさらに展開した著作が、1926年(大正15年)刊行の『山の人生』である。山にまつわる伝承や人々の経験を通して、日本人の信仰や精神文化の古層を考察した作品として知られる。

柳田國男の先住民説は現在も支持されているのか

ここで注意したいのは、柳田の山人論が、そのまま現代の考古学や歴史学で確立した事実になっているわけではないことだ。

山中に異なる生活文化を持つ人々がいたことと、その人々が特定の先住民族の血統を受け継いでいたことは、別の問題である。山人の伝承や風貌に関する記述だけでは、民族的な系譜を証明できない。

柳田自身も、山人が現代まで独立した集団として生き残っているという見方を維持し続けたわけではなかった。南方熊楠との書簡のやり取りでは、山人と呼ばれる人々は、特殊な事情によって山中に暮らすようになった人々ではないかという異なる見解も示された。

その後、柳田の関心は、山人という集団の現在の実在性から、山の信仰が里の人々の信仰にどのように残っているのかという問題にも向かっていった。

つまり、山人論は固定された民族分類ではなく、日本人の歴史や信仰をめぐる柳田の思索の変化を含む研究テーマだったのである。

2024年には、松本建速による論文「柳田國男の山人論と蝦夷の考古学」が『岩手史学研究』第105号に掲載された。国立国会図書館にも書誌情報が登録されており、柳田の山人論と考古学を関連付けて検討する研究が続いていることが分かる。

したがって、山の民を縄文人の純粋な末裔と断定したり、サンカをそのまま日本の先住民族と認定したりする説明には慎重さが必要だ。柳田の仮説が重要な研究史上の意義を持つことと、その仮説が実証されたかどうかは分けて考えたい。

【歴史と起源を検証】山の民はどこから来て、里の人々とどう関わったのか

山の民

山の民の起源を考える際、単一の民族がある時代に山へ逃げ込み、そのまま独自の社会を維持したという物語だけでは説明が難しい。

実際の山村には、農耕を営む住民、狩猟者、木工職人、鉱山労働者、林業従事者など、異なる背景を持つ人々が存在した。仕事の種類によって移動の範囲や生活の拠点も変わっていた。

山の民は定住型と移動型に分けて考えられる

民俗学的には、山に暮らす人々を定住性の強い人々と、仕事を求めて移動する人々に分けて考える視点がある。

例えば、山間部の集落で焼畑や農業を営む人々は、特定の地域を生活の拠点としていた。一方、木地師は良質な木材を求めて移動し、マタギも狩猟の対象や季節に応じて遠方へ出かけた。

サンカと呼ばれた人々についても、移動を伴う生業が重要な特徴として取り上げられてきた。ただし、移動することと定住することは必ずしも対立しない。仕事の拠点を持ちながら季節的に移動する人もいたからだ。

湯川洋司の研究でも、山民を一括りにすることの難しさや、生業の組み合わせ、定住性と移動性の違いが論じられている。山の自然条件に合わせた複合的な生活が、山民文化の基本的な特徴だった。

山と里は完全に分断されていたわけではない

山の民は、平地の農耕民と一切交流せずに暮らしていたわけではない。

山で採れた木材や木製品、獣の肉、薬用資源、炭などは、里の人々の暮らしにも必要だった。反対に、山で暮らす人々も米、塩、衣類、金属製品などを必要としていた。

こうした物資の交換や職業上のつながりによって、山と里の間には継続的な交流が生まれていた。移動する職人が村を訪れ、仕事を終えると別の地域へ向かうという生活も、その交流を支えていた。

また、木地師の免状や往来手形のように、移動する職人を社会的に認め、活動を支える仕組みも存在した。山の民は、国家や村落社会から完全に切り離された存在ではなく、時代ごとの制度や経済との関係の中で生活していたのである。

先住民説と山の民の起源を混同しない

山の民の起源を考えるときには、少なくとも次の三つの問題を分ける必要がある。

  • 歴史的な住民の移動:政治的な支配や経済状況、土地利用の変化によって、山地へ移住した人々がいたか。
  • 職業集団の形成:狩猟や木工、竹細工などの専門技術を持つ人々が、どのように集団を形成したか。
  • 民間伝承の成立:里の人々が山中の人々を異質な存在として認識し、天狗や山男などの伝承を生み出した背景は何か。

