東京・渋谷駅のすぐそばを流れる渋谷川。その源流はどこにあるのでしょうか。実は、現在の渋谷の街並みからは想像しにくいものの、かつての渋谷川は新宿御苑や明治神宮の湧水、玉川上水の余水などを水源とする、豊かな流れを持った川でした。
加えて、渋谷川には宇田川が合流し、その支流には唱歌「春の小川」のモデルとされる河骨川もありました。これらの川は都市化や下水道整備によって次々と暗渠化され、現在では地上から姿を消した流路も少なくありません。2026年3月に東京都が公表した「渋谷川・古川河川整備基本方針」には、現在の河川の起点や流路、上流の下水道幹線についても記載されています。
【源流の正体】渋谷川源流はどこにある?現在の出発点は新宿御苑

渋谷川の源流を探すとき、最初に整理したいのが「歴史的な水源」と「現在の河川としての上流端」の違いです。
この2つは同じ場所ではありません。
新宿御苑の下の池が代表的な源流
渋谷川の自然な流れをたどると、代表的な源流として挙げられるのが、東京都新宿区にある
渋谷区が公開している「渋谷川って、どんな川だったの?」という解説資料では、現在も新宿御苑内の「下の池」から渋谷川の源流が流れ出していると紹介されています。
池から流れ出した水は、園内の水路を経て南側へ進み、御苑の外に出ると地下の暗渠へ入っていきます。
つまり、渋谷駅周辺で地上に見えている川と、新宿御苑の池から流れ出す水は、地下の水路によってつながる歴史的な水系なのです。
ただし、新宿御苑の水源を下の池だけに限定するのは正確ではありません。
歴史的には玉藻池や天龍寺の弁天池など、複数の池や湧水、用水路が関係していました。川の源流は、単独の泉というよりも、複数の水の流れが集まって形成された水系として捉える必要があります。
新宿御苑と玉藻池の歴史的な関係
新宿御苑の歴史は、江戸時代の大名屋敷にさかのぼります。
環境省の公式資料によると、1590年(天正18年)、徳川家康が内藤清成に新宿一帯の土地を与えたことが、現在の新宿御苑につながる歴史の始まりです。
その後、内藤家の屋敷地には庭園が造られ、1772年(安永元年)には玉川上水の余水を利用した庭園「玉川園」が完成しました。
現在も残る玉藻池は、その庭園の面影を伝える場所です。
この歴史を踏まえると、新宿御苑は単に自然の湧水が存在する公園ではなく、江戸時代の水利用と渋谷川の水系が交差する場所だったことが分かります。
【水源を解説】明治神宮の湧水・玉川上水の余水はどう流れていた?
渋谷川の歴史的な水源は、新宿御苑だけではありません。
東京都が2026年3月に公表した「渋谷川・古川河川整備基本方針」では、江戸時代の渋谷川について、玉川上水の落とし水、新宿御苑、明治神宮の湧き水などを水源としていたことが説明されています。
明治神宮の清正井から流れる水
もう一つ注目したいのが、
清正井は、加藤清正が掘ったと伝えられる都内有数の湧水です。
明治神宮の公式案内によると、この井戸には毎分平均約60リットルの湧水があり、水温は年間を通じて約15度に保たれています。
さらに重要なのは、その水が御苑内の南池へ流れ込んでいることです。
南池の水源は清正井であり、そこから南参道の神橋の下を通って渋谷川に注いでいます。
したがって、明治神宮の湧水は単に渋谷川流域に存在する水ではなく、実際に渋谷川へつながる水系の一部です。
現在も清正井は見学できる場所ですが、湧水をそのまま飲めるという意味ではありません。水源としての歴史と、飲用水としての安全性は別に考える必要があります。
玉川上水の余水が渋谷川を支えていた
渋谷川の歴史を理解するうえで欠かせないのが、
玉川上水は、江戸の人口増加に伴う水不足を解消するため、多摩川の水を江戸市中へ導く目的で造られました。
東京都水道局の資料によると、1653年(承応2年)に工事が始まり、1654年(承応3年)に給水が開始されています。
この水路は四谷大木戸まで延び、江戸の町へ水を供給していました。
水量が多い場合には余水が排出され、その一部が渋谷川の水系に流れ込んでいたのです。
このため、渋谷川の上流部は「余水川」とも呼ばれていました。
自然の湧水だけに頼る川ではなく、人間が造った水路からの供給によっても流量が確保されていたことが特徴です。
1898年、淀橋浄水場の完成で水の流れが変わる
渋谷川の水源を語るうえで、大きな転換点となったのが1898年(明治31年)です。
この年、現在の東京都庁付近に淀橋浄水場が完成しました。
東京都の2026年基本方針によると、これに伴って約250年間続いた玉川上水の落とし水がなくなりました。
水量の豊かな川を支えていた人工的な水の供給が失われたことで、渋谷川の流量は大きな影響を受けました。
それまで水車を動かすほど豊かな水量を持っていた渋谷川では、水車業も次第に衰退していきます。
つまり、渋谷川の水量減少は、戦後の暗渠化だけで始まったわけではありません。近代水道の整備による水の流れの変更も、重要な歴史的要因でした。
【水系の関係を整理】宇田川・河骨川・春の小川はどうつながっていた?
