コント赤信号が誕生した背景には、明治大学の落語研究会と劇団テアトル・エコーという、2つの人脈がありました。
小宮さんと渡辺さんは明治大学の同級生。ラサール石井さんはテアトル・エコー養成所で一級上の先輩でした。
3人はそれぞれ演劇や落語に関心を持っていましたが、当初からテレビで活躍する人気芸人だったわけではありません。
結成のきっかけは渡辺正行からの誘い
テレビ朝日系のインタビューで小宮さんは、渡辺さんから誘われたことがコント赤信号の活動につながったと振り返っています。
小宮さんと渡辺さんは、テアトル・エコーの劇団員になる試験にも合格していました。しかし、先輩からストリップ劇場でコントをやらないかと誘われ、演劇とは異なる道を選びます。
そこに加わったのがラサール石井さんでした。
3人が修業の場に選んだのは、東京・渋谷の道頓堀劇場。コメディアンの杉兵助さんに師事し、幕間にコントを披露する日々が始まります。
当時の劇場は、決して華やかな芸能活動の舞台ではありませんでした。
テレビに出演できる保証もなく、観客の反応を直接受けながら笑いを磨く環境です。
明治大学の講演会報告によると、漫才ブームの中でB&Bやツービートなどの人気を目の当たりにした3人は、自分たちの将来に限界を感じ、解散を考えた時期もありました。
『花王名人劇場』出演で運命が変わる
転機になったのは、ユートピアから誘われたライブへの出演です。
そこで披露したのが、渡辺さんが考案した暴走族コントでした。
渡辺さんが暴走族の兄貴役として登場するネタが好評を得て、師匠の杉兵助さんがテレビプロデューサーの澤田隆治さんに3人を推薦します。
その結果、1980年にフジテレビ系『花王名人劇場』への出演が実現しました。
日刊スポーツの渡辺さんへのインタビューでも、この暴走族コントがテレビデビューにつながった経緯が紹介されています。
加えて、1982年からは『オレたちひょうきん族』のレギュラーに起用されます。
同番組にはビートたけしさん、明石家さんまさんら、当時の人気芸人が出演していました。コント赤信号も独特のキャラクターとテンポのよいコントで存在感を発揮します。
『笑ってる場合ですよ!』などにも出演し、80年代のお笑いブームを代表するグループの一つになりました。
コント赤信号のメンバーと関係性
3人はそれぞれ異なる得意分野を持っていました。
3人の関係は現在どうなっている?
コント赤信号のメンバーは、現在それぞれ異なる分野で活動しています。
2023年3月には、テレビ朝日系『徹子の部屋』に3人そろって出演。デビューから43年を迎えたトリオの歩みと、それぞれの近況が紹介されました。
さらに2025年7月、ラサール石井さんが参議院選挙で初当選した際には、渡辺さんがテレビ番組で祝福のコメントをしています。
渡辺さんは、当選後にラサールさんから感謝のLINEが届いたことも明かしました。
長年リーダーと呼ばれてきた渡辺さんが、今後は「先生」と呼ばなければならないのかと冗談交じりに話したエピソードも報じられています。
こうした交流からも、3人の関係を単純に不仲や絶縁と結び付けることはできません。
ただし、2026年現在、3人がコント赤信号として定期的にテレビや舞台に出演しているという状況ではなく、各自の活動が中心です。トリオの過去の実績と、現在の個人活動は分けて理解する必要があります。
【俳優活動とMCコミヤ】お笑い芸人から実力派俳優へ変わった理由

小宮さんの芸能活動を振り返ると、単にコント芸人から俳優に転身したというだけではありません。
コントで培った表現力を土台に、映像、舞台、声優、落語、演劇プロデュースへと専門領域を広げてきた点に特徴があります。
1990年代から俳優としての活動を拡大
30代以降、小宮さんは俳優活動に力を入れるようになりました。
代表的な出演分野には次のようなものがあります。
| 分野 | 作品・活動 | 特徴 |
|---|---|---|
| 映画 | 『星屑の町』(2020年) | 舞台シリーズの映画化 |
| 映画 | 『桃源郷的娘』(2022年) | 主演作品 |
| 映画 | 『あらかわミラクルLOVE!』(2025年) | 映画出演 |
| ドラマ | 『相棒』 | 落語経験も生かした出演 |
| 配信ドラマ | 『全裸監督 シーズン2』 | 映像作品での演技 |
| 舞台 | 『星屑の町』シリーズ | 長期にわたる代表的な出演作 |
| 舞台 | 『11ぴきのネコ』(2025年) | 音楽劇で主演 |
特に注目したいのは、テレビドラマ『相棒』との関係です。
2002年の『相棒』Season1第3話では落語家役で出演し、劇中で落語の演目「手紙無筆」を披露しました。
これは学生時代から続けてきた落語の経験が、俳優としての仕事にも生かされた例です。
1991年のMCコミヤとは?
