漫画家・倉田真由美さんの旦那は、映画プロデューサーとして知られた叶井俊太郎(かない・しゅんたろう)さんです。2人は2009年9月18日に結婚。叶井さんはフランス映画『アメリ』を日本で大ヒットさせた映画業界の異色の人物でしたが、2022年に膵臓がんを公表し、2024年2月16日、56歳で亡くなりました。
余命半年の宣告を受けながら抗がん剤治療を選ばず、仕事や好きな食事を楽しみ、自宅で最期を迎えた叶井さん。その人生と夫婦の関係は、倉田さん自身の発信やインタビュー、2025年に出版された著書、2026年の最新インタビューを通して伝えられています。2人の馴れ初めから映画界での功績、闘病生活、最期の会話、夫を亡くした後の倉田さんの現在までを整理します。
【倉田真由美の旦那は叶井俊太郎】プロフィールと人物像
倉田真由美さんの夫だった叶井俊太郎さんは、映画の買い付けや配給、宣伝、プロデュースなどを手掛けた映画業界人です。
一般的な映画監督や俳優とは異なり、海外作品を日本に紹介し、独特の宣伝手法で観客に届ける仕事を得意としていました。特に2001年公開のフランス映画『アメリ』を日本でヒットさせたことで広く知られるようになりました。
叶井俊太郎の基本プロフィール
- 名前:叶井俊太郎(かない・しゅんたろう)
- 生年月日:1967年9月18日
- 出身地:東京都
- 職業:映画プロデューサー・映画配給・宣伝プロデューサー
- 代表的な仕事:『アメリ』『いかレスラー』『ヅラ刑事』『日本以外全部沈没』など
- 結婚:2009年9月18日、漫画家・倉田真由美さんと入籍
- 死去:2024年2月16日
- 享年:56歳
- 死因:膵臓がん
叶井さんは、映画業界でも型破りな人物として知られていました。一般的な大作映画だけでなく、ホラーやカルト映画、いわゆるゲテモノ系の作品にも積極的に関わり、独自の視点で作品を日本に紹介してきました。
一方、倉田さんは『だめんず・うぉ〜か〜』で知られる漫画家です。恋愛や男女関係を題材にした作品で人気を集め、テレビのコメンテーターとしても活動してきました。
2人は、漫画家と映画プロデューサーという異なる分野で活動していましたが、互いの個性を受け入れる関係を築いていました。
【2009年に結婚】倉田真由美と叶井俊太郎の馴れ初め
2人の出会いには、作家の中村うさぎさんが関係しています。
出会いは中村うさぎの紹介
2009年9月26日付のシネマカフェの報道によると、倉田さんと叶井さんは中村うさぎさんの紹介で知り合いました。
最初は中村さんを交えた3人で食事をしたことがきっかけです。その後、約3カ月を経て交際を始め、半年ほどの交際期間を経て結婚に至りました。
倉田さんは当時のイベントで、叶井さんについて、自由にさせてくれる人であり、無理をせずお互いを受け入れられる関係だと語っていました。
特に印象的なのは、叶井さんの会社の経営状況が厳しいことを知りながらも、彼自身を支えたいという気持ちを示していたことです。
当時の報道では、倉田さんは会社の経営と叶井さん個人への思いを分けて考え、会社の面倒を見ることはできなくても、彼の面倒は見られるという趣旨の発言をしています。
2009年9月18日に入籍
2人が婚姻届を提出したのは2009年9月18日です。この日は叶井さんの誕生日でもありました。
倉田さんは9月26日に出席した映画関連イベントで結婚を報告し、名字が変わったことをファンに伝えています。
この結婚については、叶井さんにとって4度目の結婚だったことも当時のメディアで取り上げられました。ただし、過去の結婚歴だけで2人の関係を判断することはできません。
実際、結婚後の生活について、倉田さんは2024年2月の夫の死去を報告した際、次のような思いを明かしています。
「まったく喧嘩にならない相性だった」
「いい思い出しかありません。最高の父ちゃんでした。」
これは倉田さんが自身のSNSで公表した言葉です。周囲から見た破天荒な人物像とは別に、夫婦としての相性や家庭での叶井さんの姿がうかがえます。