これらは関連するテーマではあるが、同じ答えに収束するとは限らない。

例えば、マタギが独自の狩猟規律や信仰を持っていたことは、狩猟用具や地域の記録から確認できる。一方、それだけでマタギが特定の古代民族の直系の子孫だったと証明できるわけではない。

山の民の歴史は、民族の起源という一つの問いだけでなく、地域社会の形成、職業の分化、自然環境への適応、文化の交流という複数の視点から理解する必要がある。

【2026年の現在】山の民の文化は消えたのか?現代に残る暮らしと伝統

山の民という言葉から、現代社会とは隔絶された山奥の集団を想像する人もいるかもしれない。しかし、2026年現在も山地には多くの住民が暮らし、林業、農業、狩猟、木工、地域文化の継承などに携わっている。

変わったのは、山に暮らす人々そのものが消えたことではない。かつての移動生活や職業の仕組みが、社会や経済の変化に合わせて形を変えてきたことだ。

林野庁の最新資料から見る山村の現状

山村の現在を把握するうえで参考になるのが、林野庁の令和7年版森林・林業白書である。

同白書によると、2025年4月時点で、山村振興法に基づく「振興山村」は全国734市町村に指定されている。これは全国の市町村数の約4割に当たり、国土面積の約5割、林野面積の約6割を占める一方、人口は全国の2.5%にとどまる。

加えて、2024年度に実施された集落の状況調査では、2019年4月以降、141市町村で296集落が無人化したことが報告されている。無人化した集落の森林・林地については、28%で元住民や他集落、ボランティア、行政などによる管理が行われている一方、残る集落では管理が行われていない状況が示された。

こうした数字は、山の民の歴史を考えるうえでも重要だ。山の暮らしは、自然と人間の関係だけで成立するものではない。集落の人口、仕事、交通、地域の共同体が維持されて初めて、伝統的な知識や技術も次世代へ伝えられる。

現代のマタギは昔のマタギと同じなのか

現代のマタギをめぐる研究では、伝統的なイメージと、実際に狩猟を行う人々の自己認識との違いが注目されている。

松浦海翔が2025年に『現代民俗学研究』に発表した論文「〈あわい〉の狩猟者」では、秋田県北秋田市の根子集落でのフィールドワークを通じて、現代の狩猟者が自分たちをどのように捉えているかが検討された。

研究では、昔ながらのマタギ像だけでは説明できない現代の狩猟者の自己認識が示されている。彼らは伝統を参照しながらも、現在の狩猟や鳥獣害対策、仕事、観光などとの関係の中で、自分たちの立場を考えている。

さらに2026年3月刊行の『現代民俗学研究』第18号では、この論文への批評が掲載された。現代の狩猟者が、伝統的な熊猟だけでなく、公的な鳥獣害対策などにも関わっている実態が論じられている。

ここから分かるのは、マタギ文化が博物館の展示物として固定されているわけではないということだ。伝統を受け継ぐ人々自身が、時代の変化に合わせて狩猟者としての役割やアイデンティティを考え続けている。

木地師の技術は現代のものづくりにもつながる

木地師の文化も、完全に過去のものになったわけではない。

東近江市が2026年4月に更新した文化紹介資料では、木地師が轆轤を使って椀や盆、こけしなどを製作してきた歴史と、小椋谷の蛭谷町・君ヶ畑町が全国の木地師を統括した仕組みが紹介されている。

また、轆轤技術は木製品だけにとどまらず、万年筆や精密機器などの加工技術にもつながるものとして紹介されている。伝統的な木工技術を、現代のものづくりの視点から捉え直す動きもある。

このように、木地師の文化を残すということは、昔の生活をそのまま再現することだけを意味しない。材料を見極め、道具を使いこなし、自然資源を無駄なく活用する知識を、現在の製造技術や地域産業へつなぐことにも意味がある。

山の民の文化を未来に残すための課題

山村の暮らしを維持するうえで大きな課題となっているのは、人口減少、高齢化、産業基盤の弱体化、森林管理の担い手不足である。

一方、山村には森林や水資源、景観、食文化、木工技術、狩猟文化など、地域に固有の資源が残されている。林野庁も、林業や木材産業に加えて、ジビエ、特用林産物、地域資源を活用した産業づくりを支援している。

