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貴乃花と宮沢りえの婚約はなぜ解消?1992年会見から2026年の現在まで真相を検証

相沢 直樹 相沢 直樹 • 更新: • 公開: • 読了約 27 分
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1992年、当時20歳の関脇・貴花田(後の貴乃花)と、19歳の人気女優・宮沢りえが婚約を発表した。若貴ブームに沸く相撲界と、国民的スターとして人気絶頂だった芸能界を代表する2人の結婚は「世紀の婚約」と呼ばれ、1993年5月28日に挙式する予定まで公表されていた。しかし、正式な婚約会見からわずか61日後の1993年1月27日、2人は突然、婚約を解消する。幸せそうに手をつないで登場した2人に、いったい何が起きたのだろうか。

破局理由として長年取り沙汰されてきたのは、宮沢りえの芸能界引退問題、母親の宮沢光子(りえママ)と花田家の関係、藤島部屋の後援会を含む相撲界の事情などだ。2026年現在、当時の婚約会見と破局会見、宮沢本人の発言、貴乃花が後年に明かした心境、兄・花田虎上のコメントを振り返ると、浮かび上がるのは、若い2人の恋愛だけでは解決できなかった結婚後の生活設計と周囲の期待だった。

【世紀の婚約】貴乃花と宮沢りえはいつ出会い、なぜ結婚を決めたのか

貴乃花宮沢りえ

2人の関係を理解するには、まず1992年当時の状況を知る必要がある。貴乃花は当時、貴花田の四股名で活躍していた若手力士。兄の若花田(後の若乃花)とともに若貴ブームを巻き起こし、相撲界の次代を担う存在として注目されていた。

一方の宮沢りえは、10代にしてトップクラスの人気を獲得した女優だった。1988年公開の映画『ぼくらの七日間戦争』で主演を務め、1991年には写真集『Santa Fe』が大きな社会的反響を呼ぶなど、芸能界を代表するスターへと成長していた。

2人の出会いは1990年の新聞対談

週刊女性PRIMEが2022年に掲載した婚約・破局の検証記事によると、2人は1990年元日付のスポーツニッポン紙の対談で知り合ったとされる。

その後、実際に交際が始まったのは1992年9月ごろ。婚約が明らかになる約2か月前だったという。同記事では、貴乃花から宮沢へのプロポーズは同年10月に入ってからで、電話で結婚を申し込み、宮沢が受け入れたと関係者の証言を紹介している。

交際から婚約までの期間は非常に短かった。若くしてそれぞれの世界で大きな成功を収めた2人は、互いに惹かれ合い、結婚という決断を急速に進めていった。

1992年10月26日、婚約報道が日本中を駆け巡る

最初に大きなニュースとして伝えたのは、テレビ朝日の報道番組『ニュースステーション』だった。1992年10月26日夜、貴花田と宮沢りえの婚約が報じられると、翌日の新聞各紙は大きく取り上げた。

その後、10月27日には貴花田が「2人で決めたこと」と説明。11月27日には東京・千代田区のホテルニューオータニで正式な婚約式と2ショット会見が行われた。

Number Webの2024年の記事によると、会見には約600人もの報道陣が集結。2人はそろってピンク色の着物を着て登場し、結婚への期待を語った。

結婚式の予定日は1993年5月28日。当時の会見では、貴乃花が指輪のデザインについて控えめに話す一方、宮沢は「どんな億万長者にも買えないような指輪です」と喜びを表現していたと文春オンラインが伝えている。

会見では終始、仲の良い様子が見られた。しかし、結婚後の住まいや仕事について質問されると、2人の回答にはまだ具体的な方向性が定まっていない様子も表れていた。

【時系列・関係者一覧】1992年から1993年の婚約と破局を整理

貴乃花と宮沢りえの婚約をめぐる出来事は、発表から解消までの期間が短い一方、報道や関係者の発言が複雑に絡み合っている。主要な出来事と人物の関係を整理すると、次のようになる。