渋谷川の歴史をさらに興味深くしているのが、支流の存在です。
かつて渋谷区内には複数の小河川があり、その代表が宇田川でした。そして宇田川の支流として知られているのが河骨川です。
河川のつながりを整理すると、次のようになります。
渋谷川を中心とした水系・関係一覧
この関係は、東京都の河川整備基本方針、渋谷区の歴史資料、地域の水系研究を組み合わせて整理したものです。
宇田川と渋谷川はどこで合流していた?
宇田川は、現在の渋谷駅周辺に向かって流れていた川です。
歴史的な流路をたどると、渋谷駅北側の宮益橋付近で渋谷川本流と合流していました。
現在の渋谷駅周辺は大規模な再開発によって姿を変えていますが、その地下にはかつての水路に関係する下水道施設が存在します。
東京都の2026年基本方針でも、江戸時代の渋谷川は現在の渋谷駅付近で宇田川と合流していたと説明されています。
河骨川は唱歌「春の小川」のモデル
河骨川(こうほねがわ)は、宇田川の支流だった小さな川です。
この川が有名になった理由は、唱歌「春の小川」との関係にあります。
「春の小川」は高野辰之が作詞した唱歌で、大正元年に発表されました。
東京都建設局の渋谷川・古川流域連絡会は、この歌が渋谷川の支流である河骨川をモデルにしたものと紹介しています。
河骨川が流れていたのは、現在の代々木八幡駅周辺から小田急線沿いにかけての地域です。
当時は周囲に田畑が広がり、小さな川が農業用水や生活用水として利用されていました。
現在、山手通りと井の頭通りが交差する付近の代々木八幡駅近くには、「春の小川」の石碑が設置されています。
ここで注意したいのは、河骨川が渋谷川本流そのものだったわけではないことです。
正確には、河骨川は宇田川の支流であり、宇田川を経由して渋谷川につながる水系でした。
この違いを理解すると、渋谷の地下に残る川のネットワークがより明確になります。
【暗渠化の経緯】渋谷川はなぜ地下に消えた?千駄ヶ谷幹線の誕生
渋谷川が現在の姿になった背景には、都市化、洪水対策、下水道整備、そして東京オリンピックに向けた都市基盤整備があります。
暗渠化は戦後に突然始まったわけではない
渋谷川の支流では、戦前から宅地化や水害対策を理由とした埋め立てや暗渠化が進んでいました。
大正時代以降には、川を直線化する河川改修も行われています。
東京都の基本方針によると、渋谷川では昭和初期に河道の三面張り化が進みました。
また、渋谷区の歴史展示資料では、戦後の下水道計画によって宮益橋より上流の区域を暗渠化し、下水道幹線として利用する方針が決まったことが紹介されています。
千駄ヶ谷幹線として整備された上流部分
渋谷川の上流部分は、下水道整備に伴って地上から姿を消しました。
渋谷区の展示資料によると、東京オリンピックに向けた公共下水道の普及も背景となり、渋谷川上流の暗渠化工事が急速に進みました。
その結果、1964年(昭和39年)には、上流部分が下水道の千駄ヶ谷幹線として整備されました。
現在の千駄ヶ谷幹線は、かつての渋谷川上流の流路と関係する重要な地下インフラです。
一方、宇田川や河骨川、笄川などの支流も暗渠化され、下水道幹線として利用されるようになりました。
暗渠化の背景には都市の構造変化があった
暗渠化を単純に「東京オリンピックのために川に蓋をした」と説明するだけでは、歴史の全体像は見えてきません。
背景には複数の要因が重なっています。
- 都市化と宅地開発:田畑や森林が減り、雨水が地面に浸透しにくくなった。
- 水害対策:豪雨時の浸水を防ぐため、河川改修や流路の整理が進められた。
- 下水道整備:生活排水を衛生的に処理するため、河川空間を下水道幹線として活用した。
- 都市基盤整備:1964年の東京オリンピックを前に、道路や高速道路、住宅、公共下水道などの整備が進んだ。
東京都の基本方針でも、昭和中期以降、川が生活排水や工場排水の排出先となって水質が悪化したこと、東京オリンピックを契機に社会資本の整備が進んだことが記録されています。
つまり、渋谷川の暗渠化は、川を単に隠した工事ではなく、都市の排水・治水機能を再編する大規模なインフラ整備だったのです。
【2026年最新】渋谷川の現在の流路は?新渋谷橋と稲荷橋の違い