【映画『アメリ』の大ヒット】叶井俊太郎の経歴と代表作
叶井俊太郎さんの名前を語るうえで欠かせないのが、フランス映画『アメリ』です。
2001年に日本公開された同作は、興行収入約16億円を記録する大ヒットとなりました。叶井さんはこの映画の日本での買い付けに関わった人物です。
映画『アメリ』が成功した理由と叶井さんの仕事
『アメリ』は、パリを舞台に、周囲の人々に小さな幸せを届けようとする女性アメリの日常を描いたフランス映画です。
監督はジャン=ピエール・ジュネ。主演はオドレイ・トトゥです。
叶井さんは映画.comの2023年12月のインタビューで、当初は監督の過去作品などから、カルト映画に近い作品だと考えて買い付けたという趣旨のエピソードを明かしています。
ところが、公開すると予想を超える人気を獲得。ほぼ単館から始まった上映が拡大し、興行収入16億円のヒットにつながりました。
興味深いのは、叶井さん自身が後年のインタビューで、日本語字幕版をまだ見ていないと話していたことです。作品への関わり方も、一般的な映画ファンやクリエイターとは少し異なる独特のものでした。
叶井俊太郎の経歴・年表
| 時期 | 出来事 | 内容・実績 |
|---|---|---|
| 1967年 | 東京都で誕生 | 9月18日生まれ |
| 1991年 | 映画配給会社に入社 | 映画の買い付けや配給の仕事に携わる |
| 1992年 | 香港映画を買い付け | 『八仙飯店之人肉饅頭』などを日本に紹介 |
| 2001年 | 『アメリ』の買い付け | 日本で興行収入約16億円の大ヒット |
| 2003年 | ファントム・フィルム設立 | 映画配給事業に取り組む |
| 2005年 | トルネード・フィルム設立 | 代表取締役として映画事業を展開 |
| 2010年 | トルネード・フィルムが破産 | 約3億円の負債が報じられる |
| 2019年 | サイゾーに移籍 | 映画配給レーベルの宣伝プロデューサーを務める |
| 2023年 | 第1回東京国際叶井俊太郎映画祭 | 闘病中もトークショーに登壇 |
| 2024年 | 死去 | 2月16日、56歳で逝去 |
『いかレスラー』『ヅラ刑事』など異色作品にも参加
叶井さんは『アメリ』だけでなく、独特の企画で知られる河崎実監督作品にも関わってきました。
代表的な作品には次のようなものがあります。
- 『キラー・コンドーム』:1999年公開。カルト映画の宣伝に携わった代表例。
- 『いかレスラー』:2004年公開。奇抜な設定で話題になった作品。
- 『ヅラ刑事』:2006年公開。独創的な宣伝企画でも注目された作品。
- 『日本以外全部沈没』:2006年公開。河崎実監督による異色のSFコメディー。
叶井さんの強みは、作品の規模やジャンルにとらわれず、観客の関心を引く方法を考える発想力にありました。
映画業界では、作品を作る監督や出演者だけでなく、海外作品を発掘し、配給し、宣伝する裏方の存在も重要です。叶井さんは、その裏方の仕事を個性的なキャラクターと大胆な企画で印象づけた人物でした。
一方で、2005年に設立したトルネード・フィルムは2010年に破産しています。華やかなヒットの裏側には、映画ビジネスの難しさや経営上の苦労もありました。
【膵臓がん公表から2024年2月16日まで】叶井俊太郎の病状と最期
叶井さんの人生を振り返るうえで、大きな転機となったのが2022年6月の膵臓がんの診断です。
2022年6月にステージ3の膵臓がんと余命半年を宣告
叶井さんは2022年6月、ステージ3の膵臓がんと診断されました。医師から告げられた余命は半年程度でした。
その後、2023年10月にはステージ4まで進行していたことが明らかになりました。
膵臓がんは初期に症状が出にくいことから発見が難しいがんとして知られています。叶井さんの場合も、黄疸などの体調変化をきっかけに検査を受け、診断に至ったと本人が映画.comのインタビューで説明しています。
抗がん剤を使わなかった理由とは?