時期 人物・関係者 確認できる出来事・関係
1990年1月 貴花田・宮沢りえ スポーツニッポン紙の対談で知り合ったと報じられている。
1992年9月 2人 交際が始まったと週刊女性PRIMEが関係者の証言として報道。
1992年10月26日 2人 テレビ朝日『ニュースステーション』が婚約を第一報として報じる。
1992年11月27日 貴花田・宮沢りえ ホテルニューオータニで正式な婚約会見。挙式予定日は1993年5月28日。
1993年1月6日 2人 日刊スポーツが破局を報道。両者はしばらく沈黙を続けた。
1993年1月25日ごろ 貴花田 大関昇進が内定。初場所後の婚約解消発表へと進む。
1993年1月27日 2人 婚約解消を発表。宮沢は午後6時、貴乃花は午後11時にそれぞれ会見。
当時の花田家 藤島親方・藤田紀子 藤島親方(元大関・貴ノ花)は貴乃花の父で師匠。藤田紀子は母。
当時の宮沢家 宮沢光子 宮沢りえの母で、芸能活動を支えたマネージャー・事務所代表。2014年に死去。
2018年 花田虎上 テレビ番組で弟と宮沢の婚約解消について「2人ともかわいそう」とコメント。
2023年 貴乃花 一般女性との再婚を所属事務所が認めたと日刊スポーツが報道。

特に注目したいのは、1992年11月27日の正式な婚約会見から1993年1月27日の解消発表までがわずか61日間だったことだ。

当時、結婚式は半年後に予定されていた。つまり、挙式までの準備期間は十分に残されていたものの、2人の将来を左右する根本的な問題について、婚約前後に十分な合意を形成できていなかったと考えられる。

なお、日本相撲協会の公式プロフィールによると、貴乃花は1993年3月場所で大関に昇進し、1995年1月には第65代横綱となった。婚約解消の前後は、力士としても大きな転換期にあった。

【破局理由の核心】芸能界引退問題と相撲部屋の女将という大きな壁

貴乃花と宮沢りえの破局理由を考えるうえで、最も重要なのが結婚後の宮沢の仕事をどうするかという問題だ。

宮沢は当時19歳。すでに女優として確固たる地位を築いており、仕事を続けることは自身の人生だけでなく、所属事務所や芸能活動を支えてきた母親にも関わる問題だった。

一方、貴乃花は藤島部屋に所属する力士であり、将来の横綱候補として相撲界から大きな期待を寄せられていた。結婚後に宮沢が部屋の女将としてどのような役割を担うのかという問題は、一般的な芸能人同士の結婚とは異なる重みを持っていた。

婚約会見ですでに浮かび上がっていた仕事の問題

2024年7月、文春オンラインは1992年11月27日の婚約会見を映像と発言から再検証した記事を公開している。

会見では、宮沢が結婚後も芸能活動を続けるのか、引退するのかという質問が出た。これに対して宮沢は、2人で相談しながら決めたいという趣旨の説明をし、挙式までに方向性を決める考えを示していた。

つまり、婚約会見の時点では、宮沢が芸能界を引退するかどうかについて最終的な決定が公表されていなかった。

Number Webが紹介した1993年1月10日発売の『文藝春秋』2月号のインタビューでも、宮沢は仕事を辞めるかどうかについて、まだ決定していないという趣旨の発言をしている。

この問題は、単純に仕事を辞めるか続けるかという二択ではなかった。芸能活動を続ければ、相撲部屋の女将としての役割との両立が課題になる。反対に、引退すれば、長年築いてきた女優としてのキャリアを手放すことになる。

宮沢りえ本人は引退を拒否していたのか

ここは破局の真相を考えるうえで誤解されやすいポイントだ。

1993年1月27日の婚約解消会見で、宮沢は芸能界引退について質問され、自分としては辞めるつもりでいたこと、貴乃花にも伝えていたことを説明している。

「私の気持ちとしてはもう辞めてという気持ちでいたので」

この発言は、文春オンラインが2024年に再検証した当時の会見記録にも掲載されている。

つまり、宮沢が芸能活動の継続に固執し、引退を一切受け入れなかったという説明だけでは、本人の発言と整合しない。

一方で、本人が引退する意思を持っていたとしても、それが母親や事務所、相撲部屋の後援会を含む関係者全員に共有され、具体的な合意に至っていたわけではなかった。

週刊女性PRIMEの2022年の記事では、婚約解消に関わった芸能関係者の証言として、花田家側や後援会が宮沢の引退を当然視していた一方、宮沢光子も娘が相撲界に入ることで芸能活動を失うことを心配していたという見方が紹介されている。