2026年現在の渋谷川を正確に理解するには、東京都が定める河川の上流端と、実際に水面が見える場所を区別する必要があります。
新渋谷橋が現在の河川の上流端
東京都建設局の2026年3月の「渋谷川・古川河川整備基本方針」によると、渋谷川・古川はJR渋谷駅前の新渋谷橋を起点とする二級河川です。
基本的な規模は次のとおりです。
- 流域面積:約22.8平方キロメートル
- 河川延長:約6.8キロメートル
- 渋谷川:約2.4キロメートル
- 古川:約4.4キロメートル
渋谷区と港区の境界にある天現寺橋を境に、上流側を渋谷川、下流側を古川と呼びます。
つまり、渋谷川という名前は天現寺橋までで、その先は古川という名称に変わるのです。
稲荷橋から水面が見える理由
ここで重要になるのが稲荷橋です。
東京都の資料では、河川の最上流である新渋谷橋から約60メートル下流に位置する稲荷橋から、渋谷川・古川が開水路になると説明されています。
つまり、次のような構造です。
| 場所 | 現在の状態 |
|---|---|
| 新渋谷橋 | 河川としての上流端 |
| 新渋谷橋〜稲荷橋 | 地下を通る区間 |
| 稲荷橋 | 開渠区間の上流側 |
| 稲荷橋〜天現寺橋 | 渋谷川として地上を流れる区間 |
| 天現寺橋より下流 | 古川として東京湾方面へ流れる |
新渋谷橋と稲荷橋は、どちらも渋谷川を理解するうえで重要ですが、役割が異なります。
新渋谷橋は河川の起点、稲荷橋は実際に水面が現れる上流端と覚えると分かりやすいでしょう。
現在の渋谷川にはどんな水が流れている?
かつての渋谷川は、湧水や玉川上水の余水によって豊かな水量を保っていました。
しかし、上流部分が暗渠化され、下水道幹線として利用されるようになった現在、自然の湧水がそのまま地上の渋谷川を流れているわけではありません。
東京都建設局によると、上流部や支流は下水道幹線となり、平常時の流量は極めて少なくなっています。
そのため、1995年度(平成7年度)から、落合水再生センターで高度処理した再生水を渋谷川・古川に導水する「清流復活事業」が実施されています。
また、恵比寿東公園付近では、地下鉄日比谷線からの浸出水も利用されています。
ここは、渋谷川の現在を理解するうえで非常に要点です。
昔の渋谷川は自然の湧水と人工的な上水の余水が流れる川でしたが、現在は高度処理した再生水などを導入し、水辺環境を維持する都市河川へと変化しています。
東京都の2026年基本方針では、金杉橋の水質について、2024年度のBOD75%値が2.7mg/Lだったことも記載されています。
【2026年の河川整備基本方針】東京都が目指す渋谷川・古川の将来像
2026年に渋谷川を調べるうえで見逃せないのが、東京都建設局による「渋谷川・古川河川整備基本方針」の変更です。
東京都は2026年3月26日、この基本方針を変更したことを公表しました。
この資料は、渋谷川の水源を昔の状態に戻すための計画というより、気候変動や都市化を踏まえた治水・河川環境の将来像を示すものです。
2026年基本方針で注目したい3つのポイント
1.気候変動を踏まえた洪水対策
東京都は、気候変動を考慮し、年超過確率1/50〜1/100規模の降雨に対応することを目指しています。
これは、50年から100年に一度程度の確率で発生する規模の降雨を対象とする考え方です。
2.洪水流量の配分
基本方針では、四之橋を基準地点として、基本高水のピーク流量を毎秒310立方メートルと設定しています。
そのうち、洪水調節施設で毎秒180立方メートルを調節し、河道への配分流量を毎秒130立方メートルとしています。
3.河川環境と都市のにぎわいの両立
基本方針では「都市のにぎわいと人々にうるおいとやすらぎをもたらす渋谷川・古川の再生」を基本理念に掲げています。
治水だけでなく、沿川のまちづくりや河川環境の保全も視野に入れた整備が進められます。
2024年の河川整備計画との違い
ここで混同しやすいのが、2024年に変更された「渋谷川・古川河川整備計画」と、2026年の「河川整備基本方針」です。
両者は別の資料です。