山の民の文化を未来に残すためには、伝統を観光用の物語として紹介するだけでは不十分だ。実際に山で働く人が生活できる産業を育て、地域の知識や技術を継承できる環境を整えることが欠かせない。

山の民の現在を考えることは、過去の人々の姿を懐かしむことではなく、山と里の関係をこれからどう維持するかという問題にもつながっている。

【山の民に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:山の民は日本の先住民族だったのですか?
A1:山の民全体を特定の先住民族とする確立した学術的結論はない。柳田國男は山人を古い住民の末裔と考えたが、これは歴史的な仮説であり、サンカやマタギなどの各集団が縄文人の直系の子孫だったと証明されたわけではない。

Q2:サンカと山人は同じ意味ですか?
A2:同じではない。山人は山に住む人々や伝承上の存在を表す幅広い言葉であり、サンカは山間部などを移動しながら竹細工や箕作りなどを行ったとされる人々に関係する呼称である。柳田國男が両者を関連付けて論じたことから、混同される場合がある。

Q3:マタギは山の民に含まれますか?
A3:広い意味では含めて考えられる。マタギは山を生活や仕事の場として狩猟を営んできた人々で、地域独自の狩猟技術や信仰、規律を持っていた。ただし、マタギは山の民全体を表す名称ではなく、狩猟に関わる職業・文化的な集団として区別する必要がある。

Q4:木地師はなぜ全国を移動していたのですか?
A4:椀や盆などを作るための良質な木材を確保する必要があったからだ。材料となる木が少なくなると別の山へ移動し、伐採と加工を行った。小椋谷の蛭谷町や君ヶ畑町は、全国の木地師を把握し、免状や往来手形などを発行する役割を担っていた。

Q5:柳田國男の『山人考』と『山の人生』は何が違いますか?
A5:『山人考』は山人の起源や先住民説を論じた1917年の講演手稿であり、『山の人生』は1926年に刊行された、山の伝承や人々の経験を通して日本人の信仰や民俗を考察した著作である。両者は柳田の山人研究を理解するうえで重要な資料となっている。

Q6:2026年現在も山の民は存在しますか?
A6:「山の民」という単一の民族集団が存在するという意味ではないが、山村の住民、林業従事者、狩猟者、木工職人など、山を生活や仕事の場とする人々は現在も存在する。マタギ文化や木地師の技術も、現代の暮らしや地域文化の中で継承・変化している。

まとめ:山の民の正体は一つではない。歴史と文化を正しく理解するために

「山の民」とは、特定の民族や一つの血統を示す名称ではなく、日本各地の山地で生活を営み、自然資源を利用してきた人々を広く捉える言葉である。

山人には、柳田國男の先住民説や天狗・山姥などの伝承に代表される民俗学的な意味合いがある。一方、山民は山地に暮らし、複数の仕事を組み合わせて生計を立ててきた住民を指す。

サンカは移動を伴う職能民としての実態と、文学によって広まった神秘的なイメージを区別する必要がある。マタギには集団狩猟や山の神への信仰があり、木地師には良材を求めて移動する技術者としての歴史がある。山師や炭焼きも、森林や鉱物資源を利用する山の経済を支えてきた。

2026年時点の研究や公的資料から見えてくるのは、山の民の歴史が、単純な民族の起源の物語ではなく、自然環境、仕事、信仰、移動、定住、そして山と里の交流によって形づくられてきたという事実だ。

山の民について調べるときは、次の3点を判断基準にすると理解しやすい。

  • 民族名と総称を区別する:山の民という表現だけで、特定の民族や血統を想定しない。
  • 伝承と史料を区別する:柳田國男の仮説や三角寛の文学的描写と、古文書・文化財・聞き取り調査の成果を混同しない。
  • 過去と現在をつなげて考える:昔の仕事や信仰だけでなく、現在の山村で暮らす人々や技術の継承にも目を向ける。

山の民の歴史を知ることは、日本の歴史を平地の農耕社会だけで捉えないための重要な視点になる。山で働き、移動し、自然と向き合ってきた人々の暮らしには、現在の森林管理や地域産業を考えるうえでも受け継ぐべき知恵が残されている。 (出典: 山 の 民(Yahoo!ニュース))

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トレンドリサーチャー 相沢 直樹
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スポーツ担当として7年以上の取材経験。sports領域の公式発表・配信元の告知を一次情報として確認し、確認できない情報は記事に含めない方針です。

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