こうした証言を踏まえると、問題の本質は宮沢個人の意思だけではなく、結婚後の仕事や生活をめぐる関係者間の認識のずれにあったと考えられる。

相撲界と芸能界では結婚に求められるものが違った

当時の相撲界では、力士の結婚は本人同士だけの問題ではなかった。部屋の運営、後援会との関係、師匠の家族との関係など、周囲との結びつきが強い世界だった。

将来の横綱候補である貴乃花の妻には、単なる配偶者という立場だけでなく、部屋を支える女将としての役割も期待されていたとされる。

対する宮沢は、芸能界で仕事を続けてきた女優であり、母親の宮沢光子がマネジメントを担っていた。結婚によって活動の場を変えることは、本人と母親、事務所の将来にも影響する。

週刊女性PRIMEの記事では、婚約前に両家の家族同士の顔合わせは済んでいたものの、結婚後の生活設計や仕事について具体的な話し合いが十分ではなかったと報じられている。

婚約そのものは2人の意思で決められても、その後の生活は周囲との調整なしには成り立たない。ここに、若い2人が直面した大きな壁があった。

【本人の証言】1993年の婚約解消会見で宮沢りえと貴乃花が語ったこと

破局の理由を考える際、後年の関係者の推測以上に重みを持つのが、1993年1月27日に行われた2人それぞれの会見である。

この日は、2人が直接話し合いをした後、宮沢が先に記者会見を行い、その後、貴乃花が所属する藤島部屋で会見した。両者の発言には、婚約解消に至るまでの温度差と苦悩が表れていた。

宮沢りえは「もっと話し合う時間がほしかった」

文春オンラインが2024年7月に公開した会見再検証記事によると、宮沢は年末ごろから貴乃花と連絡が取れない状態が続いていたと説明。婚約解消を決めた日の話し合いは、約1か月ぶりの再会だった。

会見では、結婚に伴う問題が生じたものの、2人で乗り越えようという気持ちが持てなくなったという趣旨を語った。

「もっと話す時間がいっぱい、いっぱいあれば」

加えて、宮沢は別れることになった原因について、次のような趣旨の発言をしている。

「絶対に解決できる問題だった。それができなかったのが、すごく疑問だし、残念だった」

この言葉から読み取れるのは、宮沢が破局を単純な恋愛感情の消失だけで説明していなかったことだ。話し合いを重ねれば解決できる問題だったという思いが、会見の発言に表れている。

また、宮沢は「悲劇のヒロインになるのは絶対に嫌だから」という趣旨の発言も残している。恋愛の終わりを一方だけの責任にすることを避け、自分自身の意思で区切りをつけようとする姿勢が見える。