小宮さんの芸能活動を語る際に欠かせないのが、MCコミヤ(M.C.コミヤ)です。
1991年、小宮さんはアメリカの人気ラッパー、M.C.ハマーをパロディーにした「MCコミヤ」名義でCDをリリースしました。
この企画は、小田原高校の同級生でテクノバンド「ヒカシュー」の三田超人さんがプロデュースしたものです。
当時の音楽シーンではM.C.ハマーが大きな人気を集めており、その特徴的なダンスやファッションを取り入れたパロディーは、小宮さんの意外な一面として話題になりました。
MCコミヤは、単なる別名ではなく、コントで培った身体表現やパロディーの感覚を音楽に持ち込んだ活動でした。
真面目な役者としての仕事と、遊び心のある芸人としての表現。その両方を持っていることが、小宮さんの個性です。
声優や海外での演劇活動にも挑戦
小宮さんは、テアトル・エコーの研究生時代に声優試験にも合格しています。
『宇宙戦艦ヤマト』シリーズや『こちら葛飾区亀有公園前派出所』など、声の仕事にも参加しました。
さらに2004年には、文化庁文化交流使としてロンドンに演劇留学しています。
現地では英語による一人芝居や英語落語にも取り組み、日本の喜劇・演劇文化を海外に紹介しました。
小田原市の公式紹介にも、この文化交流使としての活動が記録されています。
【落語家としての小宮孝泰】ごらく亭を続ける理由と現在の活動
小宮さんの活動で、もう一つ見逃せないのが落語です。
小宮さんは高校時代に落語研究会を作り、明治大学でも落語研究会に所属していました。
当時の仲間には渡辺正行さんや、後に落語家となる立川談幸さんらがいます。また、先輩には立川志の輔さんや三宅裕司さんもいました。
こうした環境で落語を学んだ経験が、現在の活動につながっています。
役者による落語会「ごらく亭」とは?
「ごらく亭」は、小宮さんが主催する役者による落語会です。
落語家ではなく、俳優やタレントなど、普段は演劇やテレビで活動する人たちが高座に上がる点が特徴です。
落語だけでなく、お座敷芝居や演芸なども組み合わせ、演劇と寄席の魅力を融合させています。
2026年4月の日刊ゲンダイのインタビューでは、小宮さんが「ごらく亭」を続けている理由についても紹介されました。
会の名前は、2012年に亡くなった妻が付けたものだといいます。小宮さんにとっては、落語活動であると同時に、大切な思い出を受け継ぐ場所でもあります。
2026年の「ごらく亭」関連情報
2026年8月22日には、第17回役者の落語会「ごらく亭」の公演が、なかの芸能小劇場で収録されました。
スカパー!の番組情報によると、11月21日には寄席チャンネルで放送予定です。
主な出演者と演目は次のとおりです。
- 小宮孝泰:落語「八五郎出世」
- 山口良一:落語「真田小僧」
- オオタスセリ:創作落語「優秀な兵隊」
- 曽世海司:落語「三年目」
- 鬼頭真也:落語「子ほめ」
- 山本光洋:お喋りマイム
- 中原果南:お座敷芝居に出演
お座敷芝居「夢のあとさき」では、落語「天狗裁き」の後日談が描かれます。小宮さんは亭主役を務めます。
新作落語にも挑戦している
小宮さんは既存の古典落語を演じるだけではありません。
2023年には、菊池寛の短編小説をもとにした創作落語「狐を斬る」を発表しました。
完成まで約2年をかけ、柳家喬太郎さんや立川談笑さんにも意見を求めながら作品を仕上げたと、日刊ゲンダイのインタビューで説明しています。
このエピソードからも、落語を単なる趣味ではなく、創作と表現の一分野として真剣に取り組んでいることが分かります。
【プロの結論】小宮孝泰の現在を理解する3つのポイント
小宮さんの長い芸能生活を整理すると、現在の活動を評価するうえで要点が3つあります。
1. お笑い芸人としての経験が俳優としての土台になっている
コント赤信号で培った間の取り方や観客との距離感は、舞台俳優としての表現にも生かされています。
単に昔の人気芸人が俳優に転身したのではなく、コントと演劇をつなぐキャリアを築いてきた点が特徴です。
2. 自分で企画する仕事を持っている
小宮孝泰プロデュースやごらく亭は、出演依頼を受けるだけでは実現しにくい活動です。
自ら企画し、共演者を集め、作品を形にすることで、俳優としての仕事の幅を保っています。
3. 過去の代表作を現在の表現に結び付けている
『星屑の町』や『線路は続くよどこまでも』は、過去の実績として保存されているだけではありません。
2026年にも新しい上演や映像化への取り組みが続いています。これは、キャリアを懐かしむだけでなく、現在進行形の表現活動に変えているということです。
小宮さんの現在を知りたい読者にとっては、昔のコント映像だけでなく、近年の舞台作品や一人芝居、落語会にも注目する価値があります。
【コント赤信号の小宮孝泰】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:小宮孝泰は2026年現在も芸能活動をしていますか?