叶井さんが選んだのは、抗がん剤による標準的な治療を受けず、できるだけ普段の生活を続けるという道でした。
本人の2023年12月のインタビューによると、複数の医師の意見を聞き、抗がん剤で腫瘍を小さくした後に手術をする治療について説明を受けたものの、副作用や成功の可能性を考え、その方法を選ばない決断をしました。
治療のために体力を消耗するより、仕事を続け、自分がやりたいことを優先したいという考えがあったのです。
ただし、抗がん剤を使用しなかったことと、医療的な処置を一切受けなかったことは同じではありません。
報道された本人の説明では、NKT細胞を標的とする免疫治療なども受けていました。また、2023年夏には、胃の一部を切除して食道と小腸をつなぐバイパス手術も受けています。これはがんそのものを取り除く手術とは異なる処置です。
この点は、叶井さんの闘病を理解するうえで大切です。
抗がん剤を使用しなかったという事実だけを取り上げて、同じ選択がほかの患者にも適していると考えることはできません。治療方針は病状や本人の希望によって異なります。
余命半年から約1年8カ月を生きた
叶井さんは余命半年と告げられた後も、映画の仕事を続けていました。
2023年12月には、第1回東京国際叶井俊太郎映画祭に登壇。複数のトークショーに出演し、映画関係者やファンとの交流を続けていました。
同年12月の映画.comのインタビューでは、すでにステージ4の膵臓がんでありながら、映画のプロデュースや宣伝に携わっていたことが紹介されています。
しかし、2024年2月に入ると体調は急速に悪化しました。
倉田さんは2月14日、自身のSNSで、夫の状態が短期間で大きく変化していることを伝えていました。
2024年2月16日、56歳で死去
叶井俊太郎さんが亡くなったのは2024年2月16日夜。東京都内の自宅で、56歳の生涯を閉じました。
2024年2月17日の日刊スポーツなどの報道で訃報が伝えられ、死因は膵臓がんとされています。
余命半年の宣告を受けてから、約1年8カ月を生きたことになります。
倉田さんは2月27日、夫の死後初めて自身のSNSを更新し、夫が目の前で最期の息を引き取ったことを報告しました。
また、亡くなる前日まで自分でシャワーを浴び、髪を洗い、髭を剃り、普通に会話をしていたことも明かしています。
長い闘病生活の末に迎えた最期は、本人が望んでいた自宅での生活の延長線上にありました。
【夫婦の最期のエピソード】エンドロールと自宅での看取り
叶井さんと倉田さんの夫婦関係を象徴する出来事として、映画のエンドロールと自宅での看取りがあります。
映画『恐解釈 桃太郎』に刻まれた名前
叶井さんが関わった映画の中で、特に注目されたのが2023年12月8日公開の『恐解釈 桃太郎』です。
この作品のエンドロールには、「叶井俊太郎に捧ぐ」というクレジットが入れられました。
これは死去後に追加された追悼文ではありません。叶井さん自身が、余命宣告を受けた後、自分が亡くなる可能性を考えて作品に入れていたものです。
映画.comのインタビューでも、本人がこのクレジットについて語っています。
映画の宣伝やプロデュースを仕事にしてきた人物が、自分自身の人生の終わりを映画のエンドロールになぞらえる。そこには、最後まで映画人として生きようとした叶井さんらしさが表れています。
また、同年には第1回東京国際叶井俊太郎映画祭も開催されました。映画監督や同僚、後輩たちが企画したイベントであり、裏方として働いてきた叶井さんの存在が業界内でどれほど大きかったかを物語っています。
亡くなる前日の食事と最後の会話
倉田さんが2024年6月のリアルサウンドのインタビューで語ったエピソードによると、叶井さんは亡くなる前日も食事を楽しみ、普段と大きく変わらない生活を送っていました。
2026年4月の月刊終活WEBのインタビューでは、亡くなる前夜に在宅医を呼ぶことになり、医師から危篤状態だと告げられた経緯も詳しく語っています。
倉田さんは、これまで何度も余命宣告を乗り越えてきた夫だけに、今回も持ち直すのではないかと考えていたそうです。
翌朝、叶井さんは一度目を覚まし、倉田さんに話しかけました。