最後には、貴乃花に「強い横綱になってください」と伝え、婚約指輪を返却したことも明かした。

貴乃花は「自分の愛情がなくなりました」と説明

宮沢の会見後、午後11時ごろに藤島部屋で会見した貴乃花は、婚約解消の理由について次のように話した。

「自分の愛情がなくなりました」

この発言は当時、大きな批判を呼んだ。宮沢との結婚を公表してからわずか2か月で愛情がなくなったと説明したことに対し、無責任ではないかという声も上がった。

しかし、貴乃花は会見で、家庭を持つには仕事も充実させなければならないと考え、自分にはそれができないのではないかと感じたという趣旨の説明もしている。

破局については、自分の力のなさを繰り返し強調した。

文春オンラインが2019年に掲載した著書『貴乃花 我が相撲道』の抜粋では、貴乃花は当時の発言について、次のように振り返っている。

「お互いが自分の進むべき道にレールを戻すためには」

つまり、2019年の回顧では、あの発言は2人がそれぞれの人生に戻るために必要だったという認識を示している。

また、2005年に父親の藤島親方が亡くなった際の週刊文春への寄稿では、宮沢との過去を何度も掘り返す報道について、彼女に失礼だという趣旨の思いを述べていた。

2019年、貴乃花が瀬戸内寂聴との対談で明かした心境

2019年1月2日放送の日本テレビ系『新春しゃべくり007』では、貴乃花が瀬戸内寂聴との対談で宮沢との婚約について語った。

宮沢と親交のあった瀬戸内寂聴から、彼女が森田剛と再婚し幸せに暮らしていることを聞かされると、貴乃花は安心した様子を見せた。

デイリースポーツの報道によると、貴乃花は宮沢のことを長く気に掛けていたことを明かし、幸せだと聞いてほっとしたという心境を語った。

この発言は、破局後も宮沢の人生を気に掛けていたことを示すものだ。ただし、過去の恋愛に対する心配や安堵を、現在の恋愛感情と結びつけることはできない。

【両家の確執説を検証】りえママ・宮沢光子、藤島親方、藤田紀子、花田虎上の関係

貴乃花と宮沢りえの婚約解消をめぐっては、当時から両家の確執が原因だったという報道が繰り返された。特に注目されたのが、宮沢の母・宮沢光子と、貴乃花の父・藤島親方、母・藤田紀子の関係だ。

宮沢光子は「りえママ」と呼ばれた芸能活動の重要人物

宮沢光子は、宮沢りえの実母であり、芸能活動を支えてきたマネージャー、所属事務所の代表だった。

娘が11歳で芸能界に入ってから、仕事の管理やプロデュースに深く関わり、りえママという愛称でも知られていた。

週刊女性PRIMEの記事では、宮沢光子が娘の結婚によって芸能界から遠ざかることを心配していたという関係者の証言が紹介されている。

ただし、光子本人が婚約解消の全容について公に詳細な説明をしたと確認できる資料は限られている。母親が破局を一方的に引き起こしたという説明には、慎重な見方が必要だ。

宮沢光子は2014年9月23日、65歳で死去した。所属事務所が発表した訃報によると、肝腫瘍のため自宅療養を続けていたという。

宮沢りえは母の死去に際し、母から生きることの美しさや価値を教わったという趣旨のコメントを発表している。

藤島親方と藤田紀子が背負っていた相撲界の事情

貴乃花の父親は、元大関・貴ノ花として知られた藤島親方。現役引退後は師匠として藤島部屋を率い、息子の競技人生を支えていた。

母親の藤田紀子も、貴乃花と若乃花という2人の力士を育てた家庭の一員として、当時の注目を集めていた。

貴乃花が結婚することは、個人的な家庭生活だけでなく、将来の部屋運営や後援会との関係にも影響する。宮沢が女優を引退して女将になるのかという問題は、花田家だけでなく相撲界全体の関心事になっていた。

Number Webによると、婚約報道後の取材は過熱し、藤島親方が2人のプライベートを追いかけないよう報道陣に申し入れたこともあった。加えて、取材車両による追跡でけが人が出たため、日本相撲協会の理事長が各社に取材自粛を要請する事態にまで発展している。

婚約発表直後から、2人の私生活は本人たちだけではコントロールできないほどの社会的関心を集めていた。

花田虎上が語った「2人ともかわいそう」の意味

2018年1月26日、元横綱若乃花で貴乃花の兄にあたる花田虎上は、関西テレビ系『怪傑えみちゃんねる』に出演し、弟と宮沢りえの婚約解消について質問を受けた。

デイリースポーツによると、花田虎上は具体的な事情については「言えないこと、多いですね」と答え、最後には次の言葉を繰り返した。

「2人ともかわいそうなんです」

花田虎上は、破局の具体的な原因を明らかにしたわけではない。しかし、弟だけ、あるいは宮沢だけを責めることのできない複雑な事情があったことをうかがわせる発言だった。

両家の確執は破局の決定的な証拠なのか

ここまでの資料から整理すると、両家の間に結婚後の生活や仕事をめぐる認識の違いがあったという報道は存在する。一方、家族同士が決定的な対立を起こし、それだけが婚約解消の原因になったと断定できる公的な記録は見当たらない。

週刊女性PRIMEが紹介した関係者証言は、後援会側の期待、宮沢光子の心配、相撲界と芸能界の事情を説明する重要な材料だ。しかし、匿名の関係者による証言と、当事者本人が会見で語った内容は区別して受け止める必要がある。

破局の背景には、本人同士の気持ちだけでは解決できない複数の問題が重なっていたと見るのが自然だ。

【2026年最新】貴乃花と宮沢りえの現在・その後はどうなった?