A1:はい。2026年11月現在も俳優・舞台プロデューサーとして活動しています。『星屑の町~忘却篇』への出演や、自身が企画する舞台、落語会などに取り組んでいます。
Q2:コント赤信号のメンバーは誰ですか?
A2:渡辺正行さん、小宮孝泰さん、ラサール石井さんの3人です。渡辺さんがリーダーを務め、小宮さんとラサールさんがメンバーとして活動してきました。
Q3:コント赤信号はいつ結成されましたか?
A3:1970年代後半です。資料によって1977年から1979年まで表記に違いがありますが、1980年に『花王名人劇場』でテレビデビューしたことは共通して確認できます。
Q4:小宮孝泰のMCコミヤとは何ですか?
A4:1991年に小宮さんがM.C.ハマーのパロディーとして活動した際の名義です。M.C.コミヤ名義でCDもリリースしています。
Q5:小宮孝泰は落語家なのですか?
A5:本業は俳優・タレントです。ただし、高校・大学で落語を学び、現在も「ごらく亭」という役者の落語会を主催し、自ら高座に上がっています。
Q6:小宮孝泰の『星屑の町~忘却篇』は2026年で最後ですか?
A6:2026年公演はシリーズの最終章として発表されています。2026年11月には北海道公演が予定され、さらに2027年2月20日から28日には東京・本多劇場での凱旋公演も発表されています。
Q7:渡辺正行やラサール石井との仲は悪いのですか?
A7:不仲や絶縁を裏付ける確かな情報はありません。2023年には3人で『徹子の部屋』に出演し、2025年には渡辺さんがラサールさんの参院選当選を祝福しています。
まとめ:コント赤信号の小宮孝泰は70歳でも現役の表現者
小宮孝泰さんは、1980年代にコント赤信号として全国的な人気を獲得した後、俳優、舞台プロデューサー、落語の実践者として活動の幅を広げてきました。
2026年11月現在、70歳を迎えても舞台への出演は続いており、『星屑の町~忘却篇』という長年の代表シリーズの最終章にも参加しています。
また、一人芝居『線路は続くよどこまでも』のドキュメンタリー映画化や、ごらく亭の活動など、今後につながる取り組みも進行中です。
小宮さんの現在を理解するうえで、押さえておきたいのは次の点です。
- コント赤信号は渡辺正行・ラサール石井との3人組。
- 1980年の『花王名人劇場』出演がテレビ進出の転機。
- 1990年代以降は俳優活動を中心に活躍。
- MCコミヤや海外での演劇活動など、表現の幅も広い。
- 2026年も舞台・一人芝居・落語会を継続している。
かつてテレビのお笑い番組で活躍した小宮さんは、現在では舞台を中心に独自の表現活動を続ける俳優です。
コント赤信号の小宮孝泰という過去だけでなく、2026年の舞台や落語活動に目を向けると、70歳を迎えた現在も新しい挑戦を続ける表現者としての姿が見えてきます。
主な情報確認先:中央大学、小田原市、明治大学連合父母会、テレビ朝日POST、日刊スポーツ、日刊ゲンダイDIGITAL、カンフェティ、星屑の会公式公演情報、スカパー!