「昨日、俺やばかったよね」
これが最後のまともな会話になったと倉田さんは振り返っています。
その後、叶井さんは意識を失い、夜に呼吸が止まりました。倉田さんは夫のそばで「父ちゃん、息して」と何度も呼びかけたといいます。
自分の目の前で夫を看取った経験は、倉田さんにとって非常に大きな出来事でした。
夫婦にとって自宅で最期を迎える意味
当初、2人は自宅で亡くなることに不安を感じていたそうです。痛みが出た場合にすぐ処置してもらえる病院のほうが安心だと考えていました。
しかし、叶井さんが長期間入院した際、治療中に強い痛みを経験したことなどから、本人は自宅で最期を迎えたいという希望を持つようになりました。
倉田さんもその希望を受け入れ、在宅医療の支援を受けながら夫の生活を支えました。
夫は好きな本に囲まれ、好きな食べ物を楽しみ、映画や仕事への関心を失わずに過ごしました。
2025年2月の集英社オンラインのインタビューで、倉田さんは自宅で夫を看取れたことを、闘病生活を振り返るうえでよかったことの一つとして挙げています。
もちろん、在宅での看取りがすべての家庭に向いているわけではありません。本人の意思、家族の負担、在宅医療や訪問看護の支援体制など、複数の条件が必要です。
叶井さん夫婦の経験は、自宅で過ごすという選択肢を考えるきっかけになる一方、ほかの人にも同じ方法を勧めるものではありません。
【2026年現在】夫を亡くした倉田真由美の生活と現在の思い
叶井さんの死去から2年以上が経過した2026年。倉田真由美さんは、夫との思い出や在宅での看取りについて、自身の言葉で発信を続けています。
2025年に在宅看取りを記した著書を出版
2025年9月26日、倉田さんは小学館から著書『夫が「家で死ぬ」と決めた日 すい臓がんで「余命6か月」の夫を自宅で看取るまで』を出版しました。
この本は、夫が膵臓がんと診断されてから亡くなるまでの640日間を振り返った記録です。
闘病中の夫婦の生活や、在宅での看取りに至るまでの過程を、漫画やイラストも交えて紹介しています。
特に印象的なのは、叶井さんが病気になった後も、好きな食事や仕事、旅行などを可能な限り続けていたことです。
また、在宅緩和ケア医による解説や、家族が自宅での看取りを考える際に役立つチェックリストも収録されています。
単なる夫婦の回想録ではなく、家族が病気と向き合うときに何を考え、どのような選択肢があるのかを伝える内容になっています。
2026年4月のインタビューで明かした現在の暮らし
2026年4月9日公開の月刊終活WEBのインタビューでは、倉田さんが夫を亡くしてからの生活や、今も続く喪失感について語っています。
その中で明らかになったのが、叶井さんの遺骨を現在も自宅に保管していることです。お墓や仏壇は設けておらず、今後も納骨する予定はないと話しています。
倉田さんは、夫の写真や動画を日常的に見返しているそうです。自分が撮影した映像には、その場の空気や景色も残っており、夫がいた時間を思い出す大切なものになっています。
一方で、夫を思い出すことで涙が出ることもあり、音楽を聴くことが難しくなった時期もあったと明かしています。
2026年のインタビューから見えてくるのは、時間が経てば悲しみが消えるという単純なものではなく、夫との思い出を抱えながら日々を過ごしている倉田さんの姿です。
夫の死を通じて変わった死生観
倉田さんは、夫が亡くなったことで、自分自身の死生観も変わったと語っています。
以前は健康で長生きすることを望んでいましたが、叶井さんの生き方を見て、早く亡くなることが必ずしも不幸とは限らないと感じるようになったそうです。
叶井さんは、好きな映画や漫画を楽しみ、仕事にも打ち込み、最後まで自分らしい生活を続けました。
もちろん、56歳という若さで亡くなったことは、家族にとって大きな悲しみです。それでも、倉田さんは夫が自分の人生を生き切った姿から、多くのことを受け取ったと振り返っています。
2026年現在、倉田さんの公表した活動としては、著書の出版や看取りに関するインタビューなどが確認できます。夫の死去後も、漫画家としての活動と並行し、自身の体験を社会に伝えています。