婚約を解消した2人は、その後、まったく異なる道を歩んできた。2026年11月現在、貴乃花は相撲界を離れて活動し、宮沢りえは映画や舞台を中心に女優としてのキャリアを重ねている。

貴乃花の現在:第65代横綱から相撲文化を伝える活動へ

貴乃花は1995年1月に第65代横綱へ昇進し、2003年1月場所で現役を引退した。日本相撲協会の公式プロフィールには、幕内優勝22回という実績が記録されている。

引退後は親方として後進の育成に携わったが、2018年9月に日本相撲協会を退職。その後は相撲の普及や青少年育成を目的とする活動を始めた。

2024年には個人事務所「株式会社六十五/貴乃花事務所」を設立。一般社団法人「貴乃花」を通じて、相撲を通して培った身体知論や哲学を発信する活動にも取り組んでいる。

私生活では、2018年に元フジテレビアナウンサーの河野景子と離婚。2023年8月には一般女性と再婚したことが報じられ、所属事務所も事実と認めたと日刊スポーツが伝えている。

2026年11月3日には、自身のInstagramで食生活について投稿したことがデイリースポーツに報じられた。54歳となった現在も、自身の経験や日常を発信している。

宮沢りえの現在:実力派女優として映画・舞台で活躍

宮沢りえは、婚約解消後も芸能界で活躍を続け、映画・ドラマ・舞台の各分野で評価を高めてきた。

1988年の映画『ぼくらの七日間戦争』で主演を務めた後、『たそがれ清兵衛』『紙の月』『湯を沸かすほどの熱い愛』などに出演。日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を3度受賞するなど、演技派女優として確固たる地位を築いている。

私生活では、2009年に第1子を出産し、2018年3月16日に俳優の森田剛と結婚した。2026年2月のテレビ出演に関するスポニチの報道では、夫と互いの出演作品を見て感想を伝え合い、励まし合っていると語っている。

2026年も女優としての活動は続いている。春にはパルコ・プロデュース2026『メアリー・ステュアート』で主演のメアリー役を務め、4月から5月にかけて東京、福岡、兵庫、愛知、北海道などで公演が行われた。PARCO STAGEの公式公演情報にも出演者として掲載されている。

加えて、2026年9月25日公開の映画『しびれ』にも出演。公開前の完成披露上映会では北村匠海や内山拓也監督と登壇し、作品について語ったことがORICON NEWSで報じられた。

2026年9月には映画『しびれ』に関するインタビューもWWD JAPANに掲載されている。過去の婚約騒動とは切り離された、現在の俳優としての仕事が続いている。

2人が再会した、あるいは復縁したという事実はある?

貴乃花が2019年に宮沢の近況を聞いて安心したことは報じられているが、それ以降、2人が再び交際したり、復縁を発表したりした事実は確認されていない。

貴乃花は一般女性と再婚し、宮沢りえも森田剛と家庭を築きながら女優活動を続けている。2026年現在、2人の関係を新たな恋愛関係として扱う根拠はない。

かつての婚約は2人の人生における大きな出来事だったが、現在の活動や家庭生活は、それぞれ独立したものとして捉えるべきだ。

【プロの結論】貴乃花と宮沢りえの破局の真相から見える3つのポイント

1992年の婚約から1993年の解消までを振り返ると、この出来事は単なる芸能人カップルの破局ではなかったことが分かる。

1. 恋愛感情と結婚生活の設計は別の問題だった

婚約会見で見せた2人の親密さは、当時の映像や報道からも伝わってくる。しかし、結婚後の仕事、生活の拠点、女将としての役割など、現実的な問題は十分に整理されていなかった。

強い恋愛感情があっても、将来の生活設計について合意できなければ結婚は難しくなる。2人のケースは、そのことを象徴している。

2. 両家の確執だけで説明すると重要な事実を見落とす

宮沢光子と花田家、藤島部屋の後援会をめぐる対立は、当時の報道や後年の関係者証言で語られている。しかし、宮沢本人は引退する意思を持っていたと会見で説明しており、単純な引退拒否説とは一致しない。