2024年10月に東京都が公表した河川整備計画の変更では、将来にわたって考えられる最大級の地震に備えた堤防の耐震対策が主な変更点となりました。
一方、2026年の基本方針は、洪水対策や河川環境など、水系全体の整備に関する基本的な方向性を示しています。
この違いを理解しておくと、2026年の資料を読む際に、渋谷川の歴史的な水源の話と現在の治水計画を混同せずに済みます。
【プロの結論】渋谷川の源流を理解するために知っておきたい3つの事実
渋谷川の歴史を整理すると、現在の都市河川と江戸時代の自然豊かな川には、大きな違いがあることが分かります。
特に重要なのは次の3点です。
第一に、渋谷川の源流は一つではありません。
新宿御苑の下の池、玉藻池、明治神宮の清正井、玉川上水の余水など、複数の水源や水路が歴史的に関係していました。
第二に、渋谷川の暗渠化は都市の発展と密接に関係しています。
河川を下水道幹線として利用することで、衛生環境や都市インフラが整備されました。その一方で、河骨川や宇田川など、地域の暮らしと結びついていた川は地上から姿を消しました。
第三に、現在の渋谷川は自然の湧水だけで流れる川ではありません。
再生水の導水などによって水辺環境が維持されている都市河川です。水源の歴史を知ることと、現在の水の供給方法を知ることは、別の視点として必要です。
渋谷川を実際にたどってみたい人は、新宿御苑の下の池、明治神宮御苑の清正井、代々木八幡駅周辺の河骨川の石碑、渋谷駅南側の稲荷橋という順番で、それぞれの水系の歴史を確認すると理解が深まります。
ただし、新宿御苑や明治神宮の御苑には入苑時間や立入区域の制限があるため、見学時には施設の案内に従う必要があります。
【渋谷川の源流】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:渋谷川の源流は新宿御苑のどこにありますか?
新宿御苑内の下の池が代表的な源流です。池から流れ出した水は園内の水路を通り、御苑の外で暗渠に入ります。歴史的には玉藻池なども水系に関係しています。
Q2:明治神宮の湧水も渋谷川に流れているのですか?
はい。明治神宮御苑の清正井から湧き出した水は南池に入り、南参道の神橋の下を通って渋谷川に注いでいます。
Q3:渋谷川と宇田川はどこで合流していましたか?
かつての合流地点は渋谷駅北側の宮益橋付近です。現在は宇田川も暗渠化され、地上から当時の合流を見ることはできません。
Q4:河骨川と「春の小川」はどのような関係ですか?
河骨川は宇田川の支流で、唱歌「春の小川」のモデルになった川とされています。現在は暗渠化されていますが、代々木八幡駅近くに石碑が残っています。
Q5:現在の渋谷川の始まりは新渋谷橋と稲荷橋のどちらですか?
東京都が定める河川の上流端は新渋谷橋です。一方、実際に水面が見える開渠区間の上流端は、約60m下流の稲荷橋です。
Q6:2026年現在、渋谷川には湧水が流れているのですか?
上流の自然な水の流れは地下の下水道幹線に取り込まれています。現在の渋谷川では、落合水再生センターの高度処理水を利用した清流復活事業などによって水量を確保しています。
まとめ:渋谷川の源流は江戸の水利用と現代の都市開発をつなぐ歴史遺産
渋谷川の源流をたどると、新宿御苑の下の池や玉藻池、明治神宮の清正井、玉川上水の余水など、複数の水源が関係していたことが分かります。
かつての渋谷川は、宇田川や河骨川などの支流を集め、農業用水や水車の動力として地域の暮らしを支えていました。しかし、近代水道の整備、都市化、下水道計画、東京オリンピックに向けた都市基盤整備によって、上流部分や支流の多くが暗渠化されました。
2026年現在、河川としての上流端は新渋谷橋、地上に水面が現れる場所は稲荷橋です。そして東京都の新しい河川整備基本方針では、気候変動を踏まえた治水対策と水辺環境の再生が将来の課題として示されています。
渋谷川は、単に地下に隠された昔の川ではありません。江戸時代の水道、明治期の都市発展、戦後の下水道整備、そして2026年の河川行政まで、東京という都市が発展してきた過程を映し出す存在です。地上に見える川だけでなく、その地下に続くかつての流路にも目を向けることで、渋谷という街の成り立ちが違った角度から見えてきます。