【プロの結論】倉田真由美と叶井俊太郎の夫婦関係から見えること
倉田真由美さんと叶井俊太郎さんの関係を振り返ると、注目すべき点は大きく3つあります。
第一に、2人は互いの個性を受け入れる関係だったこと。叶井さんは映画業界で破天荒な人物として知られ、経営面でも失敗を経験しました。それでも倉田さんは、夫の個性を含めて受け入れ、結婚生活を続けてきました。
第二に、病気になっても本人らしい生活を大切にしたこと。叶井さんは抗がん剤による標準治療を選ばず、仕事や食事など、自分にとって大切な時間を優先しました。ただし、これは本人と家族が考えた個別の選択であり、ほかの患者が模倣すべき治療法という意味ではありません。
第三に、夫婦で過ごした時間が、その後の倉田さんの活動につながっていること。2025年の著書や2026年のインタビューは、在宅看取りや死別後の生活を考える人にとって、一つの実体験として参考になるものです。
ネット上では「抗がん剤を使わずに長く生きた夫」という部分が注目されがちですが、それだけで叶井さんの人生を語ることはできません。映画を発掘する仕事への情熱、独特の人柄、家族との関係、そして最後まで自分らしく過ごしたいという意思が、彼の人生を形作っていました。
倉田真由美の旦那に関するよくある質問(FAQ)
Q1:倉田真由美の旦那は誰ですか?
A1:映画プロデューサーの叶井俊太郎さんです。映画『アメリ』の日本での買い付けや、『いかレスラー』『日本以外全部沈没』などの映画のプロデュース・宣伝に携わりました。
Q2:倉田真由美と叶井俊太郎はいつ結婚しましたか?
A2:2009年9月18日です。作家の中村うさぎさんの紹介で出会い、交際を経て入籍しました。9月18日は叶井さんの誕生日でもあります。
Q3:叶井俊太郎の死因と亡くなった日はいつですか?
A3:膵臓がんです。2024年2月16日夜に東京都内の自宅で亡くなりました。享年56歳でした。
Q4:叶井俊太郎は本当に抗がん剤を使わなかったのですか?
A4:本人のインタビューや報道によると、抗がん剤による標準的な治療は選択しませんでした。ただし、免疫治療やバイパス手術などは受けており、医療を一切受けなかったわけではありません。
Q5:2026年現在、倉田真由美は何をしていますか?
A5:漫画家として活動を続ける一方、2025年に夫の在宅看取りを記した著書を出版しました。2026年4月のインタビューでは、夫の遺骨を自宅に保管し、写真や動画を見返しながら思い出を大切にしていることを語っています。
Q6:映画『恐解釈 桃太郎』のエンドロールにある「叶井俊太郎に捧ぐ」は死後に追加されたものですか?
A6:いいえ。2023年12月の公開時点で入っていたクレジットです。叶井さん自身が余命を意識して生前に入れていたもので、死去後に初めて追加された追悼文ではありません。
まとめ:倉田真由美の夫・叶井俊太郎が残したもの
倉田真由美さんの夫は、映画プロデューサーの叶井俊太郎さんです。2人は2009年9月18日に結婚し、約14年5カ月にわたって夫婦として生活しました。
叶井さんは2001年の『アメリ』のヒットをはじめ、数々の個性的な映画に関わってきました。しかし、2022年に膵臓がんを公表し、余命半年の宣告を受けた後も仕事を続け、2024年2月16日に56歳で亡くなりました。
倉田さんは夫を自宅で看取り、その経験を2025年の著書にまとめています。2026年のインタビューでも、夫を失った悲しみや、写真・動画を通して思い出を大切にする日常を語りました。
叶井俊太郎さんは、映画業界では異端児と呼ばれる一方、倉田さんにとっては何にも代えがたい夫であり、家族にとって大切な存在でした。
夫婦の歩みを知るうえで大切なのは、死去や闘病の話だけでなく、出会いから結婚、映画への情熱、日々の生活までを一つの人生として捉えることです。叶井さんが残した映画と、倉田さんが伝え続ける夫婦の記憶は、2026年も多くの人に知られています。
主な確認資料: 日刊スポーツ、映画.com、シネマカフェ、TBS NEWS DIG、集英社オンライン、小学館の公式プレスリリース、月刊終活WEBの2026年4月インタビュー。