破局を理解するには、本人の会見、貴乃花の後年の回顧、関係者の証言を分けて考えることが欠かせない。

3. 若い2人を取り巻くメディア環境も無視できない

約600人の報道陣が集まった婚約会見、過熱する追跡取材、相撲協会による取材自粛要請。こうした状況は、2人が落ち着いて将来を話し合うことを難しくした可能性がある。

特に貴乃花は横綱を目指す力士、宮沢は人気絶頂の女優という立場だった。個人の意思と周囲から求められる役割の間で、2人が自由に選択できる範囲は決して広くなかった。

情報を見極める際には、当時の会見で本人が話した内容を最も重要な手掛かりとし、後年の匿名証言は背景を理解するための補助材料として扱うことが適切だ。

貴乃花と宮沢りえに関するよくある質問(FAQ)

Q1:貴乃花と宮沢りえが婚約したのは何年ですか? A1:1992年です。10月26日夜にテレビ朝日『ニュースステーション』が婚約を報道し、11月27日にホテルニューオータニで正式な婚約会見が行われました。

Q2:貴乃花と宮沢りえが破局したのはいつですか? A2:1993年1月27日です。正式な婚約会見から61日後に婚約解消を発表しました。結婚式は同年5月28日に予定されていましたが、実現しませんでした。

Q3:貴乃花と宮沢りえの破局理由は何だったのですか? A3:結婚後の宮沢の芸能活動や相撲部屋の女将としての役割、両家や後援会を含む周囲との調整などが背景にあったと報じられています。本人たちは気持ちのすれ違いや、自分の力のなさを説明しました。

Q4:宮沢りえは結婚のために芸能界を引退するつもりだったのですか? A4:1993年1月27日の会見で、宮沢は自分としては辞めるつもりでいたこと、貴乃花にも伝えていたことを説明しています。ただし、周囲を含めた具体的な調整が完了していたわけではありません。

Q5:りえママこと宮沢光子は破局に反対していたのですか? A5:宮沢光子が娘の芸能活動や相撲界での生活に不安を感じていたという関係者証言はあります。ただし、母親が単独で破局を決定したと断定できる公的な証拠はありません。宮沢光子は2014年9月に65歳で亡くなっています。

Q6:花田虎上は貴乃花と宮沢りえの破局について何と語りましたか? A6:2018年のテレビ番組で「2人ともかわいそう」とコメントしています。具体的な事情については「言えないこと、多いですね」と述べ、詳細は明かしませんでした。

Q7:2026年現在、貴乃花と宮沢りえはどうしていますか? A7:貴乃花は相撲の普及や講演などの活動を続け、2023年に一般女性と再婚しています。宮沢りえは2018年に森田剛と結婚し、2026年も映画『しびれ』や舞台『メアリー・ステュアート』などで女優として活動しています。

まとめ:貴乃花と宮沢りえの婚約解消は若い2人だけでは乗り越えられなかった壁の結果

貴乃花と宮沢りえの「世紀の婚約」は、1992年11月27日の華やかな会見からわずか61日後、1993年1月27日に幕を閉じた。

破局の背景には、結婚後の宮沢の芸能活動、相撲部屋の女将としての役割、母親や後援会を含む周囲との調整、そして2人の間で十分な話し合いができなかったという事情が重なっていた。

宮沢は会見で、もっと話し合う時間があれば解決できた問題だったという思いを語った。一方、貴乃花は自分の力のなさを理由に挙げ、後年には、2人がそれぞれの人生に戻るために必要な決断だったという心境を明かしている。

母親の宮沢光子や藤島親方、藤田紀子、兄の花田虎上をめぐる報道も、この婚約解消を複雑にした要素だ。しかし、特定の家族だけを原因とする説明では、本人たちの発言や当時の状況を十分に説明できない。

2026年現在、貴乃花は相撲界を離れて新たな活動を続け、宮沢りえは日本を代表する女優として映画や舞台に出演している。かつての婚約は短期間で終わったものの、2人はそれぞれの場所で自分の人生を築いてきた。

この出来事の本質は、誰か一人を悪者にすることではない。若くして大きな期待を背負った2人が、恋愛感情だけでは乗り越えられない社会的な立場や生活の問題に直面したことにある。だからこそ、30年以上が経過した今も、1992年の婚約会見と1993年の破局会見は、多くの人の記憶に残り続けている。

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相沢 直樹
トレンドリサーチャー 相沢 直樹
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スポーツ担当として7年以上の取材経験。sports領域の公式発表・配信元の告知を一次情報として確認し、確認できない情報は記事に含めない方針です。

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